歌川国芳展《前編・後編》@札幌芸術の森美術館2015

浮世絵をまとまって観たのは、富嶽三十六景を中心とした葛飾北斎展ぐらいしか
記憶にない。それも何十年も前のことだから、すでに鑑賞の印象も思い出せない。
それくらい美術の分野でも浮世絵は縁遠い分野だった。
ただ、その中でも今回鑑賞した歌川国芳は、ちょっと奇怪な作品が印象深く、
頭の片隅に残っていた。しかし、特に調べてみたという訳でもなかったし、
北海道では作品を常設展示してある場所もない(多分)ため、深まることもなかった。

それが、歌川国芳の作品を各100点ずつ前編・後編の2回に分けて展示するという
企画が実現しただけに、これはぜひ観たいものだ、と2回とも出かけてきた。

「時は寛政、江戸後期。(略)寛政2年(1797年)、昨今"奇才"と誉れ高き浮世絵師、
歌川国芳が江戸日本橋に誕生した。15歳で歌川派の門を叩き、その上手を生かさんと
画の道に進んだもののどうにもうだつが上がらない。その名を江戸市中に轟かせたのは、
入門から16年後の31歳のこと。折からの水滸伝ブームに乗って描いたシリーズが
大当たり。(略)「武者絵の国芳」と賞賛されるほどに当代きっての絵師へとあれよあれよと
登り詰める。役者絵、美人画、風景画はもとより、戯画、風刺画、妖怪画においても
その卓越した画才を発揮した(略)」
(以上、歌川国芳点チラシより引用)

通常展覧会というと、かなり大きな作品があるものだが、ほとんどの作品が「浮世絵」の
ため大判錦絵といっても小さなものである。そのため顔を近づけた鑑賞をせざるを得ない
のが、少々苦痛と言えなくもない。
しかし、その限られたスペースに、大胆な構図をとって緻密な線と豊かな色彩で描かれる
世界には観る者を引きつけて止まないものがある。「その上手」とあるように腕前は
実にしっかりしたものだ。浮世絵と聞いて一般に想像するような美人画や役者絵の
しっかりとした仕上げ。細部にわたって手を抜いた気配が全然感じられない。
まるで職人のようなきめ細やかさ。
また、おどろおどろしい妖怪画、人の集合体で人面を表現したり、逆さまにすると
別の人間が現れるユーモア溢れる戯画といった分野でも確かな腕前が感じられる。
中でも興味深かったのが、天保の改革により華美を制限する風潮を揶揄した作品、
例えば「むだ書」と称するヘタウマ作品(前編)や「亀喜妙々」(後編)のうまさには
内心腹を抱えた。年譜を見ると、風刺ととられて度々咎められているところからも、
権力におもねることのなかった相当な反骨の持ち主だったようだ。

また、展示に当たっては、作品の横に鑑賞のポイントや背景を解説したボードが
配置されていたため、作品の理解を深めることができたのは幸いだった。
ただ、順路に対して作品、ボードの順での配置だったため、ボードを読み終えてから
もう一度作品に戻るという逆流現象を度々せざるを得なかった。他の鑑賞者も似たような
行動をとっている方が多かったところから、同じ思いの人も結構いたのではないかと思う。
なんの先入観もなく作品を鑑賞してもらいたいという企画側の意図なのかもしれないが、
実際は逆の配置の方が親切だったように思う。
とは言え、浮世絵に対する認識を改めさせられたことから大満足の展覧会でした。

今回はどの作品にも所蔵者が明示されていない。チラシを確認しても、いわゆる「協力」が
明示されていない。秘密にしなければいけない理由でもあるのかな。
初めて出くわしたのですが、その点はなんとも不思議な展覧会だった。
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by capricciosam | 2015-06-21 17:24 | 展覧会 | Comments(0)


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