ロベール・ドアノー展@札幌芸術の森美術館2013

20世紀は「写真の世紀」とも言われるらしい。
ロベール・ドアノー(1912-1994、以下、「ドアノー」という。)の生誕100年を
記念して開催された本展は、まさしくそんな時代を生き抜いたたドアノーが、
パリ周辺の日常の小さなドラマを写真として切り取った作品の数々が展示されている。

展示では、順に「パリ郊外」「冬の時代~占領からパリ解放まで」「郊外の休日」
「パリ イメージの釣り人」「ポートレイト」「『ヴォーグ』の時代」「子供たち」
「変貌するパリ」「ドアノーとカラー」と9つのテーマに分けられているが、
必ずしも時代順という訳ではない。
もちろんカラー写真の発達した近現代に撮られた作品もあるが、
作品の多くは1940年代から1960年代までに撮られたモノクロで、
第二次世界大戦の戦前戦中戦後を生き抜く庶民の生活が登場する。

特に、ドアノーが舞台としたパリは大戦中ナチスドイツの占領下にあった訳で、
戦中の悲惨な場面が多く登場するのか、と言えば、決してそうではない。
写真というリアリズムを駆使してダークな側面を切り取っていくことも可能だった
のだろうが、ドアノーの視線は、時代に翻弄されながら生きていく庶民の姿に
穏やかに注がれる。そして、慈愛に満ちたり、俗物っぽっくあったり、といった
様々な色づけが感じられる。
あくまでも対象物と同じ高さの目線で、撮る者の存在を虚しくして
作品として残していったような印象が残った。

そのせいなのか、この時代の作品以外の作品からも、作者とか作者の主張のような
「気配」を鑑賞していて感じることは少ないかもしれない。
いわゆる作家の意図を斟酌する度合いの強い芸術作品とは別格のものなのだろう。
それ故、鑑賞者がその作品を窓口として自由に想像を膨らませる度合いを高める
ことも逆に可能なのだと思う。

「作者は写真を見る人を解放しなければならない。
画面のなかへ旅立てるように解き放たなければならない。」
(以上、ロベール・ドアノー展のHPより引用)

「私が面白いと思う写真、自分で上手くいったと思う写真は、結論を出さず、
物語を最後まで語らず、見る人が好きなように物語りを続けてもらえるように
開かれた写真だ。夢の踏み台のようなものだ。」
(以上、図録「写真についての覚書」より引用)

それ故、時代を越えて鑑賞される力を作品自体が獲得したとも言えるのだろう。
また、モノクロの有するシンプルさが、なおそうさせるのかもしれない。
旧いは新しい、ということか。
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by capricciosam | 2013-06-23 22:53 | 展覧会 | Comments(0)


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