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さようならプリントゴッコ

雨の降る肌寒い6月のスタートとなりました。
今日は映画の日だったので、久しぶりに映画でも観たかったのですが…
出かけることもままならず、で、こんな時間ですが、記事を更新。

昨日のニュースです。
「プリントゴッコの販売を2008年6月末で終了」
ご覧になって、ちょっとした感慨を覚えた方も多いのではないでしょうか。
1977年に初登場してから約30年。
ピークは年間72万台売れた1987年。
しかし、90年代に家庭へPCが普及し、PCでの印刷へ移行するとともに、
販売数も減少の一途だったらしい。

わが家の年賀状印刷も一時、プリントゴッコに依存していました。
当時、幼い子供が寝静まってから、寒い別室で
えっちら、おっちらと一枚一枚手作りしては、
インクが乾くまでの間、部屋中に拡げていました。
一体何年間続けたのだろうか。
歳末の恒例行事だったなぁ…(遠い目)

しかし、わが家にもご多分に漏れず、PCとプリンターがやってきて、
いつしか、プリントゴッコは唯一の出番もなくなり、
一年中使われなくなってしまった。

GWに家や物置の整理をしていたら、あの黄色い箱が目についた。
手にしてみると、やはり懐かしくなり、久しぶりに開けてみた。
いまだに現役だぞ、と控え目ながら主張するプリントゴッコの声が
聞こえてきたようで、とうとう処分できずじまい。
いつかはわが家からなくなるのだろうが、
思い出との繋がりが強い分、当分は物置の一隅を占めることだろう。
さようならプリントゴッコ_c0007388_16251420.jpg

# by capricciosam | 2008-06-01 16:25 | 時の移ろい

限界集落

先日の新聞に北海道における限界集落の調査結果が載っていた。

限界集落とはおおよそ次のように定義されている。
「集落の人口の半数以上が65歳以上の高齢者で構成され、
冠婚葬祭などの社会的共同生活の維持が困難になった集落のこと」

>道内すべての「集落」のうち9%にあたる五百七十カ所が「限界集落」で、
住民の半数以上が五十五歳以上の「十年後の限界集落」はその四倍、
全体の三分の一を超えていた。
>管内の集落数に占める「限界集落」の割合が高かったのは
桧山管内(41%)と留萌管内(20%)、宗谷管内(16%)で、
日本海側で目立っていた。
(以上、北海道新聞より)

また、先日、TVで日本海側の某町のある集落が取り上げられていた。
番組も途中から観たのだが、最後にインタビューされていた老人は
「このままでは集落が成り立たなくなって、誰もいなくなってしまう」
というような主旨の発言をしていた。
その途方に暮れて沈んだような表情は痛々しい限りであった。

実は、昨年の夏に親戚の墓参の折、その集落を通過した。
まだ日中だというのに、通りに人影はなく、かつ通りに面した
家々からは暮らしの活気らしきものは感じられなかった。
それは、この集落だけのことではなく、この通りの沿線に
次々現れてくる集落の何れにも共通しているようであった。
陽がさんさんと照っているのに、家々には生活反応が感じられない…
SFにでも出てくる廃墟を連想させ、正直悲しかった。

でも、これが北海道の都市圏を離れた地域での現状なのだろう。
自然環境は十分過ぎるくらい豊かでも、実に生活しづらい人工的環境
しか用意できない過疎化は、特に高齢者等の社会的弱者には
生活しづらいものとなっている。
まるで「住むな」と言わんばかりの勢い、スピードで限界集落化が進む。

「まるで開拓期への逆戻りだな…」

人口は都市圏に移動し、過疎地の限界集落化は加速化していく。
人口の偏在の顕現化。

過疎地にある市町村は人口減に加え、高齢化にともなう税収の悪化
という悪条件の重なりにより、これまで「法の下の平等」の名の下に
保証してきた行政のフルサービスを行うことが益々難しくなるのではないか。
行政サービスもその街の行政の財力があればこそ、の話。
しかし、肝心の地方自治体の財政も厳しい状態が依然続いている。
となると、そのうち地域によっては財政に見合ったサービスの提供
ということが当たり前となり、当然地域によって質の異なる行政サービスが
出現せざるを得なくなる、という可能性もあるということなのか。
そうなると、限界集落を多く抱える過疎地は益々不利だ。
これはなにも第二、第三の夕張ということを指している訳ではなく、
現在のサービスの一部や大部分が享受できない、という程度の意味。
21世紀の行政サービスは、果たしてどうなるのだろうか!?
限界集落_c0007388_22505847.jpg

# by capricciosam | 2008-05-29 22:55 | 時の移ろい

三谷幸喜@英語でしゃべらナイト

夜町内の集金に歩いていたら雨に降られてしまい、
帰宅して風呂に入り、あがってからはボーッとテレビを観ていました。
さあ、寝ようかという時、目にした「英語でしゃべらナイト」
ゲストは三谷幸喜さん。
映画の新作のプロモでしょうか。
だいぶ前になりますが、「ラヂオの時間」はおもしろかったなぁ…

三谷さんが外国でうけたスピーチ。
「皆さん、私の言っていることがおわかりになりますか?」
「私は自分の言っていることがわかりません」
Do you understand what I say?
I don't understand for it.

これは英国、ドイツでも同じパターンでうけたらしいのですが、
ロシアではこう言うと、慰められ、励まされたというのもおもしろいですね。

さて、ビリー・ワイルダー監督に影響を受けた三谷さん。
監督の作品「お熱いのがお好き」の有名なセリフらしいのですが、
「完璧な人間なんていないよ」
Nobody is perfect.

とかくギスギスしがちな日常ですが、この位の余裕は持ちたいものです。
# by capricciosam | 2008-05-26 23:52 | 時の移ろい

生あるために生きる

夜の特番で様々な医療の現場が取り上げられていた。
中でも心惹かれたのが「緩和ケア」

今だに、ひところよく聞かれた「ホスピス」との違いがわからないのだが、
全国でも緩和ケアが設置されている病院はまだ70程度とのことだ。
先月三回忌を迎えたおじは、そのうちのひとつで人生を終えた。
ガンだった。

当時、緩和ケアに入院するに当たっては、治療よりも
患者のガンからくる痛みを和らげたり、取り除くことが主と言われた。
実際今夜紹介されている緩和ケアも同様のことを日々実行している
ようではあったが、ひとつ参考になったのは、その診療理念であった。
患者が生き続ける間は、その生を全うさせたいという目標を明確に
していたことだ。決してその死を見ていてはダメで、あくまでも生きる、
生き続けるということのために緩和ケアがあるのだ、という
ビジョンのようなものを描いていたことだ。

確かに、当時お世話になった緩和ケアスタッフの方たちは
人当たりも柔らかく、親切であった。
しかし、今振り返っても、淡々とというか、機械的というか、
うまく表現できないのだが、「どうせこの患者は死ぬんだ」という
一種の諦観のような治療する側の結論が透けて見えるような
居心地の悪さも感じたのは否めない。

あの時、今夜の病院の緩和ケアのような治療する側の理念を感じとる
ことが出来ていたら、そのような部分は相当薄らいでいたのではないか、
ふと、そう思った。
# by capricciosam | 2008-05-23 23:47 | 時の移ろい

メイストーム

この言葉がピッタリな一日。
大荒れの天気が一日中続く。
雨に風では、為す術もなし。
屋外にでないにしかずなのですが、そうもいかず、ちょろちょろ。
書いている今(夜)は、雨音も風の音もしない。
明日の朝まで風雨が続く予報ですが、ハ・ズ・レ・ロ、と期待。
# by capricciosam | 2008-05-20 21:55 | 時の移ろい