流れていた曲が

■ 終生忘れられない曲になった
  
  通勤途中はFMを聴いていることが多く、
  父が倒れた日もいつものように聴いていた。
  その日はフォーレのレクイエムが流れていた。
  今振り返ってみれば、なんとも意味深な偶然なのだろう。

  フォーレに限らず、レクイエムは嫌いではないが、
  かといってあまり好んで聴いたこともなかった。
  しかし、心身ともに疲れ切った時などは、レクイエムの
  中でもフォーレの静謐な雰囲気のただよう、透明なやさしい
  調べに身をゆだねることはあった。
  私の中では、まさしく「癒し」の一曲であった。

  父の遺体が自宅に戻って葬儀の段取りの打ち合わせが
  一段落してから、無性にフォーレが聴きたくなった。
  しかし、家に戻る余裕もなかったので、家人に頼んで
  家にあるCDを持ってきてもらい、父愛用のCDラジカセで
  音量を絞って流していた。
  葬儀の対応に追われる中、周囲の雑音が途切れ、一瞬
  の静寂が訪れた時に耳に飛び込んでくる調べの、なんと
  穏やかで、やさしいことか。どれだけほっとしたことか。
  父の死を実感できないまま、現実にあたふたしている
  だけで、心身共に消耗している身には、何よりもの
  癒しであり、慰めとなった。

  初七日、二七日…と過ぎていくことで、あの日のことは
  確実に過去の記憶として固定されていくと同時に、細部 
  は薄れていくのだろう。
  しかし、フォーレのレクイエムがあの日を振り返って
  忘れ得ぬ曲になったことは間違いない。
c0007388_203338100.jpg

[PR]
by capricciosam | 2005-05-31 20:47 | 音楽 | Comments(3)
Commented by f16fightingfalcon at 2005-05-31 23:14
こんばんわ。ご愁傷様です。お疲れ出ませんように。
私は両親とも60歳前後で亡くしました。ちょうど、仕事の都合などで、母の訃報を聞いたのが700kmほど離れたところ、父の訃報は地球を半周回ったところで聞きました。こればかりは、仕方のないこととあきらめております。訃報を聞いて、駆けつける時の気持ち、何を考えていたのか覚えてないぐらいですが、なぜかベートーヴェンの第9の3楽章が鳴り響いていました。必死に落ち着こうとしていたのかもしれません。
どうぞ、お大事になさってください。
Commented by tokkey_0524zet at 2005-06-05 01:01
私は一昨年父を亡くしました。

流れていた曲・・・父が点滴を受けている病室の外で非常識にも携帯電話で話している人がいて、その着信音が「アルプスの少女ハイジ」で耳に残っているぐらいですね。付き添っていた私がドアを開けて睨むと彼は話しながらロビーへ立ち去ってしまいましたが。
Commented by capricciosam at 2005-06-11 12:28
>f16fightingfalconさん、コメントありがとうございます。
ずいぶん離れていたんですね。私も間に合わなかったとは言え、近いほうですね。親の死に目にあうことは時には難しいもんです。
>訃報を聞いて、駆けつける時の気持ち、何を考えていたのか覚えてないぐらいですが、なぜかベートーヴェンの第9の3楽章が鳴り響いていました。
そうですね、妙に音楽が流れ出すものですね。第九の第三楽章も高ぶる気持ちをなだめるにはよい曲ですね。今秋も第九合唱に参加するのですが、数年前に父が聴きに来てくれた時に、会場に入ってから家族を捜したら父と目があって、軽く手を挙げて合図してくれたことを思い出しました。

>tokkey_0524zetさん、コメントありがとうございます。
>父が点滴を受けている病室の外で非常識にも携帯電話で話している人がいて、その着信音が「アルプスの少女ハイジ」
人生は幸と不幸のすれ違い、とか言うそうですが、決して幸とは言えない立場にいたら、TPOをわまきえろ!と言いたくなる気持ちになりますね。


<< 久しぶりの 別れは >>