本村さんを支持する

1999年4月14日、山口県光市で発生した母子殺人事件で
最高裁が被告(当時18歳)の上告を棄却したことで、
被告を死刑とした差し戻し後の二審の広島高裁判決が確定した。
事件発生から13年。
この間は、被害者遺族である本村洋さんの想像を絶する辛苦の時間だったのだろう
と推察するが、心からの同情を禁じ得ない。
(差し戻し判決に関する以前の記事はこちら)

「事件からずっと死刑を科すことを考え、悩んだ13年間だった。
20歳に満たない少年が人をあやめたとき、もう一度社会でやり直すチャンスを
与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。
どちらが正しいことなのかとても悩んだ。きっとこの答えはないのだと思う。
絶対的な正義など誰も定義できないと思う」
(略)
「これが絶対的な回答ではないと思うし、判決を受けて議論があると思う。
死刑を存置すべきだとか、廃止すべきだとか色々な考えが出ると思うが、
これをきっかけにこの国が死刑を存置していることを今一度考えていただきたい。
裁判員裁判も適用されていることですし、身近に起こる事件、
犯罪について考える契機になれば、妻と娘の命も、
今回、死刑が科されるであろう被告の命も無駄にならないと思っている」
(以上、2/20産経ニュースから引用)

事件そのものの残虐さからも世間の注目を浴びたが、
それ以上に一人の若者(当時、本村さんは23歳)の真摯な叫びが世論を覚醒させ、
少年犯罪や犯罪被害者遺族のことを考えさせたことは間違いない。

ある年齢で更正できる、できないの区別など本当に可能なのか。
何人なら死刑になる、ならないという機械的判決の踏襲で良いのか。
何故犯罪者に比べ被害者遺族の苦しみがほとんど考慮されないのか。

本事件で多くの問題があぶり出されたように思うが、引用させていただいた
本村さんの言葉にもあるように、今回の判決が「絶対的な回答ではない」のだろう。
むしろ、日本の社会が存続する限り延々と考えざるを得ないのかもしれない。

「いつの時代も子供は変わらない」
確かに、それも一理あるとは思うが、
「子供は成長するその時代の影響を受ける」
ということもあり得るのではないか。

現状においても社会ばかりか、家庭という単位までもが加速度をつけて
崩壊していく傾向を強める一方、少年による凶悪犯罪もない年はない
と言っても過言ではない。その上、高齢者が増える一方なのだから、
近未来において、あまり想像したくない社会が出現しかねないのではないか。
杞憂なら良いのだが‥
こんな想像を巡らせると、この判決の重みは増してくると、考えざるを得ない。

本村さんは2009年に支援者の方と再婚されたようですが、

「自分の生活の立て直しに懸命になっている。
事件のことを考えずに生きるのは無理だが、しっかりと家庭を持って維持して、
社会に資する人間になろうと思い、これからがんばっていきたい」
(以上、2/20産経ニュースから引用)

本村さんに、穏やかな日常が訪れることを心から願っています。
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by capricciosam | 2012-02-20 23:55 | 時の移ろい | Comments(0)


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