レオナール・フジタ展@北海道立近代美術館2008

一通り鑑賞し終えたところで、画家が画業を為す中で
表現が変わってくるという当たり前の事を、如実に示唆してくれる
展覧会を初めて体験したかのような思いにとらわれた。
きっとそれはレオナール・フジタこと藤田嗣治の表現意欲の
旺盛さは終生衰えることはなかったし、自らが確立したスタイルに
安住することもなかったように感じられた、からなのだろう。
これは多分に彼の生き様ともシンクロするところか。

初期のまだ模索している時を経て、一皮むけたように数々の
目を見張るような作品を輩出していく。

「素晴らしき乳白色」

と称されるフジタを代表する一連の裸婦像。
会場の解説の中に「彼には真似るべき先達も後継者もいない」
というような意味のことが書かれていたが、うなづけるものがある。
とても油彩とは思えない独特の技法で、何度目を凝らしたことか。
あの漂うがごとき淡さと繊細な線は、まるで日本画にでも通じる
ようなものを感じるのは気のせいか。

作品のひとつ「裸婦と猫」では妙な既視感に襲われた。
初めはゴヤの「裸のマハ」とも思ったが、調べてみると
構図が正反対だった。いったん、気のせいかとも思ったが、
記事を書きながら、ようやく思い出したのがマネの「オランピア」
黒人のメイドと花束がなく、黒猫ではないが、構図はよく似ている。
しかし、作品としてはそれぞれが独自の魅力を放っているのは
言うまでもない。

今回の展覧会の核となった「争闘ⅠⅡ」「構図ⅠⅡ」の大作も
見事な群像表現に圧倒されるが、同時期に描かれたと思われる
未完の「馬とライオン」も、あれこれ想像を刺激してくれる。
描かれた意図や経緯もわからずに大切に保管されたらしいが、
フジタは余白にどのような群像を描こうとしていたのだろうか。

戦後、戦争画を描いたことへの批判から日本を捨てて、
フランス国籍を取得し、さらにはカトリックに改宗していたことを
今回初めて知った。
その戦後フランスでの終の棲家となった住居で使われた品々や
アトリエの一部が再現されていて、画業以外のフジタの多彩ぶりが
溢れている。
惹かれたのは居間と寝室を仕切っていたフジタ手製の「衝立」。
木枠にキャンバスをはり、傘、動物、魚、塔などの金属レリーフで
縁取られたこの品は素敵なだけでなく、フジタの無垢な一面を
如実に示しているように思われた。

晩年は「平和の聖母礼拝堂」の建設に当たり、
その壁に描かれた宗教画が最後の仕事となる。
ここでの作品には「色」が溢れている。
これまでの、白を基調として、ぐっと色を抑えていた作品とは
まるで一変する。「素晴らしき乳白色」時代からは
想像もつかない変貌ぶりです。

様々なスケッチや下絵が展示されていましたが、
びっくりしたのが一部の作品にボールペンが使われていたこと。
フジタは1968年に亡くなっていますが、もうボールペンは
商品化されていたんだから、使っていても当然なんでしょうね。
(そう言えば、昔はBICボールペンなんてのもあったよなぁ…)
作品に欠かせない「線」に使える素材のひとつとして注目して、
当時目新しいボールペンも積極的に取り入れたと考えると、
彼の創作意欲は晩年に至るまで衰えていなかった、
ということなのでしょう。

特異な軌跡を残した異才フジタの概要がよくわかる展覧会でした。
レオナール・フジタ展は、この後宇都宮、東京、福岡、仙台を巡回。
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by capricciosam | 2008-08-09 18:00 | 展覧会 | Comments(0)


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