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さようならレーモン・ルフェーブルさん

また一人ムード・ミュージックの匠が逝った。
レーモン・ルフェーブルさんと言えば、なんと言っても
「シバの女王」
印象的なギターのイントロにストリングスが重なって
実に魅力的な仕上がりです。
このジャンルの曲としては、いまだお気に入りの上位ですね。
当時は写真のドーナツ盤を繰り返し聴いたものでした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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by capricciosam | 2008-06-29 22:21 | 音楽 | Comments(0)

紀尾井シンフォニエッタ東京@Kitara2008

紀尾井ホールが開館してまもなく1周年という頃に同ホールでの
演奏会(ブロンフマンによるピアノ・リサイタル)を聴いたことがあった。
当日は四ッ谷駅から上智大学横の道路を桜並木を横目に見ながら
ホールへ向かったが、ニューオータニが見えたと思ったら着いていた。
入り口でもらったチラシの束の分厚さに東京の奥深さをかいま見た
ような気がした。今も昔も札幌はあの何分の一程度だ。
ホール内は落ち着いた色調で、ブロンフマンの力強いタッチのせいも
あろうが、よく響くホールだなぁ、という印象であった。
そうなるとよけいレジデントの紀尾井シンフォニエッタの演奏
でなかったのが惜しまれ、チャンスがあれば、と思っていた。

1曲目エルガー序奏とアレグロ
弦楽四重奏と弦楽合奏が対峙したりとけ合ったりして絶妙な世界を
作り出すこの曲。エルガースペシャリストの尾高さんの棒は、
スタートからオケをあおって力強くリードしていく。しかし、オケには
いささかの乱れも感じられず、弛緩することなくクライマックスを築く。
オケデビューに喝采を得た伝説的作品らしいが、なるほどうまい。
しかし、会場の拍手は至極あっさりとしたものだったのが意外。

2曲目メンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲
ソリストのラファエル・オルグは実にあっさりと弾き通した。
自らの技巧を武器に過剰なのめりこみもなく、さりとて
つきはなした訳でもなく、適度な距離を保って淡々と弾いた感じがする。
中庸、とか教科書なんて言葉が脳裏に浮かんだが、決して悪くはない。
アンコールに応えてバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタより第一番
弾き始めを明確にさせずにさりげなく入る点はメンデルスゾーンとも共通。
オケもこの曲から管楽器が加わるが、木管に比べ金管のうまさが
目立つと同時に、うますぎる故に、全体としてみれば
ややバランスの悪さも感じる。
これは3曲目でも同様の印象だった。

3曲目ベートーヴェン交響曲第7番
この作品を一貫して貫くリズムをどの楽章でも余すところなく
表現していたように感じる。
室内オケとは言いながら、乱れないアンサンブルでやられると
迫力は十分で、会場も大満足だったようで、盛大な拍手。
アンコールはなく、尾高さんのお休みのポーズでお開き。

3階席は販売しなかったようだが、案外空席が目についた。
また公演協力の某製鉄関係者らしきスーツ姿が目立ったが、
調べてみると紀尾井ホールはこの製鉄会社が設立したもの
だったんですね。道理で前日は室蘭で公演している訳だ。
道内公演:6/20紋別、6/22室蘭、6/23札幌、6/24函館
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by capricciosam | 2008-06-23 23:26 | 音楽 | Comments(2)

突如の乱調

突然ディスプレーの色調が異常を示した。
全体に暗いブルーのようになり、読み取りが困難に。
ディスプレーのMENUをアレコレいじるも回復ならず。
メーカーの型式を調べてもすでに生産中止扱いで、
FAQも何一つ表示されない。
「まいったなぁ…」
と、思ってスイッチを切って再び入れてみると、
なんと、今度は全体にピンクがかってしまった。
「エッ、ムムッ!?」
画面の暗さはとれたものの、でもこの色調も
なんとも落ち着かないものですね。
単になじんでいないだけではないような感じ…
ゆっくり調べるのは休日になるので、
しばらく、なんとなく桜色の画面で過ごすことになりそうです。
<6.22追記>
取説も見あたらないので、念のため接続コードを
いったんはずして、接続しなおしたところ見事に回復。
ゆるんでいたということですね。あちゃー

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by capricciosam | 2008-06-19 23:48 | 時の移ろい | Comments(2)

深夜営業

近くのスーパーは朝9時から夜10時まで営業している。
朝はそんなに買い物客でにぎわっている印象はない。
むしろ店頭もスカスカした感じで、店員の方が買い物客を尻目に
商品を陳列中といった感じだ。
仕事帰りの、夕食も終わろうかと言う時間でもそこそこ買い物客で
にぎわっている時もあるが、どちらかと言えばスカスカ。
まして夜9時以降ともなればガラガラ。
店員も手持ち無沙汰にしていて、気の毒な限り。

このスーパーの経営者はカリスマ経営者として有名らしく
この手の拡大路線で売上げを拡大させてきた人のようだ。
ただ、消費者を覚醒させるがごとき強引な商法も、この頃は
いささか精彩を欠くようで、このスーパーも売上げが減少している。

確かに、朝早くから夜遅くまで営業していると、便利である
ことは否定しないが、常に必要としている訳ではない。
「あったら便利だなぁ~」的な気分だ。
つまり、なくてもなんとかなる程度のものなのかもしれない。
それなのに、地球温暖化防止が焦眉の急の状態で、
エネルギーを多量に消費してまでこんな状態を続ける意味は
あるのだろうか、と常々疑問に感じていた。

これは、もっと近くのコンビニでも同じだが、
このコンビニは夜11時で閉店するので、実に模範的。

そう思っていたら、埼玉県に続き、神奈川県でも
コンビニやスーパーの深夜営業の自粛を
地球温暖化対策条例に盛り込むよう検討に入ったことが
報じられている。
便利な生活が不便になるより、もっと大問題なのが地球温暖化。
エネルギー多消費型の「便利さ」は見直していく時が来た
のかもしれない。
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by capricciosam | 2008-06-17 22:09 | 時の移ろい | Comments(2)

初夏の雪

昨日の話の余話です。

車で出かけたら、渋滞にはまってしまいました。
ちっとも進まないので、頭の中は「?」だらけ。
歩道を行く人は、綿飴を手にした子供や浴衣を着たカップル。
それでピンときましたが、札幌祭りだったんですね。
う~ん、お祭りなんてとんとご縁がなくなったこの頃なので
うっかり屋台が連なる周辺を通ってしまったという訳です。
やれやれ…
ようやく脱出したと思ったら、今度は要所に警官が立って通行規制。
今度は何だ?と思って、よく見ると、
「札幌国際ハーフマラソン」
一難去ってまた一難という訳で、予定時間を大幅に超過して
美術館へは迂回して着きました。
<蛇足>
今日知ったのですが、山梨学院大学のモグスが走ったんですね。
あの箱根の走りを見たかったなぁ~

美術館に着いてみると、庭の一隅が真っ白。
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「おっ、初夏なのに雪!?」
どうやら庭の樹木の花粉だったようですが、
あれだけ大量だと、遠目には一瞬勘違いしそうな景色です。
美術館目指して進むと、門には「片岡珠子展」の看板が。
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門を通って敷地に入り、美術館に着いたら、
前庭ではブルーシートが敷かれて、軍手をはめた
(ちなみに北海道ではごく普通に「はく」を使いますから、
この場合は北海道弁では「軍手をはいた」となりますね)
子供たちがトンカチを持って石のようなものを
トントン、カンカンたたいています。
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どうやら特別展「北海道立体表現展’08」に関連した
ワークショップのようで、使われていたのは札幌軟石でした。
今回は時間もなかったので特別展は鑑賞せず、
片岡球子展を観ただけでした。
見終わって館の外に出ると、前庭はきれいに片付けられていたので、
子供たちの作品はどんなものができあがったのか見られませんでした。
体験した子供たちの中から、将来この道に進み、新たな才能を開花させる
子もいるのかな、と考えると、また楽し、です。
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by capricciosam | 2008-06-16 22:31 | 時の移ろい | Comments(0)

片岡球子の世界@北海道立近代美術館2008

ようやく時間がとれたので「片岡球子の世界」展へ。

北海道立近代美術館(1977年開館)のコレクションのひとつに
本道ゆかりの画家の作品の収蔵があります。
今年103歳で逝去した日本画家片岡球子さん(札幌出身)の作品も
本人からの寄贈品を中心にまとまった数が収蔵されており、
現在常設展では球子さんの画業を4つの時代に区分して
系統立てて紹介する回顧展がひらかれています。

47歳で日本美術院同人となる程の遅咲きだった球子さんですが、
初期の作品を見ても、実に丁寧に描かれており、対象に迫ろう
という姿勢がひしひしと感じられます。
院展でたびたび落選していた、などとは信じられないくらいです。

しかし、横山大観から「雄渾」というテーマを与えられたことで、
祈祷する僧を描いたあたりから、作風に後期の骨太で躍動的な
趣が漂いだします。
この時期には出産時の様子を描いたりして、興味の対象の広がり
を感じるのですが、この作品はえらく酷評されたそうです。
まさしく「下手物」としての面目躍如たるものが感じられますが、
絵自体は無音の世界で淡々たる感じです。

そして、60歳前頃から球子さんを代表する「火山」や「雅楽」の
シリーズものがスタートしていきます。
「火山」の第1作となった「桜島の夜」などは作風をガラッと変えて
荒々しい一見キュビズムタッチの仕上がりとなっています。
まるで、たまりにたまったエネルギーが噴出したかのごとき
作品の様子から、作者の内面の変化の兆しを感じました。

この延長上に、繰り返し取り上げた「富士山」という代表作が
あるのでしょうが、意外だったのは「屈斜路湖」や「羊蹄山の秋色」と
いった本道ゆかりの題材にも、その雰囲気は十分感じられたこと。
「屈斜路湖」なんて「おとなしめの富士山の絵」のような感じでした。
「羊蹄山の秋色」は時間的制約の中で、一気に仕上げたかの
勢いのある作品ですが、やはり雰囲気は富士山のそれと同じ。
これも羊蹄山が「蝦夷富士」と呼ばれるせいなのでしょうか。

そして、球子さんと言えば、70~80歳代で描かれた一連の「面構」。
残念ながら、道立近代美術館はあまり収蔵していないらしく、
今回は2点のみ(正確には1点なのでしょうか)。
作品が自由に飛翔してみせることで得られる魅力とは面構にこそ
あてはまるような気がしますが、老境と言って良い年齢で、
次々とシリーズを制作していったその旺盛な創作力には脱帽です。

あと、意外だったのは80歳間近で始めた裸婦を描いた「ポーズ」
という一連の作品。解説には老境では取材へ出かけることも
ままならなくなることに備えた、というようなことが書かれていましたが、
果たしてそれだけでしょうか。
描く対象の広がりは老境においても依然持続していた、あるいは
かつて取り組めなかった対象だった、と考えることのほうが、
むしろ妥当なのではないかと思いました。

全35点で振り返る片岡球子さんの画業でしたが、
コンパクトながら見応えのある展示でした。
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by capricciosam | 2008-06-15 21:02 | 展覧会 | Comments(0)

13日の金曜日ですが、何か?

今週は気分的には「虚しさ」が支配的な週でしたが、
今夜は気分を変えようと、久しぶりにDVDで映画を観ていました。
2時間程、画面に展開される世界に浸れる至福のひととき。

「いや~、映画ってほんとにいいもんですね」

この決めゼリフの水野晴男さんも逝ってしまった週でした。
あの頃はTVでいろいろな映画を観ることができました。

荻昌弘さんの月曜ロードショー
水野さんの水曜ロードショー
高島忠夫さんの金曜ロードショー(タイトルが曖昧です)
そして、淀川長治さんの日曜洋画劇場。

中には往年の名作も放映されたので、楽しみでしたね。
ビデオもまだありませんでしたから、一期一会的で、
例えば「サウンド・オブ・ミュージック」「七人の侍」
これらはTVで初めて観て、娯楽作ながらその完成度の高さに
感動した覚えがあります。
どの番組も時代にあったいい仕事していたと思いますが、
それにしても
「大スクリーンで映画が観たい!!」

これを書きながら聴いているのが写真のCD
TVの主題歌ばかりですが、なかなか聴かせます。
クドーちゃん、って聴いて懐かしい人にはピッタリ。
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by capricciosam | 2008-06-13 23:56 | 時の移ろい | Comments(0)

人生をかけたパフォーマンスに値するのか

どうも秋葉原殺傷事件のことが、まだ気にかかる。

昨日の昼、遅い昼食をとっていたら、TVで犯人の両親の
記者会見の様子がほぼノーカットで流された。
警視庁での事情聴取を終えたばかりという父親は
気丈に答えていたが、側にいた母親は途中から崩れ落ち、
顔を突っ伏して泣いていた。
会見を終えても立ち上がることもできず、父親に支えられて
ヨロヨロと立ち上がって自宅に消えた。

なんとも惨いことだ、と思わず涙がでてしまった。
彼一人で十分責任を負わなければならないという原則ではあるが、
犯人に近い関係として「親」は逃れられない宿命なのか。
しかし、犯行に至る人格形成に「育てた」という面での係わりは
あるのは否定出来ない事実であるし、対世間並びに道義上、
親としてはおわび並びに釈明をしなければならないんだろうな。
犯人は25歳の生計上独立した社会人だというのに。

次第に犯人の行動や心が明らかになってきた。
容姿にコンプレックスを抱き、異性の相手もない。
収入や雇用も安定しないまま借金を抱え、
日常も携帯なしでは過ごせず、訪れる人とてない掲示板に独白し、
犯行当日も
「誰かが犯行を止めてほしかった」
だなんて…
それだったら、踏みとどまって凶行は避けてもらいたかった。
無辜の人の命を巻き添えにしないでもらいたかった。

石原都知事の発言
>警察力の強化で防げる問題じゃない。人間の内面の問題。
 もっと時代の、社会全体の背景がある
>自分の人生をかけたパフォーマンスを、ああいう形で携帯を通じて
時々刻々、シナリオを伝達しても誰が読むのか。非常にむなしい
(以上毎日新聞から)

驚き、怒りを通り越したら、ホントに「虚しさ」を覚える。
世間の耳目を恐怖で一瞬奪ったが、あとに一体何が残ったのか。
果たしてそれは、犯人の求めたものだったのだろうか。

 東浩紀氏の発言
>いまや若者の多くが怒っており、その少なからぬ数が
 アキバ系の感性をもち、しかも秋葉原が彼らにとって
 象徴的な土地になっているという状況があった。
 したがって、その街を舞台に一種の「自爆テロ」が
 試みられた
>未熟なオタク青年が「逆ギレ」を起こし刃物を振り回した
 といった単純な話ではなく、むしろ、社会全体に対する
 空恐ろしいまでの絶望と怒りである
(以上朝日新聞から)

若い時は社会に対して多かれ少なかれ抱く感情ではあるし、
それが暴走に結びつくこともゼロであったとは思えない。
しかし、格差の拡大・固定化とともにそのような感情を抱く若者が
潜在的に増大・深化していくのではないか、という懸念が
払拭できないことのほうが悩ましい、というか空恐ろしい。
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by capricciosam | 2008-06-12 23:54 | 時の移ろい | Comments(0)

誰でもよかったなんて言うんじゃないよ

秋葉原の通り魔殺人事件には慄然とした。

今夜のニュースでも繰り返し取り上げられていたが、
犯人がトラックで突っ込み、次々人を刺して捕まるまでの凶行時間は
わずか5分程度だったらしい。
日常の中では雑談でもすれば、あっという間のわずかの時間。
しかし今回の事件では何人もの命が奪われた重い時間。

目撃者によると、車から降りてきた犯人は
目がつり上がったようにして笑っているように見えたらしい。
一種の間違った高揚感、恍惚感なのか。

犯人は携帯電話の掲示板に犯行を予告していた。
とかく隠し事は他人に話したくなるもの。
ましてそれが犯罪なら、その反社会性に比例して益々話したくなるのか。
ネットが普及する前なら、犯行予告をベラベラしゃべるなんて
ほとんどあり得なかったはずなのに、犯人の間違った「得意感」で
口を滑らしても、匿名ならば特定される危険性は低く、
犯人の欲求も満たされるというもの。
そう考えると、ネットの普及は犯罪を助長しかねないのか!?

亡くなられた方の人生が凶行により断ち切られてしまった点に
関しては同情以外の何物もない。
ただ、ただ、ご冥福を祈るばかりだ。

官房長官がナイフの規制を検討する旨の声明を発表した。
なるほど、直接的にはそうなのかもしれないが、
それだけで抑止力たり得るのだろうか。

犯人は「20代半ばで派遣労働」

なにやらワーキングプアを連想してしまうのは私だけだろうか。
やはり、若い世代がこの辺りに落ち込んで脱出しようと
もがき苦しんでいることにも目を向け、手を打っていかないことには
この層からの犯罪は決して減らないのではなかろうか。
<6.9追記>
奇しくも大阪池田小学校で起きた事件と同じ日だったんですね。
なんたる悪い偶然。
でも逆に6月8日は、こんな犯罪を許さないぞ、という意味を込めた
メモリアルデーとすべきなんじゃないのか。

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by capricciosam | 2008-06-09 22:57 | 時の移ろい | Comments(4)

見えないを生きる

週末天気が悪い日が続き、庭の草取りも見送っていたら
貧相な庭がますます貧相になってきたので、天気の回復した
今日は午後いっぱいを休憩もとらずに草取りに費やしました。
いい汗かいたんですが、やや脱水気味。
やはり、年相応に休憩はとるべきでした、と反省。

今夜たまたま観たETV特集は中途失明者を取り上げていました。
京都にある彼らを収容して自立に至る訓練をする寮に
収容されている方たちを追っていた。

何人かに共通していたのは、中途失明した時
自暴自棄になって荒れたこと。
何れも奥さんや子供がいる方だけに、お互いが大変だっただろうな、
と推測(この辺は番組では触れません、言わずもがなですか)
でも、ちっとも、おかしいことではない。
自分がその立場になったら、ありったけの呪詛をはきながら、
きっとそうなるでしょう。

そういえば、昨年のガイドドッグ・オープンデーで体験した完全暗室が
盲目の疑似体験では高レベルなものだった。まったくの闇。
あの時のパニックは、自分でも意外だったが、
あれでも脱出すれば可視の世界に行き着けることが
保証されているから、多少は冷静さを保っていたが、
内心はパニックそのもの。
いかに闇に順応し、闇に生きることが大変なことか。

教職にいた方のうち20代で失明された方は、
ぜひとも復職しようとし、40代で失明された方は、
元の職場の同僚と会ったり、職場に顔をだすまで時間を要している。
モチベーションを取り戻すまでの時間の長短はあれど、
気持ちが前向きになっていく過程にホッとしつつ、
実際に教壇に立つことのハードルの高さを想像して、絶句。

人生の中途で本人が予想だにしないハンディキャップを負い、
それを克服することがいかに大変なことか。
また、それを支援していく人たちがいる。
一体、全国でこういう取り組みをされている所はどれくらいあるのだろう。
お寒い状態でないことを期待したい。
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by capricciosam | 2008-06-08 23:55 | 時の移ろい | Comments(2)