近頃流行りしKYのこと

「KY」と聞いて、ピンとくる方も多いのかな。
「空気(k)が読めない(Y)」
職場でも若手中心に頻繁に耳にするようになったが、
たまに耳にするうちはまだしも、頻繁になると、
どうも違和感を感じてしょうがない。歳ですかねぇ…

たしかに、時と場合によっては「察する」という行為は大切なのだが、
彼らを見ていると、
「KYだと馬鹿にされる、とにかくKYにはならないようにしよう」という
過剰反応が生じやすく、皆競うようにして同調するという現象が
生じているように思われる。
是非はともかく、結果的にメジャー意見の形成を促進してしまい、
それ以外のマイナーな意見は押し黙らざるを得ない雰囲気が
逆に生じ易くなっているような気がしてしょうがなかった。
例えは悪いが一種の「多数の暴力」とでも言うようなものだ。

ちょうど、内田樹の研究室の12/21の記事
「接続的コミュニケーションの陥穽」で、この「KY」に関連して
触れていたので、ちょっと長いが引用させていただく。

「…というのは、文脈読解力は、今や「重要」という段階を通り越して、
ほとんど「非寛容」の域に近づきつつあるように私には思われるからである。
つまり「誤読が許されない」ということである。現代日本のコミュニケーション
の問題はどうもこのあたりにあるような気がする。「場の周波数」に
いちはやく同調すること「だけ」にコミュニケーションについての
ほとんどのエネルギーが投じられているせいで、いったんチューニングが
合ってしまうと、あとは「チューニングがまだ合っていないやつ」を探し出して
「みんなでいじめる」ことくらいしか「すること」がない。…」
(略)
「…「場の空気が読めないやつとは暮らせない」と公言するのは
かまわないけれど、そういう人は「他者との共生」とか「多文化共生」とか
いう社会理論にもきっぱり反対すべきではないのか。
ともあれ、全国民がそのような能力だけを選択的に発達させた場合に
コミュニケーションは豊かになるのかむしろ貧しくなるのか、そろそろ
そのあたりの損得勘定もしてみてよいのではないか。…」

なるほど、「コミュニケーションの豊かさ」という課題に繋がる訳ですね…
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by capricciosam | 2007-12-21 23:45 | 時の移ろい | Comments(0)


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