有島の一言なかりせば

途中からみた日曜美術館は「ゴッホ」を特集していた。
スーラの点描から影響を受けたというのは初めて知った。
しかし、スーラの作品の後に紹介された「自画像」は
ゴッホの個性が横溢しており、明らかにスーラとは異なる。
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単に点だけで描いた絵ではない。
ましてや、平面的に塗りたくった絵でもない。
皮膚の下の筋肉でも描いたかのような、顔中毛でも生えたかのような、
多彩な色彩の「線」で構成されている。

「そうだ。点ではなく、線なのだ。」

点描から線描への脱皮をしたことで、他者との異なる画境に到達し、
今や、その画風は時代や国境を越えて愛されている。
今更改めて指摘すべきことでもないのだろうが、やはり凄いことだと思う。

結局のところ、画家はただ作品によって
不特定多数の外部評価を受けることになる。
実際、作者や作品に関するエピソードは鑑賞の参考としては否定しないが、
やはり作品本来の持つ力には叶わないと思う。
力には画家の込めたパッションはもちろんだが、
鑑賞に堪えさせるだけのテクニックも必要だろう。
少なくともこの両者がなければ、繰り返しの鑑賞には堪えられない
のではないか、と考えている。
その点、ゴッホは両方が高度に両立している一人ではないかと思う。

ところで、番組終りに特集されていた道産子画家「木田金次郎」の絵は
この点でいうと、少々異なっているのではないか、と思う。
終生岩内で過ごして画業に邁進したその熱情を揶揄するつもりは毛頭ない。
むしろ、ゴッホとの対比で惜しいと思う気持ちがはっきりしてきた。

今から30年くらい前に北海道立近代美術館の特別展で氏の作品を
まとまって観る機会があった。
木田のパッションが満ちあふれる作品を次々に鑑賞していくと、
段々心がざらつきだした。
まるで作者にふりまわされているような、妙な落ち着きの悪さを感じたのだ。
一体何故なんだろう、と自問してみて、気がついたことがある。
それは、あふれる熱情と、それを絵に定着させるための技巧の
バランスの悪さということだ。
落ち着いて鑑賞していられるだけの技術が不足しているのだ。
もし、木田が学ぶことでこの点をカバーできていたのなら!?
より一層の光を放つことになったのではなかろうか。
この点は、生涯岩内という地に留まり、独学した木田の避けられない宿命
だったのかもしれない。

生涯師と仰いだ有島武郎とのエピソードが残されている。

「(略)手紙には、「北海道にいると絵が描けない。東京へ出て何か適当な
仕事をしながら絵の勉強をしたいので、職をさがしてほしい」とあった。
それに対して有島は、「その地におられてその地の自然と人とを忠実に熱心に
お眺めなさる方がいいに決まって居ます。」と激励し、その言葉に
「世界が急に明るくなった」木田金次郎は、岩内にとどまる決心をしたのである。
木田を「岩内の画家」にした、決定的な事件である。」
(以上、木田金次郎美術館より引用)

もし、有島が東京での職を斡旋して、木田が技術を身につけていたのなら
その作品は今ある形とは異なっていただろう。
木田のその後を左右した有島の役割はつくづく大きく、重かったなぁ、と改めて思う。
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by capricciosam | 2011-02-20 23:49 | 時の移ろい | Comments(0)


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