カテゴリ:展覧会( 47 )

存在の美学@だて歴史の杜カルチャーセンター2014

伊達市噴火湾文化研究所同人は野田弘志、永山優子、廣戸絵美の3名で
構成されている。招待作家をまじえた同人展は隔年で開催されてきたが、
第3回(2014年)は東京、大阪を経て伊達市、札幌市で開催される。

現在の写実主義を先頭で牽引してきた野田さんの話を直接聞くことが
できると知って、高速道路をひた走って伊達展の初日に足を運んできた。

大きな一室に約20点が展示されていた。初日にもかかわらずそれ程
混雑しておらず、ちょっと拍子抜けだったが、お陰で時間をかけて鑑賞する
ことができた。丹念に対象に迫ろうという画家の意気込みのようなものが
多くの作品から感じられ、見応えがあった。もっとも、ギャラリートークの
始まる時刻が近づくにつれ、会場が混雑し始めたのは言うまでもない。
作品鑑賞もさることながら、みなさん同じ思いの方が多かったようです。
野田さんはじめ写実主義を志されている画家から肉声で思いの丈を
聴くことができるのはめったにない機会ですからね。

トークは同人の野田さん、永山さんに、野田永山塾出身の若き2人
(今村圭吾、松永瑠利子)を加えて4人で行なわれた。
コーディネーター役は永山さん。
トーク自体はメモをとって聴いていたが、帰宅して振り返ってみると、
野田さん、永山さんのプロ作家のボリュームが多かったのは予想どおりか。

「これまでは展覧会では観る人が喜んでくれる作品を描こうと思っていた。
そのこと自体はもちろん大事なのだが、自分自身が美しいと感じていることを
はっきりと見つけ出したいと考えるようになった。」
という永山さんの発言で開始された。
永山さんは4点出品されていたが、「共通して感じたものは「生命(いのち)」、
美しいというのは生命に対する愛情なのだと思う。」と続けられた。

次に野田さんは永山さんの発言を受けて、
「存在というものをどう考えるか。生まれて死んでいく、その束の間生きている。
その生命を美しいと感じるように我々はできている。哲学者は小難しく言うが、
美しいと感じる、それを表したいと考えるのが絵描きなんだ。」
とおっしゃる。

対象に心動かされて絵を描かれる画家にとって、その気持ちをどのように表現する
のか、という技法の選択はいろいろあるのだろうが、とかくうわべの細密さばかりで
評価(誤解?)されがちな写実主義をプロ作家として貫いて来られているお二人の
この発言が聞けただけでも来た甲斐があったというものだ。

この他、存在の美学以前、デパートの違い、生と死に関して、現在の人気について等
会場からの質問に対する回答含めて興味深い話が展開されました。
ギャラリートークは伊達展では今回限りでしたが、札幌展では2回企画されている
ようなので、本記事で詳細に書くことは避けたいと思います。
関心のある方はトークに参加されて直接聴かれることをお薦めします。

伊達展 5/18~6/3 だて歴史の杜カルチャーセンター
札幌展 6/21~7/6 札幌芸術の森美術館
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<追記>
伊達展は観覧無料です。近くにお住まいの方は、この機会に。
トーク開始前に野田永山塾の塾生の方から色々お話を聴くことができた。
塾ではお二人は「ああしなさい、こうしなさい」という指導はされず、塾生が自ら気づき、
そして納得するような指導をされているとお話されていたのが印象に残った。
<追記5.20>
札幌展は有料ですが、招待作家がさらに9名増えて見応えが増します。

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by capricciosam | 2014-05-18 23:57 | 展覧会 | Comments(0)

第7回北海道現代具象展@千歳市民ギャラリー

空の色、木々の紅葉、そして初霜。
日々の生活に追われながら、秋が深まっていくのを感じています。

近頃、拙ブログもたまに演奏会などに出かけた折に感想を書くくらいで、
心に浮かぶよしなしごとは、もっぱらtwitterでつぶやく程度になってしまいました。

生来まとまって書く習慣は持ち合わせていなかったな、とは思うものの、
この差は、やはり書く手段としてのツールの手軽さの差でしょうね。
ブログはもっぱらデスクトップPCで書いているので、書こうと思えば、
その部屋への移動が必要ですが、ツイートは身近にスマホさえあれば場所を選びません。
例えるなら、固定電話と携帯電話の違いとでも言うのでしょうか。
携帯電話が当たり前という若い方と違って、黒電話でダイヤルをジーコジーコした
世代としては、この違いは大層な違いだということが身にしみて実感できます。

「やはり手軽さは大事な要素です」

それでも、ブログは一応気力が萎えるだろう晩年までやろうと考えていますから、
内容が単調化して、指向が収斂されていくような老人化にはまだ抵抗したいんですね。
実際まだそんな歳ではありませんから、ハイ。

そこで、今夜は久しぶりにPCに向かって近況を兼ねて昨日のことなどを書き散らしてみます。
(でも、相変わらず大したことは書けません。)
昨日は、ちょいと足を伸ばして久しぶりに千歳市まで出かけてきました。
お目当ては、ネツトで偶然知った「第7回北海道現代具象展」です。
昨年記事に書いた第5回で最終回と思っていたので意外だったことも大きいのですが、
やはり第5回が楽しく鑑賞できたという印象があったからなんですね。
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場所は千歳市民ギャラリー。
玄関を入ると、正面に招待作家の笠井誠一さんと野田弘志さんの二点が展示されていました。
笠井さんの平面と立体の混在するシンプルさに凝縮された静物画と野田さんのリアルな裸婦像。
入ってまず、裸婦像にびっくりしたところで、人を食ったような静物画で落ち着く、
といった按配だったでしょうか。
野田さんの作品はタイトルから昨年展示されていた作品と同じようです。

第5回では作家のみなさんが2点ずつ出品されていましたが、今回はほぼ一点。
その分こじんまりとした展覧会でしたが、内容的には第5回同様楽しく鑑賞しました。
なかでも、廣戸絵美(2点出品していたが、廊下を描いた作品の方)、伊藤光悦、茶谷雄司、
福井路可の各氏の作品が印象に残りました。
千歳市での展示は今日で終了し、以下の予定で道内を巡回します。

・深川市アートホール東州館 11/1~11/15
・室蘭市民美術館 11/27~12/1
・札幌時計台ギャラリー 12/2~12/7
・苫小牧市美術博物館 12/10~12/23
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ギャラリーを出てから「森もと」本店に寄ってパンを買い、
その後カミサンのリクエストで空港近くのアウトレットモールに行ってみました。
一時目立った空きスペースはそれ程目につかなくなったし、
結構混雑していましたから、それなりの賑わいを感じました。
でも、よく見ると開業当初あった有名ブランドも結構減ったなという印象が残りました。
やはり、北広島市にある競合他社の影響なのでしょうか。
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by capricciosam | 2013-10-20 23:39 | 展覧会 | Comments(0)

出光美術館日本陶磁名品選@苫小牧市美術博物館2013

苫小牧市博物館に増築される形で美術館が誕生したのを機に
市内に出光が進出しているご縁で催されたようですが、
日本でも有数のコレクションを誇る出光美術館の名品がみられる機会です。
道内の美術館で陶磁器を収集対象にコレクションしている所はないはずなので、
これだけまとまって「古九谷」を鑑賞する機会はこれからも恐らく少ないだろう、
ということでちょっと遠出してきました。

展示室は2室だけで、「古九谷」はじめ73点が展示されていました。
展示内容は「五彩手の世界」、「中国画譜との関わり」、「青手の世界」、「赤絵」、
「金銀彩・瑠璃釉・鉄釉・染付」とわかれています。

日本色絵陶磁器の黎明期の江戸時代前期に誕生した「古九谷」ですが、
使われている緑、黄、青、紫、赤の五彩に共通するのは、暗さ、深み。
しかし、それらが大皿というキャンパスに力強く、大胆な構図で描かれると
それらの持つ力が混然一体となって現れる存在感には圧倒されます。
特に、緑と黄の二色を基調とした「青手」の一群には、器全体に生気が
みなぎる感じが強まり、より大胆になった作風が魅力的でした。
パンフレットに使われている口径47cmの「色絵菊文大皿」はその代表です。

実を言うと「古九谷」はそれ程好きではなかったのですが、
その意匠の迫力に触れて、小生の中では好感度アップです。
こぢんまりとした展示でしたが、配布されたパンフの解説も充実しており、
見応えのある内容でした。展示は8/25まで。
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<蛇足>
展示を見終えて退室しようとすると、もう一室あり、そこには出光の紹介が。
本業としての出光興産の紹介はもちろんですが、創業者の出光左三氏が
コレクションを始めるきっかけとなった一品を手にしたパネルも。
どんなコレクターにもある、コレクションのきっかけとなる一品。
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by capricciosam | 2013-08-16 06:53 | 展覧会 | Comments(0)

ロベール・ドアノー展@札幌芸術の森美術館2013

20世紀は「写真の世紀」とも言われるらしい。
ロベール・ドアノー(1912-1994、以下、「ドアノー」という。)の生誕100年を
記念して開催された本展は、まさしくそんな時代を生き抜いたたドアノーが、
パリ周辺の日常の小さなドラマを写真として切り取った作品の数々が展示されている。

展示では、順に「パリ郊外」「冬の時代~占領からパリ解放まで」「郊外の休日」
「パリ イメージの釣り人」「ポートレイト」「『ヴォーグ』の時代」「子供たち」
「変貌するパリ」「ドアノーとカラー」と9つのテーマに分けられているが、
必ずしも時代順という訳ではない。
もちろんカラー写真の発達した近現代に撮られた作品もあるが、
作品の多くは1940年代から1960年代までに撮られたモノクロで、
第二次世界大戦の戦前戦中戦後を生き抜く庶民の生活が登場する。

特に、ドアノーが舞台としたパリは大戦中ナチスドイツの占領下にあった訳で、
戦中の悲惨な場面が多く登場するのか、と言えば、決してそうではない。
写真というリアリズムを駆使してダークな側面を切り取っていくことも可能だったのだろうが、
ドアノーの視線は、時代に翻弄されながら生きていく庶民の姿に穏やかに注がれる。
そして、慈愛に満ちたり、俗物っぽっくあったり、といった様々な色づけが感じられる。
あくまでも対象物と同じ高さの目線で、撮る者の存在を虚しくして
作品として残していったような印象が残った。

そのせいなのか、この時代の作品以外の作品からも、作者とか、作者の主張のような
「気配」を鑑賞していて感じることは少ないかもしれない。
いわゆる作家の意図を斟酌する度合いの強い芸術作品とは別格のものなのだろう。
それ故、鑑賞者がその作品を窓口として自由に想像を膨らませる度合いを高めることも
逆に可能なのだと思う。

「作者は写真を見る人を解放しなければならない。
画面のなかへ旅立てるように解き放たなければならない。」
(以上、ロベール・ドアノー展のHPより引用)

「私が面白いと思う写真、自分で上手くいったと思う写真は、結論を出さず、
物語を最後まで語らず、見る人が好きなように物語りを続けてもらえるように
開かれた写真だ。夢の踏み台のようなものだ。」
(以上、図録「写真についての覚書」より引用)

それ故、時代を越えて鑑賞される力を作品自体が獲得したとも言えるのだろう。
また、モノクロの有するシンプルさが、なおそうさせるのかもしれない。
旧いは新しい、ということか。
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by capricciosam | 2013-06-23 22:53 | 展覧会 | Comments(0)

夷酋列像@北海道立函館美術館2012

函館行きの別の目的はこの特別展示を観るため。

作者蠣崎波響が松前藩家老として重責を果たしつつ、画才を発揮して「夷酋列像」を
残したものの、その一連の作品が、国内ではわずか2点しか現存していない、
程度の知識しかなく、その2点すら実際には見たことがなかった。
ところが、その「夷酋列像」の多くが1980年代にフランスのブザンソン市で発見され、
約20年ぶりに松前町と函館市で里帰り展示されることになった。
この報道に接し、恐らく二度と見ること能わず、との思いが募り、閉幕まであと3日という
ぎりぎりの日に、とうとう念願かなって観ることができた。
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「夷酋列像」の他にも波響の作品が3点展示されていたが、江戸や京都で正式に
学んだと言うだけあって、日本画の基本を押さえた作品に改めて波響の腕の確かさを感じた。

さて、肝心の「夷酋列像」であるが、函館市中央図書館蔵の「御味方蝦夷之図」の2点
「イトコイ」「ションコ」を先に観て、対面に展示されている「夷酋列像」11枚を観て
いったが、特に、この2枚は何度も見比べて観ることになった。
と、いうのは「夷酋列像」は12枚一組で、少なくとも2組制作され、函館とブザンソンの
絵はそれぞれ異なる組であるとのこと。
そこで気になるのがなんらかの違いがあるのか、という点だが、画面左寄りに槍を持った
立像で描かれた「イトコイ」だが、寸分違わぬ出来に驚くとともに、その精緻な筆使いには
驚嘆した。と言うのは、どの絵も驚くほど小さなサイズに収まっている。せいぜいA3程度
だろうか。その中で、あの「イトコイ」の威厳をディテールまで表現できたのは、奇蹟に近い
のではないか。しかも、何日かけたのかわからないが、少なくとも24枚書き上げた
というのだから、驚くべき筆力という他はない。

ところで、2組の違いだが、何度往復して見比べても線や紋様ではよくわからないのだが、
色の具合はやや異なっているようだということに気がついた。
特に、白髪老人の「ションコ」の顔色は、ブザンソンの方がやや浅黒く、函館のは白い。
これの是非を論じるつもりはなく、何故か違いがあることにほっとする思いであった。
(カラーコピー技術のない時代に手書きでうり二つというだけでも驚異。)
その他、里帰りした作品では、圧倒的存在感の「ツキノエ」、唯一の女性「チキリアシカイ」
そして不思議な体育座りの「マウタロケ」が印象に残った。

ただ、作品を美術的観点から愛でることとは別に、これらの作品が描かれた背景には
アイヌの人たちの「クナシリ・メナシの蜂起」(1789年)という歴史的背景があったことが、
一層この作品の印象を強くし、重くしていることを忘れてはなるまい。
少なくとも北海道に住む和人の末裔ならばなおさら、と思う。
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by capricciosam | 2012-09-13 06:30 | 展覧会 | Comments(0)

福田繁雄大回顧展@札幌芸術の森美術館2012

M.C.エッシャーの有名なだまし絵に「滝 WATERFALL」という作品があります。
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水路を流れる水が滝つぼに落ちると、また水路を流れていき滝つぼに落ちる。
まるで無限運動のようですが、よく見るとなにやらおかしい。
奥行きと高さは個々に適合しているようですが、3次元的には適合していない。
立体を平面に押し込めた時に生じる錯覚を利用した訳ですが、
一見しただけではわかりにくいし、立体としては不可能のはずなのです。
しかし、福田さんはこれを立体的な作品として仕上げてしまった。
ある角度の視点から覗いて見るという制限はつくのですが、
それでも巧みに表現されていたのには驚きが先立ちました。
覗き窓から離れて近づいて見たりもしたのですが、やはり水は滔々と流れている。

「どんなからくりなの? えっ、福田さん。」

と、思わずニヤっとして、内心でこんな問いを発してしまった。

今回の展覧会も副題は「ユーモアのすすめ」とあるように、
「視覚」と「遊び」を融合させた、不思議で思わずクスッとくるような作品が多く、
固くなった頭には実に楽しい刺激に満ちています。
例えば、「ミロのヴィーナス」の胸像をベースに有名人の肖像をペイントしてある
一連の作品には、「どうして、こんなに似ているのだろう」と思わず唸ってしまいました。
リンカーン、モナリザ、エリザベス・テイラー‥
白人だけではありません、なんと聖徳太子、雪舟、その上、作者自身まで。
中でも、傑作だなと思ったのは歌川国芳の寄せ絵。
思わず吹き出してしまいました。

でも、中には思わず襟を正したくなる作品もあります。
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福田さんの代表的作品のひとつが写真の「VICTORY 1945」。
「ポーランド戦勝30周年記念国際ポスターコンぺ」で最高賞を受賞した作品ですが、
よく見ると、大砲から撃ち出されたはずの砲弾の向きが逆になっている。
戦う相手に与えた打撃も、結局は自分にも打撃となって返ってくるという
戦争そのものの無意味さを完結な構図と色でシンプルに訴えている傑作です。

襟を正すという感覚に近かったのが、破綻した旧北海道拓殖銀行のロゴマーク。
ある世代以上の道民にはなじみ深いあのマークです。
小生も社会人として歩みだした時に口座を開設したのが「たくぎん」でした。
破綻してから15年くらい経ちますが、展示されていたのが旧本店の看板だけに
胸にグッとくるものがありました。

福田さんの肩書きは「グラフィックデザイナー」ということなのですが、
そんなカテゴリーには収まらない自由さと深さを感じさせる作品群に
時間を忘れて見入ってしまいました。
いっしょに行ったカミサンが一足さきに出口で待っていたのですが、
小生が開口一番「あ~、おもしろかった」と言ったら、
出てくる人の感想はみな同じだった、とのことでした。
そうだろうな、と納得して退出しました。
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<蛇足>
展示されている中には木製の玩具もありました。
福田さんは長女が誕生したのをきっかけにこの玩具づくりをはじめられたのだそうですが、
その長女が福田美蘭さん。
先の記事で偶然ふれましたが、思わず「なるほどなぁ~」です。
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by capricciosam | 2012-08-04 22:47 | 展覧会 | Comments(0)

大原美術館展@北海道立近代美術館2012

国内でも屈指の美術館として有名な大原美術館(岡山県倉敷市)。

数十年前ですが、独身時代のカミサンや知人がほぼ同時期に訪れていて、
収蔵作品の絵はがきをお土産にもらっていました(一枚の重複もなし)。
その規模といい、収蔵作品の多さといい、話を聞いているだけで
一度は訪れてみたいものだ、とかねがね思っていました。
絵はがきは、今も時々引っ張り出してきては眺めています。
セザンヌ、ロートレック、ピカソ、デュフィ、ゴッホ‥
印象派を中心に見応えのある作品が多いな、という印象をもっていました。

それで、今回は北海道初上陸とのことですから、絵はがきで楽しんでいたうちの
何点を鑑賞できるのか、と期待してでかけました。
結果は2点だけ。パリ郊外(ユトリロ)、静物(ヴラマンク)。
正直、ちょっと肩すかしを喰らったような気分だったのですが、
でも、それ以外の作品も見応え十分でしたから、
やはり大原美術館の膨大なコレクションの一部に過ぎないということですね。
今回観たらわざわざ倉敷まで出かけなくても良いかな、なんて甘い考えは通じませんでした。
まあ、残りの作品をこの目で見る楽しみが残りましたから、
機会を見つけて一度は訪れてみたいものです。

また、現代作家のコレクションにも力を入れているとのことで、
「生きて成長していく」美術館としての一端を垣間見ることができたのは幸運でした。
中でも、福田美蘭の「安井曾太郎と孫」が印象に残りました。
コレクションの中に安井曾太郎の「孫」という、洋イスに座っている孫をモデルに
描いてる一枚がありますが、この描かれている様子を、まるで見ていたかのごとく、
安井タッチで第三者の視点で描いてます。
おふざけとでも、パロディとでもとれそうですが、福田氏の視点が強烈に感じられ、
絵画における換骨奪胎の手法としては見事な一品というべき作品であると思いました。

小谷元彦の「ロンパース」には、偶然の再会を果たした。
小谷の有する繕われた皮膚下への強烈な関心の一端が現れていることを再確認。
万人受けする作家ではないとは思うが、今後の変貌が楽しみな作家の一人だ。
7月8日まで開催。
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by capricciosam | 2012-06-16 17:12 | 展覧会 | Comments(0)

北海道現代具象展@北海道立近代美術館2012

昨年放送された「日曜美術館」で野田弘志さんが特集されているのを見た。
超写実主義という分野で活躍されていること、そして
この分野において多くの作家が多様な作品を生み出していることを知った。
どの作品も油絵ながら、写真で写しとったかのような鮮明さ、細密さで描かれている。
まるで、対象そのものの見に見えぬ本質までをも描き出そうとしたかのような
作者の意気込みや迫力を感じるのだ。
中でも、野田さんはこの分野において現代日本を代表する一人なのだという。

番組では、北海道のアトリエにおける創作活動が披露される。
起床してから、食事以外はアトリエに籠もって創作活動に打ち込んでいる姿は
とても70歳過ぎとは思えない。
その中で野田さんはインタビューに答えている。
「人間の生から死に至る存在そのものを描きたいんだ」と。
やはり、この執念が作品に滲むということなのだろう。

作品では、様々なモデルを対象に描いている。
風景、刈り取られた小麦束、動物の頭骨、裸婦、赤ちゃんetc
作品は、まずモデルを写真に撮って、写真を元に仕上げていくようだ。
番組では、雪のある中を一人の妙齢の婦人がわざわざ東京からやってきて、
ドレス姿でモデルとなる様子が紹介される。
その写真撮影や作品として仕上げていく過程を放送するが、
番組では作品の完成形までは放送されなかったのが、心残りだった。

ちょっと前置きが長くなったが、今回訪れた第5回北海道現代具象展で、
実はこの時の作品が「崇高なるもの Op.1」として展示されている。
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野田さんの作品は2点だけだが、会場に足を踏み入れるまで知らなかっただけに、
対面した時には心底驚いた。

「あの時の作品だ!」

番組では野田さんが拘っていた手も含めて、まじまじと接近して見ることができたが、
決して細部まで綿密に描かれ、塗られている訳ではないことに驚いた。
番組で細部に拘って綿密に描写していたと思われた野田さんの姿から
勝手に想像していただけのようだ。
しかし、どうみても油彩そのものなのに、ちょっと離れて見ると、
見事に活き活きとモデルが立ち現れてくる不思議さ。
技巧的にはなにも目新しいものではないのかもしれないが、
完成された作品を前にすると、鑑賞者は言葉を失い、その迫力に圧倒される。

もう一点の裸婦を描いた作品「聖なるもの THE-Ⅲ」は、性器が見えるくらい
膝を深く曲げて横たわった姿態が明るく浮かび上がる中、逆に顔は影の中にある。
しかし、目は見開かれ、鑑賞者から逸れた目線は一体何を見つめているのか。
鑑賞者の想像を刺激して止まない。
わずか2点だが、他の作品群の中にあっても目に飛び込んでくる一揃いだった。

具象とは、
「はっきりした姿・形を備えていること」
(以上、コトバンクより引用)
という意味らしい。
抽象画のように単純化された点、線、面等で構成されていない画なので
鑑賞に無理な想像力を求めませんが、鑑賞者の想像が刺激されることがない訳ではありません。
また、作品とは本来そういうものなのでしょう。
野田弘志さん以外では、道内に縁のある作家や招待作家含めて多くの作家が
2点程度ずつ出品しており、多種多彩で、なかなか見応えのある展覧会でした。
今回が最終回とは残念なことですが、ぜひ形を変えてでも復活されないものか、と思います。

実は、佐々木譲さんが今回の展覧会に野田弘志さんが出品されていることを
つぶやかれていたことから、初めて足を運んだ次第です。
佐々木さんはすでに初日にご覧になったようで、いくつかのつぶやきを残されています。
中でも、本展覧会のHPに取り上げられている笠井誠一さんの作品を巡る発言には賛成ですね。
小生も探してしまった口ですから、なおさらです。
それにしてもアーチスト・トークは聴きたかったな。
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by capricciosam | 2012-03-22 22:40 | 展覧会 | Comments(0)

北の土偶@北海道開拓記念館2012

1975年道南の旧南茅部町の自家野菜畑で、それは発見された。
確か、主婦の方がいもを掘ろうとしたはずだ。
2007年に北海道初の国宝となった「中空土偶」である。
国宝指定当時、道内では大いに話題になったのでご記憶の方も多いと思う。
偶然とはいえ、ほぼ無傷らしいから実に幸運だったと言わねばならない。
現在の愛称は「カックウ」という。
南茅部の「茅(カヤ)」と「中空(クウ)」からとったものらしい。

当時、「機会があればみたいものだな」とは思っていたものの、遠方だけに
わざわざ出かける気力もなかったが、今回他の2点の国宝土偶とともに展示される、
しかも期間中本物展示は期間限定(期間後は複製)とのことだったので、
どうせ見るなら本物を見ておきたいと思い、出かけた次第だ。

ところで、「土偶」ってどんなもの!?なのでしょう。

「世界各地の先史時代を中心に広くみられる人間をかたどった土製品。
乳房や臀部を誇張した女性像が大部分で,男性を表すのはまれである。
動物をかたどったものは動物土偶と呼ばれ,素材に石を使ったものは岩偶という。
日本における動物土偶は,縄文時代後期から晩期にかけて,おもに東日本でみられ,
猪が最も多く発見される。他に犬,猿,熊,ムササビ,亀,ゲンゴロウなどがあり,
いずれも食糧などとして生活に密着した動物が選ばれた。」
(以上、コトバンクより引用)

確かに、それほど広くないスペースに展示されている
大小様々の約130点の外観上の形はこの定義にあてはまるようだ。
しかし、その多様さには、改めて驚いた次第だ。
例えば、他の2点の国宝土偶のうち、長野県で発見された「縄文ビーナス」は、
腕の解釈がなんとも不思議なのだが、そのフォルム含めた紋様もないシンプルさが
逆に想像力を刺激して惹き付ける。
一方、先ほどの「カックウ」や青森県で発見された「合掌土偶」には一定の紋様が施され、
いかにも土偶らしさが感じられる。
「カックウ」のちょいと小首を傾げた立ち姿には愛らしさ、さえ感じる。
しかし、合掌土偶の体育座りして、その腕を膝の上にのせて組み、必死に願うがごとき様には
なにやら一心不乱的なものを感じていたが、展示の解説を読んでさらに驚いた。
当時の出産は「座産」といって座って出産したようで、安産を願う妊婦との解釈ができるらしい。
子孫を生むという、当時の母子の生存をかけた必死さが凝縮されているんだな、
と捉えなおして、改めて見つめ直してしまった。
産院での出産が当たり前と捉えている現代に生きる小生には驚き以外の何ものでもないし、
悠久の時を経て、当時とは比較にならない安全な環境で出産できる子孫がいかに恵まれているか、
ということに思い至ったのはごく自然なことと思う。
まぁ、出産環境と言っても、単に産むだけでなく、そこに至る諸条件もあるから、
一概には言えないのかもしれないが、少子化が進み、人口減少に悩まされる現代日本社会を
見たら当時の人はどう思うのかな、とも考えてしまった。

縄文時代後期、晩期とは、Wikipediaによれば、
「後期(紀元前約4,500 - 3,300年前)、晩期(紀元前約3,300 - 2,800年前)」
とある。想像を絶する程の旧い、旧い時代であることは間違いない。
当時の彼らの営みがあったればこその現代に生きる我々なのだから、
遠き祖先に思いを馳せて、謙虚に足もとを見つめ直す意味でも
とても興味深い展覧会だった。
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<追記>
この企画展は昨年4月に予定されていたらしいが、東日本大震災の影響で
展示物の輸送が困難になり、一年延長されたとのこと。
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by capricciosam | 2012-03-20 07:02 | 展覧会 | Comments(0)

巨匠たちの饗宴@北海道立旭川美術館2011

会場に足を踏み入れると、洋画、日本画の順で、日本近代絵画の
画家たちの絵が、これでもか、とばかりに展示されている。
これだけまとまって展示されたことは道内ではかつてなかったのではないか。
壮観の一語につきる。

これらは、広島県廿日市市のウッドワン美術館のコレクションの一部だそうだが、
さらに驚くのは個人がおよそ20年程度で収集したということだ。
その資金力もさることながら、その「目利き」ぶりにも驚く。
もちろん、ある作家を追ったとか、あるテーマに基づいて収集した、ということでは
なさそうなので、コレクションの「深み」という点では、少々物足りなさを感じたが、
しかし、考えてみると、どんな美術館もひとりの作家やテーマについて完璧に
コレクションしていることはほぼない訳だから、これは欲張りというもの。
むしろ、「日本近代絵画」といういささか幅広いテーマの下、コレクションを
より充実させていくことができるならば、さらなる厚みが増していくのだろう。
でも、今回の展示だけでも、十分なボリュームであることは間違いない。

中でも、同じ洋画とは言いながら、興味深かったのが林武と岡鹿之助との対比。
前者は晩年の代表作「赤富士」シリーズのうちの一枚である。
顔を近づけてみると、絵の具をキャンバスにたたきつけるがごとく塗ってあるので、
絵の具がまさしく盛り上がっている。
かたわらの解説にはチューブからそのまま塗りつけた、と書いてあった。
そのため、写実性とはかけ離れ、色も混然としている。
一見したら素人にもできそうな荒技だ。
では、絵としての佇まいが悪いのかというと、決してそうではない。
むしろ、富士山の壮大さ、というか凄味がよく表現されているように思う。

後者については点描画家としての印象はあったものの、実際の絵を見るのは
今回が初めてだった。そして、その点描が実はキャンバス地そのものに由来して
描かれていることを発見して、驚いた。
つまり、地がわからなくなるように絵の具を塗り重ねている部分はあるものの、
大半は絵の具をキャンバス地が浮き上がる程度に押さえていることだ。
それが巧みな配色によって点として目に飛び込んでくるという訳だ。
これは代表的点描画家スーラとは決定的に異なっているように思われる。
作者が相当熟慮して絵筆を運ばなければ絵としての完成はおぼつかない訳で、
技法としての難易度は一見したよりも相当難しいように思われた。
そして、その抑制された筆づかいのせいか、作品には静謐さが満ちあふれている。

林の「動」と岡の「静」。
異なった表現の技法により作品の湛える魅力も異なるが、
どちらも近代絵画に残した足跡は消えることはない、と改めて感じられた。

道立旭川美術館では9月9日まで。
その後、北海道立帯広美術館で9月16日~11月7日。
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by capricciosam | 2011-08-21 22:46 | 展覧会 | Comments(0)