カテゴリ:音楽( 316 )

秋の夜長

台風が九州に上陸して刻一刻と北海道に近づいている
というのに、内心の不安とは裏腹に今日は実に穏やかな
天気の一日でした。ただし夕方にはしっかり雲がかかって、
きたるべき嵐の前のナントヤラだったわけです。
予報では、明朝から一日中雨で、明日夜から明後日の
日中にかけてひどくなりそうです。
被害に遭われた方はホントにお気の毒です。
去年も丁度今頃台風に襲われて、職場近くの古い倉庫の
トタンが木の葉のごとく駐車場に舞い落ちてきて車が
何台も傷つきました。ありゃスゴかった。
道産子には、そもそも台風につきものの「暴風」の
イメージが欠けています。
だいたい北海道の住宅には雨戸はありません。
と、言うのも、もともと台風の上陸が少ないことと、本道に
到達する頃にはたいてい熱帯低気圧に変わっているので
一段と勢力が落ちて、風も雨もたいしたことにはなって
いないためなんですね。
それが、この頃は結構キツイ台風に襲われているんですが、
気象もマクロ的には変化してきているという証拠なのでしょう。
そう言えば、カトリーナも甚大な被害のようですね。
いまだに被害の全貌がはっきりしないくらいですからね。
それにしてもアメリカ国内で救助がどうしてあんなに手間
取っているのか、とても不思議です。貧困層には冷たいからだ、
なんてことも巷間言われているようですが、なんらかの意図が
働いているのでしょうか。
何故なんでしょう、ホント不思議です。

束の間の秋の夜長にはやはり音楽。
ナタリー・コールは厳密にはジャズ歌手とは言えないのかも
しれませんが、スタンダードな曲を歌ったジャージーな雰囲気
がお気に入りです。
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by capricciosam | 2005-09-06 23:14 | 音楽 | Comments(0)

PMF2005余録

いつもながら「今年の新酒の出来はどうかな?」と仕上がり具合が
楽しみになるPMFオーケストラですが、今年は名伯楽サンティ
おじさんの指導よろしく、これまででも出来の良いもののうちに
数えられるであろうことを確信させてもらえた。
その嬉しさのあまり某クラシックBBSへ駄文を書き込んだところ、
巡演した各地でも好評の声が聞こえてきて、ほっと胸をなで
おろしています。
感想をいただいた、GIACOMO、Dona nobis pacem、ドスト、
フェランド、ぐすたふ、ティオのみなさんには感謝しています。

脇道にそれますが、某クラシックBBSも圧倒的に東京発の情報が
多いようですが、日本各地では個性的な催しがいろいろ開催されて
いるようですから、あまりレスは期待せずとも各地からの発信をして
賑わいを形成していってはどうかな、と常々感じていて、時おり北から
発信させていただいていました。

北の都札幌で短期間の内に3名の指揮者によって鍛え上げられ、
仕込まれて、ニュアンスを教えられ、より旨口の新酒に仕上がった
ヌーボーが、道外の諸都市で巡演していくうちに熟成を重ねる、
そんなストーリーがぴったりなPMFオケ。
毎年道外でこんなにも楽しんでいただいているとは、つゆ知らず、
認識が甘かったですね。
これからもぜひ足を運んでください。

さて、地元の新聞・北海道新聞にサンティおじさんのインタビューが
掲載されていました。
PMFアカデミー生に触れての感想として、
「いっぱい仕事があると感じました。腕をまくって「さあ、やらなきゃ」
と思いましたね。」さらには、聴衆に感じてもらいたいこととして、
「ちゃんと練習すれば、若いオケでもこれだけいい音楽を奏でられる
ということ。札幌の皆さんにはPMFという場を毎年開くことに価値が
あること。文化は常にお金がかかるということを知ってほしい。」

そして私にとっての瞠目すべき極めつけの言葉は次の言葉でした。

「PMFは若い演奏家を教えることに情熱の持てない指導者は、
来るべき場所ではない、とも思いました。」


まさしく、教育音楽祭の本質を突いた至言です。
おじさんは教育音楽祭の「教育」の意義をよく掴んでいただいたのだ
と改めて思っています。
道理でよい仕上がり具合が楽しめた訳です。
やっぱり来年も期待しちゃいますね。
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by capricciosam | 2005-08-05 22:19 | 音楽 | Comments(2)

サンティ&PMFオーケストラ@pMF2005

毎年異なったメンバーで、しかも短期間に音作りをしていかねば
ならない、というハンディを背負いながら、その時時の指揮者の下、
醸し出す音に酔いしれることができたなら、これはこれで十分なる
醍醐味を味わえた、と言わねばならないだろう。
世界各国から集まった若者で構成されたPMFオーケストラの演奏
を聴くたびに、その醍醐味を味わってこれたのは幸いなこと。
しかし、百数十人からなる同オケだけに毎年音量は申し分ないが、
技術を超えた「ニュアンス」の乏しさが時に露見するのは、いささか
やむをえないことなのかな、と少々あきらめ気味でもあった。
まあ、ヌーボーと思えば、それはそれでそのフルーティな味わいを
楽しむことができる。なにもヌーボーにヴィンテージと同じことを
求めても、それは瀬のないこと。
そんなことを感じながら、毎年同オケの仕上がりぶりを楽しんできた。
しかし、昨夜は「奇跡」が起きたのではないか、と感じられる瞬間が
あった。そこには見事に「ニュアンス」があった。
ヌーボーなのに「こく」を感じる瞬間があった。
ロッシーニの序曲とレスピーギのローマ三部作という色彩感あふれる
イタリアもので構成されたプログラムもかなり寄与しているとは思うが
それでも丁寧にかつニュアンス豊かにプロオケ顔負けの演奏を展開
してくれたことには正直驚いた。
これは指揮者ネルロ・サンティのトレーナーとしての貢献や大と言える
であろう。ネルロ・サンティおじさん、恐るべし。
74歳と高齢なのは心配な点だが、思わず来年も来てくれることを
期待してしまった。
昨夜の演奏会は、これまでのPMFオーケストラの演奏史上でも、
一二を争う最高の出来として語り継がれていくのではなかろうか。
今日のピクニック・コンサートを終えてから、大阪、名古屋、東京と
巡演するようだが、各地での反応やいかに。

写真は「爆演系」バティスのCD/レスピーギ/ローマ3部作
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by capricciosam | 2005-07-31 08:49 | 音楽 | Comments(4)

東京クワルテット@PMF2005

札幌の初夏を彩る教育音楽祭PMFが今年も始まった。
「祭」ゆえ、例えコンサートでも「聴きに行く」というよりは、「参加する」
という感覚が私としてはピッタリする。
しかし、それでも参加できるのは毎年ほんの数回がせいぜいでは
あるが、第一回から毎年参加してきたことは、私としては画期的。

先夜は東京カルテットの演奏会に足を運んだ。
今年から室内楽コースも設けられ、その一環で東京カルテットも来札
したようだ。在米の日本人で結成以来35年、メンバー交代を経ながら
も高い評価を受けており、ぜひ一度生で聴きたかったカルテット
だった。
当夜の演奏曲目はモーツァルト、林光、ブラームスであったが、
いずれの曲もかけひきの妙を十分に味わわせてくれ、アンサンブルの
うまさには感心した。その奏でる音も、音圧を感じさせる先鋭な音では
なく、熟成された大人の味わい、とでも言ったら良いのであろうか。
特に、ブラームスの弦楽四重奏第一番はディスクでは、ほの暗く陰鬱
な感じの第一楽章からしてなじみ難く、聴きとおすのが苦手な曲の
ひとつで、なんとも心配ではあったが、まさしく「熱演」で、ぐいぐい
引込まれ、曲想の変化を十分楽しめたのは望外の喜びであった。
終演後、あまり良い入りとは言えない会場からもブラボーがしきり
にとんでいた。

バーンスタインの提唱で始まったPMFも、ひょんなことから札幌で
開催され、今年で第16回目。最近は景気の低迷もあって資金難から
苦しい運営の様子だが、これからも続けていってもらいたいものだ。

写真は東京カルテットのCD/シューベルト/死と乙女
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by capricciosam | 2005-07-23 11:45 | 音楽 | Comments(0)

流れていた曲が

■ 終生忘れられない曲になった
  
  通勤途中はFMを聴いていることが多く、
  父が倒れた日もいつものように聴いていた。
  その日はフォーレのレクイエムが流れていた。
  今振り返ってみれば、なんとも意味深な偶然なのだろう。

  フォーレに限らず、レクイエムは嫌いではないが、
  かといってあまり好んで聴いたこともなかった。
  しかし、心身ともに疲れ切った時などは、レクイエムの
  中でもフォーレの静謐な雰囲気のただよう、透明なやさしい
  調べに身をゆだねることはあった。
  私の中では、まさしく「癒し」の一曲であった。

  父の遺体が自宅に戻って葬儀の段取りの打ち合わせが
  一段落してから、無性にフォーレが聴きたくなった。
  しかし、家に戻る余裕もなかったので、家人に頼んで
  家にあるCDを持ってきてもらい、父愛用のCDラジカセで
  音量を絞って流していた。
  葬儀の対応に追われる中、周囲の雑音が途切れ、一瞬
  の静寂が訪れた時に耳に飛び込んでくる調べの、なんと
  穏やかで、やさしいことか。どれだけほっとしたことか。
  父の死を実感できないまま、現実にあたふたしている
  だけで、心身共に消耗している身には、何よりもの
  癒しであり、慰めとなった。

  初七日、二七日…と過ぎていくことで、あの日のことは
  確実に過去の記憶として固定されていくと同時に、細部 
  は薄れていくのだろう。
  しかし、フォーレのレクイエムがあの日を振り返って
  忘れ得ぬ曲になったことは間違いない。
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by capricciosam | 2005-05-31 20:47 | 音楽 | Comments(3)

ガイドドッグオープンデー余談

■ ふと耳に入ったのは…
  
  さまざまな盲導犬たちとの楽しい一時も過ぎ、
  会場を退出しようとした時に、耳に飛び込んできたのが、
  会場の屋外で流れていた音楽だった。
  
  ボズ・スキャッグスの「WE'RE ALL ALONE」
  20年以上前の懐メロが、どうして、と虚をつかれた
  思いがした。
  愛しい彼女とのラブソングなんだけれど、あのボズ
  独特の鼻にかかった甘い声で歌われると、タイトル
  からして盲導犬とユーザーとのつながりに感じられて
  くるから不思議。

  No need to bother now
  Let it out,let it all begin

  
  今じゃあ悩む必要は何もない
  解き放って、すべてを新たに始めよう
  
  恋に悩む二人のための歌詞も、盲導犬とユーザー
  にもそのまま置き換えられそう。
  オープンデーも最後は音楽が意味深に心に響いて
  会場を後にした。
 
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by capricciosam | 2005-04-26 22:42 | 音楽 | Comments(2)

アマでもできた

■ 「すごいこと」

  合唱指揮者の関屋晋さんが亡くなられた。
  惜しくも実演には接したことはないのだが、あるCDとの出会い
  が、お名前を知るきっかけだった。
  小澤征爾氏がベルリン・フィルの定期演奏会で指揮した時に、
  関屋氏の率いる合唱団(なんと、アマチュア!)が参加して
  大成功を納めたのだが、そのとき実演し、録音したCDが
  オルフの「カルミナ・ブラーナ」で、私としても初のオルフ体験
  だったが、これは大いにうけた。
  出だしの「おお、フォルトナ」のノリの良さ。
  ロックコンサートにも使われるというのが、よくわかる。
  なんでも、このコンサートはベルリン・フィルにもうけたらしく、
  「いつでも戻って来て、ベルリンで演奏会をしてください。
  うちの定期でやります。」というくらい歓迎されたらしい。
  なんと画期的なことか!
  これが1988年のこと。
  それから10年後に関屋氏は「コーラスは楽しい」(岩波新書)
  という、氏の人生そのものズバリのような本をだされた。
  その第6章には「ベルリンでカルミナ・ブラーナを歌う」として、
  当時の様子が描かれている。まさしく、興奮と感激の連続だった
  ようで、氏と合唱団員にとっても忘れられない一時となったことが
  わかる。
  本文中でも触れられているが、翌年もジルヴェスター・コンサート
  によばれてベルリンを再訪しているのだが、一回目はベルリンの
  壁があったのに、翌年いったらもう壁に穴があいていたそうです。
  歴史的にも大きなターニング・ポイントのあたりでした。
  関屋氏は本の中でこうも書かれています。
  「音楽に限らず、日本の文化のあり方の問題点と思うのは、
  ごく限られた専門家というか、エリートをつくるのに熱心で、
  広がりについて無関心だということです。広がりがなくては、
  頂点の高さも本物ではない。」
 
  「合唱の楽しみ方は人それぞれ、いろいろなかたちがあるのです」
  いまさらながらですが、私も肩肘張らずに楽しんでみたいと考え
  ます、それが少しでも「広がり」につながると信じてですが。
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by capricciosam | 2005-04-11 22:23 | 音楽 | Comments(5)

偶然なんだけれど

■ 第九に関する2題

  最近入手したCDでおもしろかったのが、ワーグナー編による
  ベートーヴェンの第九。
  オーケストラ曲をピアノ一台で演奏してしまおう、というもので、
  ピアノは小川典子が達者に弾いて、なかなかな聞き応えがある。
  しかも、第四楽章はソリストとBCJが共演して、これもさすがの
  歌声を聴かせている。しかし、BCJはうまいなぁ~。
  今朝、聴き終えて感心していたところに届いたのが、第九演奏会
  の合唱団員募集の案内。
  ありゃ、偶然にしてはできすぎ。
  仕事の都合で練習にはあまり参加できないんだけれど、
  その分、今秋の演奏会目指して、自主トレを開始せねば。
  生きとし生けるものが活性化する「春」が始まる。 
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by capricciosam | 2005-03-26 12:06 | 音楽 | Comments(0)

たまには

■ 鑑賞マナーを考えてみる

  生演奏、ライブはCDで得られる感動とはひと味ちがうものが
  あるな、と感じて以来、たまに演奏会に足を運ぶ。
  中でもクラシックの演奏会は、物音ひとつたてるのも気を遣う
  雰囲気があり、初めて行った人は違和感を覚えるかもしれない。
  みじろぎひとつせずに緊張して聴いて何が楽しいのか。
  音を立てることは少々気を遣うものの、じっと座っていると
  疲れるので、私は時々身体を動かしている。
  たまには感想も口をついてでる。もっともささやく程度だが。
  しかし、最低限の鑑賞のマナーは守っているつもり。
  鑑賞のマナーといっても、そんなにあるとは思えない。
  ・拍手は全部終わってから、楽章間ではまずしない
  ・くしゃみやせきがでそうになったらハンカチを口にあてるetc
  でも、これとて初心者には理解できないことなのかもしれない。
  恐らく他のジャンルの演奏会ではこんな自己規制的ルールはない
  はず。もっと気軽に、気楽に音楽を楽しめるのだろう。
  しかし、鑑賞の性質上ffからppまで鑑賞しなければならないという
  ことが長い間繰り返されてくる中で形成されてきたルールは、
  その場を共有する自分以外の者への気配り、おもいやりとして
  鑑賞マナーが発生し、形成されてきたのではないか。
  それが、大衆化する中でより多くの人に身につけてもらうためには
  また長い時間が必要なのだろう、と思う。
  ある面ではマナーを啓蒙する試み(鑑賞教室のようなもの)が
  あっても良いのではないか。
  こう書くとやけにハードルを高く感じるかもしれないが、実際の会場
  はもっと気軽な雰囲気で、構えることはほとんどない、と思う。
   
  
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by capricciosam | 2005-03-24 23:58 | 音楽 | Comments(0)

どんなときも

■ といっても14年前か

  我が家の8ミリビデオのテープに子供がCDから
  流れる歌にあわせて歌う様子が残っている。
  流れていたのは「SAY YES」と「どんなときも」。
  大ヒットしたのは前者なのだろうが、この曲は
  歌うよりも、むしろチャゲアスの熱唱に聴き入って
  いたい。
  一方の槇原敬之が歌っていた後者のほうは妙に
  親しみを感じてくちずさみながらよく聴いたものだ。
  曲ののりもさことながら、マッキーのウォームな声
  に惹かれていた。

  ごくたまにそのテープを引っ張り出してみては、
  さて、何年頃なのかなぁ、と思い出そうとしていたが、
  今となってはもうあいまい。でも、食事を終えて
  TVを観ていたら平成3年ということがわかった。
  当時のヒット曲には「ラブストーリーは突然に」も
  あったが、正直驚いた。というのは、どの曲も
  今だに古さを感じない良い曲であること。
  何れも、素敵なメロディと思わず口ずさみたくなる
  つくりが共通しているような気がする。
  やはり、よく作られている歌はどんなに時間が経っても
  安心して聴ける。
    

     
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by capricciosam | 2005-02-16 23:29 | 音楽 | Comments(0)