カテゴリ:読書( 36 )

葉桜の季節に君を想うということ@文春文庫

先日PMFブックカバーの話を書きましたが、その時買って
カバーしてもらったのが、写真の文庫本です。
2003年に単行本として発刊され、2004年の「このミス」1位
だそうですから、お読みになった方も結構いらっしゃるでしょうね。

一見無関係な挿話が、このストーリーの最重要キーが明らかと
なる中で見事につながるのですが、著者のテンポ良い語り口に
一気読みでした。そして、まんまと騙されてしまいました。
(うまいなぁ~)
究極であるかどうかは別として、カバー裏表紙に書いてある
「徹夜本」は当たっていました。
著者の読者をミスリードする力はたいしたもので、「思いこみ」というか
「錯誤」を重ねていったのですが、このあたりがこの小説を成り立たせる
最大の要素だろうと想いました。
例え騙されるにしても、妙に後味さわやかなのは、
「恋愛」が余韻を残すからなのでしょうね。
たとえ、いくつになっても恋するときめきは良いものです。
(おっとこれ以上書くと、ネタバレになりそう…)

なかなか楽しめる一冊でしたが、ただ一点難を挙げるとすれば、
原作に忠実な映像化は困難だろうな、という点です。
ビジュアル化したら、ミステリそのものが成り立たない恐れが…
さて、どうしてでしょうか!?
未読の方は、この一点だけでも楽しめると想いますよ。
しばし暑さを忘れて楽しめた一冊でした。
(しかし、今夜は雨も近いせいか蒸します、ふーっ、暑い)
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by capricciosam | 2007-06-14 22:52 | 読書 | Comments(2)

カラヤンとフルトヴェングラー@幻冬舎新書

クラシックを聞き始めた頃は、「クラシックと言えばカラヤン」
という世間で流布していた(と思われる)この言葉を鵜呑みにしていた。
つまり、カラヤンとベルリン・フィルの演奏を「最高」のものと信じていた訳だ。
当時の「何でもアメリカが一番」という感覚からすると、オーケストラの一番が
ドイツというのは、ちょっと不思議に感じたものだ。

本書ではそのベルリン・フィル首席指揮者の座が3代目フルトヴェングラー
から4代目のカラヤンに移るまでの両者の凄まじいかけひきが描かれている。
というよりも、大半はフルトヴェングラーの異常な猜疑心により引き起こされる
カラヤン排斥の動きとカラヤンがいかに対抗したかということなのだが、
まさしく「暗闘」と言っても過言ではない。
ともにヒトラー=ナチズムの台頭により翻弄されていくことは変わりないが、
微妙なタイミングのズレや陽の当たるポストにいなかった幸運等、何が幸いし、
何が災いするかわからない、という点ではまったく驚きの連続であった。
しかし、両者ともかけひきの要では、ここぞとばかりに自己主張しまくるのは、
やはり座をかけた戦いでは人間性をむき出しにして戦わざるを得ないからか。
地位、権力、名誉は、それを求める人には得てして似たような行為を求める
ということなのだろう。

本書の中でフルトヴェングラーの性格は「優柔不断」である、と何度も出てくる。
録音された演奏や世評からは、もっと颯爽とした決断力に富むような人と勝手に
想像していただけに、これには驚いた。
異常な猜疑心と優柔不断。
その上、長身のハゲ頭なのだから魅力ないなぁ、と思っていたら、女性には
えらくもてたようで、非嫡出子は十人以上との説もある、と知りたまげてしまった。
ただ、その優柔不断さに起因する対外的にわかりにくい行動が、戦後大いに
フルトヴェングラーを苦しめることになるのは、なんとも教訓的。

それから、ポストフルトヴェングラーの本命と思われていた
チェリビダッケが何故去らねばならなかったのか。
これはカラヤンとの暗闘などではなく、チェリビダッケの「自滅」というのが
ふさわしいようで、これもなかなか興味深かった。
確かに、ひとつのポストをめぐって勝者と敗者が生じることはやむを得ないこと
なのだろうが、三人三様の生き様には考えさせられる。
しかし、本書では特段言及されていないが、三人に共通していたのは
演奏芸術を統率する指揮者としては各々優れていた、ということだ。
その上での「かけひき」や「暗闘」なのだから、ドロドロ度が桁違いなのだろう。
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カラヤンもフルトヴェングラーも、戦後の非ナチ化審査を通過しなければ
公の場での演奏活動に復帰できなかった。カラヤンは復帰できない間に
英国EMIとの間でレコード録音を着実に進めた。そして、1947年、
フルトヴェングラーに3ヶ月遅れて復帰したカラヤンがウィーン・フィルと
録音した最初の曲がブラームスの「ドイツ・レクイエム」だった。
カラヤンは生涯に繰り返しこの曲を録音しているが、その一回目となった。
ヒストリカルな割りに音質は良いほうで、後年の録音に比べ颯爽としたいきおい
や熱気を感じる出来となっている。
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by capricciosam | 2007-03-25 12:28 | 読書 | Comments(2)

最後のジャズ入門@幻冬舎新書

以前書いた「積ん読の山」ですが、その中の一冊に
「最後のジャズ入門」がありました。
ジャズも好きなのですが、依然ビギナー状態です。
この本の副題が「挫折し続ける初心者のための」とありましたので、
「おっ、ピッタリだ、どれどれ」と買ってみたのでした。
ところが、読まないうちにリンクさせていただいている
プロ作家の佐々木譲さんのブログで題名は伏せているものの、
本書のことをテーマに記事を書かれているのを発見しました。
しかも、かなりご立腹されています。
佐々木さんのおっしゃっているのはおおよそ次のようなことです。

ジャズ、落語、歌舞伎etcの「パフォーミング・アーツ」は「ライブ」が大前提で
CD等の「記録」の鑑賞は次善の策である。
しかし、著者は(この大事な「ライブ」に一切触れることなく、)初心者による
CD選びの過ちを述べるだけ。これでは「入門書」ではなく、単なるCD鑑賞の
手引きだ。

そこで、慌てて読んでみたのですが、確かに著者は肝心な「ライブ」には
一言も言及されていません。そもそもCD鑑賞しか念頭になかったようです。
つまり、前提からして「CD鑑賞でジャズがわかる」との考えで書かれたもの
だったようです。これでは「入門」という言葉がライブも含みかねないので、
看板に偽りあり、ということになるのでしょう。
やはりステージの息遣いが伝わる「生」が一番であることには私も賛成です。
読み終えて私も肩透かしを食らった気分になりました。

佐々木さんは、昔の歌舞伎の名演をあたかも見たかのようにして論評する
例えで、この話の続きを書かれていますが、さすがですねぇ。
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by capricciosam | 2007-03-05 23:47 | 読書 | Comments(2)

ウェブ進化論@ちくま新書

今年も我が読書の歩みは遅々として進まず、です。
今頃、上半期というのも変なのですが、ここいらで一区切りつけて
「読書の秋」には、なんとしても積ん読してある山を少しでも崩さねば…。
という訳で、「いまさら上半期」の印象深い一冊を。

◆ウェブ進化論/梅田望夫著/ちくま新書

今春話題になった一冊で、依然売れているようです。
シニアの私とて今じゃネットのない生活なんてちょっと考えられないのですが、
これだけ生活に入り込んだPCやインターネットのこれまでをざっくりと
振り返りつつ、来るべきこれから(著者は「次の10年」と言う)を考えるには
格好の一冊であることは間違いないと思います。

既に多くの論評が触れているように(それどころか著者自身が書きながら
意識していた、とあとがきで書いているのですが)、楽天的過ぎやしないか、
という側面は確かにあると思います。

例えば、不特定多数の「個」の行為の集積により「全体」の価値を創出する
という領域において、ウェブ進化のイノベーションが最も過激に起こってくる、
と予想します。「不特定多数は衆愚である」として「思考停止」していては、
これから起こる新たな動きや現象の本質を見失うことになる、とも述べます。
著者が引用しているスロウィッキー仮説は「個」が分散性、多様性、独立性が
担保されていて、それら「個」の意見を集約するシステムがうまくできれば、
全体としての価値判断が正しくなる可能性がある、としているのですが、
「こちら側」で頭の固くなっているシニアの私としては、どうしても過去の歴史
を参照しがちで、「果たして、そんなに楽観的に考えても大丈夫なのかな」
と、ついつい考えてしまいます。これも「思考停止」なのかも(笑)。
でも、技術革新の進展は想像を超えるようですから、ひょっとしたら実現する
のかな、とも考えそうになることも否めません。

ところで、ウェブの進化は私などには到底想像できませんが、きっと死ぬまで
無縁では生活できないのだろうな、と直感的に感じるので、これからの展望を
知る上でも非常に興味深く、有益でした。
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by capricciosam | 2006-09-02 23:55 | 読書 | Comments(0)

流星ワゴン@講談社文庫

ここでは3組の父子関係が時間や空間を自由に行き来
しながら、縦横に描かれていく。そこに著者はリストラ、
不倫、いじめ、ひきこもり、DVという現代的問題を
取り上げるのだが、ここまでだったらきっと類書が
あるに違いない、と考えてしまう。
ところが、著者は自分と同年齢の父や「幽霊」という
意外なキャラクターを与えて、読む者を幻惑させつつ、
術中にはめていく。頭の中で整理できた頃には
読むのを止められなくなっている、という訳だ。
そう、私もまんまと、はまってしまいました。
読後、妙にしんみりとしたのは、自分も親になった証
なのだろうか。それとも、変えることなどできない
「過去」に対して「未来」は変えられる可能性があるんだ、
という作者の示唆のなせる技なのだろうか。
重いテーマなのに妙に明るい希望を抱いてしまう、
という不思議な余韻が残るためなのだろうか。

この度文庫化されたのを契機に読んでみたが、
本文も読ませるが、解説(斎藤美奈子)も興味深かった。
母との描写を描くことで小説の厚みを得ることよりも、
むしろ父子関係に絞って物語を紡いだことで、逆に
この小説が輝いているのではないか、との指摘には
頷けるものがある。
過去にある雑誌の年間ベスト1に選出されたのは、
宜なるかな、と思う。
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by capricciosam | 2006-04-03 23:18 | 読書 | Comments(0)

ダ・ヴィンチ・コード@角川文庫

多忙を極めた反動で、一日中読みふけっていました。
気分的にもリフレッシュすることを求めているんでしょう。
読了寸前に疲れて寝込んでしまい、こんな時間に更新する
ことになりましたが、おもしろかったので冷めないうちに、さっそく。

「この作品の最大の魅力は膨大な量の蘊蓄が満載されている」
ことである、と訳者が喝破されています。
しかし、その蘊蓄もニセモノが多いのでは私としては興ざめ
なのですが、各巻の本文直前に掲げられた次の文で質は
保証されるようです。

「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する
記述は、すべて事実に基づいている。」

すなわち、作者は事実を巧みに組み合わせて、小説=虚構を作り
あげた、ということになるのでしょう。
しかし、果たして虚構なのか、ひょっとして真実が含まれている
のでは、と思わせるくらいストーリーは実に良くできています。
それに比べ登場人物の造形はそれほどでもありません。

蘊蓄の最重要キーワードは、やはり「聖杯」につきるでしょう。
聖杯というと、私などはすぐに「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」
を連想してしまいます。(^^)
不思議な力のある聖なる杯、という訳です。
ところが、その意味するものがまったく異なる、という謎解きが、
ダ・ヴィンチの名画やキリスト教(カトリック)の確立と絡めて、
歴史の裏面史として綴られていきます。しかも、テンポよく。
これは、まったく知らなかったことなので、実に興味深かった。
そもそもの発端の二人に聖書的解釈を加えなければ、
それもありうるかもなー、と妙に感心してしまいました。
世界史で習った(はず!?)「ニケーア公会議」は、
重要な転換点だったんだ、と認識を新たにしています。
教科書で取り上げられる無味乾燥と思われたことも、
実に生き生きとしてきますから、不思議です。

先年公開された映画「パッション」にも通じる視点を感じますが、
こちらのほうが数段踏み込んだ解釈を展開しています。
世界中でベストセラーになって、キリスト教社会では物議を
醸したという話はうなずけますね。そのくらい既成の権威を
否定しかねない「過激」な側面を有しています。
さて5月に公開される映画は、どんな仕上がりでしょうか。
興味ありますね。
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by capricciosam | 2006-03-26 04:44 | 読書 | Comments(4)

老人と海@新潮文庫

カリブ海のバハマにあるホテルが火災にあった。
ヘミングウェイ博物館があり、ヘミングウェイ
ゆかりの写真や遺品も焼失した
ようです。

このニュースを見て、脳裏に一冊の本がよみがえり、
書棚の奥からその文庫本を引っ張り出してきました。
ヘミングウェイの「老人と海」。
青春時代に読んだ印象深い作品のうちのひとつです。
長編というより、中編程度のボリュームで、
ストーリーはご存じの方も多いと思うので、ご紹介は
文中の主人公サンチャゴの独白である

「おまえは84日の不漁を餌にして、その運を買おうとした。
相手もすんでのところで売ってくれるところだったじゃないか」
                    (新潮文庫 訳:福田恒存)

という凝縮された一文にとどめたいと思います。

私が読んだヘミングウェイの作品は、実はこれだけです。
というより、これ一冊でヘミングウェイという作家自体に
満足してしまった、という気持ちに陥いらせてくれた作品なのです。
ファーストチョイスがラストチョイスになってしまった訳ですから、
出会いというのは不思議なものです。
そのくらいこの作品はシンプルなシチュエーションの中で
自然と人間、老いと若さ、強さと弱さ、運命の皮肉、非情さを
見事に凝縮させていて、完成度の高い魅力あふれる名作です。
また、このハードボイルドタッチが、多分にその後の
私の読書傾向に影を落としているかもしれない、と
今さらながら思わぬでもないですね。
ヘミングウェイゆかりのホテルや遺品が失われたことは
本当に残念だと思いますが、この「老人と海」は
読み継がれていってどの世代においても感動を与えるのでしょう。

まったくの蛇足ですが、現在も新潮文庫で発売されています。
表紙は変わったようですが、現在の価格は420円でした。
ちなみに、引っ張り出してきた当時の文庫本(写真)は
30年以上前に発行されたもので定価100円でしたから、
ごく大雑把に言って、10年で100円ずつくらい値上がりしてきた、
という計算になるんでしょうか。
文庫本も小銭というよりも紙幣で買う、というイメージがここんとこ
ずっーとあったんですが、なんとなく納得できました。
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by capricciosam | 2006-01-15 22:15 | 読書 | Comments(2)

生協の白石さん@講談社

話題の本です。
売切れで買い損なっていたのですが、
先日ようやく手に入れることができました。
さっそく電車の中で読み始めたのですが、
思わず頬をゆるませること度々でした。

組合員の要望や質問を書いた「ひとことカード」は
生協ではよく見かけますが、白石さんが勤務される
東京農工大学生協でもいろいろな声が届くようです。
でも中には、

「牛を置いて」
「愛は売っていないのですか」
「リュウとケンはどっちが強いんですか」
「単位がほしいです」etc

なんてのもあります。
まじめなのか、ふざけているのか判然としない組合員の
質問や要望に、一生懸命取組んで回答していらっしゃる
白石さんですが、白石さんのキャラクターの為せる
(と言ってもあまり作為は感じません)ワザのせいか、
まじめに、誠意を込めて取り組んでいるにもかかわらず、
その回答は微妙なズレというか、振れというか、ギャップというか、
回答はとにかく素直におかしいのです。
お笑いのパターンにもよくありそうですね。
当事者がまじめにやればやるほどトンチンカンになってきて、
端で見ているこちらが何故かおかしい、というアレです。
でもこの笑いはアハハという大笑いでも、
ましてやその様を嘲笑したものでもありません。
むしろ控え目です。
思わずクスッ、クスり程度です。
そして、笑いと同時にほんわかと和みます。
人間の生理として、この手のタッチは本来求めているもの
なのでしょうね。日溜まりの中で気持ち良くなって、
ついうとうとしてしまうような暖かさです。
世間ではいやなことが目に付きがちですが、こういう人が
大都会の一隅で一生懸命かつユーモアを持ってがんばっている
ことを知って嬉しくなりました。
今回は少々オーバーかもしれませんが、
ありふれた次の言葉で締めくくらせていただきます。
「世の中捨てたもんじゃない」

★生協の白石さんを一躍有名にし、白石さんの回答を次々と
 発信している公認?ブログはこちらです。

★アノ眞鍋かをりさんも取材のついでにお会いしたようです。
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by capricciosam | 2005-12-15 22:46 | 読書 | Comments(2)

半落ち@文春文庫

記録的な暖かさがまだ続きそうですが、寒くなって慌てるよりは、
と思い立って、昨日冬タイヤへの交換を済ませました。
そのせいでもないのでしょうが、昨夜は早々と就寝したので
早朝更新です。

数年前、直木賞候補になりながら、小説の前提にクレームが
つけられて酷評されたことから、著者が直木賞決別宣言をして
話題になりました。それ以来気になる作品でしたが、映画も
観ていないので、この度文庫化されたことで読んでみました。

急性骨髄性白血病、アルツハイマー病、妻殺し、新宿歌舞伎町、
ドナー登録、幸若舞敦盛といったキーワードを散りばめながら、
殺人から自首するまでの2日間の犯人の行動の謎を解こう
とするものです。

犯人の口からはほとんど語らせずに、犯人が逮捕されてから
取り調べを受けて起訴、服役という一連の課程で関係する人間
の目を通じて、リレー式に話を紡いでいく構成は斬新でした。
これに「組織」対「人」、「組織」対「組織」の軋轢が加わって厚み
がつき、なかなか読ませます。最後に謎は解けたようにはなる
のですが、著者は犯人の口からはとうとう明確に語らせません。
限りなく強い推定で物語りは終わります。

犯人が警察という権力機構に「ホントにこんな善良な人がいられる
のか」と思わせるくらい現実味が薄いことと、「澄んだ目」としか
語られない造形の浅さからくる魅力のなさ、動機の解明がいまいち
隔靴掻痒気味な点は不満を覚えましたが、全体の構成力の確かさ
は著者の力量を感じさせるし、意外性もあり、推理小説、娯楽小説
としてもいい線を行っていると思いました。
それ故、ミステリーの設定そのものに難癖をつけられて、直木賞
受賞を逃したことも、委員の錯誤による疑いが強いため、なんとも
腑に落ちない話だなぁ、と改めて感じました。

余談ですが、

<人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。
  一度生を受け、滅せぬもののあるべきか>

犯人が殺人後の2日間を強く黙秘する動機の象徴として使われる
「人間五十年」もシニア間近になると、それもあり得るなぁ、と共感を
覚えるものがあります。歳なんですねぇ。

★その難癖がどういうものか、はこちらをご覧ください。

★またこちらも参考になると思います。
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by capricciosam | 2005-11-04 07:13 | 読書 | Comments(4)

ある閉店2005@大通り地区

16日に丸善札幌南一条店が現在地での営業を止めた。
(北海道新聞より)
三越のすぐとなりにあり、改築した際には一階が三越から
続いていて、変わったなぁ、と驚いたが、多少広くはなった
ものの、依然手狭な感は残った。
あまり立ち寄る書店ではなかったが、一番の思い出は
高校入学時に亡父に連れられて学参を買いに行ったことか。
あの頃はもっと地味で、アカデミックな印象が強かった。
これで向かいのPARCOにあった富貴堂も大分以前に閉店
したので、大通り・四丁目周辺から悉く大型書店が消えたようだ。
逆に札幌駅周辺には紀伊國屋書店、旭屋書店、三省堂書店が
集り、本を求める時は札幌駅周辺が便利になったことは間違いない。
とは言ってもプロ作家の目から見たらまだまだらしいのですが。
(2005/7/27の記事をご覧ください。)
札幌駅周辺と大通り・四丁目周辺という商業ゾーン間での客質や
客の流れにますます格差が生じていくのではないか、と思われる。

余談だが、PARCOの富貴堂は3年前に閉店したらしいことも、
つい最近最上階のレストラン街で食事して知ったことだ。
最近はやや郊外に位置する大型書店で十分間に合うため、
わざわざ混雑する中心部の書店へ出かけることもなくなっていた。
しかし、あまりの「浦島太郎」状態に我ながら呆れかえってしまった。
まあこの歳だからPARCOもとうに卒業したと考えても不思議では
ないのだが、これで書店もなくなったPARCOへ足を向けることは
まずない。
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by capricciosam | 2005-10-17 22:18 | 読書 | Comments(3)