凍土の花 中城ふみ子

古新聞を整理していて、ある訃報が目に止まった。
伊達市の大塚陽子さん、77歳とある。
「どこかで聞いたことがあるような…、あっ」
当時、歌人としては著名な方らしい程度しか私は知らなかったのだが、
実は10年程前に一度御本人の講演を聴いたことがあった。

講演のテーマは「中城ふみ子」に関するものだった。
中城み子は戦後歌壇に登場し、本格的活躍の前に
乳ガンのため31歳で夭逝した。
歌集に「乳房喪失」がある。

 冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己の無惨を見むか

ふみ子が札幌医大の暗い病室で生涯を終えた時、
作家の渡辺淳一は同大の医学生(1年)であった。
しかし、特段接点はなかったようだが、後年になって、
ふみ子の伝記的小説である「冬の花火」を為した。
大塚さんはそのあとがきでも執筆協力者として名を挙げられているが、
当時、同じ短歌会でふみ子と才能を競った間柄であったようだ。
「冬の花火」でもそれらしいモデルが描かれている。

講演の冒頭、「冬の花火」を「つくりものですから」と一笑に付したが、
その一言に「ふみ子を本当に語れるのは私である」、という
自負のようなものを感じる、と同時に予防線のような警戒心も感じた。
講演は、ふみ子の詠んだ歌をランダムに紹介しながら、
注釈をつけるという形で進み、特段のまとまりはなかったが、
次のようなものであった。<>部分が当時のメモです。

 われに最も近き貌せる末の子を夫が持て余しつつ育てゐるとぞ
<作家としての構築性のあらわれ>

アドルムの箱買ひためて日々眠る夫の荒惨に近よりがたし
<ふみ子の虚構性のあらわれ、自尊心、構成力>

 絶詠:
 息切れて苦しむこの夜もふるさとに亜麻の花むらさきに充ちてゐる
 <きらいな帯広の象徴>

また、ふみ子は一度離婚を経験しているが、大塚さんは
「夫を恨む歌は多いが、憎んだ歌はない」
とも、おっしゃっていたが、「恨む」と「憎む」の違いに
歌人としての言葉への細やかさを感じた。

同時代をともに生きた人の話は、「冬の花火」で得られた印象とは
またひと味違ったものであったように思う。
大塚さんのご冥福をお祈りいたします。
c0007388_2348569.jpg

[PR]
by capricciosam | 2007-08-26 23:49 | 講演会 | Comments(0)


<< 今年も3分の2が終わろうとしている 田舎へ旅して知る国際化 >>