日常から地方自治を考える

北海道自治体学会フォーラムinえにわで、
前鳥取県知事の片山善博さんの講演を聴いてきました。
現職当時は改革派知事として有名な方でしたから、
見識の一端を披露してくれるのではないか、と
会員でもなかったのですが、一般参加OKという
ことでしたので、ちょいと出かけてきました。

片山さんと言えば、以前北海道議会の答弁調整を
「学芸会」と痛烈に批判したことで有名な方。
高橋知事はじめ道議会も一斉に勇ましく反発したものの、
勇ましい割には、その後具体的反論や改善策も発表されずに
うやむやのままだったように記憶しています。
ホント、真偽も含め、その後どうなったんでしょうね…

さて、片山さんのお話ですが、
「日常から地方自治を考える」というテーマについて
まず、こうおっしゃいました。

「地方分権」という言葉ですが、なにやら改まった
「よそゆき」の言葉のように感じられる。
そうじゃなくて、地方自治体は今ある「しくみ」「権限」を
十分活用しているのか?
実は、していないんじゃないのか?
「していない」という「生活習慣」を見直していけば、
そんな大それたことをしなくても地方自治は変えていける。
生活習慣病にかかっている地方自治体を変えることが大事…

講演は興味深いお話に終始したのですが、
「学芸会」と批判した議会への根回しについては、
こうおっしゃっていました。

知事就任当初「根回しはしない、県議会議場でやりましょう」
と言ったら、事の重大さをほとんどの人は理解していなかった。
議案の修正は日常茶飯事。
議案を全部通そうと思ったら気が楽にならないけれど、
通す通さないは議会の見識の問題、と考えたら気が楽になった。
例えて言えば「議会は廃棄物の最終処分場」だ。
最終的に決めるのは議会だよ、と。

「県職員からの反発はなかったのか」という会場からの質問に
対しては、以下のよう話されました。
結論がわからないままやる、ということに慣れていなかった。
波乗りしなければならないから、「サーファーになる」こと
なんだが、そのうちその方が楽だ、と気がついた。
と言うのは、根回しには「作法」がある。
宴会の席順を決めるようなもので、そんな雑事をこなす
ことで頭のハードディスクが一杯になってしまう。
根回しをやめたらそんなことをしなくて済むようになった。

「地方分権改革に住民の関心が盛り上がらない」という質問に
対しては、住民がもっと自治体の仕事に関与しないといけないし、
自治体の仕事量と税負担が連動するしくみを作らないといけない。
大きな起債(つまり借金)をする時は住民投票する、という制度を
作るべき。自治体が借金する時、最終的に住民が負担するのに、
肝心の住民にうかがいを立てていない。
市町村は道にきく、道は国にきく、そして国が決めるが、
国は第三者。第三者にきかなければ何も出来ないなんて、
今で言えば「成年後見者制度」のようなもの。
こんな馬鹿な話はない。
知事会で8年間主張したが、賛成したのは田中康夫だけ。
知事会が言わなければならない。

大きな借金をして何かをやる時には住民投票という
住民の意思を反映させることが必要という時、
片山さんは夕張市を例に挙げていましたが、
切実な例であるが故、大いにうなづけるものがありました。

これまで以上に住民の意思が反映できたり、
監視ができるような「しくみ」が必要になってくるのでしょう。
最終的には自分たちのみならず、子や孫の世代にまで
負担のツケが重くのしかかっていくようでは、
将来の不安が増すばかりです。
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by capricciosam | 2008-09-06 23:54 | 時の移ろい | Comments(0)


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