■ かもしれないけれど、素朴な疑問
我が家もご多分に漏れず、ある仏教の檀家をしている。 昨春、親とかみさんがその宗派の総本山の一大法要に参加 してきた。法要以外にも、各地の名刹を巡ってきたらしい。 行く先々の寺で、高僧が説教するたびに、檀家のみなさんは ぜひお寺をりっぱにしてもらいたい、というような事を言われ てきたらしい。 「ところで、その「りっぱ」って、どいういう意味なんだ」 「何も説明してくれなかった」 「どういう意味なんだろうな」 旅行中は毎晩宴会で、余興はカラオケだつた、とか。 いっしよに行ったお寺の坊さんがマイクを握ると、おひねりは 飛ぶは、首には万札でできたレイがかけられ、嬌声が とびかっていた、という。 「まるで、座長芝居だな」 「ほんとだよ」 これだけ聴いて、「りっぱ」の意味がわかったような気がして 疲れてきた。 最近、大都会を中心に葬儀に変化があらわれてきたらしい。 遺体の火葬以外一切の儀式をしない「直葬」と呼ぶ、形だ。 それも、ここ数年のうちに急速に広がってきたらしい。 そう言えば、例え葬儀をしても、親族程度でこぢんまりと 済ませてしまう例も気が付けば多くなってきた。 たった数日のうちに、戒名代がいくらとか、言って、うん百万 円も負担させられてきた反動じゃないのか、と思わず勘ぐって しまう。宗教の一義である魂の救済をないがしろにして、生計 のために葬祭を一義にしてしまった葬式仏教の限界がきたの ではないか、とも考えてしまった。 かといって、いわゆる新興宗教も、どこか胡散臭いところが。 「これを買えば救われる」とか言って、すごい高価なモノを 買わせようとするのは、まるで社会問題化した商法みたいだ。 どちらにも言えると思うんだけれど、魂の救済って、もっと素朴 なものじゃないだろうか。 いわゆる「金」や「形」ではないような気がするんだけれど。
by capricciosam
| 2005-03-28 22:12
| 時の移ろい
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