カテゴリ:展覧会( 52 )

マグリット展@国立新美術館2015

根津美術館で尾形光琳をみ終わってから青山霊園を横切って国立新美術館に移動。
日帰りのため残りの時間で「ルーブル美術館展」を観ていくか、と考えていたが、
同時に開催されていた「マグリット展」が13年ぶりの回顧展とわかり、
急遽こちらをじっくり鑑賞することにした。
(もっとも、駆け足で「ルーブル美術館展」も覗いてきたのだが、これは別途記述。)

マグリットについては代表作は観たことがある程度だったので、画業を俯瞰的に
鑑賞できる回顧展は願ってもないことだった。
ルネ・マグリットはベルギーの代表的画家で、かつ20世紀美術を代表する芸術家。

「言葉やイメージ、時間や重力といった、私たちの思考や行動を規定する"枠"を
飛び越えてみせる独特の藝術世界は、シュルレアリスムの範囲にとどまらず、
その後のアートやデザインにも大きな影響を与えました。」
(以上、マグリット展のちらしから引用)

キュビズムの影響を受けてシュルレアリスムに至るのだが、シュルレアリスムである
以上、ひとつの作品の中が合理的に理解される訳では決してない。
むしろ、ありえない要素が詰め込まれることで、鑑賞する者の脳内が
異物感でざわつき、刺激される。そこに鑑賞するダイナミックさが生まれる。
初期は画家の観念が思うように作品に昇華していない「もどかしさ」の気配がある。
それが、のどかな田園を写生しているキャンバスが透明化してキャンバスが
風景と一体化してしまう発想豊かな作品辺りから内面の充実が作品に表現されて
いき、次第に画風も安定していき、鑑賞する側も安心して作品に没入できる。
本展覧会のチラシに採用されている「ゴルコンダ」や、「光の帝国Ⅱ」「空の鳥」と
いったマグリットを代表する作品の多くはこういう画風の安定した時期に製作されている。
改めて、これらの作品の不思議っぷりに魅了される刺激的な展覧会だった。
6月29日まで開催。
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by capricciosam | 2015-05-23 17:27 | 展覧会 | Comments(0)

尾形光琳300年忌記念特別展@東京・根津美術館2015

今年は尾形光琳没後300年忌にあたるということで、根津美術館所蔵(東京)の
「燕子花図屏風」(国宝)とMOA美術館所蔵(熱海)の「紅白梅図屏風」(国宝)が
56年ぶりに一堂に展示された。2点とも美術の教科書ではよく掲載される
有名な作品であるし、国内にあることからいつかは観たいものだと思っていたが、
東京、熱海と少し距離があるためおっくうが先に立つ悩ましさがあった。
それだけにこの機会を逃すと後悔するなと思い、急遽出かけてきた。

この2点は先に展示されたMOA美術館では対面で展示されたようだが、
根津美術館では並列して展示されていた。実物を観るのは初めてだったが、
「燕子花図屏風」が六曲一双であるのに対して「紅白梅図屏風」は二曲一双と
大きさの違いに改めて気づかされるが、この辺りは印刷物ではわかりにくい。

「燕子花図屏風」は右隻と左隻では様子が異なり、一般的に有名なのは右隻だろう。
右隻では画面一杯にほぼ水平に燕子花がリズミカルに繰り返されるが、左隻では
右肩下がりにフェードアウトするように画面から消えていくため金地の余白が目立ち、
余韻を生んでいる。いずれも金箔に限られた色と単純化された描写が心地よい韻律
を生み出していることは間違いない。今回の展示会のタイトルに「光琳デザイン」とある
のが合点される現代にも通用する優れた意匠性を獲得しているのではないかと思う。

本作品が光琳40歳代の作品であるのに対して、一方の「紅白梅図屏風」は晩年の作品。
真ん中に黒々とした川を配置して、右側には若さを象徴する紅梅が描かれ、左側には
老いを象徴する白梅が描かれている。幹はどちらもたらしこみ技法で味わいがある。
作品解説には「拮抗」と「調和」というキーワードが見られたが、静と動の対比も鮮やかで
黒々とした川の配置も含めて緊張感とともに謎めいた奥行きの深さを感じさせる。
どちらかと言えば「燕子花図屏風」見たさが強かったのだが、見終わると
「紅白梅図屏風」の凄みが強く印象に残ることになった。

本作品以外にも尾形光琳の多様な活動の成果が展示されていた。
中でも、「紅白梅図屏風」の流水の表現に通じるような2つの「流水図乱箱」や「香包」が
印象に残っているが、尾形光琳の画業を広範に紹介する充実した展示であった。
北海道から足を運んで正解だった。
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<蛇足>
チケットを買おうと入口に並んだら、団体が入場するらしくちょっと待たされた。
すると案内する人が「エムオーエーの方はこちらから入場してください。」と言っていたが、
なるほどね。当日は東京でも今年初の夏日ということで、日傘を差したご婦人が目立った。
庭園の燕子花は見頃をやや過ぎていたが、見事な手入れには感心した。
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by capricciosam | 2015-05-14 07:53 | 展覧会 | Comments(0)

笠井誠一展@札幌芸術の森美術館2015

笠井誠一さんを知ったのは北海道現代具象展だった。現代日本の大家として
遇されている気配は感じたものの、作品そのものはシンプルな線と色で構成された
簡潔かつ平明な雰囲気が特徴的な静物画で、ちょっと人を食った感じもしない訳ではない
ので、どんな人物なんだろうとつい想像してしまったものだ。
つまり、いかにも大家でござい、というものとの対局に位置する感じがして印象に残った。
その方の大規模個展が出身地札幌で初めて開催される上に、自身が語るという企画が
あることがわかり急遽足を運んできた。

展覧会に出品している作家自身が語る機会というのは、昨年の「存在の美学」の
伊達会場札幌芸術の森会場でギャラリートークという対談形式で体験していたが、
個展で作家自身が語るという「アーティスト・トーク」は今回が初めてだった。

「笠井誠一(1932-)は札幌に生まれ、名古屋と東京を拠点に活躍する画家です。
花や果物、楽器や道具などといった限られたモチーフを、卓上や室内に配した
独特の静物画で知られ、その透明感あふれる画面と緻密な構築性によって、
高い評価を得てきました。清廉な空気を漂わせる笠井の静物画は、およそ40年に
わたって長くそのスタイルを貫き、現在に至っています。」
(以上、笠井誠一展チラシから引用)

会場に現れた笠井誠一さんは83歳らしい小柄な御老人でしたが、
スーツをきちんと決めて、加齢による崩れを微塵も感じさせません。
(愛知県芸大でポストをこなされてきた故なのかもしれません。)
なにより目が活きている。驚きつつ、活力が衰えていない証左だな、と思いました。

展覧会は大きく「笠井誠一の世界」「札幌/東京 絵画の道を志す」
「バリヘ 自らの絵画表現を求めて」「帰国 日本での基盤を固める」
「洗練のとき 伸展する活動」「円熟の功 さらなる深み、さらなる地平へ」と
6つのコーナーに分かれており、合計一時間に渡るトークでした。
トークはそれぞれのコーナーごとに笠井さんが解説を加えていくやり方で進んでいきました。
内容は思いつくままの雰囲気もあるのですが、なかなか興味深い。
ひとつひとつの作品に蘊蓄を語るのかな、と思っていただけにこれは想定外でした。
今回はメモもとらずに聴いていたので細部の再現は難しいのですが、
なかなかユーモアのある方で、たびたび笑ってしまいました。

これまでも初期の作品から近作までを回顧する展覧会は何度か観てきているのですが、
そのたび画家の作風が変化するターニングポイントを発見することがあります。
今回も、パリへの留学は現在に至る画家としての作風を形作る起点になったんだろうな
という劇的転換がみられます。
それはパリへの留学の時教えられた「肉体も建築学的に表す、情緒を排する」(笠井さん曰く)
という徹底した教えだったようです。確かに、芸大時代のデッサンと比較してもその違いは
素人目にも異なるようでした。また、セザンヌの影響を受けたという作品もあるのですが、
小生が注目したのはむしろ愛知県立芸術大学にポストを得てから描いた「滞船」でした。
笠井さんは特に説明もなく流したのですが、家庭を築き、不安を抱えつつ、安定していくという
時期に描かれたこの作品は船を描く輪郭とシンプルな構成とリズム、そして抑制された色遣い。
現在に至る笠井芸術の完成に至る原型を観る思いでした。

また、笠井作品に特徴的な黄色ですが、背景とテーブルで使い分けていた
暗い黄色と明るいライトな黄色の使い方を逆にする転換が1980年代半ばに起きていました。
しかし、近作に至っては元に戻るなど、固定せずに使い分けていることがわかり、
画家としての円熟期に至り、高い自由度の獲得を感じさせるものがありました。

また参加者の質問にも答えていましたが、サイン自体には意味を持たせないという点と、
作品本体が乾ききってからサインすると思うようにサインできないから、やはり乾き切らない
「筆の勢いがあるうちに」(笠井さん曰く)サインしてしまうほうがよいという話が印象的でした。
たかがサインというなかれ、されどサインなんですね、きっと。

会期:2015年3月29日まで札幌芸術の森美術館で
(冬には訪れたことはなかったのですが、駐車場も除雪は行き届いておりました。)

<3.3追記>
文意が乱れていた部分を修正しました。
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by capricciosam | 2015-02-28 22:34 | 展覧会 | Comments(0)

デュフィ展@愛知県美術館2014

西洋美術の中でもデュフィはピカソなどに比べると、それほど有名ではないのかもしれない。
「知る人ぞ知る」的な作家の一人と言えるのかな。
初めて出会った作品は覚えていないのですが、大胆な色彩と、描きなぐったか、のような
荒荒しい線による構成が特徴的で、遠景でとらえた場合の人間や葉などは
あたかも素人でも描けるのではないか、と勘違いしそうなくらいです。
具象画のような精密さとは対局にある絵でしょう。
今回デュフィの裸婦像を初めて鑑賞しましたが、そもそものデッサン力自体にも疑問を
感じるくらいでした。しかし、十分個性的であるため、語弊はありますが、
「ヘタウマ」という言葉があてはまりそう。

もっとも、絵全体として醸し出される魅力は格別で、鑑賞者を魅了するのは間違いありません。
ひとつは、大胆過ぎるくらいの独特にして鋭敏な色彩に対する感覚ではないでしょうか。
青色を基調に複数の原色を大胆に配置していくのですが、効果的に画面全体に
独特の雰囲気を与えています。画家なりの計算は当然あったにしても見事なものです。
もうひとつは早描きしたかのようなラフな線。しかし、それが無数あることで画面全体に
軽快なリズムを産み、躍動感とも、沸き立つ感じとでも言うのでしょうか、
モダンでエスプリに満ちた雰囲気が充ち満ちてきます。
この二つの要素がデュフィ作品を特徴づける最大のものであり、デュフィ好きには堪らない。

今回は回顧展のため、初期の作風から変化していく様を観ることができたのは幸いでした。
また、絵画だけでなく、挿絵、陶器の図柄、テキスタイル・デザインまで広範に網羅して
彼の画業を紹介していたため、初めて知ることも多く、ますます彼への興味が深まりました。
特に、テキスタイル・デザインは現代でも十分通用するのではないか、と思いました。
しかも、出品の大半は国内の島根県立石見美術館でした。
コレクションなのでしょうが、見事なものです。

東京、大阪と巡回し、名古屋が最後、12月7日まで。
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<追記11.8>
展示されていた作品のひとつに「オーケストラ」がありました。
作品近くの説明によると指揮者シャルル・ミュンシュと親交があったようです。
とすると、この絵に描かれているのはシャルル・ミュンシュなのかな?
また、この作品でティンパニの描かれ方が現在みるセッティングとは違います。
当時は、こういう風にセッティングされていたということなのでしょうか。

<11.16追記>
ラウル・デュフィ(1877-1953)
シャルル・ミュンシュ(1891-1968)
作品「オーケストラ」が制作されたのは1942年ですから、
親交を重ねた期間としても短くはなかったようですね。

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by capricciosam | 2014-11-04 22:46 | 展覧会 | Comments(0)

存在の美学@札幌芸術の森美術館2014

伊達展に続き初日に足を運んできました。
今回のギャラリートークは8人の作家による、としか予告されておらず、
野田弘志、永山優子の同人お二人は間違いないとして、
一体どなたがお話されるのか、と楽しみにしていました。
トークの司会進行はHBCの鎌田アナウンサー(以下、「鎌田アナ」と略す)。
おっ、札幌はプロが務めるのか、力入っているな、と思ったら、
鎌田アナの発したのは「ただいまから開会式を行ないます。」
と言うわけで少々面食らったが、トークの前に開会式が行なわれた。
挨拶したのは伊達市の菊谷市長と芸術の森美術館の佐藤館長。

そしてトークへ。
8名は同人のお二人に加え、同じく同人の廣戸絵美、そして招待作家の
今村圭吾、松永瑠利子、小尾修、李暁剛、大畑稔浩。
今村、松永のお二人は伊達展のトークにも参加。

鎌田アナの発した一つ目の質問がいきなり直球。
「タイトルは「存在の美」で良いのじゃないか。なぜ美学なのか。」
しかし、振られた野田さんは回答を避け、永山さんが答えることに。
「存在そのものが美である。そして、そのモチーフを描こうとするが、
男の美学と男の美とは違う。存在の美を考えることが存在の美学ではないのか。」
永山さんはよく考えていらっしゃるし、その考えを理路整然と語られる。
これは伊達のトークでも感じたことです。
野田さんはその後のトークの中ではいろいろ語りますから、単に面倒くさかったのかな。

同じく同人の廣戸さんは存在の美学を「重たくてミステリアス」とおっしゃる。
そのうち、話題が廣戸さんが描かれた妊婦の絵が本の表紙になったことに、
そして札幌展ポスターの絵のモデルが招待作家の小尾さんの息子さんであることに。
小尾さんはご家族で来札されたので小6になった息子さんも会場に。
鎌田アナが「この絵のこと覚えてる」と質問したら、彼は「あまり覚えていない」と(笑)
そりゃそうだね。誰も覚えちゃいないと思うよ。

その小尾さんが、「今一番やりたいことは、取り組んでいることは」との質問に対して
「フランスに留学して感じたのは、日本のリアリズムは空間に対する理解が浅く、
油絵なのにまるで水彩で描いているようだということ。どうしても口あたりの良い、
甘い絵になる。危険な岐路にいるのではないか。もっと踏ん張ってやらないと危ない。
欧州のリアリズムの手法を取り入れたとしても、空間のとらえ方、存在のとらえ方に
挑戦していきたい。」と意欲的に答えられていた。
これを受けて野田さんが
「多分そう思う。会場に鮭の絵(磯江毅作)があったと思うが、有名な高橋由一の鮭の絵
なんて、(会場の絵に比べれば)全然リアリティを感じない。(当時彼は)きっとうまく書こう
と思っていたんだろう。もう一歩踏み出さなけりゃ、もうひとつ越えていったら、
日本から本当のリアリズムが立ち上がるのだろう。」と答えられていたが、
改めてリアリズム絵画を担う意欲というものをお二人から感じられた。

最後に鎌田アナが一人ずつ「抱負は」と聞いた。
大畑さんの「これから先のリアリズムがどう変わっていくのか考える。
日本人が目指すリアリズムを提示する必要があるのではないか。」
小尾さんの「道端の花や石っころ、見過ごせばそれまでなのに、克明に描いた作家には
驚くはず、技術的なものはもちろんだが、そこに美を見いだした作家でありたいと思う。」
と真っ正面からの回答も心に残ったが、李さんや廣戸さんが他作家の作品を鑑賞して
「まだ自分は甘い」とおっしゃったことにも心ひかれた。
展覧会の意義は広く周知・普及するという側面だけでなく、作家同士の切磋琢磨の機会
でもあるという側面でもあることが改めてわかりました。

これ以外にも廣戸さんの結婚を巡る野田さんの意見と変化、会場からの
「芸術の世界に唯一絶対の基準はあるのか」という質問に対する野田さんの回答等
興味深い話を聞くことができ、なかなか楽しいひとときでした。

伊達展での20点から招待作家の作品も増え、作品の入れ替えもあり、
67点と作品数も大幅に増えて、見応えも増しています。
これまでの「存在の美学」展としては最大規模とのことです。
札幌芸術の森美術館で7月6日まで。
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by capricciosam | 2014-06-21 22:59 | 展覧会 | Comments(0)

存在の美学@だて歴史の杜カルチャーセンター2014

伊達市噴火湾文化研究所同人は野田弘志、永山優子、廣戸絵美の3名で
構成されている。招待作家をまじえた同人展は隔年で開催されてきたが、
第3回(2014年)は東京、大阪を経て伊達市、札幌市で開催される。

現在の写実主義を先頭で牽引してきた野田さんの話を直接聞くことが
できると知って、高速道路をひた走って伊達展の初日に足を運んできた。

大きな一室に約20点が展示されていた。初日にもかかわらずそれ程
混雑しておらず、ちょっと拍子抜けだったが、お陰で時間をかけて鑑賞する
ことができた。丹念に対象に迫ろうという画家の意気込みのようなものが
多くの作品から感じられ、見応えがあった。もっとも、ギャラリートークの
始まる時刻が近づくにつれ、会場が混雑し始めたのは言うまでもない。
作品鑑賞もさることながら、みなさん同じ思いの方が多かったようです。
野田さんはじめ写実主義を志されている画家から肉声で思いの丈を
聴くことができるのはめったにない機会ですからね。

トークは同人の野田さん、永山さんに、野田永山塾出身の若き2人
(今村圭吾、松永瑠利子)を加えて4人で行なわれた。
コーディネーター役は永山さん。
トーク自体はメモをとって聴いていたが、帰宅して振り返ってみると、
野田さん、永山さんのプロ作家のボリュームが多かったのは予想どおりか。

「これまでは展覧会では観る人が喜んでくれる作品を描こうと思っていた。
そのこと自体はもちろん大事なのだが、自分自身が美しいと感じていることを
はっきりと見つけ出したいと考えるようになった。」
という永山さんの発言で開始された。
永山さんは4点出品されていたが、「共通して感じたものは「生命(いのち)」、
美しいというのは生命に対する愛情なのだと思う。」と続けられた。

次に野田さんは永山さんの発言を受けて、
「存在というものをどう考えるか。生まれて死んでいく、その束の間生きている。
その生命を美しいと感じるように我々はできている。哲学者は小難しく言うが、
美しいと感じる、それを表したいと考えるのが絵描きなんだ。」
とおっしゃる。

対象に心動かされて絵を描かれる画家にとって、その気持ちをどのように表現する
のか、という技法の選択はいろいろあるのだろうが、とかくうわべの細密さばかりで
評価(誤解?)されがちな写実主義をプロ作家として貫いて来られているお二人の
この発言が聞けただけでも来た甲斐があったというものだ。

この他、存在の美学以前、デパートの違い、生と死に関して、現在の人気について等
会場からの質問に対する回答含めて興味深い話が展開されました。
ギャラリートークは伊達展では今回限りでしたが、札幌展では2回企画されている
ようなので、本記事で詳細に書くことは避けたいと思います。
関心のある方はトークに参加されて直接聴かれることをお薦めします。

伊達展 5/18~6/3 だて歴史の杜カルチャーセンター
札幌展 6/21~7/6 札幌芸術の森美術館
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<追記>
伊達展は観覧無料です。近くにお住まいの方は、この機会に。
トーク開始前に野田永山塾の塾生の方から色々お話を聴くことができた。
塾ではお二人は「ああしなさい、こうしなさい」という指導はされず、塾生が自ら気づき、
そして納得するような指導をされているとお話されていたのが印象に残った。
<追記5.20>
札幌展は有料ですが、招待作家がさらに9名増えて見応えが増します。

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by capricciosam | 2014-05-18 23:57 | 展覧会 | Comments(0)

第7回北海道現代具象展@千歳市民ギャラリー

空の色、木々の紅葉、そして初霜。
日々の生活に追われながら、秋が深まっていくのを感じています。

近頃、拙ブログもたまに演奏会などに出かけた折に感想を書くくらいで、
心に浮かぶよしなしごとは、もっぱらtwitterでつぶやく程度になってしまいました。

生来まとまって書く習慣は持ち合わせていなかったな、とは思うものの、
この差は、やはり書く手段としてのツールの手軽さの差でしょうね。
ブログはもっぱらデスクトップPCで書いているので、書こうと思えば、
その部屋への移動が必要ですが、ツイートは身近にスマホさえあれば場所を選びません。
例えるなら、固定電話と携帯電話の違いとでも言うのでしょうか。
携帯電話が当たり前という若い方と違って、黒電話でダイヤルをジーコジーコした
世代としては、この違いは大層な違いだということが身にしみて実感できます。

「やはり手軽さは大事な要素です」

それでも、ブログは一応気力が萎えるだろう晩年までやろうと考えていますから、
内容が単調化して、指向が収斂されていくような老人化にはまだ抵抗したいんですね。
実際まだそんな歳ではありませんから、ハイ。

そこで、今夜は久しぶりにPCに向かって近況を兼ねて昨日のことなどを書き散らしてみます。
(でも、相変わらず大したことは書けません。)
昨日は、ちょいと足を伸ばして久しぶりに千歳市まで出かけてきました。
お目当ては、ネツトで偶然知った「第7回北海道現代具象展」です。
昨年記事に書いた第5回で最終回と思っていたので意外だったことも大きいのですが、
やはり第5回が楽しく鑑賞できたという印象があったからなんですね。
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場所は千歳市民ギャラリー。
玄関を入ると、正面に招待作家の笠井誠一さんと野田弘志さんの二点が展示されていました。
笠井さんの平面と立体の混在するシンプルさに凝縮された静物画と野田さんのリアルな裸婦像。
入ってまず、裸婦像にびっくりしたところで、人を食ったような静物画で落ち着く、
といった按配だったでしょうか。
野田さんの作品はタイトルから昨年展示されていた作品と同じようです。

第5回では作家のみなさんが2点ずつ出品されていましたが、今回はほぼ一点。
その分こじんまりとした展覧会でしたが、内容的には第5回同様楽しく鑑賞しました。
なかでも、廣戸絵美(2点出品していたが、廊下を描いた作品の方)、伊藤光悦、茶谷雄司、
福井路可の各氏の作品が印象に残りました。
千歳市での展示は今日で終了し、以下の予定で道内を巡回します。

・深川市アートホール東州館 11/1~11/15
・室蘭市民美術館 11/27~12/1
・札幌時計台ギャラリー 12/2~12/7
・苫小牧市美術博物館 12/10~12/23
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ギャラリーを出てから「森もと」本店に寄ってパンを買い、
その後カミサンのリクエストで空港近くのアウトレットモールに行ってみました。
一時目立った空きスペースはそれ程目につかなくなったし、
結構混雑していましたから、それなりの賑わいを感じました。
でも、よく見ると開業当初あった有名ブランドも結構減ったなという印象が残りました。
やはり、北広島市にある競合他社の影響なのでしょうか。
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by capricciosam | 2013-10-20 23:39 | 展覧会 | Comments(0)

出光美術館日本陶磁名品選@苫小牧市美術博物館2013

苫小牧市博物館に増築される形で美術館が誕生したのを機に
市内に出光が進出しているご縁で催されたようですが、
日本でも有数のコレクションを誇る出光美術館の名品がみられる機会です。
道内の美術館で陶磁器を収集対象にコレクションしている所はないはずなので、
これだけまとまって「古九谷」を鑑賞する機会はこれからも恐らく少ないだろう、
ということでちょっと遠出してきました。

展示室は2室だけで、「古九谷」はじめ73点が展示されていました。
展示内容は「五彩手の世界」、「中国画譜との関わり」、「青手の世界」、「赤絵」、
「金銀彩・瑠璃釉・鉄釉・染付」とわかれています。

日本色絵陶磁器の黎明期の江戸時代前期に誕生した「古九谷」ですが、
使われている緑、黄、青、紫、赤の五彩に共通するのは、暗さ、深み。
しかし、それらが大皿というキャンパスに力強く、大胆な構図で描かれると
それらの持つ力が混然一体となって現れる存在感には圧倒されます。
特に、緑と黄の二色を基調とした「青手」の一群には、器全体に生気が
みなぎる感じが強まり、より大胆になった作風が魅力的でした。
パンフレットに使われている口径47cmの「色絵菊文大皿」はその代表です。

実を言うと「古九谷」はそれ程好きではなかったのですが、
その意匠の迫力に触れて、小生の中では好感度アップです。
こぢんまりとした展示でしたが、配布されたパンフの解説も充実しており、
見応えのある内容でした。展示は8/25まで。
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<蛇足>
展示を見終えて退室しようとすると、もう一室あり、そこには出光の紹介が。
本業としての出光興産の紹介はもちろんですが、創業者の出光左三氏が
コレクションを始めるきっかけとなった一品を手にしたパネルも。
どんなコレクターにもある、コレクションのきっかけとなる一品。
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by capricciosam | 2013-08-16 06:53 | 展覧会 | Comments(0)

ロベール・ドアノー展@札幌芸術の森美術館2013

20世紀は「写真の世紀」とも言われるらしい。
ロベール・ドアノー(1912-1994、以下、「ドアノー」という。)の生誕100年を
記念して開催された本展は、まさしくそんな時代を生き抜いたたドアノーが、
パリ周辺の日常の小さなドラマを写真として切り取った作品の数々が展示されている。

展示では、順に「パリ郊外」「冬の時代~占領からパリ解放まで」「郊外の休日」
「パリ イメージの釣り人」「ポートレイト」「『ヴォーグ』の時代」「子供たち」
「変貌するパリ」「ドアノーとカラー」と9つのテーマに分けられているが、
必ずしも時代順という訳ではない。
もちろんカラー写真の発達した近現代に撮られた作品もあるが、
作品の多くは1940年代から1960年代までに撮られたモノクロで、
第二次世界大戦の戦前戦中戦後を生き抜く庶民の生活が登場する。

特に、ドアノーが舞台としたパリは大戦中ナチスドイツの占領下にあった訳で、
戦中の悲惨な場面が多く登場するのか、と言えば、決してそうではない。
写真というリアリズムを駆使してダークな側面を切り取っていくことも可能だった
のだろうが、ドアノーの視線は、時代に翻弄されながら生きていく庶民の姿に
穏やかに注がれる。そして、慈愛に満ちたり、俗物っぽっくあったり、といった
様々な色づけが感じられる。
あくまでも対象物と同じ高さの目線で、撮る者の存在を虚しくして
作品として残していったような印象が残った。

そのせいなのか、この時代の作品以外の作品からも、作者とか作者の主張のような
「気配」を鑑賞していて感じることは少ないかもしれない。
いわゆる作家の意図を斟酌する度合いの強い芸術作品とは別格のものなのだろう。
それ故、鑑賞者がその作品を窓口として自由に想像を膨らませる度合いを高める
ことも逆に可能なのだと思う。

「作者は写真を見る人を解放しなければならない。
画面のなかへ旅立てるように解き放たなければならない。」
(以上、ロベール・ドアノー展のHPより引用)

「私が面白いと思う写真、自分で上手くいったと思う写真は、結論を出さず、
物語を最後まで語らず、見る人が好きなように物語りを続けてもらえるように
開かれた写真だ。夢の踏み台のようなものだ。」
(以上、図録「写真についての覚書」より引用)

それ故、時代を越えて鑑賞される力を作品自体が獲得したとも言えるのだろう。
また、モノクロの有するシンプルさが、なおそうさせるのかもしれない。
旧いは新しい、ということか。
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by capricciosam | 2013-06-23 22:53 | 展覧会 | Comments(0)

夷酋列像@北海道立函館美術館2012

函館行きの別の目的はこの特別展示を観るため。

作者蠣崎波響が松前藩家老として重責を果たしつつ、画才を発揮して「夷酋列像」を
残したものの、その一連の作品が、国内ではわずか2点しか現存していない、
程度の知識しかなく、その2点すら実際には見たことがなかった。
ところが、その「夷酋列像」の多くが1980年代にフランスのブザンソン市で発見され、
約20年ぶりに松前町と函館市で里帰り展示されることになった。
この報道に接し、恐らく二度と見ること能わず、との思いが募り、閉幕まであと3日という
ぎりぎりの日に、とうとう念願かなって観ることができた。
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「夷酋列像」の他にも波響の作品が3点展示されていたが、江戸や京都で正式に
学んだと言うだけあって、日本画の基本を押さえた作品に改めて波響の腕の確かさを感じた。

さて、肝心の「夷酋列像」であるが、函館市中央図書館蔵の「御味方蝦夷之図」の2点
「イトコイ」「ションコ」を先に観て、対面に展示されている「夷酋列像」11枚を観て
いったが、特に、この2枚は何度も見比べて観ることになった。
と、いうのは「夷酋列像」は12枚一組で、少なくとも2組制作され、函館とブザンソンの
絵はそれぞれ異なる組であるとのこと。
そこで気になるのがなんらかの違いがあるのか、という点だが、画面左寄りに槍を持った
立像で描かれた「イトコイ」だが、寸分違わぬ出来に驚くとともに、その精緻な筆使いには
驚嘆した。と言うのは、どの絵も驚くほど小さなサイズに収まっている。せいぜいA3程度
だろうか。その中で、あの「イトコイ」の威厳をディテールまで表現できたのは、奇蹟に近い
のではないか。しかも、何日かけたのかわからないが、少なくとも24枚書き上げた
というのだから、驚くべき筆力という他はない。

ところで、2組の違いだが、何度往復して見比べても線や紋様ではよくわからないのだが、
色の具合はやや異なっているようだということに気がついた。
特に、白髪老人の「ションコ」の顔色は、ブザンソンの方がやや浅黒く、函館のは白い。
これの是非を論じるつもりはなく、何故か違いがあることにほっとする思いであった。
(カラーコピー技術のない時代に手書きでうり二つというだけでも驚異。)
その他、里帰りした作品では、圧倒的存在感の「ツキノエ」、唯一の女性「チキリアシカイ」
そして不思議な体育座りの「マウタロケ」が印象に残った。

ただ、作品を美術的観点から愛でることとは別に、これらの作品が描かれた背景には
アイヌの人たちの「クナシリ・メナシの蜂起」(1789年)という歴史的背景があったことが、
一層この作品の印象を強くし、重くしていることを忘れてはなるまい。
少なくとも北海道に住む和人の末裔ならばなおさら、と思う。
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by capricciosam | 2012-09-13 06:30 | 展覧会 | Comments(0)