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若沖展@東京都美術館2016

当初予定になかったが、空前の人気に加え、閉幕間近なことから急遽帰る日に
予定を入れた。(その分、3日分の予定を2日で終えたため、2日目がタイトに
なりました。)前日カラヴァッジョ展に並んでいた時に見た殺到する膨大な
人の数からみて早朝に並ばないと、帰りの飛行機に影響を受けそうだと思い、
当日は午前7時には東京都美術館に到着するよう行動開始。
しかし、すでに美術館横に列は長く伸びており想像以上(トホッ)。
それでも芸術大学奏楽堂方面に曲がる手前で列に並ぶことができました。
8時頃から断続的に列は前に進み、割とスムーズに9時過ぎにはエスカレータ
手前に達しましたが、「入場規制が始まりました。」の無情なお知らせを聴いて
内心焦る。9時15分頃には美術館の入口をくぐり、9時30分過ぎには
入場できました。この時開館時間が約30分早まったとの声を耳にしたのですが、
4時間待ちを覚悟していただけに、2時間30分ならまだましというものでしょうか。

伊藤若冲は近年評価が急速に高まっているが、小生には未知の絵師。

会場入りするとすぐ鹿苑寺の墨による襖絵が展示されていたが、これが見事の一言。
若冲の作品としては色彩豊かな作品がTV等で紹介されていただけに、
予想を越えた出会いとなった。
早くも満足度は高まったが、1階の他作品は激混み状態でなかなか近づけずに鑑賞した。
しかしながら、ある程度の距離からでも若沖作品の凄さが伝わってくる。

次に2階に向かったが、やはり「動植彩絵」30点は壮観だった。
見事な色使いと正確な描写は驚きとともに時空を越えて鑑賞する者の心を打つ。
中でも「群鶏図」と「老松白鳳凰図」は近づくことさえままならない人だかり。
絵の大半に人だかりができていたため、間近で子細に観察できたのは数点だった。
しかし、それだけでも写生力のすごさに圧倒される。
江戸時代にこんな力量を持った人がいたことすら知らなかったが、
不思議なのは同時代や後年の他の画家たちへ影響を及ぼさなかったこと。
やはり、その世間離れした生き方が俗世の時流に乗らなかったためか。

同時に展示されていた「釈迦三尊像」は若冲自身が力を込めて描いたとされているが、
不思議だったのは釈迦と2体の菩薩が同等のサイズで描かれていたこと。
これまでいろいろな機会で観た三尊像は釈迦に比べ菩薩像は比較的小さく
描かれていた印象があるが、何故同じサイズに描いたのだろう。
きっと若冲の見方や考えが反映されていたんだろうが、果たして何が。

また、3階には若冲の収集家として有名な米国人のジョー・プライス氏の
個人収集品も多数展示されていたが、どれも見事な作品だった。
有名な「鳥獣花木図屏風」はあのドットで表現した着想といい、作画といい
いくら目を凝らして見ても不思議。どうしてこんな作品が完成できたんだ。驚き。
プライス氏が若冲と出会った作品も墨絵の掛け軸だったが、
案外シンプルな墨絵こそが若冲の真価(エッセンス)を伝えているのかもしれない、
と改めて思った。
若沖、凄い!

ブームとなった激混み展覧会は普段は避けるのだが、これは選択して正解だった。
もっとゆったりと鑑賞したかったので、今後開催されるならば会期の延長はもちろん、
東京以外への巡回展開催、時間予約制の導入なども検討してもらい、
若冲の美をもっとゆったりと味わう機会を設けてもらいたいと思う。

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<追記6.1>一部加筆、修正しました。


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by capricciosam | 2016-05-31 17:19 | 展覧会 | Comments(0)

エマニュエル・パユ&ベルリン・フィルの仲間たち@所沢ミューズ2016

【プログラム】

1 モーツァルト フルート四重奏曲第3番ハ長調
2 モーツァルト フルート四重奏曲第2番ト長調
3 ロッシーニ  フルート四重奏曲イ長調
4 モーツァルト フルート四重奏曲第4番イ長調
5 武満徹    エア
6 モーツァルト フルート四重奏曲第1番ニ長調

朝から2つの展覧会を鑑賞した後、西武線で所沢へ移動。

ベルリン・フィルはサイモン・ラトル指揮で台湾、日本をツアーし
サントリーホールでのベートーヴェン交響曲全曲演奏会を終えたばかり。
その後、メンバーの何人かは日本に滞在して演奏活動を行っていましたが、
所沢では首席フルートのエマニュエル・パユ(以下「パユ」という。)による
モーツァルトフルート四重奏曲全曲演奏会が開催されました。
同曲のCDは何枚か所有していますが、小生のデフォルトはパユ盤。
それだけに、今回はぜひ聴きたかった演奏会でした。


モーツァルトフルート四重奏曲はCDでは1番から4番まで順に収録されるし、
全3楽章から構成されるのが通常だが、今回のプログラムは各々2楽章の
第3番、第2番からはじめ、ロツシーニの作品を終えて休憩に入り、
後半は3楽章で構成される第4番、フルート独奏の武満徹作品そして
代表曲の第1番で終える構成となっていた。
聴き終えてこれは良い配置だったと思う。ナイスプログラミング。
特に、第2番と第3番をあたかもひとつの作品として扱うかのような聴き方ができた
ことは新鮮だった。また、パロディーとして割合軽く扱われがちな第4番もパユの手にかかると
実に楽しい。1番はCDと比べ遜色なく、ライブ録音として発売してもらいたい気分だった。
しかし、モーツァルト以上に印象深かったのは武満徹の「エア」。
ひとつのフルートが奏でる音色の多彩さと魅力的な刺激。名手パユの面目躍如だった。


鳴り止まない拍手に応えてアンコールを1曲。
パユが日本語で「ありがとうございます。」(拍手)
「アンコールは………のフィナーレです。」と言って始まったのが、
(残念ながら………は聞き取れず。)
フルート版は初めて聴きましたが、よく出来ていますね。

ドヴォルザーク弦楽四重奏曲「アメリカ」より第4楽章

初めて訪れたミューズは照明の加減のせいか、割合明るい印象。
正面のパイプオルガンの両脇にはミューズ像が2体配置されていました。
2階ほぼ正面で聴きましたが、音も明瞭で残響も適度でした。
今回3階席は入場を制限していたようです。

<はみだし>
行きはライオンズ電車で向かいましたが、
ついつい自らのビジター応援を思い浮かべてしまいました(苦笑)
帰りは西武球場での西武VSソフトバンクの試合が終わったタイミングと重なり、
都内行き各駅停車はガラガラなものの、選択した急行は激混みでした。
まぁ、これはしかたありません。
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by capricciosam | 2016-05-30 23:57 | 音楽 | Comments(0)

ルノワール展@国立新美術館2016

カラヴァッジョ展を鑑賞した後、六本木の国立新美術館へ移動した。

印象派の大家ルノワールは日本人にもなじみ深く、これまでも数え切れない
くらいの展覧会が開催されてきたことだろう。本展覧会ではオルセー美術館と
オランジュリー美術館が所蔵する作品が100点以上の作品が展示されている
だけにルノワール好きにはたまらない。

小生もルノワールやセザンヌ等の印象派から西洋美術に親しんでいった訳だが、
ルノワールは良いなとは思えど、大好きという訳でもないという位置付けだ。
しかし、彼の代表作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は別格。
屋外で音楽、踊り、おしゃべりと社交に興じる楽しげな群衆のひとこまを
これほど色鮮やかに切り取った一枚はルノワール作品の中でも郡を抜く。
シンプルに楽しさを追求するルノワール故に、その印象を巧みに絵にした
完成度の高さが共感を呼ぶのだろう。
ルノワールを語る時に欠かせない作品であるにもかかわらず、
これまで来日したことはなく、今回が初来日とは驚いた。
実際、本作品の前が一番混雑しており、入場者の関心の高さがうかがい知れた。

その他にも見比べて楽しい作品が展示されていた。
①「都会のダンス」と「田舎のダンス」
②「ピアノを弾く少女たち」と「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル」

①は前者で描かれている男女が正式なたたずまいというのは言うまでもないことで
女性もとりすまし、画面全体が一種の冷たさを醸し出すのに比べ、後者の男女は服装も
正式とは言い難く、あまつさえ女性の口を半開きにした笑顔が素朴さを強調する。
ルノワールがどちらに好意的な視線を向けていたかは明らかで、事実この女性は
生涯の伴侶となる人であった。他にも「母性 乳飲み子(ルノワール夫人と息子ピエール)」
で赤ちゃんの息子にお乳を含ませる夫人の肖像画と、そばに彼女が亡くなった時に
作られた彫像も展示されていた。ルノワールの暖かくやさしいまなざしを感じずには
いられなかった。

②は前者はルノワールの代表的な作品のひとつ。
後者はそのモデルとなった二人の少女の5年後を描いているが、構図も異なり平板な印象。
モデル、構図含め前者のほうが観る者を惹きつける。

その他、「私は人物画家だ」というコーナーが設けられるくらい、
改めてルノワールの肖像画は魅力的だなと感じられた。
ルノワールの生涯にわたる画業を俯瞰的に観賞する絶好の機会だった。

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by capricciosam | 2016-05-29 23:12 | 展覧会 | Comments(2)

カラヴァッジョ展@国立西洋美術館2016

作品に混じってカラヴァッジョ(1571-1610)が生きた当時の史料(古文書)が
いくつも展示されていた。その内容はトラブル(刀剣の不法所持等)が目立つ。
特に、レストランで注文の品を確認したところ、生意気な回答をした給仕に皿を
投げつけて怪我をさせ、その上殺そうとした一件(食堂でのアーティチョーク事件)は
彼の激情ぶりの証。とにかく気性の荒い人間性が災いした故の素行は決して
褒められたものではなかったようだ。
しかしながら、作品の数々は当時から定評あるものだったらしいし、
後代に続く画家に与えた影響も大きい。

今回の展覧会では彼の作品は11点(帰属含めると12点)が展示れされていた。
7つのコーナーと1セクションから構成されていたので順に振り返ってみたい。

Ⅰ風俗画:占い、酒場、音楽
1「女占い師」(1597年)日本初公開
いきなり有名作品が展示されていたが、こういう寓意が含まれた絵は
当時の流行だったのだろう。絵のバランスは良いが平板な感じで、
若者の指から指輪を抜き取ろうとする女の指も動きやリアルさに乏しい。

Ⅱ風俗画:五感
2「トカゲに噛まれる少年」(1596-97年頃)日本初公開
綺麗な花の陰にトカゲあり、ということで寓意か込められている作品だが、
目を凝らして見てもトカゲはわからない。噛まれて深い陰影を刻んで顔ゆがめる
少年の姿に作品名に込められた意を理解することになる。
タッチがやや粗く、その分絵自体に動きがある。

3「ナルキッソス」(1599年頃) 
水面に映し出される自らの姿に恍惚とするナルシスを描いているが、
水面含めて全体は暗い色調の中に沈んでいる。ガラヴァッジョの特徴の
ひとつである明暗もはっきりとはしないが不思議な静謐さが魅力的だ。

Ⅲ静物
4「果物籠を持つ少年」(1593-94年頃)
工房時代の雇われて制作に励んだ時代の作品。手前に書かれている果物籠は
細部まで明確だが、それを手に持つ少年はややぼやけた感じで描かれている。
そのため一種の遠近感があり、画家の関心や主題が果物籠にあったことがわかる。

5「バッカス」(1597-98年頃)日本初公開
一見して男か女かちょつと判別しにくい不思議な絵。
細部にわたりよく描かれているが、明暗は明確ではなく、やや平板な印象を受ける。

Ⅳ肖像
6「マッフェオ・バルベリーニの肖像」(1596年頃)日本初公開
将来のローマ教皇を描いているが、野心の点った目つき顔つきの描写はさすがだ。
しかし、服の襞の陰影はぎこちなく、全体のバランスにもやや欠けている。

Ⅴ光
7「エマオの晩餐」(1606年)
カラヴァッジョには同一テーマで他の作品もあるが、これは逃亡中の晩年の作。
全体が暗く沈んだ中に復活したキリストと、それと知って驚くまわりの人物の一瞬を
切り取ったものだが、明るく浮かび上がるキリストは視線を落とし落ち着き払っている
ように思える。後述する「エツケ・ホモ」と描き方としては共通するのだろうが、
こちらは受難の後の復活した姿だけに表情に苦さは感じられない。

Ⅵ斬首
8「メドゥーサ」(1597-98年頃)日本初公開
斬首の絵はユデトの逸話を主題としたものが有名だが、残念ながら今回は来日していない。
代わって盾に描かれた神話のメドゥーサの作品が展示されていた。ローマに展示されている
作品の一次作品らしい。

Ⅶ聖母と聖人の新たな図像
9「洗礼者聖ヨハネ」(1602年)日本初公開
顔をうつむき気味にし髪で目も隠れがちなヨハネの表情はわからない。
3に通じるあいまいさを残して完成させた作品と言えるだろう。

10「仔羊の世話をする聖ヨハネ」(帰属)
「帰属」ということは真筆とは確認されていない意味なのだろうが、
9よりも余程カラヴァッジョらしいたたずまいを感じさせた作品。

11「法悦のマグダラのマリア」(1606年)世界初公開
近年カラヴァッジョの作品として認められて以降、世界初公開となった作品。
もともとこの主題で描かれると髑髏が配置されるため不気味さが漂うのだが、
カラヴァッジョ作品ではエロティックさも加味されてなんとも妖しい雰囲気だ。
信仰薄い身には理解不能なのだが、宗教的な恍惚感とはこういうものなのか。

ミニ・セクション
12「エッケ・ホモ」(1605年頃)
注文を受けて制作したが、注文主はカラヴァッジョの作品が気に入らなかったらしく
別の画家に同一テーマで再発注した。その2枚がミニ・セクションとして
対比されて展示されていた。絵筆のタッチもさることながら、キリストの描き方の違い
が気になった。どちらの作品も描かれているのは3人。
別の画家の手になるものはキリストを真ん中にし、明るい色調で焦点はキリストに
あっているように見える。そして身体は傷つき、表情も口を開け、視線は天上を向き、
いかにも絶望的な様子がうかがえる。キリスト像としては定型的な描き方だし、
ある意味表層的とも言える。

しかし、カラヴァッジョの作品では全体の色調も暗く、身体に傷もないキリストは
脇役的に左端に配置され、視線を落とし口を閉じている。
むしろ目立つのは右側で「エッケ・ホモ」(この人を見よ)と叫んでいる人物だ。
真ん中の人物分の間をとって静かに過酷な運命を受容しようとしている力強い達観の
境地や凄みすら感じさせる。カラヴァッジョの作品はキリストの中に真の強靱さを
描き切っているとも言える。斬新な視点だと思うが、当時の通俗的考えでは
受容されなかったということか。

カラヴァッジョの真作は60点強と言われているらしいが、初公開作品含め約2割一挙に
観賞できたことは幸いだった。破天荒な生き方がとかく注目されがちだが、作品そのものは
時代を先取りしていく意欲的なもので、技法含め興味深い充実した展示だった。
また、本人の作品以外にも多くのカラヴァジェスキの作品も展示されて見応えがあった。
カラヴァジェスキとは

「カラヴァッジョの画法を模倣し継承した同時代及び次世代の画家たちの総称。
彼らの多くはカラヴァッジョ本人を直接知ることなく、作品の魅力に引きつけられて
その画法を学び新たに発展させました。」
(以上、「カラヴァッジョ展」HPより引用)

一派を為すことなく後代に影響を与えたという点では、昨年観た琳派との類似性を
思わせる。洋の東西を問わず似たような現象はあるものだ。
彼らの特徴のひとつは光源から照らし出された明暗を強調した作品が目立つことだ。
例えば、ろうそくを囲む顔は明るく照らし出され、彼らのいる室内は暗く閉ざされている。
中でもラ・トゥールの作品「煙草を吸う男」は強く印象に残った。
彼はカラヴァッジョの創造した明暗技法をより忠実に、さらに発展させたように思う。

<蛇足>
開館前の行列に並んでいたら、東京文化会館との間の道を公園口方向から東京都美術館に
向かうものすごい人、人、人。会期も終わりに近づいた「若冲展」に向かう人たちなのだが、
まるで川の流れでも見ているかのような錯覚に襲われた。こんなのは初めてだった。
そんな感想を思わず口に出したら、前に並んでいた山梨県のご夫妻に笑われてしまった。

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by capricciosam | 2016-05-26 06:55 | 展覧会 | Comments(2)

NHK交響楽団第1836回定期演奏会@NHKホール2016

【プログラム】

1 カリンニコフ 交響曲第1番ト短調
2 ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調「田園」

昼の新日本フィル演奏会が終わり、夜のNHK交響楽団(以下「N響」という。)
定期演奏会を聴くため渋谷へ移動する。

NHKホールでは過去にS・スクロヴァチェフスキ指揮のN響定期を聴いているので
今回は2回目となる。座席は3階ほぼ正面。
巨大な多目的ホールだけにこの位置では音は厳しいかなと思ったが、
あに図らんや、よくブレンドされた響きが明瞭に届き、驚いた。
N響の音は力感がありながらも繊細さも持ち合わせ言うことなし。

実は同夜サントリーホールのラザレフ&日フィルのショスタコも選択肢にはあったのだが、
本定期演奏会を選択したのはカリンニコフ第1番が生で聴ける、しかもネーメ・ヤルヴィ
(以下「パパヤルヴィ」と言う。)で、というのが最大の理由。

以前NAXOSのカタログに掲載されていた年間売上げベスト1位だったのが
カリンニコフ交響曲第1番(テオドル・クチャル指揮ウクライナ国立響盤)。
聴いてみたところ素朴な叙情が横溢するこの曲にたちまち虜になったという訳だ。
その後パパヤルヴィ盤も聴き、以来カリンニコフ第1番と言えば
クチャル盤とパパヤルヴィ盤の2枚は欠かせなくなった。
しかし、実演では1回も聴いたことがない状態が続いただけに、今回は干天の慈雨だった。
(あとで当夜演奏されていたN響首席奏者のツイッターで知ったのだが、この曲はN響も
1993年スヴェトラーノフ以来演奏していないらしいということのようだ。
であれば、なおさら希少な機会ということになった訳だ。)

第1楽章から、まるでセッション録音でもしたかのような素晴らしさ(完璧!)。
ライブ盤として発売しても良い仕上がりには感動してしまった。
スヴェトラーノフ&N響ライブ盤(未聴)は有名だが、将来パパヤルヴィ盤もリリース
されたなら、結構高い評価を得られるのではなかろうか。

ベートーヴェン「田園」も膨大なレパートリーを誇るパパヤルヴィにとっては
お手のものなのだろう。N響から見事な音を引き出していたと思う。秀演だった。

当夜はTVカメラが配置されていたので、後日放送されるのだろう。楽しみ。
また、ブラボーを長くのばす(ロングブラボーとでも言うのだろうか)というのを
初めて耳にしたが、パパヤルヴィは耳に手をあてよく聞こえないふり(笑)。
途端にホールのあちこちから(普通の)ブラボーが飛んだ(笑)。

<蛇足>
ヤルヴィ家は指揮者一家としても有名だが、兄のパーヴォ・ヤルヴィは
札幌で2回聴いている。今回父親のネーメ・ヤルヴィを聴いたので、
残る弟を聴けば全員聴いたことになる。当夜の翌々日に
その弟のクリスチャン・ヤルヴィ指揮都響の昼公演を選択できれば
3人とも聴くという少々珍しい体験をすることになったのだが、
帰る日なのでこれはあきらめた。

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by capricciosam | 2016-05-24 23:57 | 音楽 | Comments(0)

新日本フィルハーモニー交響楽団演奏会@すみだトリフォニーホール2016

【プログラム】

1 モーツァルト 交響曲第38番ニ長調「プラハ」
2 J・S・バッハ ピアノ協奏曲第1番ニ短調
3 シューマン 交響曲第3番変ホ長調「ライン」

東京にある音楽専用ホールではいくつかのホールで演奏を聴いてはいるが、
墨田区錦糸町の「すみだトリフォニーホール」は初めてだった。
新日本フィルハーモニー交響楽団(以下「新日本フィル」という。)が本拠としている
ので、ここで聴くなら新日本フィルでと思っていた。
それだけ今回は良い機会だった。旅の日程の都合上、聴いたのは定期演奏会ではなく
「新クラシックへの扉」という名曲(?)コンサートの昼公演だった。

実はクラシックの演奏会に足を運ぶ前、地元の札響以上に新日本フィルはN響とともに
身近なオケだった。ともに共通するのはTV放送である。
新日本フィルは「オーケストラがやってきた」のレギュラーとして毎回のように出演して、
クラシック入門当時に「オーケストラって凄い!」と思わせてくれたものだ。
実演は東京で以前1回聴いていたので今回で2回目となる。

有力オーケストラひしめく在京オケの中で新日本フィルがどのような評価を得ているのか
まったく知らないのだが、安定したアンサンブルでどの曲も楽々弾きこなしているような
印象が残った。うまいね。また、今春札響から移籍されたオーボエ首席の金子さんが
出演されていればなお良しだったが、これは空振り。仕方ありません。
(入場する時、オケの奏者配置図に奏者名が記された用紙が配布された。
初めて見ましたが、事務局の手間はかかるでしょうが、楽しいアイデアですね。)

指揮者はダンカン・ワード、ソリストはフランチェスコ・トリスターノ。
ともに若く、きっと伸び盛りなのでしょう。
指揮者は1、3を暗譜で振り、かつ1は指揮棒なしだった。
メインとなる3も素晴らしかったが、音楽が活き活きと伸びやかに聞こえたのは1だった。
拍手に応えてアンコールを1曲。

バルトーク ルーマニア民族舞曲。

実はプログラムを見た時、強い興味を引かれたのは2。
「バッハにこんな協奏曲あったっけ」みたいな疑問が湧いたが手がかりはなく、
当日のプログラムでヴァイオリン協奏曲第1番のピアノ版だと判り、
一気に肩の力も抜けた。こういうソロ楽器の置き換え版は
札響定期のブラームスピアノ協奏曲第3番以来2回目となったが、
合奏する時ソロの旋律が弱く、時にはソロがオケの音にかき消されることも多く
あまり楽しめないまま終わったのは残念だった。
2回しか聴いてないので断定することは避けたいが、小生はこういう
「置き換え」型であまり楽しめるタイプではないようだ。
ソリストがアンコールを1曲。

フランチェスコ・トリスターノ ラ・フランシスカーナ

クラシック以外にもウィングを拡げているようで、はじめバッハかと思ったら
ジャズぽくなり、これはこれで楽しい。

落ち着いた色調で統一されたシューボックススタイルの大ホール3階席
ほぼ正面で聴いた。この位置だとホールの空間一杯に音が満たされているとは
あまり感じられず、残響も十分とは思うもののもう少しあればなお良しとの
印象が残った。いずこのホールも同様だろうが、席が違えば印象も異なろう
というものだ。

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<追記5.26>一部加筆、修正しました。


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by capricciosam | 2016-05-23 20:48 | 音楽 | Comments(0)

北海道交響楽団創立35周年記念・第80回演奏会@Kitara2016

【プログラム】 

1 マーラー 交響曲第2番ハ短調「復活」

マーラーが初めて声楽を導入した作品にして傑作なのだが、ソロ、合唱、オルガン、
バンダと編成も大がかりであるためか、北海道では滅多に演奏されない。
実演に接するのは2007年の札幌交響楽団500回記念定期演奏会以来、ほぼ9年ぶり。
当時札響合唱団が設立されたばかりの頃で、札幌アカデミー合唱団、
札幌放送合唱団との混成合唱団とアルトのビルギット・レンメルトのうまさが
強烈な印象を与えてくれた。
これ以前で聴いたのはさらに15年前のPMFオーケストラ演奏会だから、
毎年演奏される同じ声楽付き交響曲の「第九」と比べても
今回がいかに貴重な機会だったことかがわかる。

「当団では1989年の第16回演奏会以来、2回目の演奏となります。
前回の演奏時は多くの団員の熱意で実現した、まさに記念碑的な演奏だった
と聞いております。四半世紀以上前にも演奏した団員と、その後入団した
多くの団員の情熱を再度結集してこの曲を演奏することが、35周年を記念する
にふさわしいと考え今回再演の運びとなりました。」
(以上、プログラムより引用、原文のまま)

「北海道内最大級のアマチュアオーケストラ(以上、プログラムより引用)」
らしくステージ狭しとばかりにオーケストラが展開する様は壮観で、団員も
老壮青が音楽を楽しんできたことが伺える。実は本オーケストラとは、約15年前に
「第九」の合唱団の一員として共演したことがあったが、指揮者の川越守さんが
足元がやや覚束なげになられたことに時の流れを感じてしまった。しかし、約80分の
長大な作品を立ったまましっかりと指揮しておられたことには驚いた。
演奏は以前聴いた印象と変わらないが、響きが薄かったり、不調なパートはあった
ものの、巧拙は抜きにして楽員の意気込みが伝わるような演奏は
総じて聴き応えがあった。特に、第3楽章以降はソロ、合唱一体となって
熱を帯びていき、最後の輝かしい頂点を築いていた。
あそこは一瞬アマオケであることを忘れさせる程で、鳥肌ものだった。
特に、「復活」を歌う会の合唱は混成チームとは思えぬ出来だったと思う。

入場を制限されたCブロックと合唱団のPブロック以外は空席も目立たず、
客席から盛んな拍手が送られていた。
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<追記5.9>一部修正、追記しました。



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by capricciosam | 2016-05-08 06:33 | 音楽 | Comments(0)