ファビオ・ルイジ&PMFオーケストラ(Cプロ)@2011

入場し、着席するとアナウンスが入り、プログラムの変更が告げられる。
当初、Ⅰ「亡き子をしのぶ歌」Ⅱ「リュッケルトの詩による歌」の順番であったが、
逆にするというものだ。開演前に登壇したPMF組織委員会のプレトークでは
ソリストと指揮者が長時間話し合って順番を変えたということだった。
どちらも、リュッケルトが書いた詩を基にして、ほぼ同時期に作曲されているが、
Ⅰがリュッケルトが亡くした子供への一連の心情を綴ったものであるのに対し、
Ⅱは内容的に関連がある訳ではない。
しかも、5曲をどの順番で歌おうとかまわないのだから、作品としての「重み」や
歌う側の「感情移入」としても、案外この順番で正解なのかもしれない。
(でも、逆に当初の順番の考え方というのも気になるが。)

また、トーマス・ハンプソンさんは第一回PMFに参加されており、21年ぶり2度目の出演。
当時の記録では、開会式の翌日にリサイタルを行っただけのようだ。
場所は北海道青少年会館ホール(当時、札響の練習場だったんじゃないかな)。
ピアノはマイケル・ティルソン・トーマス(以下、「MTT」と略す。)
曲目は記録では不明。

1曲目 マーラー/リュッケルトの詩による歌
順番は次のとおり。
①私の歌をのぞき見しないで
②私は快い香りを吸い込んだ
③真夜中に
④私はこの世に捨てられ
5曲のうちマーラー以外の手が加えられている「美しさゆえに愛するのなら」が
慎重に除かれている。
ハンプソンさんはバリトンの美声と洗練された歌い口が印象的。
③をクライマックスとした構成も相まって、まるで一連の物語でも
語ってくれたかのような気分にさせられた。
ちなみに、この曲は2008年にメゾ・ソブラノのコジェナーの歌声に接している。
所有CDもメゾ・ソブラノなので、バリトンではどんな感じになるのだろうか、
と思っていたが、案外聴けるものだ、ということがわかった。
しかし、好みとしてはメゾ・ソブラノか。

2曲目 マーラー/亡き子をしのぶ歌
①今、太陽は明るく昇る
②今、私にはよく分かる
③お前のお母さんが部屋に入ってくる時
④よく私は考える
⑤こんな嵐の日には
子(娘)を亡くした親の悲嘆に暮れ、激しく揺れる感情という内面が、
太陽、星、嵐という外部世界との対比を用いつつ表現されていくが、
ハンプソンさんの表現力は圧倒的で、今夜の演奏会一番の聴きものだった。
さすが、バーンスタインと録音を残しているだけのことはある。
会場からは万雷の拍手が送られる。客席からは珍しく花束も。
また、ファカルティの入らないPMFオーケストラも、1曲目、2曲目ともに、
ルイジさんの手堅い指揮の下、健闘していた。
また、2曲ともルイジさんの腕が降りるまでフライング拍手が起こらず、
余韻を味わうことができたのは幸いだった。

3曲目 マーラー/交響曲第一番「巨人」
調べてみるとPMFで聴くのは、1999年MTT指揮でPMF10周年記念オケで聴いて以来。
他のオケでもしばらくなかったことから、10年以上ぶりの実演ということになる。
これは意外だったが、CD含め聴かない年はないので耳なじみの一曲ということになる。
この曲ではファカルティも加わる。Kitaraでの総仕上げだ。
やや強奏気味なのは毎年のPMFオケらしい。
目を閉じて聴いていたが、先日のブラームスの印象にほぼ重なるのに少々驚く。
あれから一週間経ちながら、ヌーボーの熟成が停滞しているのか。
しかし、完成度として不満があるという訳ではない。
教育的成果としては十分だと思うのだ。
何故なのかな、と考えてみて思ったのだが、今シーズンは早くも一週間前に
一定の完成に到達していたからではないのか、ということだった。
考えてみれば、ルイジさん指導の下約3週間だから、
これまでの芸術監督との期間よりも長く接している効果が現れたということなのだろう。
ある意味「ルイジのオケ」と化した訳だ。
これまでのPMFを振り返っても珍しいことなのかもしれないが、
芸術監督を置く以上、正しい姿なのかもしれない。

曲が終わると同時に嵐のような拍手とブラボー。
終演は9時20分。久しぶりに遅くなった。
昨年のたった一回の参加に比べると、今年は結構ガンバッテ参加したが、
小生にとっての今年のPMFも今回で終わった。
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by capricciosam | 2011-07-30 23:22 | 音楽 | Comments(0)


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