カテゴリ:講演会( 6 )

音楽の昭和@北海道立三岸好太郎美術館2016

「音楽の昭和~三岸好太郎を巡る音の風景」と題する講演は特別展「三岸交響楽」
(9/3~10/19)に関連して特別展初日に開催された。講演の行われた三岸好太郎美術館は
北海道知事公館のある一画の北側に位置する。

三岸節子氏をはじめ遺族4名から220点の三岸好太郎作品が北海道に寄贈されたのを機に、
1967年、北海道で初めての美術館となる〈北海道立美術館(三岸好太郎記念室)〉として、
当館は札幌市中央区北1条西5丁目に開館しました。その後、北海道立近代美術館の開館に
ともない、1977年に北海道立三岸好太郎美術館と改称して再発足し、さらに1983年、
三岸好太郎のアトリエのイメージを設計の一部にとりいれた新館を現在地に建設して移転、
新たな開館をしたものです。」
(三岸好太郎美術館HPより引用、以下三岸好太郎は「三岸」と略する。)                              

美術館はこじんまりとしており、その1階展示スペースの一番大きなところにイスを並べて
本講演が行われた。もちろん、三岸の代表作<オーケストラ>も展示されている。
開演前には座席が追加される盛況だった。

定刻になり登場した片山杜秀氏(以下、「片山氏」と略する。)は、やや顎を上げて
斜め上に視線を飛ばすお馴染みのスタイルでやや早口気味に、三岸の<オーケストラ>が
描かれた当時の日本の音楽状況等を語りだした。
以下は、その概要のごく一部をテキスト化したものです。

展覧会初日にお招きいただき光栄です。
<オーケストラ>は三岸の代表作。彼が日比谷公会堂の新交響楽団演奏会に通っていた頃の
印象をもとに描かれたものです。
では、その新交響楽団は1930年頃はどんな音を出していただろう。

★第二次世界大戦の学徒出陣の際に演奏されて有名なルルーの「分列行進曲」を聴く

ところで、三岸は近衛秀麿指揮の新交響楽団を誰と聴いていたのかというと、
「魔性の女」吉田隆子と連れだって日比谷公会堂へ出かけていた。

★彼女と聞いたであろう新交響楽団によるマーラー交響曲第4番を聴く
 片山氏曰く、当時のマーラーの知名度はR.シュトラウスと比べてずっと低かった。

三岸は札幌時代含めてクラシック音楽の素養はあったようだ。
彼は天才なので、理屈(を知って描く)よりもすぐに描ける人、感覚的な人だ。
感覚的な人は理屈の立つ人にコンプレックスを持つ(笑)私もそうなんですが(笑)
吉田隆子は理屈の立つ人、理屈先行型であり、カリスマ型。
年下のモダンな女性が文化教養にあこがれる若者である三岸を音楽に導いたと言える。
彼女は社会的にはまだこれからの人だったが、三岸が彼女とのどろどろした関係を清算し、
妻の節子に連れ戻された時に描かれたのが<オーケストラ>だった。
単純な線で描かれ抽象化されているので、一見吉田隆子との関係を想起させるものは
ないが、絵の背後には隣に座っていた人が投影されていると考えられる。
三岸にとって自覚的に作風が晩年様式になったことはない。まるで墓碑銘を書くように
極限的なスタイルに転換していく。作風が飛躍したのだ。
この時代は色々な人が錯綜しているが、三岸が亡くなった昭和10年以降本格的な音楽作品
を書ける人が桁違いに増える。

片山氏の話は結構横道にそれるが、その膨大な知識故か退屈することはなかった。
上記以外にも、三岸はカンディンスキーの影響を受けたとの話から、
①カンディンスキーとシェーンベルクの妻の不倫の結果誕生した無調音楽
②そもそも近衛秀麿、新交響楽団とは何か?
③山田耕筰のいい加減さ
④満州に避難してきたロシア人演奏家との日露交歓管弦楽演奏会の話
⑤SPレコードのヴァイオリンの生々しさ~シゲティのファリャ「はかなき人生」を聴く
等興味深い話や体験が多く、60分では短かった。まだまだ聴きたかったなー。

また、展示された資料も珍しいものが多かったが、伊福部昭の「交響譚詩」自筆譜や
「土俗的三連画」出版譜、早坂文雄「古代の舞曲」などは初めて目にしたが、
伊福部昭ファンや早坂文雄ファンには堪らないでしょうね。

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by capricciosam | 2016-09-03 22:55 | 講演会 | Comments(0)

北大路公子トークショー@恵庭市立図書館2015

一昨年千歳市立図書館で行われた作家宮下奈都さんとの対談「迷える読書」は
小生には謎の作家だった北大路公子さん(以下、本文では「センセー」という。)に
会えるという一点で出かけたが、終わってみると作品からは想像できない
読みの鋭さに脱帽だった。当時の感想はブログに記事として残しておらず、
下記のつぶやきしか残っていません。

「迷える読書@千歳市立図書館だん。北大路公子さんが披歴された読みの深さと、
それの表現の的確さには舌を巻いた。「自分の感情に名前があることを知る」
読後感想を書く意義の中でも基本だろうが、改めて認識させてもらう。
飲んだくれは世を忍ぶ姿だな。編集者からの公開催促には会場も大笑い。」
(以上、2013.11.2のつぶやきより引用)

これに味をしめて、整理券争奪戦をなんとか勝ち抜いて今回も出かけてきました。
市内外から大勢のファンが集まったようで、会場の研修室は満席状態。
ほとんど定刻にトークショー開会。
地元のコミュニティFMのパーソナリティの女性とともにステージに登壇したセンセーは
パーソナリティが聞き手を務め、それに応える形で前半を終えます。
話の大半はファンの方には周知の話だったのではないかと思うのですが、
センセーが寿郎社のこっぱげ氏とは一つ違いの姉さんだったとは初めて知りました。
(こっぱげ氏の風貌からは全然想像もつかなかったので、ホント驚きました。)
また、途中で登壇した毎日新聞社のM氏が、センセーがメジャーデビューになるきっかけ
となったサンデー毎日の連載のいきさつを話してくれました。
(これもファンの方には周知の話か)

当時、M氏が上司から女性エッセイの連載を企画したので探してこいと言われ、
東京丸善の書棚にたった1冊しかなかった「枕もとに靴」(寿郎社刊)を手に取ったのが
きっかけだったとのこと。M氏曰く「感謝していただきたいな」には会場から笑いが。
しかし、センセーも反撃。
「この人ひどいんですよ。(打ち合わせの時、飲んでたら)初対面なのに寝てる。
それで足を蹴ると、ムクッと起きて打ち合わせしようとする。」これも会場から笑いが。
(どっちもどっち、というか、類は友を呼ぶ、というか)

後半は寄せられた質問にセンセーが答える形で行われました。
問「昨年読んだ中で印象に残った本は?」
答「おぼえてない」(会場は笑)
ここでM氏が質問のアシストを「最近では?」
答「よけいなことをー」(会場は笑)

問「昨年もっとも衝撃的だったことは?」
答「夏に奥尻島へ友人と出かけた時に‥‥(以下略)」
その友人の身に起きたことが大変過ぎて、同情のあまり記事では書けません。
っていうか、センセーのネタのひとつになり得るだろうから省略。

問「日記を毎日続けるコツは?」
答「締め切りです。外圧がないと書かない。」
即答、かつキッパリおっしゃっていたのが印象的。
そこでM氏が補足。
「作家は締め切りがないと書かない。ほとんどの方が書けない。」
素人目には書くのが好きで作家になったんだろうからそういうものなのか、と。
そうなら意外な話だね。

締切りと言えば、集英社、実業之日本社、PHP研究所、寿郎社の各出版社
(の担当者)からメッセージが届いており、順に読み上げられました。
この中には千歳の時サプライズ登場した某社のY田さんも。

「公子先生、原稿、お待ちしております!」
「原稿をお待ちする日々です」
「〆切は「明後日」となっておりますがいかがでしょうか」
「うちの書き下ろしはどうした」

問「今後の執筆予定は?」
答「考えたことがない。目の前のことをやるので精一杯。」

締切りや新刊を巡る作家と担当編集者の攻防の激しさを物語る言葉の数々に
ただただ圧倒されるばかりです。プロの道は何れも厳しいものです、ハイ。

終わりにM氏が
「日本語が美しい、正しい、他人にひけをとらない才能。
それを活かして私たちを楽しませてほしい。」
とセンセーを評し、最後にセンセーが会場に挨拶して閉会となりました。
「わざわざありがとうございました。また、見てね。」(会場は笑)
(「また見てね」って、えっ?)

センセーの飾らないトークに会場は終始和やかな笑いに包まれていました。
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<追記4.6>一部加筆修正しました。
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by capricciosam | 2015-03-29 11:55 | 講演会 | Comments(0)

朝倉かすみ講演会@石狩市民図書館2008

「小説家になった-石狩から誕生した小説現代新人賞作家」
と題して石狩市民図書館で朝倉かすみさんの講演会が行われた。
出かけたのは昨春の佐々木譲さんに続き2回目である。
場所は同じ視聴覚ホール。
詰めかけた方も多く、あふれた方はホールでライブをご覧になった程。
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登場された朝倉さんは案外小柄な方だったが、
一言で言えば「パワフル」。休憩もとらずにしゃべりっぱなし。
さすが、道新文学賞や小説現代新人賞を連続受賞されて、
波に乗っている旬な方らしい。
(いつもどおり寡聞にして知らない私、トホッ)

最初に時間を割いたのが、詰めかけた聴衆の心に形成された
作家「像」の、いわば否定。
作家とは、いわゆる世間で想像するようなステレオタイプでは
ない、と何度も強調される。この部分の最後におっしゃった
「どんな(作家の)人でも名前にはこだわらないでいただきたい。
中味が大事なんです。」
推測するに、朝倉さんは作家として歩んだ自らの(苦い?)体験を
この言葉に照射されているようにも感じるし、等身大の御自分を
大事にしようとなさっているのかもしれない、あるいは自分に対して
正直であろうとしている方なのかも、などといろいろ考えてしまう。

読書歴はと言えば、バイト時代の一人暮らしの食事から本格化。
一週間バイトしては稼いだ金で古本屋の10円程度の文庫本を
買い込んで、食事の友とした。そして名作を読破。
現代物は某スーパー本部で事務員をやるようになってから。

そして30代初め頃から書き始たが、その動機が
「私は結婚できないかもしれない」と思ったかららしいが、
普通は「資格」に走るのだろうが、朝倉さんは
「小説を書くほうが現実的だった」と考えたらしい。
この辺りの発想が現在に繋がっていくと考えると興味深い。

次々に書けたが、(身近な関係の)誰にも読んではもらいたくない。
でも、ずーっと遠い無関係な人には読んでもらいたい、
という欲求があり、道新文化教室にて藤堂志津子さんを見出した
K氏に習うことになる。
K氏は誉めてくれたが、朝倉さんはなかなか言うことをきかなかった。
30代も終わり頃に結婚するが、その歳の夏にK氏死去。
それがきっかけとなったかのように、その年から書き始める。
でも、一字も通らない。
「わたしスゴイはずなのに~!?」
何一つかなわない年が2~3年続き、ごったになった状態で
書き上げたものが道新文学賞を受賞。
そして全国的な賞を3年以内に獲ると決心して書いていったら、
小説現代新人賞を受賞。

この後は、言わば作家「稼業」の話。
・「本にしてください」とお願いしに、わざわざ東京まで出かけたこと。
・プロモに書店員はあなどれないこと。
・「賞獲ったらまた来てね」(内心「賞獲ってやるよ」と反発したこと)
・サイン本の裏話。
・グラビア撮影の話。
・インタビューを受けていてわかった、某タレントの「別に」と言った気持ち。
・「書評が何本でるか」新聞、TVの他、最近はブログも。etc

どんな業界も、特に内部事情的話は興味深いものですね。
あと、次のようなこともおっしゃっていました。

「体験したから書けるんだろう」
じゃあ自分史は文学になるのか、と言えば文学にはならない。
なぜなら「体験」にとどまっているから。
例えば戦争体験として、戦争というものにアプローチしている、
というのが文学。
その例として挙げられたのが、ピカソのゲルニカ。
ゲルニカを見ることで戦争がわかる、
ピカソは戦争というものにアプローチしている、
戦争をわかろうとしている。

ここのところはスゴク納得した気持ちが湧きました。

高一の時の現国の時のエピソード。
担当教師が教科書の谷川俊太郎の詩を「この詩はよくない」
と言って、「世界へ!」というエッセー(詩?)を紹介したところ、
朝倉さんはなぜか感動して何日も繰り返した。
(実際、当日の会場でも朗々と諳んじられた)
そして、こう続けられた。
「あの時あの言葉を教えてくれなかったら…、と考えたら
学校の先生ってスゴイ!」

授業内容よりも、ちょっとした瑣末な事が意外に心に残る。
これって、その後の生き方への影響度では個人差が激しいとは
思うものの、多くの人にありそうな話ではないでしょうか。

その他にも興味つきない話は多かったですね。
朝倉さんはご自身のブログの前日の記事で、
「8割方、ヨタ話」なんて謙遜して書かれていましたが、
なかなかどうして興味深く、楽しい話でしたね。

<蛇足です>
講演会後のサインを待つ間に会場にいらっしゃった
朝倉さんのお母さん(こりゃまたハツラツとしていて素敵)とも
お話をしたりしたのですが、持っていた「田村はまだか」を
見つけられて、
「田村のお父さん、わかりました?」
と尋ねられたので
「第何話のあの方ですね」
と答えたところ、お顔一杯に笑みを拡げられて
「そうそう、わかりましたね」
つられて私もニコニコ(^^)
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by capricciosam | 2008-05-17 22:02 | 講演会 | Comments(0)

凍土の花 中城ふみ子

古新聞を整理していて、ある訃報が目に止まった。
伊達市の大塚陽子さん、77歳とある。
「どこかで聞いたことがあるような…、あっ」
当時、歌人としては著名な方らしい程度しか私は知らなかったのだが、
実は10年程前に一度御本人の講演を聴いたことがあった。

講演のテーマは「中城ふみ子」に関するものだった。
中城み子は戦後歌壇に登場し、本格的活躍の前に
乳ガンのため31歳で夭逝した。
歌集に「乳房喪失」がある。

 冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己の無惨を見むか

ふみ子が札幌医大の暗い病室で生涯を終えた時、
作家の渡辺淳一は同大の医学生(1年)であった。
しかし、特段接点はなかったようだが、後年になって、
ふみ子の伝記的小説である「冬の花火」を為した。
大塚さんはそのあとがきでも執筆協力者として名を挙げられているが、
当時、同じ短歌会でふみ子と才能を競った間柄であったようだ。
「冬の花火」でもそれらしいモデルが描かれている。

講演の冒頭、「冬の花火」を「つくりものですから」と一笑に付したが、
その一言に「ふみ子を本当に語れるのは私である」、という
自負のようなものを感じる、と同時に予防線のような警戒心も感じた。
講演は、ふみ子の詠んだ歌をランダムに紹介しながら、
注釈をつけるという形で進み、特段のまとまりはなかったが、
次のようなものであった。<>部分が当時のメモです。

 われに最も近き貌せる末の子を夫が持て余しつつ育てゐるとぞ
<作家としての構築性のあらわれ>

アドルムの箱買ひためて日々眠る夫の荒惨に近よりがたし
<ふみ子の虚構性のあらわれ、自尊心、構成力>

 絶詠:
 息切れて苦しむこの夜もふるさとに亜麻の花むらさきに充ちてゐる
 <きらいな帯広の象徴>

また、ふみ子は一度離婚を経験しているが、大塚さんは
「夫を恨む歌は多いが、憎んだ歌はない」
とも、おっしゃっていたが、「恨む」と「憎む」の違いに
歌人としての言葉への細やかさを感じた。

同時代をともに生きた人の話は、「冬の花火」で得られた印象とは
またひと味違ったものであったように思う。
大塚さんのご冥福をお祈りいたします。
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by capricciosam | 2007-08-26 23:49 | 講演会 | Comments(0)

佐々木譲講演会@石狩市民図書館2007

石狩市民図書館で、リンクさせていただいている道内在住の
プロ作家佐々木譲さんの講演会が行われたので、
ちょっと遠出してでかけてきました。

天気も良く、主要幹線道路には雪はすっかりありません。
快適なドライブとなりましたが、石狩市もしばらく行ったことがないので、
道がすっかり変わっていて、ちょっと迷いました。
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さて、ほぼ定刻どおりに始まった講演は
「読書の楽しみ・本のある暮らし」
と題して時間をオーバーして行われました。会場は満席です。

最初に「サプライズ」として自作の朗読が行われました。
プロ作家が自作を朗読する例は少ないようです。
故吉村昭さんは生前北海道によく取材に来られ、北海道を舞台とした
作品を作られていますが、その北海道取材旅行の追体験をされた
雑誌掲載前のルポルタージュを読んでいただきました。
羅臼から始まって札幌で終わるルポを、佐々木さんは張りのある声で
あまり抑揚をつけずに、やや早口気味に朗読されていきます。
目を閉じて聴いていましたが、あの余韻を残した終わりは素敵でした。
興味のある方は次号の小説新潮でごらんください。
<3.24追記>
朗読されたルポは4月号の特集「吉村昭-矜持ある人生」の中の
名作紀行「失われたもの、残された記憶」です。3.22発売


次に読書についてですが、ご自身の成長とともに、どのような読書体験を
されてこられたかを紹介してくださいました。実にいろいろな本をお読みに
なっていらっしゃいますが、「活字が好き」というのが根っこにはあるようです。
これには「やはりなぁ」と、妙に納得してしまいました。
読んでばかりいたら、次第にご自分で書いてみようという気持ちがつのり、
実際に書き始められたのはキネマ旬報への投稿だったとのことです。
それも読者欄ではなく寄稿家として、つまりセミプロ級だった訳ですね。
そして、道東にある仕事場の書棚を紹介されていましたが、
そこももうすぐ満杯となるくらいの相当量の蔵書をお持ちのようです。
作品を作る上で膨大な資料が必要になるそうですが、そもそも
図書館にいかなくてもよいくらい本を集めてやろう、と決めたきっかけが
「図書館」だったとは意外でした。
お話で紹介された杓子定規な図書館の例には、正直驚き、あきれました。
(講演後、石狩市民図書館の方が、わが図書館は違うとフォローして
いましたが、紹介された例が非常識過ぎますからね、気持ちわかります)

それから図書館のことを、
静謐で「人類の英知が自分を見つめているかのよう」で好き
とおっしゃっていましたが、特に「 」部分には共感できますねぇ。
ホント、私もそんな気持ちに襲われたことがあります。

最後に、「小説家の発想の秘密」として自作誕生のきっかけの事情を
「ベルリン飛行指令」「ストックホルムの密使」「昭南島に蘭ありや」
「ワシントン封印工作」「天下城」
以上5作にわたってお話くださいました。
ある事柄に関してのぼんやりとした考えがあるきっかけ、例えば言葉や
歴史上の事実から想像力が刺激され、発展して(佐々木さんは「化学変化」
と例えていましたが、うまい例えですね)、作品化されていく。
あるいは当時の関係者や当時を生きた人の証言、あるいは現場踏査を
することで作品が形作られていく。
プロ作家の貴重な創作の一端を知ることができましたが、
これは実に興味深かったですね。

講演終了後、著作へのサイン会が行われたので、私も並んで
サインしていただき、リンクさせていただいているお礼も併せて
述べてきました。ちょっとびっくりさせてしまったようで、恐縮です。
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<おまけ>
写真は開会前の会場ですが、プロ作家の東直己さんもいらしてました。
お二人とも日本推理作家協会賞を受賞されているのですが、
佐々木さんは「エトロフ発緊急電」で第43回に、東さんは「残光」で
第54回にそれぞれ受賞されていらっしゃいます。
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by capricciosam | 2007-03-21 21:19 | 講演会 | Comments(2)

江川紹子講演会@札幌コンベンションセンター2007

それでもボクはやってない」を観てから、裁判のことが気になります。
これから2年以内に開始される「裁判員制度」も、同じように気になります。
なにしろ抽選で裁判員を務めるはめになるかもしれない訳ですが、
一方で国民の3分の2は「参加したくない」という調査結果もあるくらいです。

そこで、タイミング良く開催された「これまでの裁判、これからの裁判」
という講演会に出かけてきました。
講師はTVでもおなじみの江川紹子さんです。

講演の前に最高裁判所が監修した「評議」という裁判員制度のPR映画を
鑑賞しました。ストーリーは三角関係による殺人未遂事件を裁判員が
どう考えて判決に至るのか、という制度がスタートしたら直面するような内容です。
裁判員も主婦らしき人、中小企業の社長らしき人、失業者等と職業や立場も様々
との設定です。制度をわかりやすく伝え、噛み砕く意味もあるのか、
議論が伯仲するようなこともなく、各自の発言も落ち着いて、
裁判官も結論を急ぎません。最後は、有罪か無罪かを判断し、
次に実刑か執行猶予かを決めていきます。
裁判員が検討する場には裁判官も立会い、進行役を務める訳ですが、
なるほど、こんなイメージで考えられているんだな、とわかり参考になりました。
専門知識がなくとも、素直に証言、証拠、状況を判断していくことができれば
良さそうなので、そんなに構える必要はなさそうです。
ちょっと安心。とは言っても、実際はそう簡単ではないんでしょうね。

休憩をはさんで江川さんの講演です。
☆注:以下の講演要旨はメモをもとに再構成しました。発言順番、ニュアンスが
    必ずしも発言どおりではないことをご承知おきください。

導入は暖冬と、最近冤罪事件をテーマにした映画を4本観たことから。
この中には「それでもボクはやってない」も入っていました。なぜ映画を?
その理由は「名張毒ぶどう酒事件」の昨年の名古屋高裁の判決にショックを
受けたことによるそうです。この事件は「冤罪である」として争われている
有名な事件らしいのですが、より多くの人に冤罪事件を知ってもらうためには
どうしたらよいのか。どんなくふうがなされているのか。
それを知りたくて観たそうです。
私はまったく知らなかったのですが、江川さんはこの冤罪事件に関する
までだしていたのですね。

冤罪への関心は、新聞記者時代にあった妻の突然死が夫の絞殺死と
判断された冤罪事件の「山下事件」がきっかけで、その後フリーになった時、
連載読み物を書く中で「名張毒ぶどう酒事件」にも出会ったそうです。
当初、裁判は真相を解明するためのもの、と考えていたそうですが、
そもそも「真相」とは何ぞや、という疑問にぶち当たったのが、
江川さんを一躍有名にした「オウム真理教事件」だそうです。
見る立ち位置によって真相は随分違うものだ、ということに気づき、
裁判はそれぞれが真相に近づくための材料を手に入れる場なのだ、
と思ったそうです。
また、松本智津夫被告が手続きに従わなかったことで、すぐ退廷させられた
ことにも触れ、裁判官は廷内秩序を維持することには熱心ではあったが、
果たして事件の真相を知ろうという好奇心があるのだろうか、と疑問を呈します。
裁判員制度が始まっても、手続きが整っているから一丁上がりではなく、
「真相はどうなんだろうか」との好奇心を持つことが大事と指摘します。
この点は「12人の怒れる男」に通じるものがあります。

裁判員制度については次のような点を指摘されていました。

◇裁判の争点が事前に整理されてから裁判員が判断するような動きが
 あるが、もしそうなれば、傍聴人もいない密室で行われることになり、
 裁判のかなりの部分が密室化してしまう恐れがある。

◇職業裁判官のみで行うか、または裁判員も入った形で行うか、
 被告側が選択できることがあっても良いのではないか。

◇裁判員は有罪か無罪かまでとし、量刑まで負担させなくてよい。
裁判員によりバラツキがでる恐れ、「死刑」などは裁判官というプロでも
 重いのに、その負担を一般市民に与えても良いのか  

◇裁判員制度は一審よりも再審裁判で行ったほうが良いのではないか。
 裁判官が判決を逆転させるのは勇気がいること、裁判員のほうが冷静に、
  よほどまっとうな判断ができるのではないか
   
◇裁判員をしやすい制度が必要ではないのか。
  一般市民とてスケジュール調整しやすいように当該者には事前に予告する
 守秘義務よりも、むしろしゃべってもらう、聴いた人が「裁判員っておもしろそう」
  と広く関心を持ってもらうことが必要だろう、裁判員制度は国民の義務として
 押し付けても広がりを持たない

いずれの指摘も考えさせられます。
お陰で裁判員制度の理解もほんの少し深まったかな、と思われます。 

最後に、裁判員制度が導入されるまでの今はとても貴重な時間なので、
ぜひ関心をもって意見を出してよいものにしていかなくてはならない、と
おっしゃっていました。そのとおりだと思います。

テーマが良かったのか、講師に魅かれたのか、会場はほぼ満席でした。
講演終了後、江川さんの著書が販売されてサイン会が行われました。
私も買って、サインしていただき、図々しく握手もしていただきました(^^)
ついでに江川さんのHPのことで、だめもとでリクエストも。
中身は秘密ですが、さてどうなりますか。 
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by capricciosam | 2007-01-27 22:31 | 講演会 | Comments(2)