<   2014年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧

札幌交響楽団第570回定期演奏会@Kitara2014

尾高音楽監督の札響ファイナルシーズンの最初の定期演奏会で演奏されたのは

ヴェルディ レクイエム

のみ。約80分。休憩、アンコールなし。

これまで尾高さんの指揮する声楽曲の中でレクイエムを聴いたのは2006年定期の
「ドイツ・レクイエム」
だけだが、あの時よりは余程感興豊かな余韻が残った。
共通しているのは劇的表現に意を尽くしているな、ということなのだが、
ブラームスの作品はむしろ生き残った者へのなぐさめに通じる静謐さこそが曲の心髄
と考えるため、その指向性には少々違和感を感じたものだった。
その点、ヴェルディの作品は宗教曲らしからぬ豪壮にして力量感に満ちた作品としての
性格ゆえか、劇的表現こそがふさわしい。
また、独唱、合唱もそれ相応の表現の力量が求められるのは言うまでもない。

その点、今回は有名な「怒りの日」の前の、冒頭の「Requiem&Kyrie」だけでも
独唱、合唱含めた演奏が満足すべきレベルにあることがわかり、安心して聴き通す
ことができた。指揮、オーケストラ、独唱、合唱が一体となった名演だったと思う。
オペラの人ヴェルディが作曲したことを意識すれば、もっと劇的表現に装飾をほどこす
ことは可能なのだろうが、尾高さんの指揮はあくまでも宗教曲として踏みとどまろう
とするかのようにバランスのとれたもので、至極真っ当な解釈だったのではないか。
もっとも、これは評価の分かれるところかもしれない。

それから、やはり特筆すべきは独唱と合唱の出来のすばらしさだ。
粒揃いとはまさにこのことか。記して敬意を表したい。

独唱 安藤赴美子・ソプラノ   加納悦子・メゾソプラノ
    吉田浩之・テノール    福島明也・バリトン

合唱 札響合唱団・札幌放送合唱団・ウィステリアアンサンブル・どさんこコラリアーズ

「ドイツ・レクイエム」の時同様、合唱団もステージ上に配置されていたが、
P席配置に比べ圧倒的に演奏との一体感が増す。これも功を奏したのではないか。
録音されていたので、後日放送されるのだろうか。
c0007388_23353371.jpg

<追記>
配布された資料をみると、札響がこの曲を前回演奏したのは11年前の2003年6月。
これは札幌アカデミー合唱団による創立20周年記念コンサートで、指揮は井上道義さん。
演奏後のステージで井上さんが合唱団を指導する永井征男さんに
「記念だというのに、どうしてレクイエムなの」と聴いて会場に一瞬笑いが起こったのが
記憶にあります。ホント、井上さんはお茶目だな。
癌治療中の井上さんですが、快癒され、指揮台復帰を祈りたいです。
c0007388_7225277.jpg

[PR]
by capricciosam | 2014-06-28 23:36 | 音楽 | Comments(0)

存在の美学@札幌芸術の森美術館2014

伊達展に続き初日に足を運んできました。
今回のギャラリートークは8人の作家による、としか予告されておらず、
野田弘志、永山優子の同人お二人は間違いないとして、
一体どなたがお話されるのか、と楽しみにしていました。
トークの司会進行はHBCの鎌田アナウンサー(以下、「鎌田アナ」と略す)。
おっ、札幌はプロが務めるのか、力入っているな、と思ったら、
鎌田アナの発したのは「ただいまから開会式を行ないます。」
と言うわけで少々面食らったが、トークの前に開会式が行なわれた。
挨拶したのは伊達市の菊谷市長と芸術の森美術館の佐藤館長。

そしてトークへ。
8名は同人のお二人に加え、同じく同人の廣戸絵美、そして招待作家の
今村圭吾、松永瑠利子、小尾修、李暁剛、大畑稔浩。
今村、松永のお二人は伊達展のトークにも参加。

鎌田アナの発した一つ目の質問がいきなり直球。
「タイトルは「存在の美」で良いのじゃないか。なぜ美学なのか。」
しかし、振られた野田さんは回答を避け、永山さんが答えることに。
「存在そのものが美である。そして、そのモチーフを描こうとするが、
男の美学と男の美とは違う。存在の美を考えることが存在の美学ではないのか。」
永山さんはよく考えていらっしゃるし、その考えを理路整然と語られる。
これは伊達のトークでも感じたことです。
野田さんはその後のトークの中ではいろいろ語りますから、単に面倒くさかったのかな。

同じく同人の廣戸さんは存在の美学を「重たくてミステリアス」とおっしゃる。
そのうち、話題が廣戸さんが描かれた妊婦の絵が本の表紙になったことに、
そして札幌展ポスターの絵のモデルが招待作家の小尾さんの息子さんであることに。
小尾さんはご家族で来札されたので小6になった息子さんも会場に。
鎌田アナが「この絵のこと覚えてる」と質問したら、彼は「あまり覚えていない」と(笑)
そりゃそうだね。誰も覚えちゃいないと思うよ。

その小尾さんが、「今一番やりたいことは、取り組んでいることは」との質問に対して
「フランスに留学して感じたのは、日本のリアリズムは空間に対する理解が浅く、
油絵なのにまるで水彩で描いているようだということ。どうしても口あたりの良い、
甘い絵になる。危険な岐路にいるのではないか。もっと踏ん張ってやらないと危ない。
欧州のリアリズムの手法を取り入れたとしても、空間のとらえ方、存在のとらえ方に
挑戦していきたい。」と意欲的に答えられていた。
これを受けて野田さんが
「多分そう思う。会場に鮭の絵(磯江毅作)があったと思うが、有名な高橋由一の鮭の絵
なんて、(会場の絵に比べれば)全然リアリティを感じない。(当時彼は)きっとうまく書こう
と思っていたんだろう。もう一歩踏み出さなけりゃ、もうひとつ越えていったら、
日本から本当のリアリズムが立ち上がるのだろう。」と答えられていたが、
改めてリアリズム絵画を担う意欲というものをお二人から感じられた。

最後に鎌田アナが一人ずつ「抱負は」と聞いた。
大畑さんの「これから先のリアリズムがどう変わっていくのか考える。
日本人が目指すリアリズムを提示する必要があるのではないか。」
小尾さんの「道端の花や石っころ、見過ごせばそれまでなのに、克明に描いた作家には
驚くはず、技術的なものはもちろんだが、そこに美を見いだした作家でありたいと思う。」
と真っ正面からの回答も心に残ったが、李さんや廣戸さんが他作家の作品を鑑賞して
「まだ自分は甘い」とおっしゃったことにも心ひかれた。
展覧会の意義は広く周知・普及するという側面だけでなく、作家同士の切磋琢磨の機会
でもあるという側面でもあることが改めてわかりました。

これ以外にも廣戸さんの結婚を巡る野田さんの意見と変化、会場からの
「芸術の世界に唯一絶対の基準はあるのか」という質問に対する野田さんの回答等
興味深い話を聞くことができ、なかなか楽しいひとときでした。

伊達展での20点から招待作家の作品も増え、作品の入れ替えもあり、
67点と作品数も大幅に増えて、見応えも増しています。
これまでの「存在の美学」展としては最大規模とのことです。
札幌芸術の森美術館で7月6日まで。
c0007388_22583925.jpg

[PR]
by capricciosam | 2014-06-21 22:59 | 展覧会 | Comments(0)