人生をかけたパフォーマンスに値するのか

どうも秋葉原殺傷事件のことが、まだ気にかかる。

昨日の昼、遅い昼食をとっていたら、TVで犯人の両親の
記者会見の様子がほぼノーカットで流された。
警視庁での事情聴取を終えたばかりという父親は
気丈に答えていたが、側にいた母親は途中から崩れ落ち、
顔を突っ伏して泣いていた。
会見を終えても立ち上がることもできず、父親に支えられて
ヨロヨロと立ち上がって自宅に消えた。

なんとも惨いことだ、と思わず涙がでてしまった。
彼一人で十分責任を負わなければならないという原則ではあるが、
犯人に近い関係として「親」は逃れられない宿命なのか。
しかし、犯行に至る人格形成に「育てた」という面での係わりは
あるのは否定出来ない事実であるし、対世間並びに道義上、
親としてはおわび並びに釈明をしなければならないんだろうな。
犯人は25歳の生計上独立した社会人だというのに。

次第に犯人の行動や心が明らかになってきた。
容姿にコンプレックスを抱き、異性の相手もない。
収入や雇用も安定しないまま借金を抱え、
日常も携帯なしでは過ごせず、訪れる人とてない掲示板に独白し、
犯行当日も
「誰かが犯行を止めてほしかった」
だなんて…
それだったら、踏みとどまって凶行は避けてもらいたかった。
無辜の人の命を巻き添えにしないでもらいたかった。

石原都知事の発言
>警察力の強化で防げる問題じゃない。人間の内面の問題。
 もっと時代の、社会全体の背景がある
>自分の人生をかけたパフォーマンスを、ああいう形で携帯を通じて
時々刻々、シナリオを伝達しても誰が読むのか。非常にむなしい
(以上毎日新聞から)

驚き、怒りを通り越したら、ホントに「虚しさ」を覚える。
世間の耳目を恐怖で一瞬奪ったが、あとに一体何が残ったのか。
果たしてそれは、犯人の求めたものだったのだろうか。

 東浩紀氏の発言
>いまや若者の多くが怒っており、その少なからぬ数が
 アキバ系の感性をもち、しかも秋葉原が彼らにとって
 象徴的な土地になっているという状況があった。
 したがって、その街を舞台に一種の「自爆テロ」が
 試みられた
>未熟なオタク青年が「逆ギレ」を起こし刃物を振り回した
 といった単純な話ではなく、むしろ、社会全体に対する
 空恐ろしいまでの絶望と怒りである
(以上朝日新聞から)

若い時は社会に対して多かれ少なかれ抱く感情ではあるし、
それが暴走に結びつくこともゼロであったとは思えない。
しかし、格差の拡大・固定化とともにそのような感情を抱く若者が
潜在的に増大・深化していくのではないか、という懸念が
払拭できないことのほうが悩ましい、というか空恐ろしい。
[PR]
by capricciosam | 2008-06-12 23:54 | 時の移ろい | Comments(0)


<< 13日の金曜日ですが、何か? 誰でもよかったなんて言うんじゃないよ >>