カテゴリ:映画( 42 )

007スペクター@2015

ロビーには007シリーズの歴代のボンド俳優が紹介されているパネルが
展示されていた。数えてみると現在のダニエル・クレイグ(以下、「ダニエル」
という。)で6代目となる。(時には5代目と勘違いされることもあるようですが)

ダニエルが主演した前3作「カジノ・ロワイヤル」「慰めの報酬」「スカイフォール」
では、それ以前のボンド俳優が主演した作品とテイストを異にする。
ダニエル作品ではボンドの再構築を行い、「シリーズinシリーズ」の趣があり、
一話読み切りの形をとりながらも、次作への連続性を強く意識した作りとなっているからだ。

主演1作目の「カジノ・ロワイヤル」ではダブルオー部門に属するエージェントで
ありながら、正式に007誕生となるまでを描く。おまけに、唯一「女王陛下の007」
で取り上げたボンドの恋愛をも描く。それも「女王陛下の007」同様、悲劇として。
そして、悲劇の背後には謎の組織があることも示唆される。
また、シリーズおなじみのテーマ曲も流れるのはエンディング間近という念の入りよう。
これでようやくボンドの誕生という訳だ。またM(前作同様ジュディ・ディンチ)は
登場するが、Qやマニー・ペニーは登場しない、というシリーズとしては異例の設定。

2作目の「慰めの報酬」ではボンドの個人的復讐譚の趣きから始まり、その中で
巨悪組織の存在が示唆されるが、その正体は明らかにされないまま巨悪組織の
一員グリーンと対決して作品は終わる。謎は残った。

3作目の「スカイフォール」ではボンドが味方の女性に撃たれるシーンがあるが、
この女性が後にマニー・ペニーとして登場するが、これも意外な設定。
またMI6ビルも爆破されるが、並行してMI6の組織としての存立自体が
脅かされていることも描かれる。MI6とて時代の流れの中では盤石ではない訳だ。
ダニエル作品以前では諜報機関の組織自体が描かれることがなかったと記憶している。
犯人はMの元部下で、Mに見捨てられた個人的恨み(本作でも似た背景を007に用意する)
を復讐しようと執拗にMを追いかけるため、犯人をおびき出すためボンドはMを道連れに
スコットランドにある自身が育った家スカイフォールに向かう。
しかも、懐かしいアストン・マーチンで。
(懐かしさもあるが、正直唐突感あり。かえって目立つだろうに、、、)
スカイフォールでは犯人を倒すものの、結局Mは死亡することに。
そして、新たなMにはMI6を追求していた側の人間がなるという皮肉が描かれる。
組織としても個人としても時代が変わりつつあることを示唆する。

余談だが、本作品は50周年記念作品としてヒットし、シリーズの中では上位に
評価されることもある作品だ。評価されるのは、これまでの作品では描かれること
のなかったボンドの個人的側面を描きつつ、Mとボンドとの交流的側面も初めて描き、
しかもMの死まで描いくといったシリーズには希薄がちな人間ドラマに比重を置いた、
新たな試みがいわば「新味」として受け止められたためだろうか。
しかしながら、個人的にはその新味に疑問を感じた作品。
最大のものは結局は個人の復讐譚的スケールで終わる「しょぼさ」。
シリーズ作品の魅力である荒唐無稽的スケール感のあるティストはさっぱり感じられず、
スカイフォールでの対決シーンも他作品で見たような既視感に満ちたもので、
かつ他作品でもみられるようなドラマが付加されたような印象では、「つまらなさ」が
先に立った。個人的には新たな試みとして受容するより前に違和感があった。
シリーズで形成されてきたフォーマットへのこだわりが強すぎるのかもしれないが、
「これからこのシリーズはどこに行くのか」的な戸惑いが残り、
ブログに記事としてまとめる気力も起きなかった。
閑話休題。ボンドの出自は謎だったが、本作でスコットランド生まれであることがわかる。
とはいうものの、何故今空き家なのかの説明はないまま作品は終わる。
謎が引き継がれた訳だ。

そして第4作「スペクター」では、メキシコでハデにやらかし過ぎて職務停止と
なったボンドだが、その理由は死んだMからのビデオメッセージだったという種がある。
その遺言の謎を追っていくうちに、「カジノ・ロワイヤル」でのヴェスパー・リンド
の死にからんだホワイトに行き着き、さらにはホワイトの娘とともにたどり着くのが
巨悪組織スペクターという訳だ。
シリーズの最初から背景に描かれるスペクターがここで登場することになるが、
本作ではその親玉ブロフェルドがどういう人物なのかが「スカイフォール」と
からめて描かれ、「そう繋がるのか!?」的驚きが待っているという訳だ。
(ぎりぎりネタバレしていないはず)

一方で、情報監視社会の到来にともなうMI6の廃止という組織的な危機も描かれ、
ダブルオー部門はオールドファッションとして切り捨てられていく、という
時代の流れも描かれる。見事に繋がる訳だが、鑑賞後の後味としては悪くない。
また、M、Q、マニー・ペニーもよりアクティブな形で描かれていくのもおもしろい。
脇役もアクティブ化することで、「ミッション・インポッシブル」のような
チームアクションの方向性も匂わせる。

ダニエル=ボンドの各作品は「実は4部作だったのかー」的驚きがあったくらいで、
原作や過去の作品で省略されていた部分の解釈を新たに提示してうまく作り直した感がある。
こういう新味は受け入れたいと思う。
(それでも、3作目のありかたはスンナリとは受け入れがたい。どれだけ辛目か!?)

また、次作に続く謎ではなく余韻を残したと思うのは、ボンドの恋愛が本作品では
悲劇で終わらずに、次作まで続きそうな気配と宿敵ブロフェルドが生き残った点だ。
この点は次作で引き継がれる予感(期待?)があるが、さてどうなることか。
ダニエルが主役を降板するかもしれない噂とも関連するが、次回作で続きを描くのなら
ダニエル=ボンドで引き続き第5作を期待したいところだ。
ボンドガールが2作品に連続して登場するいうのも過去には例がないが、
ダニエル作品では違うティストを付加してくるので再登板もあり?なのかな。
でも可能性としては限りなく低いだろう。
いち007シリーズのファンとしては、エンドクレジットの
「JAMES BOND WILL RETURN」
を楽しみに待ちたい。

それから、ダニエル作品の中では、過去作品へのオマージュと思われるものでは、
第2作の美女の死体がベッドの上にあるシーンを真っ先に思い出す。「ゴールドフィンガー」だ。
本作品には初代ボンドからシリーズを楽しまれた方なら、過去作品の「あのシーンにそっくり」と
思われる仕掛けが結構ある。ヒントは「ロシアより愛をこめて」です。
お楽しみください。
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<追記12.12>記事の一部を追加・修正しました。




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by capricciosam | 2015-12-06 21:27 | 映画 | Comments(0)

探偵はBARにいる2-ススキノ大交差点@映画2013

ご存じ「探偵シリーズ」第2弾の登場。
原作はシリーズ5冊目の「探偵はひとりぼっち」。
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<ネタバレがありますので、ご注意ください>

人気者のオカマのマサコちゃんが殺された。
義憤に駆られた俺が調べていくうちに、マサコちゃんは札幌を地盤とする大物代議士と
過去に愛人関係にあったらしいことが浮かびあがる。
しかも、殺害現場には当夜代議士が送ったと思われるバラの花束が落ちていた…

という設定。これ自体は意表をつき、良い構成だと思う。
しかし、その犯人捜しが終盤あっけなく解決する。そう、あっけなく、だ。
そして、「なるほど」という納得感よりも、肩すかしでも喰らったような感じが残り、
ちょっと竜頭蛇尾じゃないの、と注文のひとつもつけたくなってしまった。

以前、シリーズの前作を観た感想の中で

>ミスリード役

ということを書いたが、今回のその「ミスリード」役はその大物代議士。
この点は映画も原作に忠実に構成していた。
原作でも著者は読者を大きくミスリードしていき、急転直下犯人が割れる。
犯人は味方と思われていた端役的存在で、動機は嫉妬だけ。
この辺も映画は踏襲している。
もちろん、こういう結末のつけ方もあろうが、原作を読んだ時に感じた
著者だけ先を行って、読者が置き去りにされたような、なんとも中途半端な感情は
映画を観ても残ってしまった。別に深刻ぶれとは言わないが、なんか端折り過ぎ。
この点は原作を読まずに映画を観ると、小生同様の感情を抱く人もいるのではないか、
と心配する点。もちろん、気にならない人もいるだろうが…

さて、2作目では「作り手のやり過ぎ」が目立ったのはいただけない。
例えば、マサコちゃんが殺された後に、俺が女にうつつを抜かすエロ場面。
大倉山ジャンプ台で俺がジャンプして無事着地するシーン。(素人には無理だ)
喫茶モンデのウェートレスの露出ぶりと、しつこい繰り返し。
市電やトムボーイズ・パーティーでのしつこいくらいの乱闘シーン。
市電と言えば、その乱闘の最中に何故か上半身裸になってしまった女性。
右翼の突撃銃と俺の拳銃での撃ち合い。(あれだけ撃てば、どっちか撃たれているよ)
高田の愛車のエンストの多発。(あれだけ頻繁なら、まともに走れそうにはない)

上記の1作目の感想で

>演出での工夫に注文をつけるとすれば、観客の想像力に託して「絵」として
>見せすぎないほうが深みを与えたのではないかと思えたシーンもいくつかあった点だ。

と書いた。1作目では、東映タッチがかなり抑制されていて(チラッと見えた程度)、
次回作にまだ期待を込めていたが、残念ながら2作目は全編に溢れていた。
どうしてこうなるんだろうね。特に、エロい場面は明らかに過剰。
それでも、観る者をどんどん引きつけるものならばあきらめるが、逆にチープ度が増し、うんざり。
プログラムピクチャー的な安易な制作態度にも感じたのは、「シリーズ」ものだからなのか。
それとも大泉洋という異色のキャラへの安易な依存なのか。
恐らく興行的には成功の部類だろうから、第3弾も作られる可能性はあるのだろうが、
制作側には「過ぎたるは及ばざるが如し」というシンプルな言葉も思い出してもらいたいものだ。
適度に抑制された1作のタッチをさらに深めてほしかった。

現代の札幌を舞台にしているだけに、期待を込めて、今回はあえて辛口に。
ただ、主人公を巡る女性として原作の「春子」ではなく、マサコちゃんには妹がいたという
設定にして、大通り公園での代議士の集会での依頼者の暴走を防ぐという演出はウマイ。
その後の病室のシーンでは原作者が入院患者として登場して、思わずニヤリ。
こんな遊びは歓迎です。3作目にはどんなシチュエーションで登場するのでしょうか。
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<追記>
大倉山、市電、Kitara、大通り公園となじみの場所が多かった。
その上、上田市長も再登場。1作目では後ろ姿でチラッとだったのが、今度は正面から。
あの大通りの場面は、上空から集会が2つ写っていたのですが、
ロケの集会ではないほうには偶然小生もいました。その時の記事はこちらです。
あの時、やけにヘリが何回も旋回しているな、と思っていたのですが、
上空から撮っていたんですね。だから、小生もエキトラと言えば言えるのかな!?
もっとも本人すら確認できないので単なる風景に過ぎないか。
写真は集会に向かう途中、偶然ロケ現場を通った時のものです。
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by capricciosam | 2013-05-21 22:52 | 映画 | Comments(0)

レ・ミゼラブル@映画2013

昨年12月に公開されているので既にご覧になった方も多いと思います。
小生は先月に一回観た折、すごく心に残り、
「絶対観たほうが良い」とカミサンに言ったところ、
そう言えば我が家には原作がある、ということに気づき、
カミサンがまずは原作からと熱心に読んでいます。
小生はそれが3冊もあるのを見て、あきらめました(根性ないなぁ…)。
でも、そろそろ上映時間が間引きされてきたので、終映する前にと思い、
カミサンを連れて再びシネコンへ。
2回も観てから感想を書くなんて初なのですが、やはり良いものは良い、
としか言いようがないですね。

ストーリー的にはジャン・バルジャンが教会で銀の燭台を盗みながらも、
司祭に許され悔い改めるという所までしか知らなかったので、
その後の展開含め、大きな歴史の流れの中で翻弄される主人公や周辺の人物の
人間模様までは知りませんでした。
まして、ミュージカルは観たこともありません。
この映画はミュージカル版の映画化らしいので、このミュージカル化自体が
ヴィクトル・ユーゴーの原作の壮大なスケールから、うまくエッセンスを抽出することに
成功したと言えるでしょう。
そして、映画化に当たっても、各俳優のうまさはもちろん、全編を貫く印象的な楽曲が
観客をスクリーンに惹き付けて止みません。
しかも見終った後に心に灯火がともったように感じられる、そんな映画なのです。
素直に感動しました。お薦めです。
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<追記2013.3.20>
第85回アカデミー賞助演女優賞はファンテーヌ役のアン・ハサウェーが受賞。
薄幸の女性役を見事に演んじていました。

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by capricciosam | 2013-02-11 07:23 | 映画 | Comments(0)

プロメテウス@映画2012

<以下、ネタバレがあります。ご注意ください。>

「エイリアン」が作られたのが1979年。
2年前に作られた「スターウォーズⅣ」がSF活劇なら、こちらはSFホラー。
当時、内容も分からず観に行き、恐い思いをした記憶がある。
この映画を観てから未知なる生命体との遭遇については悲観的になってしまった。
もちろん、出会う確率ということではなく、出会った場合の友好度、安全度という
意味だが‥

「エイリアン」自体は、その後シリーズ化されて、タイトルも「エイリアン2」
「エイリア3」‥とヒロインのリプリーが延々と出演することで作品の上でも時が
経過して未来へと続く。
しかし、シリーズ第1作で貨物船ノストロモス号が立ち寄った惑星に先に不時着して
いた宇宙船と巨大な乗組員、さらにはエイリアンについての謎は特に示唆されること
はなかった。フィクションなのだから、謎は謎のままでなんら支障がある訳ではない
が、「プロメテウス」では、その謎の一端が明かされ、そして「エイリアン」へと
繋がることが「エイリアン」既鑑賞者にはわかるしかけになっている。
「なるほど、そういうことかい」
つまり、本作品は一連のエイリアンシリーズの前に置かれるべき作品なのだ。
時の経過で言えば、リプリーよりずっと以前。
「プロメテウス」では西暦2093年と明示することで、漠然とした未来としか暗示して
こなかった「エイリアン」シリーズの時系列的整理がなされたことにもなる。

と、なれば「エイリアン・ビギン」とか「エイリアンなんちゃら」なんてタイトルが
ふさわしかったのではないか、と素朴に思ってしまう。
確かに本作品のストーリーの流れとしては問題ないが、それとは別に、
謎の宇宙船と乗組員(本作の中では「エンジニア」と呼ばれる。)が目標としていたのは
地球で、しかも自らの手により創造した人間をエイリアンで絶滅させようとしていた、
と驚愕のストーリーを付加している。
これは、新たな局面に話を発展させようとした(している?)リドリー・スコット監督の
意思、意図があることが窺えるのではないか。
「旧作に繋がってはいるが、別物にも繋がる可能性を秘めている。」
それ故、タイトル統一の必要性がなかったのかもしれない。

にしても、このタイトルと「なぜ人類誕生の瞬間は空白のままなのか。」
という惹句だけでは、「エイリアン」を想像することは難しい。
それ故、これは作品の評価にも影響を与えるかもしれない。
小生は「エイリアン」繋がりだという情報を得てから観たので作品は楽しめたのだが、
それでもダーウィンの進化論やオパーリンのコアセルベートを頭にすり込まれた者
としては、人間は誰かが創造し、しかもできそこなったので、さらにグロテスクな
エイリアンを作って滅ぼそうとしたなんてのは、正直「鬱」な話ですね。
監督の示唆する未来が暗いのはこれまでの作品の傾向と同じですが、
それにしても最後にエンジニアの惑星に旅立ったエリザベスはどうなっちゃうのかな。
人間に対して敵対的な奴らのただ中にたった一人で行くんだからね‥
そういう点ではカタルシスのない、ションボリしがちな映画だね。
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by capricciosam | 2012-09-01 22:12 | 映画 | Comments(0)

トータル・リコール@映画リメイク2012

「スターウォーズⅣ」が公開されたのが1977年。
それから13年後の1990年に「トータルリコール」は制作された。
前者がSF映画の映像へ与えた影響が大きかっただけに、後者については
「10数年後となれば‥」と期待したが、残念ながら映像としては「スターウォーズⅣ」
に及ばず。しかしながら、SF度としては原作の凝った仕掛けとサスペンスぶりを
活かしており、かつA・シュワルツェネッガーのヒーローさを強調したアメコミ風
ティストが楽しい一作だった。
従って、「トータルリコール」自体への印象は小生の中では決して悪くない。

<以下、ネタバレありますので、ご注意ください。>

さて、そんな作品が22年を経てリメイクされた。
大きなストーリーの流れはほぼ踏襲しつつ、前作へのリスペクトも感じられる部分も多く、
前作を知ってると思わず「ニヤッ」とする場面があちこちにあるし、グロさも薄れている。
それから、前作ではシャロン・ストーンが演じたニセ妻は、コーヘイゲンの手下との
愛人関係にあり、ストーリー半ばで殺されて「離婚成立」となったのだが、
リメイク版ではコーヘイゲンとの愛人関係に修正されて、終盤まで執拗な追跡をしてくる
タフな「鬼嫁」(この訳は秀逸、思わず笑った)に変貌していた。
これはストーリー展開上もわかりやすくて良かった。
また、ニセモノと見破られる時には手のひらの伏線が活きていたね。

22年も経てば情報通信技術の発達は隔世の感があり、CGの発達等も加味すれば、
さらなるバージョンアップを、という期待感を抱くのも不思議ではないと思う。
確かに、小道具やカーチェイスにはふんだんにその成果が感じられ、
前作の映像をはるかに凌駕するものがある。
かつスピード感もあるので、アクション映画として十分楽しめる水準だ。
ただし、支配されるコロニーの雑多ぶりが東南アジア風なのは、
ハリウッド的視線が露骨でステレオタイプなのは、やれやれという感じ。

一方、前作が地球と火星という空間的設定を広くしていたのに比べ、
リメイク版では汚染された地球内での地域的主従関係と設定自体を狭くしたことで
前作に比べSF的大胆さが小粒な印象を受けることと、
(もっとも「フォール」という地球内部を貫通する装置を設定してあるのだが、
それ程ではない)主役のコリン・ファレルのインパクトがシュワちゃんほど強烈では
ないため、地味で小粒なアクション作品という印象も禁じ得ない。

何れにせよ、リメイクだけに期待が高すぎると評価が辛くなりがちかもしれませんが、
そんな先入観なしで見たほうが十分楽しめるような気がします。
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by capricciosam | 2012-08-16 22:55 | 映画 | Comments(2)

中島みゆきLIVE歌旅劇場版@ワーナーマイカルシネマズ江別2012

風邪が治りきらないまま公開初日にカミサンと足を運びました。
2010年コンサート以来、二人揃って中島みゆきさんに関心を持ったので、
少々の具合の悪さなんて言ってられません。

初めに「ライブ映像」に関して、どう思っているのかということを。
「ライブ」というのは、実際の息づかいのあるステージと客席の空間の共有、
お互いの反応のやりとりという双方向性が重要なファクターだろうと思うので、
一方通行的な「ライブ映像」に対しては少々懐疑的です。
それに、映像ではステージの「熱さ」がダイレクトに空間を通して伝わらないもどかしさが
つきまとい、客席もボディアクションを示してその気分をステージに伝えることもできない。
もっとも、後者に関しては「それでもノリノリだぁ」的な一部の例外もあるんだろうとは思いますが‥
にしても、一方的なのは避けられない事実ですから、どうしてもライブそのままとは
いかないのは致し方ないというものでしょう。
それで、若い頃からライブ映像として公開される映画は、まず観たためしがなく、
最近では、映画化された「マンマ・ミーア」で否応なくみせられた疑似ライブ映像の
ラストシーンに、はっきり興ざめしたものです。
(蛇足の典型例。ぜひ劇団四季版をご覧になって、ライブを楽しんでください)

そんな、考えと体験を踏まえた小生ですから、今回の「歌旅」劇場版に対しての評価は
辛目になるのかな、と考えたのですが、見終った後の満足度は高いんですね、これが。
確かに、ライブ映像ならではの一方通行的な性質が変わる訳はないのですが、
ズームアップされた映像を多用することで得られるみゆきさんの表情の変化
(ホント、歌いながら歌詞に合わせて瞬時に切り替わること、あっぱれ)を追い、
みゆきさんの手による歌詞の世界の深さに耳を傾けているうちに、次第に身体中がヒートアップ。
もう、最後までスクリーンに釘付け状態となってしまいました。

「いや~、良いオンナだね。」

なんて、思わず心の内でつぶやいたものの、

「いやなんか違うな、この人は。
見かけは確かに女性だが、性を越えてるんじゃないか。
確かに、しなやかさやこまやかさといった繊細な視点を保持しつつも、
むしろ、気っぷの良さとか、男気、大将なんて男性らしい言葉を
思わず連想するのはどうしてなのかな。
きっと、人間としての度量の大きさ、ど迫力なんだろうなぁ~」

そんな風に自分なりに得心して帰宅しました。
まさに、大人(たいじん)の気迫に触れて心洗われる思いとでも言ったらよいのでしょうか。
そんな一時も良いな、と思われる方には、ぜひお薦めしたい作品です。

歌でつなぐためコンサート中のMCはほとんど収録されていませんが、
その中での一言が印象に残りました。

「同じ時代に生まれてくれて、ありがどう」

いえ、いえ、こちらこそ。

2007年12月東京フォーラムで収録されたライブ映像に若干の映像を加えていますが、
核になっているのは、あくまでもコンサート映像です。
道内は江別、小樽、北見、釧路のみ、5/12から2週間限定公開です。
(特に、今回は札幌での公開がありません)
ライブ映像そのものへの懐疑は完全に払拭された訳ではないのですが、
コンサート会場がある程度限定される中では、こういうのも確かにありだな、と思い直しました。

公式HPは、こちらです。
曲目も公開されています。
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by capricciosam | 2012-05-12 23:36 | 映画 | Comments(0)

探偵はBARにいる@映画2011

札幌のススキノで何でも屋というかプイベート・アイを生業とする<俺>を主人公とする
探偵シリーズは札幌在住の作家・東直己さんの代表作。
その一作目「探偵はバーにいる」は文庫化されてすぐに読んでいました。
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つきあってる彼女が失踪したのでなんとかしてくれ、と大學の後輩から泣きつかれて
<俺>が渋々たちあがってみたものの、市内を駆けめぐって謎を解いていくうちに
持ち前の正義感から深みにはまっていくというのが、ざっくりしたあらすじ。
著者の語り口は軽妙で、小生にとっては市内の土地勘のある場所が
次々に眼前に現れるものだから、親近感からあれよあれよと読み進んだものでした。
当時のキャッチコピーは「新感覚ハードボイルド」。
なるほど、暴力と殺人というハードボイルドには欠かせない要素もきちんとありながらも
場違いな「軽妙」とでもいうべき言葉がふさわしいような語り口で、酔いどれながらも
すさんだところがない、むしろ時折、畑仕事に汗を流す(もっとも栽培しているのは大麻だから
なんとも人を食っている)ように一見ポジティブに生きているように感じられる
新たなヒーロー像を読者に提示してみせた著者の語り口のうまさに感心したものでした。

しかし、今秋映画化されたのは題名こそ発音したら一作目と同じながらも、
「バー」を「BAR」に変えて、内容は二作目の「バーにかかってきた電話」。
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えっ、文庫本のカバーが新しいじゃないか?って。
実は、一作目以降シリーズ化されていたものの、「いつでも読める」と油断して
2作目以降は読まずじまいでした(東さん、ゴメンナサイ)。
それで、公開される前に慌てて読んだところです、ハイ。
一作目に比べ著者の語り口はさらに磨きがかかり、ストーリー含め
全体がこなれた感じになっており、謎の解明とともに衝撃度も増している。
映画化に2作目を選んだのは選択としては良かったのではないかと思う。

<以下、ネタバレが部分的にありますので、ご注意ください。>

映画化に当たって、ストーリーの大筋は原作に沿っているものの、
上映時間という制限の中で説明しやすいように、組み立てはくふうし、
導入部や演出を変えつつ、全体にテンポアップしており、バイオレンス度も増している。
その分、原作の雰囲気との乖離感があったと感じたのは否めないが、
<俺>を演じる大泉洋の時おりみせるお笑いキャラと、高田役の松田龍平とのかけあいが
原作の「軽妙」さにひきもどさせてくれる。
また、まじめに演じても普段TVで観る大泉洋のキャラが立ってきて、
少々お尻のあたりがもじもじしてしまう落ち着きの悪さはやむを得ないところか。
それから、演出での工夫に注文をつけるとすれば、観客の想像力に託して「絵」として
見せすぎないほうが深みを与えたのではないかと思えたシーンもいくつかあった点だ。
例えば、田口とその妻まで殺すシーンやヒロインの自殺シーンだ。
特に、後者は拳銃を頭に向けるカットでとどめ、次のカットは発射音で小生には充分。
そのほうがヒロインの悲しみが深まると同時に観客の想像力も働き、
気持ちも引き寄せられて、余韻が生まれたように思う。
また、拳銃一丁で何発撃てるんだ、というくらい南、岩淵父子にぶちこんでいたけれど、
岩淵父の扱い方も無理矢理カタルシスを得させようとしているようで安易で押しつけがましい。
むしろ原作の扱い方のほうが唸ったところだ。
また、死んだはずの<コンドウキョウコ>へのミスリード役が原作にはあったのに、
本作では配置しつつ否定したことで、原作を知らない人でも<コンドウキョウコ>が
誰なのかを簡単に推理できる可能性が高かったのは制作側の意図なのか。

しかし、総体的に見れば、札幌の今をふんだんに折り込んだロケもさることながら、
オリジナリティを見失う事なく、一定の水準が十分確保されていたことは喜ばしい限りだ。
あわよくばシリーズ化を狙っているとのことだが、
次作では、なお一層のブラッシュアップを期待したい。
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<蛇足>
ホント、ススキノはじめロケはふんだんに敢行したようです。
赤ひげ薬局前、ラーメン横丁、地下歩行空間、中央署前や大通りビッセの各交差点etc。
思わず笑っちゃったのが、ススキノ交番裏のビル屋上。挑戦的(笑)
また、霧島敏夫の殺害現場は原作では南7西4の路上だから、まさしくススキノという設定。
でもロケ現場は、ススキノから離れた札幌駅前にある、
現在解体中の旧札幌西武の本館とロフト館の間にあった道路というか通路。
ロフト館(当時は新館と言ったんじゃないかな)ができたばかりの頃、出入り口近くに
犬の彫刻があって、子供を側に立たせて写真を撮ったことを思い出しました。
懐かしいなぁ~
それから、原作者の東さんも<ケラーオオハタ>のあるシーンで特別出演していました。
その演技する姿は普段の東さんらしいんだろうか、と想像したら思わずニヤリ。
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by capricciosam | 2011-09-15 21:32 | 映画 | Comments(0)

トロンLEGACY@映画2010

初めて家電売場で3DTVを観たら、なるほど立体的に見えることに驚いた。
でも、想像していた立体感と違っていたことは、画面よりも観る側に
飛び出してくるというのではなく、むしろ画面のむこう側の奥行きが
作り出す立体感というものだった。
ちょうどステージ上の奥行き感とでも言ったらよいのだろうか。

この段階では、映画のアバターや3Dアニメも観たことがなかったので、
今回のトロンが映画では初めてということになる。
やはり、同じような見え方になるのだろうか。
未知のデジタル世界を想像力を駆使して、しかも3Dで描くのだから、
さぞかし、と期待して出かけたのですが、結論から言うと、
宣伝ほどの3D効果は感じられず、この点に関しては「?」だらけでした。
ただし、字幕だけは、くっきりと浮き出ていましたから、
「あ~、3Dなんだな‥」と。
むしろ、予告のディズニー映画のほうが、よほど立体感があったのは
なんとも皮肉な話です。3Dメガネ代300円を返してほしいな、というのが
正直な気分です。

どうも、最初からけなしたようになったのですが、これは3D効果に関しての話。
映像やストーリーそのものは十分楽しめました。
ストーリーは単純化して言うと、「未知の世界からの脱出モノ」ですが、
荒唐無稽と言えばそれまでの構成を補って余りあるのが映像の臨場感で、
これには驚きました。
この辺の作りの丁寧さは大したもので、想像力とそれを実現する技術力には
依然かの国との差があるように感じてしまいます。

ところで、エンコム社が世界で初めて株式を上場するのが東京株式市場で、
失踪した父は禅により瞑想にふける、なんて、あたかも日本市場を意識している
のかな、というシーンもありましたね。
それから、白色光に覆われた部屋に古典的家具が置いてあるシーンには、
思わず「2001年宇宙の旅」のラストシーン近くを想像してしまったのは
小生だけでしょうか。

かなり前に公開された前作はいまだ観たことはないのですが、続編としての
性格もあるようです。
でも、独立した作品としても鑑賞に堪えられる仕上りにはなっていましたから
久しぶりの映画でしたが、十分楽しめました。
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by capricciosam | 2010-12-19 23:09 | 映画 | Comments(0)

小三治@映画2010

先日の独演会の一席目のまくらの最後のほうで話題にしていたのがこの映画。
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「今(札幌で)やっているんですってね。あの映画は観てない。
(NHKの)プロフェッショナルで懲りちゃった。何回も再放送したりして、
飽き飽きした。(人の)身体を鶏ガラだと思って、何度も何度もスープをとって。
(入船亭)扇橋と仲がよい? 仲良かぁないよ。
温泉に爺ぃと爺ぃが入ってる? 観たかぁーないよ。」

そして仲良し、友達というところから「長短」へと入っていく訳ですが、
会場で配布されていたパンフを見たら、ごく短期間の上映だったので、
こりゃ見逃したら当分見れないだろうと思い、足を運びました。

高座も「らくだ」「鰍沢」とそれぞれ一部ですが、収録されていてお得。
それから、弟子の柳家三三の真打ち披露口上での挨拶が、また良い。
もちろん高座以外の師匠の姿も楽屋やプライベート含めて追っていて、
師匠の含蓄のある発言も随所に出てきます。

「音符を並べたら音楽か。言葉を並べたら小説か。
そうじゃないんだろうな。音符も言葉も道具や記号に過ぎない訳で、
ただ並べただけじゃ何も伝わらない。これは落語も同じ。
何を演ったかではなく、何をお客に伝えたか、ということが大事なんで、
カタチなんて関係ない。ココロなんですよ。」

半端なプロでも言えそうですが、これが当代随一の噺家の発言となると、
とたんに重みが増します。
師匠のはにかむ笑顔と対照的な遠くを見つめるかの如き内省的な視線。
その芸に触れた者ならば、その言葉にウソはないことを実感するはずです。

それにしても、「鰍沢」を演る前の楽屋の様子が興味深かった。
小三治師匠が口数も少なくなり、「鰍沢」に集中しようとする一方で、
隣の間では弟子たちがワイワイガヤガヤ。全然おかまいなし。
つまり、大看板も弟子もいっしょの楽屋。
同じ古典芸能の歌舞伎でも大看板は楽屋が別だろうし、
クラシック音楽なんかも、指揮者やソリストは個室を与えられるのではないか。
ともに、本番前に集中を高めることは同じだろうに、
ジャンルによる環境の違いというのはこうも違うものなのか。

このドキュメンタリー映画の公開自体は昨年なので、
今回札幌での上映はリバイバル上映ということになります。
映画館の紹介パンフには、館主とおぼしき人の公開当時の潜入ルポが
記してありましたが、見事な不入り(?)だったらしい。
でも、今回はミニシアターだったせいか、中高年主体に結構な入りでした。
結局、独演会後の復習みたいな形になりましたが、観て良かった一本でした。
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by capricciosam | 2010-02-08 22:57 | 映画 | Comments(0)

笑う警官@映画2009

リンクさせていただいている佐々木譲さんの原作の映画化だけに
本日の初日は、昨年から楽しみにしておりました。

<珍しく、ネタバレはありません。安心してお読みください。>
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主人公佐伯たちの裏捜査本部がおかれる
「JAZZ&BAR  BLACK BIRD」
は映画ではすすき野にあることになっているが、原作では
狸小路8丁目にある3階建ての古いビルの一階にある。
道警を訳あり退職したマスターの経営するその店は
奥行き六間ほどで、床は硬い板張りで、フロアには
丸テーブルが7つ並んでいる。

「確かに、アーケードのない狸小路のはずれあたりならありそうだな…」

映画で気になったのは、この店の天井の高さ。
まるで倉庫並なのだが、札幌中心部ではちょいと無理だろう。

そして、映画でも女性巡査殺しの真犯人が判明するまでは
司令塔となる佐伯と小島百合がこの店に陣取ることで印象深い。
全編通じて挿入されるメローなジャズが耳から演出する
ジャージーな雰囲気を、視覚的に決定づける役割を果たす。
これだけで観ている方としてはストーリーを追うという緊張感の割には
くつろいでいる訳だが、さらに画面が長まわしをすることで役者の語りが
多くなり、どうしてもメリハリに乏しく、流れ気味となる。
その分、タイムリミットものの原作の「緊迫感」、「切迫感」を
薄めているのは弱点かもしれない。
また、派手なシーンも少ないため、単調さを感じる向きもあるやもしれぬ。

しかし、事前に原作を読んでいた者としては、その分丁寧に
作り込んだ制作者側の一種のきまじめさも好感される訳でもある。
じゃあ、ただくそ真面目で翻案のひとつもないのか、となると、
いやいや、やはり映画化です。
原作と異なる伏線のはり方、つながり、そして結果が随所に見られ、
「う~ん、こう来たか…」
と、原作とは異なるテイストも堪能できて、仕上がりがりとしては
そんなに不満はない。
ただし、割と地味な仕上がりなので少々損かもなぁ…。
また、ラスト数分の場面の評価は分かれるか。
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<追記>
札幌ロケの場面がかなりあるのかと思っていたのですが、
残念ながら、車のナンバーと道路標識と大通り以外は
多分本州なんだろうということが露骨にわかり、
地元人としては少々がっかり。
例えば、植えられている植物が露骨に道外なのですから、
「う~ん、勘弁して!?」

<追記2>
道警シリーズとしては第2作が写真の「警察庁から来た男」
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この時も道警組織に巣食う巨悪と戦うことになるのですが、
この2作目を読まれた方なら、これを原作とした映画化があるとしたら、
その巨悪は見事に置き換えられて、この映画1作目とつながるんだろうな、
という予感が終盤でピンとくるのでは!?

<追記3>
これは、追記というより蛇足かな。
原作の「うたう警官」が文庫化されるにあたり改題されたというのは
文庫版の佐々木さん自身の後書きをご覧ください。
私の中では「笑う警官」と言えば、やはりマルティン・ベックシリーズなんですね。
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こちらは無差別殺人事件に潜む謎ときで、佐々木さんの原作のタイムリミットもの
とは異なるテイストなんですが、これはこれで当時の一世を風靡したものです。
私も当時は背伸びしてセッセッと読んだものでした…

<追記4>
アジトとなるのが「BLACK BIRD」ときたので、
「ひょっとしたら…」と思ったら、
案の定「bye-bye Black Bird」が挿入されていた。
エンドロールで確認したら、JULIE LONDONでした。
「いいなぁ~」
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by capricciosam | 2009-11-14 23:27 | 映画 | Comments(2)