カテゴリ:展覧会( 47 )

赤塚不二夫展@大丸札幌店2010

この暮れの押し詰まった時に、なんともユニークな企画展が
開催されていたので、買物のお供ついでに覗いてきました。
企画展はギャグ漫画で一時代を築いた赤塚不二夫さんに関するものです。
(先日からちょっと旧い話ばかりで恐縮です。)
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展示の中心はトキワ荘時代含む初期の頃からの原画。
思わず読んでしまったために、少々時間もかかりましたが、
なにしろひとり笑ってしまうことが多々あり、
挙動不審者と間違われないか、と冷や冷やものでした。
しかし、会場で鑑賞している他の人も似たような反応の人も
いない訳ではなかったので、小生の笑いもまあ素直な反応なんだな、
と自分を納得させていました。
でも、今読んでも実際面白いんだから凄いものです。

ところで、認識を新たにしたことが原画の線や色使いの丁寧なこと。
生前の破天荒な言動やエピソードから、なんとなく
作品のタッチもラフなものだろう、と勝手なイメージを抱いていたことが
恥ずかしくなるような見事な仕上げで、一点一画に込めた赤塚さんやスタッフの
仕事ぶりに感動してしまいました。
この辺りに気づきだしてから、襟を正して見入ることになりました。

まあ、「おそ松くん」から親しんだ世代としては、懐かしさが主体の
軽い気持ちだったことは否めませんが、改めて赤塚さんの開拓された
ギャグ漫画が単なるナンセンス(死語?)なだけでない、実にシュールな世界にも
踏み込んでいたのだなぁ、と感心してしまいました。
特に、ナンセンス度が高い漫画としては「天才バカボン」が有名ですが、
確かに、一歩間違えば「悪ふざけ」と糾弾されそうな実験的手法も試している
ことには驚きました。
まあ、ある程度のわがままが通用する立場に立ったからこそできた、
という側面も確かにあるのでしょうが‥

まあ、そんな小理屈を言わなくても楽しめることは間違ありません。
最後の展示スペースでは多くの漫画主人公だけでなく、いろんな分野の有名人が
イヤミの「シェー」をやっている写真がパネル展示されていました。
ホント、私もよくマネしましたが、改めて世間に与えた影響の大きさを
伺わせるなぁ、と関心しました。
そして、思わず唸ったのが、出口のところに書かれてあった次の言葉。

「私は2008年8月をもって、赤塚不二夫から不二院釋漫雄
(ふにいんしゃくまんゆう)に改名するのだ、ニャロメ」

展示を観ていくと、赤塚さんは生前一度だけ改名されていたそうです。
それで、これは二度目でもあり、ラストの改名であることが
鑑賞者にはわかります。

改名も読み方によっては戒名。
しかも、自分の死も笑い飛ばしてしまうその着想の凄さ。
(最も、ご本人とは書いてなかったので、ひょっとしたらお嬢さん!?)
戒名をここまで笑いのめした例は知りません。傑作。

ところで、赤塚さんの告別式でのタモリの弔辞は、
淡々とした調子とは裏腹に内容が実に心のこもったもので、
当時、小生も胸打たれたものでした。

「私も、あなたの数多くの作品のひとつです。」

しかも、実は白紙の弔辞だったらしいとわかった時の驚きはなかったです。
まるで「勧進帳」です。
パフォーマーとしての面目躍如だと思いました。



ところで、「あと一日で新年なのだ。これでいいのだ。」
なんてことを言っちゃったりなんかして(と、広川太一郎さん風)、
以上で年内の更新を終えます。
今年も駄文におつきあいくださりありがとうございました。
皆さま、どうぞ良い年をお迎えください。

<追記12.31>
YouTubeのタモリの弔辞をアップできました。
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by capricciosam | 2010-12-30 23:47 | 展覧会 | Comments(0)

東本願寺の至宝展@大丸札幌店2009

信徒でもないし、これといった美術品も展示されていないようだったが、
襖絵はなかなかみられないな、と思い直し、用事のついでに覗いてみる。

私には東本願寺も西本願寺も区別がつかないので、
歴史のお勉強のような感じであった。

解説によれば東本願寺は幾多の火災に遭っていた。
「蛤御門の変」
江戸末期に京都御所で起きたこの武力衝突事件では、
火災により本堂等が焼失していた。
解説では歴代の門首が徳川家と友好関係にあったことにより
放火されたとあり、思わず「へーっ」
時の権力と友好関係を保つ宗教としては
時勢が時勢だけに裏目にでた、ということか。
こんな因果関係を知っていたら、歴史の勉強ももう少し楽だったかな…

興味をそそられた「襖絵」
中でも円山応挙作の「稚松図/竹雀図」と「竹図/老梅図」
順路に沿って老梅図、竹図、竹雀図、稚松図 と鑑賞することになる。
老梅図は大胆なタッチで一気に仕上げたであろう様が感じられ、
右側の一枚に若い梅が描かれ、ほぼ中央に描かれた老梅からは
伸びた枝が左側の2枚に向かって伸びていき、可憐な花を咲かせている。
大胆な構成ながら、見応えがある。
竹図と竹雀図はともに金地に墨の濃淡を活かした竹林が
さわやかな印象を与え、雀が描かれた竹雀図は微笑ましい感じも。
最後の稚松図では若い松が黒々とした墨でひとつひとつ丁寧に
描かれている。
ここに至り、青壮老という創作のモチーフが明確に鑑賞する者に伝わる。

一方、棟方志功の襖絵は、正直「?」
「河畔の呼吸」はなんとか、「天に伸ぶ杉木」はさっぱり、という感じだった。
対面に飾られている有名な「富褸那」や「天女」が作品としての輝きを
放出していることに比べ、なんとも解せないのだが、
棟方志功のエネルギーの奔放さがそのまま噴出したかのようだ。
こりゃ、受け取った東本願寺側もとまどったのではないかな。

しかし、襖絵を観るには会場の狭さが、どうも弱点。
作品との間に十分な距離感を置いて観たかったなぁ…

近代京都画壇の作品の数々も見応えがあったが、
没年不詳の羽田月州の作品もそのひとつ。
これだけの腕がありながら、画歴がほぼ不明というのも不思議な感じ。
また、竹内栖鳳の天女を描いた未完成の下図には、正直ドキっとした。
天女から立ちのぼるエロスの濃厚なこと。
これまで観た栖鳳のいくつかの作品とは異なる指向を感じ、
「果たして、完成していたら…」
未完成に終わったことを残念に思った。
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by capricciosam | 2009-04-12 07:20 | 展覧会 | Comments(2)

セザンヌ主義@北海道立近代美術館2009

セザンヌ主義という言葉自体はじめて目にしたが、
「主義」という言葉が似つかわしいくらい、セザンヌが同時代や後年の
画家たちに与えた影響は大きかったということなのだろう。

そういうコンセプトのもと展示されている多様な作家の絵には、
なるほど、セザンヌに影響されただろうな、という、よく似た画風の
感じられる作品が少なくなかった。
しかし、なかにはキュビズムのピカソやブラックのように
一見しただけでは、素人には「?」のような作品も…

中でも印象に残ったのは安井曾太郎。
2作の「婦人像」が展示されていたが、1910年代の作品には
その影響がありありと感じられた。
しかし、もう少し後年の作は、代表作「金蓉」へと通じるような
安井らしいスタイルの確立に向けた前進が感じられる作品で、
本作においてセザンヌの影響といっても、浅学非才の身にはちと難しい。
その他、横たわる裸婦像や静物画(これはセザンヌ作と言われても
間違えそうなくらい、実にタッチが酷似している)にも影響が見て取られ、
とても意外な感に打たれていた。
必死の模倣を通じてオリジナリティを獲得していく様は、
どんな分野にも通じる話か。

あと、意外と言えば、小野竹橋。
「えっ、日本画にも!?」
書き込まれている内容は、一見すると伝統的な日本画なのだが、
視線が下(手前)から上(奥)に移動することで、見事な遠近感が出現する。
ちょうどセザンヌの作品で視線の移動にともない
上方にサント=ヴィクトワール山が出現するかの如き、とでも言えばよいか。
どん欲に研究した成果なのだろう。

さらに、意外と言えば、セザンヌ「水浴」(大原美術館)のサイズ。
大原に行ってきた友人からお土産にこの作品の絵はがきをもらって
作品自体は知っていたのだが、まさか実物がタテヨコ20cm程度の
小品だったとは、まったく想像できなかった。
その割に色調といい、構図といいいよく書き込まれているのには驚いた。

展覧会の核となったセザンヌ自体の作品はそう多くはないものの、
企画が楽しく、こんな切り口もあるのだなぁ、と
感心しながら会場を後にした。
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by capricciosam | 2009-03-09 00:45 | 展覧会 | Comments(0)

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展@国立西洋美術館2008

ハンマースホイという人はまったく知りませんでしたが、
フェルメールとの類似性(写実的な室内表現)が旅行前から
たびたび話題になっていたので、ついでに立ち寄ってみました。

「し~ん」と静まりかえったかの如き室内風景が、
暗く沈んだモノトーンを基調として描かれています。
開け放たれたドアの向こうにも人の気配は感じられません。
しかも、たまに人が登場してもほとんどが後ろ姿。
モデルは妻のイーダ。
鑑賞者は、まさしく「覗き見る者」のごとき錯覚に襲われますが、
頑なに拒否されたような居心地の悪さはあまり感じられません。
むしろ、不思議な浮遊感さえも感じました。

同じ室内表現とは言っても、描かれる人の重みは
フェルメールの場合は「主」であって、ハンマースホイは「従」というか、
極力意識させない程度の存在として描かれていることから、
まったく別の方向性の個性であることがわかります。
テーマが「静かな詩情」とありましたが、まさしくそんな感じです。
これも見応えのある展覧会でした。

会場にはポスターにもなっている絵に登場するパンチボウルも
展示してありました。絵でもわずかに蓋が閉じられていないのが
わかるのですが、これは蓋の割れたところを金具で止めてあった
からなんですね。
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by capricciosam | 2008-11-30 13:30 | 展覧会 | Comments(0)

フェルメール展@東京都美術館2008

かなり前のことですが、札幌で「オランダ絵画の黄金時代」という
展覧会が開かれました。
ハーグのマウリッツハイス王立美術館所蔵作品が展示され、
所蔵する3点のフェルメールの作品のうち
「真珠の耳飾りの女」(当時は「青いターバンの少女」と言ってました)
「ディアナとニンフたち」
の2点を観ることができました。
前者の強烈な印象は忘れがたいものです。

それで、フェルメールの作品を観るのは今回で2回目となりますが、
世界中でも30数点しかなく、各地に所蔵されている作品のうち、
例え重複が一点あるとは言え、まとまって7点もみられる機会は
そうそうあるものではありません。
「生涯においてこのチャンスを逃すと後悔しないか?」

展示してある順番は制作年順になっていて、次のとおり。
①「マルタとマリアの家のキリスト」fromエジンバラ、英国
②「ディアナとニンフたち」fromハーグ、オランダ
③「小路」fromアムステルダム、オランダ
④「ワイングラスを持つ娘」fromブラウンシュバイク、ドイツ
⑤「リュートを調弦する女」fromニューヨーク、米国
⑥「手紙を書く婦人と召使い」fromダブリン、アイルランド
⑦「ヴァージナルの前に座る若い女」個人蔵

展示は大きく①~③、④~⑦に分けられています。
①や②はフェルメールの代表的作風からは、にわかにフェルメールとは
考えられない作品。②は修復の結果、右上の青空は見事に消され、
絵全体が夜の情景に変わっていました。
(札幌で観た時は青空があったはずなのだが、残念ながら記憶にない…)
でも、この方が自然な感じはします。
③は想像以上に小さな絵でしたが、書き込まれている内容は密。
恐らくフェルメール自身は格段の意識もなく日常の景色を描いた
のでしょうが、技術的な成熟段階にある「うまさ」を感じさせます。

フェルメールは窓のある室内で様々なパターンの作品を残していますが、
④⑤⑥もそれらに属するのでしょう。
同様な構図での作品に登場する女性はおしなべて慎ましやかなのに比べ、
④の女性の歯を見せた笑顔がなんとも上品さに欠け、一種の邪悪さや
俗っぽさを漂わせる不思議な作品。
⑤は調弦する女性が何かに気をとられたかのごとく窓外に視線をやる姿の
一瞬の切り取り方のうまいこと。
⑤は④の4~5年後に制作されたようですが、光と影の扱い方は
より深化しているようで、その点では⑤の5年後に制作された
⑥がひとつの到達と円熟を示していたように感じました。
さて、⑦は③以上に小さな作品で、かつ真贋論争がある作品。
私の第一印象も「贋作っぽいなぁ…」
まあ、100%贋作とは言わないまでも、後年誰かの手が入った作品
じゃないのか、という印象が残りました。
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<蛇足>
もの凄い混みようで、入場前の行列は覚悟。
どうせ待つなら、と私は開場前に数十分並びました。
入場後は展示作品を順番に観ることなく、他の作品はスルーして、
フェルメールを順番に観ていきました。
おかげで、どの作品も誰にも邪魔されることなく
かぶりつきで鑑賞できました(^^)
ただ、フェルメールを一巡して、もう一巡と思ったら
もうあちこちに人だかりができて、ややしんどい思いで
二巡目を終えました。三巡目はもうほとんど無理。
朝一が無理なら、ケータイでの待ち時間チェックは必須でしょう。
<さらなる蛇足>
2006年末に写真の本を偶然買い求めていました。
積ん読だったのですが、観に行くと決めてから予習を兼ねて読みました。
フェルメール作品の概要を掴むにはうってつけでした。
鑑賞するために世界を旅する、なんて素敵なことでしょう。
ああ~、あやかりたい、あやかりたい…
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by capricciosam | 2008-11-29 22:15 | 展覧会 | Comments(0)

ピカソ展@国立新美術館&サントリー美術館2008

「巨匠画家」と言って、私の脳裏に真っ先に思い浮かぶ筆頭はピカソ。
そのピカソ作品を世界中で最大規模で収蔵している美術館が
パリ国立ピカソ美術館だが、その改修を機に行われた世界巡回展が
日本の、東京にやってきた。
しかも、展示数もハンパではなく国立新美術館で約170点、
サントリー美術館で約60点と、かなりまとまって観るチャンスとなった。
「生涯においてこのチャンスを逃すと後悔しないか?」

まずは国立新美術館へ。
ここでのテーマは「愛と創造の軌跡」

生涯に愛した女性は一体何人なのか?
というくらい女性遍歴を重ねたピカソではあるが、
それは生きることと愛することという根源的なモチーフが
作品の創造と密接に結びついていたためだろうが、
その辺りが納得できる展示となっていた。
もちろん、対象の要素を再構成したキュピズム辺りになると、
「正直わからない」というのが率直な印象なのだが、
作品の持つ力は決して衰えることなく迫ってくるから不思議だ。

なかでも、興味深かったのは展覧会のポスターにも取り上げられている
「ドラ・マールの肖像」と「マリー・テレーズの肖像」の対比。
会場でもこの二つは並んで展示されている。
出会いはマリーの方が早く、二人の間には娘が誕生している。
両方ともキュビズムタッチで描かれているが、マリーの肖像で
使われている色彩は地味で穏やかで、控えめな印象を与える。
これはマリーの性格故なのかとも思えるが、むしろ、
ピカソの限りなき慈しみの現れ、と考えるほうが自然ではないか。
一方、マリーとの出会い以後に出会ったドラの肖像は、明るい色彩と
生き生きとした表現に、まるでピカソのときめきを感じるかのようであった。
性格の異なる二人の女性の間で、どちらにも惹かれ、懊悩するピカソ。
そんな、ピカソの姿がかいま見えたような気がした。

次に東京ミッドタウン内のサントリー美術館へ。
ここでのテーマは「魂のポートレート」

最初に青の時代の「自画像」が置かれている。
青を基調としたタッチで若い画家が描かれている。
目は見開かれ、年齢以上の背伸びした老成ぶりが感じられる。
若き日のピカソの意気込みを感じさせる完成度の高い作品。
さて、展示の最後は死ぬ一年前の作品「若い画家」
恐らく自分の若き日を描いたこの作品では、
晩年まで愛欲に生き抜いた毒気は感じられない。
点として描かれた眼にはなんらの欲も感じさせることなく、
実にさっぱりとした、むしろ清々しささえ感じさせる雰囲気がある。
死を目前にして至った老境のなんと穏やかなことか。
この対比だけでも、この展示は観た甲斐があった。

こんなボリュームで鑑賞する機会は私にとってはもうないだろうが、
天才ピカソをまさしく「堪能できた」展覧会であった。
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<蛇足>
国立新美術館の天井の高さと明るさは十分すぎる程。
あの開放感や余裕が鑑賞者の心の余裕を生むのでしょう。
一方、サントリー美術館の狭さと暗さは鑑賞者の集中を
生むのでしょう。性格の異なる展示環境。
歩いて数分の距離での合同開催は楽しい企画でした。
もちろん「ピカソ割引」は使いましたよ(^^)
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by capricciosam | 2008-11-28 21:36 | 展覧会 | Comments(0)

おおば比呂司記念室@札幌市資料館2008

今朝は5時頃に雨音で目覚めました。
いつ降っても雨は雨なのですが、晩秋に降る雨の音は
特別なのでしょうか。季節と暗さが、もうすぐやってくる冬を
連想させて、もう眠れませんでした。
その反動か、昼食後に新聞を読んでいたら、思わずうたた寝です。
睡眠不足は、ちゃぁんと帳尻を合わせてくるものですね。

日が沈む前にカミサンと散歩しましたが、
木々の梢に葉はほとんどありません。
天気予報では今週は雪マークだらけ。
さぁて、白銀の世界もいよいよ近いかな。

ところで、先日「おおば比呂司記念室」を覗いてきました。
場所はテレビ塔の大通りを挟んだ反対側、札幌市資料館の一角。
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「おおばさん?who?」
古くからの北海道銘菓のひとつに「わかさいも」がありますが、
あのパッケージを描いた方ですよ、と言えば道民の結構な数の方が
「あ~、あれ。」
と思い出していただけるのではないでしょうか。

画家というか、イラストレーターというか、おおばさんの作風は
既存のカテゴリーに収まりきらないものを感じるのですが、
どの作品もおおらかで、ほのぼのとして、そのタッチの暖かさには
思わず微笑みが生まれてしまうものも少なくありません。
幼い頃からのファンとしては、待望の鑑賞でした。

常設展示は2室しかありませんが、写真にもあるように
11/26~12/7には没後20年回顧展が資料館全体を使って
開かれます。入場無料。
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<11.18追記>
ケータイで撮った写真がありましたので、追加しました。
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by capricciosam | 2008-11-16 23:51 | 展覧会 | Comments(0)

白洲次郎と白洲正子展@大丸札幌店2008

買い物のついでに寄ってみる。
お二人については寡聞にして知らない。

最終日ということで、会場内は結構なにぎわい。
入り口には二人が結婚する前にお互いに贈った
サイン入りのポートレートが展示されている。
白洲次郎は
「You are the fountain of my inspiration
and the climax of my ideals. 」
と、伴侶となる正子へ最大級の賛辞を送っている。
さすが英国仕込み、と思ったが、いやはや、
生涯を通じてのその行動のスケールは想像を超えていた。
東京郊外に住み、農業をしつつ、ポルシェを愛し、
「カントリー・ジェントルマン」として生涯を終えた
とは、初めて知ったが、およそ日本的常識とは異なる。

一方の白洲正子の収集した作品の粒揃いぶりには、
正子の確かな審美眼が如実に示されていた。
陶器は桃山時代の作品が多かったように記憶しているが、
時代の勃興期の荒削りぶりを慈しんだ彼女の
内なるエネルギーの大きさを示しているように思われた。

既存のカテゴリーには分類できにくいであろう
お二人の生涯は実に興味深かった。
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by capricciosam | 2008-11-03 23:32 | 展覧会 | Comments(2)

レオナール・フジタ展@北海道立近代美術館2008

一通り鑑賞し終えたところで、画家が画業を為す中で
表現が変わってくるという当たり前の事を、如実に示唆してくれる
展覧会を初めて体験したかのような思いにとらわれた。
きっとそれはレオナール・フジタこと藤田嗣治の表現意欲の
旺盛さは終生衰えることはなかったし、自らが確立したスタイルに
安住することもなかったように感じられた、からなのだろう。
これは多分に彼の生き様ともシンクロするところか。

初期のまだ模索している時を経て、一皮むけたように数々の
目を見張るような作品を輩出していく。

「素晴らしき乳白色」

と称されるフジタを代表する一連の裸婦像。
会場の解説の中に「彼には真似るべき先達も後継者もいない」
というような意味のことが書かれていたが、うなづけるものがある。
とても油彩とは思えない独特の技法で、何度目を凝らしたことか。
あの漂うがごとき淡さと繊細な線は、まるで日本画にでも通じる
ようなものを感じるのは気のせいか。

作品のひとつ「裸婦と猫」では妙な既視感に襲われた。
初めはゴヤの「裸のマハ」とも思ったが、調べてみると
構図が正反対だった。いったん、気のせいかとも思ったが、
記事を書きながら、ようやく思い出したのがマネの「オランピア」
黒人のメイドと花束がなく、黒猫ではないが、構図はよく似ている。
しかし、作品としてはそれぞれが独自の魅力を放っているのは
言うまでもない。

今回の展覧会の核となった「争闘ⅠⅡ」「構図ⅠⅡ」の大作も
見事な群像表現に圧倒されるが、同時期に描かれたと思われる
未完の「馬とライオン」も、あれこれ想像を刺激してくれる。
描かれた意図や経緯もわからずに大切に保管されたらしいが、
フジタは余白にどのような群像を描こうとしていたのだろうか。

戦後、戦争画を描いたことへの批判から日本を捨てて、
フランス国籍を取得し、さらにはカトリックに改宗していたことを
今回初めて知った。
その戦後フランスでの終の棲家となった住居で使われた品々や
アトリエの一部が再現されていて、画業以外のフジタの多彩ぶりが
溢れている。
惹かれたのは居間と寝室を仕切っていたフジタ手製の「衝立」。
木枠にキャンバスをはり、傘、動物、魚、塔などの金属レリーフで
縁取られたこの品は素敵なだけでなく、フジタの無垢な一面を
如実に示しているように思われた。

晩年は「平和の聖母礼拝堂」の建設に当たり、
その壁に描かれた宗教画が最後の仕事となる。
ここでの作品には「色」が溢れている。
これまでの、白を基調として、ぐっと色を抑えていた作品とは
まるで一変する。「素晴らしき乳白色」時代からは
想像もつかない変貌ぶりです。

様々なスケッチや下絵が展示されていましたが、
びっくりしたのが一部の作品にボールペンが使われていたこと。
フジタは1968年に亡くなっていますが、もうボールペンは
商品化されていたんだから、使っていても当然なんでしょうね。
(そう言えば、昔はBICボールペンなんてのもあったよなぁ…)
作品に欠かせない「線」に使える素材のひとつとして注目して、
当時目新しいボールペンも積極的に取り入れたと考えると、
彼の創作意欲は晩年に至るまで衰えていなかった、
ということなのでしょう。

特異な軌跡を残した異才フジタの概要がよくわかる展覧会でした。
レオナール・フジタ展は、この後宇都宮、東京、福岡、仙台を巡回。
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by capricciosam | 2008-08-09 18:00 | 展覧会 | Comments(0)

中村善策の全貌展@市立小樽美術館2008

生涯風景画家として優れた作品を残した中村善策さんですが、
私にとっての印象深い作品は日展で出会った「張碓のカムイコタン」
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画面のほぼ中心に置かれたのはなんの変哲もない丘。
しかし、丘が海に接するところには断崖絶壁が急に現れ、
丘の持つ穏やかさは一変してしまい、絵全体を引き締めている。
そして、海岸線の先に続く遠くの山並みや、雲高い空という
遠景が奥行きを与える。
これらは、やや暗めの落ち着いた色彩で描かれているが、
画面手前の近景には集落や木々が明るい色彩を用いて描かれ、
見事な対比となっている。
今回の展覧会で解説を読んで知ったのですが、このような
「大胆な構図と明るい色彩」の画風を「善策張り」というらしく、
まさしく氏の画風がバランスよく作品に反映された一品。

今回、氏の作品を多く収蔵している市立小樽美術館で全貌展が
開催されているのを知って、またこの作品に会いたいと思い、
久しぶりに小樽へ出かけてきました。

会場では、全73点の作品が
第1章 小樽時代の善策
第2章 一水会・疎開時代
第3章 信州風景ほか
第4章 北海道風景
第5章 円熟の境地
に分けられて展示されています。

けれども、残念ながら本作品は展示されていませんでした。
代わって第4章で「カムイコタン夏日」と題する作品が2作並べて
展示されていました。制作年代は1970年、1973年。
構図は「張碓のカムイコタン」(1968年)と同じながら、
作者の視点はそれぞれ異なっているため、一見すると同じように
見えるのですが、うり二つではありません。
1970年作は全体に躍動感に溢れ、1973年作はもっと
クローズアップした構成ですが、夏を思わせる明るい陽射しのなかに
淡々と存在する集落の静けさを一瞬にして切り取ったかのような
1968年作の完成度には一歩及ばず、という感じです。

善策さんは何度もここで写生を試み、作品を残されていたことを
初めて知りましたが、やはりこの構図は魅力的だったんでしょうね。
一ファンとしてはこれだけでも、わざわざ足を運んだ甲斐がありました。
<蛇足>
市立小樽美術館のHPで誤って「張碓のカムイコタン」と
紹介されている作品は「カムタコタン夏日」(1973)です。
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by capricciosam | 2008-07-05 22:16 | 展覧会 | Comments(0)