2つの凶行

ちょっとバタバタしていて更新がサボリがちです。
今朝はちょっと早く目が覚めたので更新しています。

先日の日米でほぼ同時に起きた殺人事件はショッキングなものでした。

いくら銃社会の米国とはいえ、平穏であるべきキャンパスで銃が乱射され、
大勢の命が犠牲になったショックに加え、在米韓国人であったことも
一層複雑な影をおとしているように思います。
人種差別的動きにつながらなければよいのですが…
それにしても犯人の声明は、あまりにも独りよがりな、意味不明なもので
こんな凶行に至るほどのものなのか、と思いました。
巻き添えになった多くの若い命に同情を禁じ得ません。

一方、犯人の身勝手な私怨によって命を奪われた長崎市長には、
ご本人への哀悼の意を表するとともに、事件そのものに怒りを感じた
ことを表明しておきたいと思います。
怒りの矛先は、選挙運動中という言論の自由が最大限保証される
象徴的な場への暴力の介入、という事実に対してです。
もちろん、政党関係者は一様に言論に対する暴力の介入を許さない
というような反応を示していましたが、気になったのはニュース等で
報道される一般市民の反応です。
私がみた範囲では市長への同情「かわいそう」や事件が「こわい」
といった反応が大半を占め、こういったテロへの「怒り」が
ほとんど聞かれませんでした。
まさかマスコミが意図的にそうしているとは考えにくいのですが…

反応としてはもっともとは思うものの、そこで立ち止まらずに一歩進んで
テロは許してはいけない、という反応を一般市民も積極的に示していく
べきではないのでしょうか。
第二、第三の犯人予備軍が凶行に及ばないよう、抑止する意味でも
世間一般は怒っているという姿勢を示すことが大事ではないのか、
と思うのです。
言論の自由は民主主義の根幹を為すものだと思うのですが、
そのひとつの象徴が「政治」でしょう。
その根幹を犯すものに対して一般市民が鈍感では、これからも
暴力のつけいるスキを与えてしまうことになりはしないのか。
はたして、暴力が言論を圧殺してきた歴史は過去になかっただろうか。
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by capricciosam | 2007-04-20 06:42 | 時の移ろい | Comments(0)


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