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北の土偶@北海道開拓記念館2012

1975年道南の旧南茅部町の自家野菜畑で、それは発見された。
確か、主婦の方がいもを掘ろうとしたはずだ。
2007年に北海道初の国宝となった「中空土偶」である。
国宝指定当時、道内では大いに話題になったのでご記憶の方も多いと思う。
偶然とはいえ、ほぼ無傷らしいから実に幸運だったと言わねばならない。
現在の愛称は「カックウ」という。
南茅部の「茅(カヤ)」と「中空(クウ)」からとったものらしい。

当時、「機会があればみたいものだな」とは思っていたものの、遠方だけに
わざわざ出かける気力もなかったが、今回他の2点の国宝土偶とともに展示される、
しかも期間中本物展示は期間限定(期間後は複製)とのことだったので、
どうせ見るなら本物を見ておきたいと思い、出かけた次第だ。

ところで、「土偶」ってどんなもの!?なのでしょう。

「世界各地の先史時代を中心に広くみられる人間をかたどった土製品。
乳房や臀部を誇張した女性像が大部分で,男性を表すのはまれである。
動物をかたどったものは動物土偶と呼ばれ,素材に石を使ったものは岩偶という。
日本における動物土偶は,縄文時代後期から晩期にかけて,おもに東日本でみられ,
猪が最も多く発見される。他に犬,猿,熊,ムササビ,亀,ゲンゴロウなどがあり,
いずれも食糧などとして生活に密着した動物が選ばれた。」
(以上、コトバンクより引用)

確かに、それほど広くないスペースに展示されている
大小様々の約130点の外観上の形はこの定義にあてはまるようだ。
しかし、その多様さには、改めて驚いた次第だ。
例えば、他の2点の国宝土偶のうち、長野県で発見された「縄文ビーナス」は、
腕の解釈がなんとも不思議なのだが、そのフォルム含めた紋様もないシンプルさが
逆に想像力を刺激して惹き付ける。
一方、先ほどの「カックウ」や青森県で発見された「合掌土偶」には一定の紋様が施され、
いかにも土偶らしさが感じられる。
「カックウ」のちょいと小首を傾げた立ち姿には愛らしさ、さえ感じる。
しかし、合掌土偶の体育座りして、その腕を膝の上にのせて組み、必死に願うがごとき様には
なにやら一心不乱的なものを感じていたが、展示の解説を読んでさらに驚いた。
当時の出産は「座産」といって座って出産したようで、安産を願う妊婦との解釈ができるらしい。
子孫を生むという、当時の母子の生存をかけた必死さが凝縮されているんだな、
と捉えなおして、改めて見つめ直してしまった。
産院での出産が当たり前と捉えている現代に生きる小生には驚き以外の何ものでもないし、
悠久の時を経て、当時とは比較にならない安全な環境で出産できる子孫がいかに恵まれているか、
ということに思い至ったのはごく自然なことと思う。
まぁ、出産環境と言っても、単に産むだけでなく、そこに至る諸条件もあるから、
一概には言えないのかもしれないが、少子化が進み、人口減少に悩まされる現代日本社会を
見たら当時の人はどう思うのかな、とも考えてしまった。

縄文時代後期、晩期とは、Wikipediaによれば、
「後期(紀元前約4,500 - 3,300年前)、晩期(紀元前約3,300 - 2,800年前)」
とある。想像を絶する程の旧い、旧い時代であることは間違いない。
当時の彼らの営みがあったればこその現代に生きる我々なのだから、
遠き祖先に思いを馳せて、謙虚に足もとを見つめ直す意味でも
とても興味深い展覧会だった。
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<追記>
この企画展は昨年4月に予定されていたらしいが、東日本大震災の影響で
展示物の輸送が困難になり、一年延長されたとのこと。
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by capricciosam | 2012-03-20 07:02 | 展覧会 | Comments(0)

巨匠たちの饗宴@北海道立旭川美術館2011

会場に足を踏み入れると、洋画、日本画の順で、日本近代絵画の
画家たちの絵が、これでもか、とばかりに展示されている。
これだけまとまって展示されたことは道内ではかつてなかったのではないか。
壮観の一語につきる。

これらは、広島県廿日市市のウッドワン美術館のコレクションの一部だそうだが、
さらに驚くのは個人がおよそ20年程度で収集したということだ。
その資金力もさることながら、その「目利き」ぶりにも驚く。
もちろん、ある作家を追ったとか、あるテーマに基づいて収集した、ということでは
なさそうなので、コレクションの「深み」という点では、少々物足りなさを感じたが、
しかし、考えてみると、どんな美術館もひとりの作家やテーマについて完璧に
コレクションしていることはほぼない訳だから、これは欲張りというもの。
むしろ、「日本近代絵画」といういささか幅広いテーマの下、コレクションを
より充実させていくことができるならば、さらなる厚みが増していくのだろう。
でも、今回の展示だけでも、十分なボリュームであることは間違いない。

中でも、同じ洋画とは言いながら、興味深かったのが林武と岡鹿之助との対比。
前者は晩年の代表作「赤富士」シリーズのうちの一枚である。
顔を近づけてみると、絵の具をキャンバスにたたきつけるがごとく塗ってあるので、
絵の具がまさしく盛り上がっている。
かたわらの解説にはチューブからそのまま塗りつけた、と書いてあった。
そのため、写実性とはかけ離れ、色も混然としている。
一見したら素人にもできそうな荒技だ。
では、絵としての佇まいが悪いのかというと、決してそうではない。
むしろ、富士山の壮大さ、というか凄味がよく表現されているように思う。

後者については点描画家としての印象はあったものの、実際の絵を見るのは
今回が初めてだった。そして、その点描が実はキャンバス地そのものに由来して
描かれていることを発見して、驚いた。
つまり、地がわからなくなるように絵の具を塗り重ねている部分はあるものの、
大半は絵の具をキャンバス地が浮き上がる程度に押さえていることだ。
それが巧みな配色によって点として目に飛び込んでくるという訳だ。
これは代表的点描画家スーラとは決定的に異なっているように思われる。
作者が相当熟慮して絵筆を運ばなければ絵としての完成はおぼつかない訳で、
技法としての難易度は一見したよりも相当難しいように思われた。
そして、その抑制された筆づかいのせいか、作品には静謐さが満ちあふれている。

林の「動」と岡の「静」。
異なった表現の技法により作品の湛える魅力も異なるが、
どちらも近代絵画に残した足跡は消えることはない、と改めて感じられた。

道立旭川美術館では9月9日まで。
その後、北海道立帯広美術館で9月16日~11月7日。
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by capricciosam | 2011-08-21 22:46 | 展覧会 | Comments(0)

赤塚不二夫展@大丸札幌店2010

この暮れの押し詰まった時に、なんともユニークな企画展が
開催されていたので、買物のお供ついでに覗いてきました。
企画展はギャグ漫画で一時代を築いた赤塚不二夫さんに関するものです。
(先日からちょっと旧い話ばかりで恐縮です。)
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展示の中心はトキワ荘時代含む初期の頃からの原画。
思わず読んでしまったために、少々時間もかかりましたが、
なにしろひとり笑ってしまうことが多々あり、
挙動不審者と間違われないか、と冷や冷やものでした。
しかし、会場で鑑賞している他の人も似たような反応の人も
いない訳ではなかったので、小生の笑いもまあ素直な反応なんだな、
と自分を納得させていました。
でも、今読んでも実際面白いんだから凄いものです。

ところで、認識を新たにしたことが原画の線や色使いの丁寧なこと。
生前の破天荒な言動やエピソードから、なんとなく
作品のタッチもラフなものだろう、と勝手なイメージを抱いていたことが
恥ずかしくなるような見事な仕上げで、一点一画に込めた赤塚さんやスタッフの
仕事ぶりに感動してしまいました。
この辺りに気づきだしてから、襟を正して見入ることになりました。

まあ、「おそ松くん」から親しんだ世代としては、懐かしさが主体の
軽い気持ちだったことは否めませんが、改めて赤塚さんの開拓された
ギャグ漫画が単なるナンセンス(死語?)なだけでない、実にシュールな世界にも
踏み込んでいたのだなぁ、と感心してしまいました。
特に、ナンセンス度が高い漫画としては「天才バカボン」が有名ですが、
確かに、一歩間違えば「悪ふざけ」と糾弾されそうな実験的手法も試している
ことには驚きました。
まあ、ある程度のわがままが通用する立場に立ったからこそできた、
という側面も確かにあるのでしょうが‥

まあ、そんな小理屈を言わなくても楽しめることは間違ありません。
最後の展示スペースでは多くの漫画主人公だけでなく、いろんな分野の有名人が
イヤミの「シェー」をやっている写真がパネル展示されていました。
ホント、私もよくマネしましたが、改めて世間に与えた影響の大きさを
伺わせるなぁ、と関心しました。
そして、思わず唸ったのが、出口のところに書かれてあった次の言葉。

「私は2008年8月をもって、赤塚不二夫から不二院釋漫雄
(ふにいんしゃくまんゆう)に改名するのだ、ニャロメ」

展示を観ていくと、赤塚さんは生前一度だけ改名されていたそうです。
それで、これは二度目でもあり、ラストの改名であることが
鑑賞者にはわかります。

改名も読み方によっては戒名。
しかも、自分の死も笑い飛ばしてしまうその着想の凄さ。
(最も、ご本人とは書いてなかったので、ひょっとしたらお嬢さん!?)
戒名をここまで笑いのめした例は知りません。傑作。

ところで、赤塚さんの告別式でのタモリの弔辞は、
淡々とした調子とは裏腹に内容が実に心のこもったもので、
当時、小生も胸打たれたものでした。

「私も、あなたの数多くの作品のひとつです。」

しかも、実は白紙の弔辞だったらしいとわかった時の驚きはなかったです。
まるで「勧進帳」です。
パフォーマーとしての面目躍如だと思いました。



ところで、「あと一日で新年なのだ。これでいいのだ。」
なんてことを言っちゃったりなんかして(と、広川太一郎さん風)、
以上で年内の更新を終えます。
今年も駄文におつきあいくださりありがとうございました。
皆さま、どうぞ良い年をお迎えください。

<追記12.31>
YouTubeのタモリの弔辞をアップできました。
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by capricciosam | 2010-12-30 23:47 | 展覧会 | Comments(0)

東本願寺の至宝展@大丸札幌店2009

信徒でもないし、これといった美術品も展示されていないようだったが、
襖絵はなかなかみられないな、と思い直し、用事のついでに覗いてみる。

私には東本願寺も西本願寺も区別がつかないので、
歴史のお勉強のような感じであった。

解説によれば東本願寺は幾多の火災に遭っていた。
「蛤御門の変」
江戸末期に京都御所で起きたこの武力衝突事件では、
火災により本堂等が焼失していた。
解説では歴代の門首が徳川家と友好関係にあったことにより
放火されたとあり、思わず「へーっ」
時の権力と友好関係を保つ宗教としては
時勢が時勢だけに裏目にでた、ということか。
こんな因果関係を知っていたら、歴史の勉強ももう少し楽だったかな…

興味をそそられた「襖絵」
中でも円山応挙作の「稚松図/竹雀図」と「竹図/老梅図」
順路に沿って老梅図、竹図、竹雀図、稚松図 と鑑賞することになる。
老梅図は大胆なタッチで一気に仕上げたであろう様が感じられ、
右側の一枚に若い梅が描かれ、ほぼ中央に描かれた老梅からは
伸びた枝が左側の2枚に向かって伸びていき、可憐な花を咲かせている。
大胆な構成ながら、見応えがある。
竹図と竹雀図はともに金地に墨の濃淡を活かした竹林が
さわやかな印象を与え、雀が描かれた竹雀図は微笑ましい感じも。
最後の稚松図では若い松が黒々とした墨でひとつひとつ丁寧に
描かれている。
ここに至り、青壮老という創作のモチーフが明確に鑑賞する者に伝わる。

一方、棟方志功の襖絵は、正直「?」
「河畔の呼吸」はなんとか、「天に伸ぶ杉木」はさっぱり、という感じだった。
対面に飾られている有名な「富褸那」や「天女」が作品としての輝きを
放出していることに比べ、なんとも解せないのだが、
棟方志功のエネルギーの奔放さがそのまま噴出したかのようだ。
こりゃ、受け取った東本願寺側もとまどったのではないかな。

しかし、襖絵を観るには会場の狭さが、どうも弱点。
作品との間に十分な距離感を置いて観たかったなぁ…

近代京都画壇の作品の数々も見応えがあったが、
没年不詳の羽田月州の作品もそのひとつ。
これだけの腕がありながら、画歴がほぼ不明というのも不思議な感じ。
また、竹内栖鳳の天女を描いた未完成の下図には、正直ドキっとした。
天女から立ちのぼるエロスの濃厚なこと。
これまで観た栖鳳のいくつかの作品とは異なる指向を感じ、
「果たして、完成していたら…」
未完成に終わったことを残念に思った。
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by capricciosam | 2009-04-12 07:20 | 展覧会 | Comments(2)

セザンヌ主義@北海道立近代美術館2009

セザンヌ主義という言葉自体はじめて目にしたが、
「主義」という言葉が似つかわしいくらい、セザンヌが同時代や後年の
画家たちに与えた影響は大きかったということなのだろう。

そういうコンセプトのもと展示されている多様な作家の絵には、
なるほど、セザンヌに影響されただろうな、という、よく似た画風の
感じられる作品が少なくなかった。
しかし、なかにはキュビズムのピカソやブラックのように
一見しただけでは、素人には「?」のような作品も…

中でも印象に残ったのは安井曾太郎。
2作の「婦人像」が展示されていたが、1910年代の作品には
その影響がありありと感じられた。
しかし、もう少し後年の作は、代表作「金蓉」へと通じるような
安井らしいスタイルの確立に向けた前進が感じられる作品で、
本作においてセザンヌの影響といっても、浅学非才の身にはちと難しい。
その他、横たわる裸婦像や静物画(これはセザンヌ作と言われても
間違えそうなくらい、実にタッチが酷似している)にも影響が見て取られ、
とても意外な感に打たれていた。
必死の模倣を通じてオリジナリティを獲得していく様は、
どんな分野にも通じる話か。

あと、意外と言えば、小野竹橋。
「えっ、日本画にも!?」
書き込まれている内容は、一見すると伝統的な日本画なのだが、
視線が下(手前)から上(奥)に移動することで、見事な遠近感が出現する。
ちょうどセザンヌの作品で視線の移動にともない
上方にサント=ヴィクトワール山が出現するかの如き、とでも言えばよいか。
どん欲に研究した成果なのだろう。

さらに、意外と言えば、セザンヌ「水浴」(大原美術館)のサイズ。
大原に行ってきた友人からお土産にこの作品の絵はがきをもらって
作品自体は知っていたのだが、まさか実物がタテヨコ20cm程度の
小品だったとは、まったく想像できなかった。
その割に色調といい、構図といいいよく書き込まれているのには驚いた。

展覧会の核となったセザンヌ自体の作品はそう多くはないものの、
企画が楽しく、こんな切り口もあるのだなぁ、と
感心しながら会場を後にした。
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by capricciosam | 2009-03-09 00:45 | 展覧会 | Comments(0)

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展@国立西洋美術館2008

ハンマースホイという人はまったく知りませんでしたが、
フェルメールとの類似性(写実的な室内表現)が旅行前から
たびたび話題になっていたので、ついでに立ち寄ってみました。

「し~ん」と静まりかえったかの如き室内風景が、
暗く沈んだモノトーンを基調として描かれています。
開け放たれたドアの向こうにも人の気配は感じられません。
しかも、たまに人が登場してもほとんどが後ろ姿。
モデルは妻のイーダ。
鑑賞者は、まさしく「覗き見る者」のごとき錯覚に襲われますが、
頑なに拒否されたような居心地の悪さはあまり感じられません。
むしろ、不思議な浮遊感さえも感じました。

同じ室内表現とは言っても、描かれる人の重みは
フェルメールの場合は「主」であって、ハンマースホイは「従」というか、
極力意識させない程度の存在として描かれていることから、
まったく別の方向性の個性であることがわかります。
テーマが「静かな詩情」とありましたが、まさしくそんな感じです。
これも見応えのある展覧会でした。

会場にはポスターにもなっている絵に登場するパンチボウルも
展示してありました。絵でもわずかに蓋が閉じられていないのが
わかるのですが、これは蓋の割れたところを金具で止めてあった
からなんですね。
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by capricciosam | 2008-11-30 13:30 | 展覧会 | Comments(0)

フェルメール展@東京都美術館2008

かなり前のことですが、札幌で「オランダ絵画の黄金時代」という
展覧会が開かれました。
ハーグのマウリッツハイス王立美術館所蔵作品が展示され、
所蔵する3点のフェルメールの作品のうち
「真珠の耳飾りの女」(当時は「青いターバンの少女」と言ってました)
「ディアナとニンフたち」
の2点を観ることができました。
前者の強烈な印象は忘れがたいものです。

それで、フェルメールの作品を観るのは今回で2回目となりますが、
世界中でも30数点しかなく、各地に所蔵されている作品のうち、
例え重複が一点あるとは言え、まとまって7点もみられる機会は
そうそうあるものではありません。
「生涯においてこのチャンスを逃すと後悔しないか?」

展示してある順番は制作年順になっていて、次のとおり。
①「マルタとマリアの家のキリスト」fromエジンバラ、英国
②「ディアナとニンフたち」fromハーグ、オランダ
③「小路」fromアムステルダム、オランダ
④「ワイングラスを持つ娘」fromブラウンシュバイク、ドイツ
⑤「リュートを調弦する女」fromニューヨーク、米国
⑥「手紙を書く婦人と召使い」fromダブリン、アイルランド
⑦「ヴァージナルの前に座る若い女」個人蔵

展示は大きく①~③、④~⑦に分けられています。
①や②はフェルメールの代表的作風からは、にわかにフェルメールとは
考えられない作品。②は修復の結果、右上の青空は見事に消され、
絵全体が夜の情景に変わっていました。
(札幌で観た時は青空があったはずなのだが、残念ながら記憶にない…)
でも、この方が自然な感じはします。
③は想像以上に小さな絵でしたが、書き込まれている内容は密。
恐らくフェルメール自身は格段の意識もなく日常の景色を描いた
のでしょうが、技術的な成熟段階にある「うまさ」を感じさせます。

フェルメールは窓のある室内で様々なパターンの作品を残していますが、
④⑤⑥もそれらに属するのでしょう。
同様な構図での作品に登場する女性はおしなべて慎ましやかなのに比べ、
④の女性の歯を見せた笑顔がなんとも上品さに欠け、一種の邪悪さや
俗っぽさを漂わせる不思議な作品。
⑤は調弦する女性が何かに気をとられたかのごとく窓外に視線をやる姿の
一瞬の切り取り方のうまいこと。
⑤は④の4~5年後に制作されたようですが、光と影の扱い方は
より深化しているようで、その点では⑤の5年後に制作された
⑥がひとつの到達と円熟を示していたように感じました。
さて、⑦は③以上に小さな作品で、かつ真贋論争がある作品。
私の第一印象も「贋作っぽいなぁ…」
まあ、100%贋作とは言わないまでも、後年誰かの手が入った作品
じゃないのか、という印象が残りました。
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<蛇足>
もの凄い混みようで、入場前の行列は覚悟。
どうせ待つなら、と私は開場前に数十分並びました。
入場後は展示作品を順番に観ることなく、他の作品はスルーして、
フェルメールを順番に観ていきました。
おかげで、どの作品も誰にも邪魔されることなく
かぶりつきで鑑賞できました(^^)
ただ、フェルメールを一巡して、もう一巡と思ったら
もうあちこちに人だかりができて、ややしんどい思いで
二巡目を終えました。三巡目はもうほとんど無理。
朝一が無理なら、ケータイでの待ち時間チェックは必須でしょう。
<さらなる蛇足>
2006年末に写真の本を偶然買い求めていました。
積ん読だったのですが、観に行くと決めてから予習を兼ねて読みました。
フェルメール作品の概要を掴むにはうってつけでした。
鑑賞するために世界を旅する、なんて素敵なことでしょう。
ああ~、あやかりたい、あやかりたい…
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by capricciosam | 2008-11-29 22:15 | 展覧会 | Comments(0)

ピカソ展@国立新美術館&サントリー美術館2008

「巨匠画家」と言って、私の脳裏に真っ先に思い浮かぶ筆頭はピカソ。
そのピカソ作品を世界中で最大規模で収蔵している美術館が
パリ国立ピカソ美術館だが、その改修を機に行われた世界巡回展が
日本の、東京にやってきた。
しかも、展示数もハンパではなく国立新美術館で約170点、
サントリー美術館で約60点と、かなりまとまって観るチャンスとなった。
「生涯においてこのチャンスを逃すと後悔しないか?」

まずは国立新美術館へ。
ここでのテーマは「愛と創造の軌跡」

生涯に愛した女性は一体何人なのか?
というくらい女性遍歴を重ねたピカソではあるが、
それは生きることと愛することという根源的なモチーフが
作品の創造と密接に結びついていたためだろうが、
その辺りが納得できる展示となっていた。
もちろん、対象の要素を再構成したキュピズム辺りになると、
「正直わからない」というのが率直な印象なのだが、
作品の持つ力は決して衰えることなく迫ってくるから不思議だ。

なかでも、興味深かったのは展覧会のポスターにも取り上げられている
「ドラ・マールの肖像」と「マリー・テレーズの肖像」の対比。
会場でもこの二つは並んで展示されている。
出会いはマリーの方が早く、二人の間には娘が誕生している。
両方ともキュビズムタッチで描かれているが、マリーの肖像で
使われている色彩は地味で穏やかで、控えめな印象を与える。
これはマリーの性格故なのかとも思えるが、むしろ、
ピカソの限りなき慈しみの現れ、と考えるほうが自然ではないか。
一方、マリーとの出会い以後に出会ったドラの肖像は、明るい色彩と
生き生きとした表現に、まるでピカソのときめきを感じるかのようであった。
性格の異なる二人の女性の間で、どちらにも惹かれ、懊悩するピカソ。
そんな、ピカソの姿がかいま見えたような気がした。

次に東京ミッドタウン内のサントリー美術館へ。
ここでのテーマは「魂のポートレート」

最初に青の時代の「自画像」が置かれている。
青を基調としたタッチで若い画家が描かれている。
目は見開かれ、年齢以上の背伸びした老成ぶりが感じられる。
若き日のピカソの意気込みを感じさせる完成度の高い作品。
さて、展示の最後は死ぬ一年前の作品「若い画家」
恐らく自分の若き日を描いたこの作品では、
晩年まで愛欲に生き抜いた毒気は感じられない。
点として描かれた眼にはなんらの欲も感じさせることなく、
実にさっぱりとした、むしろ清々しささえ感じさせる雰囲気がある。
死を目前にして至った老境のなんと穏やかなことか。
この対比だけでも、この展示は観た甲斐があった。

こんなボリュームで鑑賞する機会は私にとってはもうないだろうが、
天才ピカソをまさしく「堪能できた」展覧会であった。
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<蛇足>
国立新美術館の天井の高さと明るさは十分すぎる程。
あの開放感や余裕が鑑賞者の心の余裕を生むのでしょう。
一方、サントリー美術館の狭さと暗さは鑑賞者の集中を
生むのでしょう。性格の異なる展示環境。
歩いて数分の距離での合同開催は楽しい企画でした。
もちろん「ピカソ割引」は使いましたよ(^^)
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by capricciosam | 2008-11-28 21:36 | 展覧会 | Comments(0)

おおば比呂司記念室@札幌市資料館2008

今朝は5時頃に雨音で目覚めました。
いつ降っても雨は雨なのですが、晩秋に降る雨の音は
特別なのでしょうか。季節と暗さが、もうすぐやってくる冬を
連想させて、もう眠れませんでした。
その反動か、昼食後に新聞を読んでいたら、思わずうたた寝です。
睡眠不足は、ちゃぁんと帳尻を合わせてくるものですね。

日が沈む前にカミサンと散歩しましたが、
木々の梢に葉はほとんどありません。
天気予報では今週は雪マークだらけ。
さぁて、白銀の世界もいよいよ近いかな。

ところで、先日「おおば比呂司記念室」を覗いてきました。
場所はテレビ塔の大通りを挟んだ反対側、札幌市資料館の一角。
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「おおばさん?who?」
古くからの北海道銘菓のひとつに「わかさいも」がありますが、
あのパッケージを描いた方ですよ、と言えば道民の結構な数の方が
「あ~、あれ。」
と思い出していただけるのではないでしょうか。

画家というか、イラストレーターというか、おおばさんの作風は
既存のカテゴリーに収まりきらないものを感じるのですが、
どの作品もおおらかで、ほのぼのとして、そのタッチの暖かさには
思わず微笑みが生まれてしまうものも少なくありません。
幼い頃からのファンとしては、待望の鑑賞でした。

常設展示は2室しかありませんが、写真にもあるように
11/26~12/7には没後20年回顧展が資料館全体を使って
開かれます。入場無料。
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<11.18追記>
ケータイで撮った写真がありましたので、追加しました。
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by capricciosam | 2008-11-16 23:51 | 展覧会 | Comments(0)

白洲次郎と白洲正子展@大丸札幌店2008

買い物のついでに寄ってみる。
お二人については寡聞にして知らない。

最終日ということで、会場内は結構なにぎわい。
入り口には二人が結婚する前にお互いに贈った
サイン入りのポートレートが展示されている。
白洲次郎は
「You are the fountain of my inspiration
and the climax of my ideals. 」
と、伴侶となる正子へ最大級の賛辞を送っている。
さすが英国仕込み、と思ったが、いやはや、
生涯を通じてのその行動のスケールは想像を超えていた。
東京郊外に住み、農業をしつつ、ポルシェを愛し、
「カントリー・ジェントルマン」として生涯を終えた
とは、初めて知ったが、およそ日本的常識とは異なる。

一方の白洲正子の収集した作品の粒揃いぶりには、
正子の確かな審美眼が如実に示されていた。
陶器は桃山時代の作品が多かったように記憶しているが、
時代の勃興期の荒削りぶりを慈しんだ彼女の
内なるエネルギーの大きさを示しているように思われた。

既存のカテゴリーには分類できにくいであろう
お二人の生涯は実に興味深かった。
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by capricciosam | 2008-11-03 23:32 | 展覧会 | Comments(2)