音楽の昭和@北海道立三岸好太郎美術館2016

「音楽の昭和~三岸好太郎を巡る音の風景」と題する講演は特別展「三岸交響楽」
(9/3~10/19)に関連して特別展初日に開催された。講演の行われた三岸好太郎美術館は
北海道知事公館のある一画の北側に位置する。

三岸節子氏をはじめ遺族4名から220点の三岸好太郎作品が北海道に寄贈されたのを機に、
1967年、北海道で初めての美術館となる〈北海道立美術館(三岸好太郎記念室)〉として、
当館は札幌市中央区北1条西5丁目に開館しました。その後、北海道立近代美術館の開館に
ともない、1977年に北海道立三岸好太郎美術館と改称して再発足し、さらに1983年、
三岸好太郎のアトリエのイメージを設計の一部にとりいれた新館を現在地に建設して移転、
新たな開館をしたものです。」
(三岸好太郎美術館HPより引用、以下三岸好太郎は「三岸」と略する。)                              

美術館はこじんまりとしており、その1階展示スペースの一番大きなところにイスを並べて
本講演が行われた。もちろん、三岸の代表作<オーケストラ>も展示されている。
開演前には座席が追加される盛況だった。

定刻になり登場した片山杜秀氏(以下、「片山氏」と略する。)は、やや顎を上げて
斜め上に視線を飛ばすお馴染みのスタイルでやや早口気味に、三岸の<オーケストラ>が
描かれた当時の日本の音楽状況等を語りだした。
以下は、その概要のごく一部をテキスト化したものです。

展覧会初日にお招きいただき光栄です。
<オーケストラ>は三岸の代表作。彼が日比谷公会堂の新交響楽団演奏会に通っていた頃の
印象をもとに描かれたものです。
では、その新交響楽団は1930年頃はどんな音を出していただろう。

★第二次世界大戦の学徒出陣の際に演奏されて有名なルルーの「分列行進曲」を聴く

ところで、三岸は近衛秀麿指揮の新交響楽団を誰と聴いていたのかというと、
「魔性の女」吉田隆子と連れだって日比谷公会堂へ出かけていた。

★彼女と聞いたであろう新交響楽団によるマーラー交響曲第4番を聴く
 片山氏曰く、当時のマーラーの知名度はR.シュトラウスと比べてずっと低かった。

三岸は札幌時代含めてクラシック音楽の素養はあったようだ。
彼は天才なので、理屈(を知って描く)よりもすぐに描ける人、感覚的な人だ。
感覚的な人は理屈の立つ人にコンプレックスを持つ(笑)私もそうなんですが(笑)
吉田隆子は理屈の立つ人、理屈先行型であり、カリスマ型。
年下のモダンな女性が文化教養にあこがれる若者である三岸を音楽に導いたと言える。
彼女は社会的にはまだこれからの人だったが、三岸が彼女とのどろどろした関係を清算し、
妻の節子に連れ戻された時に描かれたのが<オーケストラ>だった。
単純な線で描かれ抽象化されているので、一見吉田隆子との関係を想起させるものは
ないが、絵の背後には隣に座っていた人が投影されていると考えられる。
三岸にとって自覚的に作風が晩年様式になったことはない。まるで墓碑銘を書くように
極限的なスタイルに転換していく。作風が飛躍したのだ。
この時代は色々な人が錯綜しているが、三岸が亡くなった昭和10年以降本格的な音楽作品
を書ける人が桁違いに増える。

片山氏の話は結構横道にそれるが、その膨大な知識故か退屈することはなかった。
上記以外にも、三岸はカンディンスキーの影響を受けたとの話から、
①カンディンスキーとシェーンベルクの妻の不倫の結果誕生した無調音楽
②そもそも近衛秀麿、新交響楽団とは何か?
③山田耕筰のいい加減さ
④満州に避難してきたロシア人演奏家との日露交歓管弦楽演奏会の話
⑤SPレコードのヴァイオリンの生々しさ~シゲティのファリャ「はかなき人生」を聴く
等興味深い話や体験が多く、60分では短かった。まだまだ聴きたかったなー。

また、展示された資料も珍しいものが多かったが、伊福部昭の「交響譚詩」自筆譜や
「土俗的三連画」出版譜、早坂文雄「古代の舞曲」などは初めて目にしたが、
伊福部昭ファンや早坂文雄ファンには堪らないでしょうね。

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by capricciosam | 2016-09-03 22:55 | 講演会 | Comments(0)


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