ドイツ・レクイエムは「ドイツ語によるレクイエム」という意味らしい。
ではレクイエムとはどんな意味なのか。 requiem(ラテン語)休息 永遠の休息=死にたどりつくことは生きとし生ける者の必然。 死者のためのミサ曲の初めの歌詞がレクイエムと始まること から曲全体の名称をレクイエムと呼ぶようになったようだ。 そこでレクイエムと言えば、死者のためのミサ曲を指す訳だ。 従って、この曲は本来死者の魂を鎮めることを目的とするだけで良い訳だが、 今回演奏されたドイツ・レクイエムはやや趣を異にする雰囲気がある、 と常々感じている。 それは生き残った者への視点である。 死者との悲しい別れから悲嘆に暮れる生き残った者の魂もなぐさめ、 鎮めようとするような視点である。 それで、この曲を聴くときは、やさしく慰撫してくれるニュアンスを求めて ついつい聴いてしまうクセがある。 もっとも、ひたすらドラマティックに歌い上げても、 それはそれで十分成り立ってしまう側面も否定はできない。 いづれにせよ、ブラームス畢生の大作であることは間違いない。 さて、前置きが長くなったが、この曲はなんといっても、 「合唱」と「独唱」の出来に左右される、と思っている。 特に、約70分間ほぼ歌いっぱなしの「合唱」の負担は大きい。 今回の札響定期に登場した札幌合唱連盟は高校生も含めた152名と大所帯で、 ところどころ棒読みのような歌い方も散見されたものの、大いに健闘していた、 といっても過言ではない。 しかも、よくあるPブロックへの配置ではなく、ステージに配置されたことで、 オケとの一体感はより強く感じられた。 しかし、あふれんばかりのステージは久しぶりでした。(^^) また、独唱の二人の歌唱の水準は高く、特に、バリトンは感情たっぷりに、 深々とした響きで会場を満たしていた。 札響も低弦と管を中心にまとまった演奏をしていた。 しかし、先に述べたニュアンスはあまり感じられず、ドラマティックな 大曲風に終わったことは、私としては少々残念。 これは暗譜でとおした尾高監督の解釈なのでしょうね。 終わってみれば、多少のキズはあったものの、ライブとしては りっぱな演奏で、この曲の実演に接することはほぼ可能性がない、 と思っていただけに、とても印象深い演奏会でした。 昼公演でしたが、8~9割の入りで、札響定期の2公演化も 一周年を過ぎて定着してきたような感じを受けました。
by capricciosam
| 2006-04-22 23:50
| 音楽
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