カテゴリ:展覧会( 48 )

正倉院展@奈良国立博物館2015

奈良を訪れるのは修学旅行以来。何回か訪れている京都に比べると土地勘がなさすぎるので、
JR奈良駅からは市バスを利用した。開館10分前には到着したが、すでに長蛇の列。
昨日の京都国立博物館の待ち時間を思い出して一瞬覚悟したが、待ち時間もほとんどなく
入場が極めてスムーズだったのは幸いだった。

正倉院については東大寺にあり、校倉作りで、聖武天皇の宝物を中心に収納しているが、
特段美術品ばかりが集められている訳でもない程度の予備知識しかなかったので、
年に一回しか公開されない展覧会ではどんな品々に出会えるのだろう、と楽しみだった。
今回は63件(うち初出陳12件)の宝物が出陳されていた。会場の解説には一回公開されると
原則10年は公開されないとあり、今回で67回目だから、全体はすごい数なんだろうと
配布されている資料をみると、なんと約9000件。
これは生涯の趣味として毎年リピートされる方もいるだろうな、と思った。

まず、聖武天皇の遺愛の品々から展示されていたが、「平螺鈿背八角鏡」には目を奪われた。
きれいな貝や宝石の細工がなされており、唐から伝来したと推定される。当時の唐が愛でた美
なのだろうが、それにしても見事なものだ。しかし、残念なことに鎌倉時代に盗難にあい、
大きく破損し明治時代に修理を受けたことがわかっているらしい。
併せてこの鏡を納める漆の円形箱が展示されていたが、漆皮箱とある。獣の皮を成形して
漆を塗ったものらしいが、これも奈良時代に盛んだったが平安時代には木に漆へと移っていった
らしい。

次の天平の音楽と舞踊のコーナーにはポスターにも使われているぺルシャを起源とする
「紫檀木画槽琵琶」やいろいろな伎楽面が展示されていた。この琵琶の撥面に描かれた絵は
かすれて判別し難いものの、背面の小花模様のこまかな細工には目が釘付けとなった。
また、表面に模様の彫られた蛇紋岩で作られた横笛と縦笛も展示されていたが、戦後すぐに
録音されたこれらの笛の音が交互に流されて、音の天平体験をすることができた。
音自体は薄い響きの素朴な味わいだった。

その他にも当時の為政者と仏教がいかに密接だったかを示す仏具や袈裟が展示されていた。
そのひとつ、聖武天皇の遺愛品のリストである「国家珍宝帳」の筆頭に記載されている
「七条褐色紬袈裟」はインド出身の密教の僧が身にまとったものとのことであるが、
教科書では密教の伝来は空海や最澄によるとされているので、実はもっと早くに密教に触れて
いたのではないか、と想像力をかき立てられた。

また古文書(現代の戸籍に相当するものや依頼文書)が興味深かった。
戸籍に当たるものは楷書で書かれているので「男、女」という文字の他、「妻、妾、弟、妹、
孫、姪」という文字が確認でき、家族という概念が当時から形作られていることがわかった。
また、傑作だったのは、要するに「金を払うから代筆して」とか、「納期に間に合わないから
もう一回納期を延ばして」という内容の古文書で、「当時も今と大して変わらないなー」と
思わず苦笑してしまった。
その他、当時の度量衡の意識が垣間見える装飾の施された「紅牙撥褸尺」や動物の毛を使用した
敷物等興味はつきなかった。

「正倉院はシルクロードの終着点」とも言われるが、今回の展示品だけでも当時のアジアや
奈良時代の暮らしが想像され、とても興味深いものだった。思い切って来て正解だった。
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by capricciosam | 2015-11-08 11:48 | 展覧会 | Comments(0)

琳派-京を彩る@京都国立博物館2015

俵屋宗達や尾形光琳の作品を知ったのはいつ頃だろう。
恐らく義務教育の教科書の口絵からだったのではないかと思う。
ついぞ本物に接することなく過ごしてきたが、今年5月に東京の根津美術館で
尾形光琳の国宝2点を含む、俵屋宗達、鈴木其一等の、いわゆる「琳派」の人たちの
様々な作品を鑑賞できたことは幸いなことだった。その時の感想はこちらです。
この時に「琳派」という言葉によって系譜への理解が始まった訳だが、
その後特に調べもしなかったので、それ以上理解が深まることはなかった。

「江戸幕府の治世が落ち着きを見せ始めた元和元年(1615)。書をはじめ陶芸や
漆芸で名を知られた本阿弥光悦は、徳川家康から洛北鷹峯の地を拝領し、この地
に工芸を家業とする親類縁者を集め、光悦村を営みました。琳派の誕生です。」
(以上、展覧会チラシより引用)

本阿弥光悦が琳派の起源とされていますが、ほぼ同時代に活躍した俵屋宗達とは
「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(重文)(この作品は現代でも通じる斬新さが素敵)の
ように共同作品も多く残されていることから、この二人が起源と言っても
言いのでしょう。この二人から100年後に尾形光琳が、さらに100年後に酒井抱一が
生きたのですが、琳派は狩野派のように師匠と弟子がいて脈々と続いた訳ではなく、
断続的に継承されてきたという特徴があります。なのに何故派が形成されるのか。
この辺が不思議だったのですが、会場の「第4章 かたちを受け継ぐ」の解説を
読んで納得できました。

「世代を隔て継承されたため、直接の師弟関係を持たず、芸術家たちが自らの
経験の中で出会い、選び取ることによって受け継がれてきた琳派の流れ。その
姿勢を端的に示すのが模写という行為である。(略)私淑という形で受け継がれた
琳派にとって、模写はすなわち琳派に加わることの意思表明でもあった。」

先達の優れた作品を模写することで時代を経て琳派が興隆するとともに、
同一題名の作品が複数現在まで伝わっている要因になるという訳です。
この典型例が有名な「風神雷神図屏風」です。

作者の活躍した時代から言って、オリジナルは俵屋宗達であり、尾形光琳、
酒井抱一の順で模写したことになる。会場で3つの作品を何度も見比べてみたが、
やはり宗達作品の大胆な構図と躍動感あふれる筆致にはオリジナルの持つ迫力が
感じられた。光琳作品は実に丁寧な模写だとは思うものの、宗達作品では画面
からはみ出して描かれていた雷神の太鼓の輪や風神の風をはらんだ布が全て
画面内に収まり、こじんまりとした印象に変わる。さらに、抱一作品は
光琳作品の模写、すなわち模写の模写のため、オリジナルからなお一層離れ
線の弱さ流麗さが目立ち、画家の個性がより前面に出てくる印象となる。
一見同じ作品のように見えながら絵師の個性の違いがわかり興味深かった。

この他にも見応えのある作品が多く展示されていたので、時間があれば
ゆっくりと鑑賞したかったのだが、当日新千歳空港から神戸空港に飛んで、
それから向かったので到着したら太陽も沈もうかという時間。
おまけに90分待ち(結局45分待ちで済んだが、大幅時間ロス)だったから
閉館ギリギリまで粘って鑑賞してきたのは言うまでもない。
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by capricciosam | 2015-11-06 23:41 | 展覧会 | Comments(2)

夷酋列像@北海道博物館2015

松前藩家老蠣崎波響の描いた「夷酋列像」はクナシリ・メナリの戦い(1789年)に
際し、大規模な衝突回避に協力した12名のアイヌの酋長を描いたもので、
12枚を一対として2対描かれたと伝えられている。

しかし、現存するのは
(a)函館市立博物館の「御味方蝦夷之図」の2枚
(b)フランスのブザンソン美術考古博物館の11枚、
の合計13枚だけである。「イコリカヤニ」は欠損し、模写しか発見されていない。
また、1984年に確認されたブザンソンのものは、これまで道内では数回しか
公開されておらず、最近では2012年道立函館美術館で開催されたのが
最後となっている。幸い観賞できたのだが、その時の感想はこちらです。
振り返ってみると、あの時は(a)(b)を中心として蠣崎波響の肉筆画数点+α程度
の小規模な展示であったため、逆に夷酋列像の作品だけに向き合うことができた
得難い機会だったと言える。

「松前藩家老をつとめた画人、蠣崎波響が寛政2年(1790年)に描いた「夷酋
列像」は時の天皇や、諸藩の大名たちの称賛を受け、多くの模写を生みました。」
(以上、本展のチラシより引用)

しかし、今回は夷酋列像が完成当時いかに評判を呼び、模写されたかがわかる
模写作品(特に、小島雪セイ?(山へんにつくりが青)の折りたたみ式の作品の
完成度は高く、素晴らしいの一言だ。)や蠣崎波響の作品、当時の絵画、アイヌの衣服、
持ち物、世界地図等が4つの構成で展示され、作品の誕生した当時の背景も知る
ことができただけに視野が広がる思いがした。好企画。
特に3年前の展示では省略されていて、未だ実物が発見されていない「イコリカヤニ」
(模写)を鑑賞できたことは何より幸いだった。改めて、この一枚を含めて12枚の
完成度が当時評判となったことに頷けるものがある。

作品解説の中で特に目を引いたのが、第二章の冒頭に展示されていた「蠣崎波響像」
の解説だった。27歳で「夷酋列像」を描き上げてから上洛した後、持参したこの絵が
きっかけで交流が拡り、ついには円山応挙に傾倒して画風を一変させていくとあり、
3年前の展示で蠣崎波響の肉筆画と「夷酋列像」の作風の差にとまどった覚えがあった
だけに、合点がいった次第だ。
「夷酋列像」以外の展示含め、見応えのある展示だった。

ただ、最後にひとつだけ苦言を呈しておきたい。
それは、展示作品の解説プレートと文字が小さく読みにくい点だ。
情報量が多いのは良いとしても、難解な読み方や漢字も多く、読み取りにくい上に、
相対的に文字が小さく読み取るまでに時間がかかり、鑑賞者の渋滞の一因となっていた
ように感じた。と言うか、鑑賞者の立場に立っていない、というほうが適切か。
特に、第3章の弓矢の辺りは解説プレート自体小さすぎて読む気が失せた。最悪。

当日の入場者をざっと観察してみたところでは、幅広い年代だとは思うものの、
高齢者の団体客も多く、恐らく鑑賞者の平均年齢としては比較的高いのではと思われた。
近年足を運んだいくつかの美術展では作品の解説プレートと文字がかなり大きくなって、
高齢化社会に適応しつつあるなと感じているだけに、鑑賞に配慮をを欠くかのような
今回のきめの粗さが鑑賞中も気になって仕方がなかった。
高齢化社会に背を向けたこのような展示方法がまかり通るのは
多様な道民各層にアピールしなければならない道立博物館として如何なものか。
博物館内できちんとチェックしていないのではないか?
北海道は高齢化社会に無縁なのか?

あいにく常設展は観賞していないので、このような問題は特別展だけに限ったこと
なのか否かは不明だが、北海道開拓記念館からリニューアルし、
今後も道民に開かれた道立博物館としてファンを増やしたいと願うなら、
こういう小さな点から改善していくべきではないのか、と思われた。
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by capricciosam | 2015-10-28 23:33 | 展覧会 | Comments(0)

鴨居玲展-没後30年・踊り候え-@道立函館美術館2015

道立函館美術館の特別展示室は出口が自動ドアで喫茶売店スペースに
つながっている。展示を見終えたら、おくつろぎくださいとの趣向らしい。
そしてそこで図録や絵はがきが売られているのだが、覗いてみたら
絵はがきサイズの鴨居玲の写真まで数カット売られていた。
まるでプロマイドだが、実際彼は美男子なのだ。

今回は展示の所々に鴨居玲の生前のスナップ写真が飾られていて、
作品の生まれた状況を理解する手助けになっているが、
眉間にしわを寄せた苦み走った顔や屈託なく笑う顔の、なんと素敵なことか。
確かに手助けの側面もあるが、鑑賞者が対峙している作品は総じて重苦しく、
苦悩に満ちた印象が強いだけに、むしろ混乱を生み出す要素でもある。
「本当に、これら(作品)の生みの親なのか!?」
思わず作品とのギャップを感じずにはいられなかった。

彼の作品は決して多彩と呼べるものではないし、活きる活力を与えるなんて
要素とは無縁と言っても過言ではない。むしろ、繰り返し描かれた作品の
モチーフは「苦悩」と一言で極言できるのかもしれない。
従って、どの絵も似たような印象すら与えかねない。暗褐色の沈んだ背景に
人生に疲れ果てたような懊悩する人物が繰り返し描かれたような印象すら残る。
その人物は姿形を変えたとしても、画家そのものを投影したようだ。
人の生の営みを阻害しかねない強い力は何も画家だけが有するものではない。
誰もが有する側面なのだが、普段は直視することは少ないのかもしれないだけに
人生を賭けてそれを描いた生き様の凄まじさ、痛々しさに立ちすくむような思いを
抱かざるを得ないのだ。その点では強い共感を覚えるとも言える。
作品そのものは万人向けとは言い難いが、その強い磁場は観る者を引きつけて止まない。

今回の展示はⅠ初期~安井賞受賞まで、Ⅱスペイン・パリ時代、
Ⅲ神戸時代、Ⅳデッサンと4部構成で約100点が展示されている。
没後30年を記念して東京ステーションギャラリーを皮切りに全国を巡回中。
道立函館美術館では9月6日まで。以降石川県立美術館、伊丹市立美術館へ。
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<追記>
作品の中には、「踊り候え」「酔って候う」と題名のある作品が。
「酔って候う」は司馬遼太郎の作品からとのことだが、室町時代の「閑吟集」には

憂きも/ひととき/うれしきも/思い醒ませば/夢候よ/酔い候え/踊り候え

とあるらしい。
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by capricciosam | 2015-08-26 22:31 | 展覧会 | Comments(0)

歌川国芳展《前編・後編》@札幌芸術の森美術館2015

浮世絵をまとまって観たのは、富嶽三十六景を中心とした葛飾北斎展ぐらいしか
記憶にない。それも何十年も前のことだから、すでに鑑賞の印象も思い出せない。
それくらい美術の分野でも浮世絵は縁遠い分野だった。
ただ、その中でも今回鑑賞した歌川国芳は、ちょっと奇怪な作品が印象深く、
頭の片隅に残っていた。しかし、特に調べてみたという訳でもなかったし、
北海道では作品を常設展示してある場所もない(多分)ため、深まることもなかった。

それが、歌川国芳の作品を各100点ずつ前編・後編の2回に分けて展示するという
企画が実現しただけに、これはぜひ観たいものだ、と2回とも出かけてきた。

「時は寛政、江戸後期。(略)寛政2年(1797年)、昨今"奇才"と誉れ高き浮世絵師、
歌川国芳が江戸日本橋に誕生した。15歳で歌川派の門を叩き、その上手を生かさんと
画の道に進んだもののどうにもうだつが上がらない。その名を江戸市中に轟かせたのは、
入門から16年後の31歳のこと。折からの水滸伝ブームに乗って描いたシリーズが
大当たり。(略)「武者絵の国芳」と賞賛されるほどに当代きっての絵師へとあれよあれよと
登り詰める。役者絵、美人画、風景画はもとより、戯画、風刺画、妖怪画においても
その卓越した画才を発揮した(略)」
(以上、歌川国芳点チラシより引用)

通常展覧会というと、かなり大きな作品があるものだが、ほとんどの作品が「浮世絵」の
ため大判錦絵といっても小さなものである。そのため顔を近づけた鑑賞をせざるを得ない
のが、少々苦痛と言えなくもない。
しかし、その限られたスペースに、大胆な構図をとって緻密な線と豊かな色彩で描かれる
世界には観る者を引きつけて止まないものがある。「その上手」とあるように腕前は
実にしっかりしたものだ。浮世絵と聞いて一般に想像するような美人画や役者絵の
しっかりとした仕上げ。細部にわたって手を抜いた気配が全然感じられない。
まるで職人のようなきめ細やかさ。
また、おどろおどろしい妖怪画、人の集合体で人面を表現したり、逆さまにすると
別の人間が現れるユーモア溢れる戯画といった分野でも確かな腕前が感じられる。
中でも興味深かったのが、天保の改革により華美を制限する風潮を揶揄した作品、
例えば「むだ書」と称するヘタウマ作品(前編)や「亀喜妙々」(後編)のうまさには
内心腹を抱えた。年譜を見ると、風刺ととられて度々咎められているところからも、
権力におもねることのなかった相当な反骨の持ち主だったようだ。

また、展示に当たっては、作品の横に鑑賞のポイントや背景を解説したボードが
配置されていたため、作品の理解を深めることができたのは幸いだった。
ただ、順路に対して作品、ボードの順での配置だったため、ボードを読み終えてから
もう一度作品に戻るという逆流現象を度々せざるを得なかった。他の鑑賞者も似たような
行動をとっている方が多かったところから、同じ思いの人も結構いたのではないかと思う。
なんの先入観もなく作品を鑑賞してもらいたいという企画側の意図なのかもしれないが、
実際は逆の配置の方が親切だったように思う。
とは言え、浮世絵に対する認識を改めさせられたことから大満足の展覧会でした。

今回はどの作品にも所蔵者が明示されていない。チラシを確認しても、いわゆる「協力」が
明示されていない。秘密にしなければいけない理由でもあるのかな。
初めて出くわしたのですが、その点はなんとも不思議な展覧会だった。
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by capricciosam | 2015-06-21 17:24 | 展覧会 | Comments(0)

ルーブル美術館展@国立新美術館2015

マグリット展を見終わったら空港へ移動する時間が近づいたが、
それでも少しだけ時間が残っていたので、迷わず「ルーブル美術館展」へ。
目的はただひとつ。本展のポスターにもなっているフェルメールの「天文学者」。
急いで展示室を抜けていったら、凄い人だかりができていたのでそれとすぐわかった。

世界屈指の規模を誇るルーブル美術館だが、フェルメール作品はわずか2点しか
所蔵していない。「レースを編む女」と、今回貸し出された「天文学者」。
現存するフェルメール作品のモデルの多くは女性なのだが、男性が大きく
取り上げられているのは「地理学者」と「天文学者」だけ。
顔や様子が似ているため同一人物をモデルとした説もあるが、トロニーという説もある。
また、「地理学者」のほうは室内には光がたっぷり差し込み明るく、輪郭もくっきり
としているのに対し、今回展示されている「天文学者」は黄色みを帯びた光でやや薄暗く
全体の輪郭もやや曖昧だ。それぞれに味わいは異なる。
フェルメールの作品には描写されている背景の絵や机上のものを何かの暗喩として
解釈する場合が通例なので、今回鑑賞するときも目を凝らしてみたのですが、
よくわからない。まぁ、それは無理というものでしたね(笑)

フェルメール以外の作品は流し見程度で実にもったいなかったが、時間もないため
やむを得なかった。まぁ、尾形光琳、マグリット、フェルメールととらえて満足している。
フェルメール作品は世界で30数点(ほとんど欧米、日本には一点もない)と言われているが、
若い頃札幌で開催されたマウリッツハイス王立美術館展で観た「真珠の首飾りの少女」以来、
2008年の東京都美術館での「フェルメール展」を経て、今回で合計9点を鑑賞できたことになる。
現存するうちの約4分の一。国内でこれだけ観ることができたら御の字というものだ。
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by capricciosam | 2015-05-24 06:09 | 展覧会 | Comments(0)

マグリット展@国立新美術館2015

根津美術館で尾形光琳をみ終わってから青山霊園を横切って国立新美術館に移動。
日帰りのため残りの時間で「ルーブル美術館展」を観ていくか、と考えていたが、
同時に開催されていた「マグリット展」が13年ぶりの回顧展とわかり、
急遽こちらをじっくり鑑賞することにした。
(もっとも、駆け足で「ルーブル美術館展」も覗いてきたのだが、これは別途記述。)

マグリットについては代表作は観たことがある程度だったので、画業を俯瞰的に
鑑賞できる回顧展は願ってもないことだった。
ルネ・マグリットはベルギーの代表的画家で、かつ20世紀美術を代表する芸術家。

「言葉やイメージ、時間や重力といった、私たちの思考や行動を規定する"枠"を
飛び越えてみせる独特の藝術世界は、シュルレアリスムの範囲にとどまらず、
その後のアートやデザインにも大きな影響を与えました。」
(以上、マグリット展のちらしから引用)

キュビズムの影響を受けてシュルレアリスムに至るのだが、シュルレアリスムである
以上、ひとつの作品の中が合理的に理解される訳では決してない。
むしろ、ありえない要素が詰め込まれることで、鑑賞する者の脳内が
異物感でざわつき、刺激される。そこに鑑賞するダイナミックさが生まれる。
初期は画家の観念が思うように作品に昇華していない「もどかしさ」の気配がある。
それが、のどかな田園を写生しているキャンバスが透明化してキャンバスが
風景と一体化してしまう発想豊かな作品辺りから内面の充実が作品に表現されて
いき、次第に画風も安定していき、鑑賞する側も安心して作品に没入できる。
本展覧会のチラシに採用されている「ゴルコンダ」や、「光の帝国Ⅱ」「空の鳥」と
いったマグリットを代表する作品の多くはこういう画風の安定した時期に製作されている。
改めて、これらの作品の不思議っぷりに魅了される刺激的な展覧会だった。
6月29日まで開催。
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by capricciosam | 2015-05-23 17:27 | 展覧会 | Comments(0)

尾形光琳300年忌記念特別展@東京・根津美術館2015

今年は尾形光琳没後300年忌にあたるということで、根津美術館所蔵(東京)の
「燕子花図屏風」(国宝)とMOA美術館所蔵(熱海)の「紅白梅図屏風」(国宝)が
56年ぶりに一堂に展示された。2点とも美術の教科書ではよく掲載される
有名な作品であるし、国内にあることからいつかは観たいものだと思っていたが、
東京、熱海と少し距離があるためおっくうが先に立つ悩ましさがあった。
それだけにこの機会を逃すと後悔するなと思い、急遽出かけてきた。

この2点は先に展示されたMOA美術館では対面で展示されたようだが、
根津美術館では並列して展示されていた。実物を観るのは初めてだったが、
「燕子花図屏風」が六曲一双であるのに対して「紅白梅図屏風」は二曲一双と
大きさの違いに改めて気づかされるが、この辺りは印刷物ではわかりにくい。

「燕子花図屏風」は右隻と左隻では様子が異なり、一般的に有名なのは右隻だろう。
右隻では画面一杯にほぼ水平に燕子花がリズミカルに繰り返されるが、左隻では
右肩下がりにフェードアウトするように画面から消えていくため金地の余白が目立ち、
余韻を生んでいる。いずれも金箔に限られた色と単純化された描写が心地よい韻律
を生み出していることは間違いない。今回の展示会のタイトルに「光琳デザイン」とある
のが合点される現代にも通用する優れた意匠性を獲得しているのではないかと思う。

本作品が光琳40歳代の作品であるのに対して、一方の「紅白梅図屏風」は晩年の作品。
真ん中に黒々とした川を配置して、右側には若さを象徴する紅梅が描かれ、左側には
老いを象徴する白梅が描かれている。幹はどちらもたらしこみ技法で味わいがある。
作品解説には「拮抗」と「調和」というキーワードが見られたが、静と動の対比も鮮やかで
黒々とした川の配置も含めて緊張感とともに謎めいた奥行きの深さを感じさせる。
どちらかと言えば「燕子花図屏風」見たさが強かったのだが、見終わると
「紅白梅図屏風」の凄みが強く印象に残ることになった。

本作品以外にも尾形光琳の多様な活動の成果が展示されていた。
中でも、「紅白梅図屏風」の流水の表現に通じるような2つの「流水図乱箱」や「香包」が
印象に残っているが、尾形光琳の画業を広範に紹介する充実した展示であった。
北海道から足を運んで正解だった。
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<蛇足>
チケットを買おうと入口に並んだら、団体が入場するらしくちょっと待たされた。
すると案内する人が「エムオーエーの方はこちらから入場してください。」と言っていたが、
なるほどね。当日は東京でも今年初の夏日ということで、日傘を差したご婦人が目立った。
庭園の燕子花は見頃をやや過ぎていたが、見事な手入れには感心した。
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by capricciosam | 2015-05-14 07:53 | 展覧会 | Comments(0)

笠井誠一展@札幌芸術の森美術館2015

笠井誠一さんを知ったのは北海道現代具象展だった。現代日本の大家として
遇されている気配は感じたものの、作品そのものはシンプルな線と色で構成された
簡潔かつ平明な雰囲気が特徴的な静物画で、ちょっと人を食った感じもしない訳ではない
ので、どんな人物なんだろうとつい想像してしまったものだ。
つまり、いかにも大家でござい、というものとの対局に位置する感じがして印象に残った。
その方の大規模個展が出身地札幌で初めて開催される上に、自身が語るという企画が
あることがわかり急遽足を運んできた。

展覧会に出品している作家自身が語る機会というのは、昨年の「存在の美学」の
伊達会場札幌芸術の森会場でギャラリートークという対談形式で体験していたが、
個展で作家自身が語るという「アーティスト・トーク」は今回が初めてだった。

「笠井誠一(1932-)は札幌に生まれ、名古屋と東京を拠点に活躍する画家です。
花や果物、楽器や道具などといった限られたモチーフを、卓上や室内に配した
独特の静物画で知られ、その透明感あふれる画面と緻密な構築性によって、
高い評価を得てきました。清廉な空気を漂わせる笠井の静物画は、およそ40年に
わたって長くそのスタイルを貫き、現在に至っています。」
(以上、笠井誠一展チラシから引用)

会場に現れた笠井誠一さんは83歳らしい小柄な御老人でしたが、
スーツをきちんと決めて、加齢による崩れを微塵も感じさせません。
(愛知県芸大でポストをこなされてきた故なのかもしれません。)
なにより目が活きている。驚きつつ、活力が衰えていない証左だな、と思いました。

展覧会は大きく「笠井誠一の世界」「札幌/東京 絵画の道を志す」
「バリヘ 自らの絵画表現を求めて」「帰国 日本での基盤を固める」
「洗練のとき 伸展する活動」「円熟の功 さらなる深み、さらなる地平へ」と
6つのコーナーに分かれており、合計一時間に渡るトークでした。
トークはそれぞれのコーナーごとに笠井さんが解説を加えていくやり方で進んでいきました。
内容は思いつくままの雰囲気もあるのですが、なかなか興味深い。
ひとつひとつの作品に蘊蓄を語るのかな、と思っていただけにこれは想定外でした。
今回はメモもとらずに聴いていたので細部の再現は難しいのですが、
なかなかユーモアのある方で、たびたび笑ってしまいました。

これまでも初期の作品から近作までを回顧する展覧会は何度か観てきているのですが、
そのたび画家の作風が変化するターニングポイントを発見することがあります。
今回も、パリへの留学は現在に至る画家としての作風を形作る起点になったんだろうな
という劇的転換がみられます。
それはパリへの留学の時教えられた「肉体も建築学的に表す、情緒を排する」(笠井さん曰く)
という徹底した教えだったようです。確かに、芸大時代のデッサンと比較してもその違いは
素人目にも異なるようでした。また、セザンヌの影響を受けたという作品もあるのですが、
小生が注目したのはむしろ愛知県立芸術大学にポストを得てから描いた「滞船」でした。
笠井さんは特に説明もなく流したのですが、家庭を築き、不安を抱えつつ、安定していくという
時期に描かれたこの作品は船を描く輪郭とシンプルな構成とリズム、そして抑制された色遣い。
現在に至る笠井芸術の完成に至る原型を観る思いでした。

また、笠井作品に特徴的な黄色ですが、背景とテーブルで使い分けていた
暗い黄色と明るいライトな黄色の使い方を逆にする転換が1980年代半ばに起きていました。
しかし、近作に至っては元に戻るなど、固定せずに使い分けていることがわかり、
画家としての円熟期に至り、高い自由度の獲得を感じさせるものがありました。

また参加者の質問にも答えていましたが、サイン自体には意味を持たせないという点と、
作品本体が乾ききってからサインすると思うようにサインできないから、やはり乾き切らない
「筆の勢いがあるうちに」(笠井さん曰く)サインしてしまうほうがよいという話が印象的でした。
たかがサインというなかれ、されどサインなんですね、きっと。

会期:2015年3月29日まで札幌芸術の森美術館で
(冬には訪れたことはなかったのですが、駐車場も除雪は行き届いておりました。)

<3.3追記>
文意が乱れていた部分を修正しました。
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by capricciosam | 2015-02-28 22:34 | 展覧会 | Comments(0)

デュフィ展@愛知県美術館2014

西洋美術の中でもデュフィはピカソなどに比べると、それほど有名ではないのかもしれない。
「知る人ぞ知る」的な作家の一人と言えるのかな。
初めて出会った作品は覚えていないのですが、大胆な色彩と、描きなぐったか、のような
荒荒しい線による構成が特徴的で、遠景でとらえた場合の人間や葉などは
あたかも素人でも描けるのではないか、と勘違いしそうなくらいです。
具象画のような精密さとは対局にある絵でしょう。
今回デュフィの裸婦像を初めて鑑賞しましたが、そもそものデッサン力自体にも疑問を
感じるくらいでした。しかし、十分個性的であるため、語弊はありますが、
「ヘタウマ」という言葉があてはまりそう。

もっとも、絵全体として醸し出される魅力は格別で、鑑賞者を魅了するのは間違いありません。
ひとつは、大胆過ぎるくらいの独特にして鋭敏な色彩に対する感覚ではないでしょうか。
青色を基調に複数の原色を大胆に配置していくのですが、効果的に画面全体に
独特の雰囲気を与えています。画家なりの計算は当然あったにしても見事なものです。
もうひとつは早描きしたかのようなラフな線。しかし、それが無数あることで画面全体に
軽快なリズムを産み、躍動感とも、沸き立つ感じとでも言うのでしょうか、
モダンでエスプリに満ちた雰囲気が充ち満ちてきます。
この二つの要素がデュフィ作品を特徴づける最大のものであり、デュフィ好きには堪らない。

今回は回顧展のため、初期の作風から変化していく様を観ることができたのは幸いでした。
また、絵画だけでなく、挿絵、陶器の図柄、テキスタイル・デザインまで広範に網羅して
彼の画業を紹介していたため、初めて知ることも多く、ますます彼への興味が深まりました。
特に、テキスタイル・デザインは現代でも十分通用するのではないか、と思いました。
しかも、出品の大半は国内の島根県立石見美術館でした。
コレクションなのでしょうが、見事なものです。

東京、大阪と巡回し、名古屋が最後、12月7日まで。
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<追記11.8>
展示されていた作品のひとつに「オーケストラ」がありました。
作品近くの説明によると指揮者シャルル・ミュンシュと親交があったようです。
とすると、この絵に描かれているのはシャルル・ミュンシュなのかな?
また、この作品でティンパニの描かれ方が現在みるセッティングとは違います。
当時は、こういう風にセッティングされていたということなのでしょうか。

<11.16追記>
ラウル・デュフィ(1877-1953)
シャルル・ミュンシュ(1891-1968)
作品「オーケストラ」が制作されたのは1942年ですから、
親交を重ねた期間としても短くはなかったようですね。

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by capricciosam | 2014-11-04 22:46 | 展覧会 | Comments(0)