フランス国立リヨン管弦楽団@Kitara2016

【プログラム】

1 ラヴェル スペイン狂詩曲
2 ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ
3 ラヴェル ダフニスとクロエ 第2組曲
4 ムソルグスキー(ラヴェル/スラットキン編曲)組曲「展覧会の絵」

「ラヴェルの管弦楽曲は、①オリジナルなもの、②自作あるいは他の作曲家のピアノ作品から
の編曲、そして③バレエ音楽の大きく3つのカテゴリーに分けることができ、本日はこれら
すべてのカテゴリーを鑑賞できる。」
(以上、配布されたパンフレットから引用、①②③は筆者追記)

「おっ、そうなんだ。でも①ってどれだ?」と思って眺めると、有名な4は②だし、3は③か。
残る2はきっと②だから、そうすると1が①を指すという訳か。
4もムソルグスキー作品というより編曲したラヴェルの印象が強いので、今回は
「オール・ラヴェル・プロ」と言っても間違いではないだろう。
しかも、本場フランスの伝統あるオーケストラだけに期待は大きい。

全国ツアーの初日だけに長旅の疲れが演奏に出るのではないかと心配したが、杞憂だった。
どの作品も色彩感あふれるだけにアンサンブルのみならず、各パートの味がほしいところだが、
スラットキンさんの指揮のもと1から弦楽器の響きは艶やかで、管楽器が絶妙。
その上、オーケストラがフルパワーを発揮しても音が混濁せずに大ホールを満たすのだから
たまらない。

鳴りやまない拍手に応えアンコールをスラットキンさんが客席に向かって説明してから始まる。

5 オッフェンバック  歌劇「ホフマン物語」からホフマンの舟歌
6 スラットキン ツイスト・カンカン

6はオッフェンバックの「天国と地獄」の有名なフレーズを打楽器でやるという趣向が楽しい。

客入はやや空席が目立ち7~8割程度か。
今年の《Kiara ワールドオーケストラシリーズ》の1回目だったのですが、
ひと頃に比べ実力のある指揮者&海外オーケストラのKitaraへの来演数が減っているので
少々もったいない感じでした。
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レナード・スラットキンさんは今なお世界的に活躍されていますが、28年前に来札されて
北海道厚生年金会館(現ニトリ文化ホール)で演奏会を行っています。
オーケストラはロンドン・フィハーモニー管弦楽団で、テンシュテットが病気で退任し、
ウェルザー=メストが就任する前の空白の年だったように記憶しています。
この時ドヴォルジャークのチェロ協奏曲で協演したソリストは堤剛さんでした。
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# by capricciosam | 2016-06-23 23:28 | 音楽 | Comments(0)

有元利夫~10年の絵と譜@札幌芸術の森美術館2016

DENONから発売されていた有田正広さんのCDのジャケットにはある作家の作品
が使われていた。画像は所有する一枚だが、どことなく中世を連想させる女性が
非現実的な空間に佇んでいる。スカート丈が長く足が隠れているため、
果たして地に足がついているのかどうかすらわからない。
一種浮遊しているようにも見える。不思議な絵だな、と思っていた。
そのわざとらしい作りや構えがバロック音楽には不思議とあっていた。
この作家の方はどなたなんだろうとは思ったものの、特に調べることもなかったが、
先日偶然有元利夫さんという方だと判った。
ちょうど札幌芸術の森美術館で回顧展が開催されていたことから足を運んでみた。
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サブタイトルが「10年の絵と譜」とあるが、38歳で早逝したため作家としての
活動は約10年余りと短く、その間の作品が年齢を追って約120点展示されていた。
絵画作品のテーマはCDジャケット同様、非現実的な空間に佇む一人の女性というのは
共通している。それが手を替え品を替え様々なバリエーションで作られている訳だが、
同一テーマの飽くなき追求というと聞こえは良いとは思うが、
どの作品からも何かを訴えようとした気配は感じられない。
むしろ同一素材をいかに表現するかを楽しんでいる風に思えてくる。
つまり、表現することに熱中していて作品を作成するに至ったモチーフが感じられない、
との穿った見方も可能なのかもしれない。そういう点では表層的として片付けられそう
にも思えるが、それにしては、どの作品も何かを触発される不思議な感覚に陥る。
ただ、晩年には作風を変える気配を感じさせた作品も残されていただけに、
もっと長生きしていたら果たしてどんな有元ワールドを見せてくれていたのだろう、
との思いも残った。

作家はまめに日記をつけていたようで、会場にはそれらの断片が所々掲示されていた。
読んでみると、作品を作る時は素材の組み合わせによる偶然性を楽しみ、風化に関心があり、
作品を見て違和感から立ち止まって考えてもらうことを狙っていたというようなことも
書かれてあった。まさしく、作家の術中にまんまとはまってしまった訳だ。

会場にはバロック音楽を愛した作家が作曲した作品も流されていた。
また当日は第17代Kitara専属オルガニストのジョン・ウォルトハウゼンさんによる
チェンバロによるミュージアムコンサートが約60分開催された。
用意されたイスが足りずに立ち見の盛況だった。
演奏された曲は次のとおり。

1 クープラン クラヴサンド曲集 第1巻 第3組曲より5曲
2 有元利夫 RONDO
3 J.S.バッハ パルティータ第4番ニ長調
アンコールに先日米国で起きた悲劇的な銃乱射事件を悼み一曲(曲名不明)。
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<追記6.21>記事の一部を加筆修正しました。


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# by capricciosam | 2016-06-19 20:31 | 展覧会 | Comments(0)

札響名曲~ウィーン:華麗なるヴァイオリンと運命@Kitara2016

【プログラム】

1 モーツァルト セレナード第13番ト長調《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》
2 モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調
3 ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調「運命」

オーケストラの演奏会に指揮者は欠かせないと考えるのは、指揮者が
演奏の善し悪しを左右する要因と考えることによるのだろう。事実、
同じオーケストラでも指揮者により演奏がガラッと変わる鑑賞体験を
してきたことから、個人的にはやはり妥当なことと思う。
では指揮者なしではオーケストラは機能しないのか、と言えば必ずしも
そうではないようだ。

指揮者なしの場合は、ソリストやコンサートマスターが指揮振りをする
ような感じでオケを牽引していくが、札幌交響楽団(以下「札響」という。)を
指揮者無しで聴いて感銘深かったのは、昨年9月定期のハインツ・ホリガーさん
以外では、安永徹さんによる2009年の演奏会が印象深い。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で長年コンサートマスターを努められていた
安永さんが引退後札響と初めて協演したものだが、あの時も札響のアンサンブル
が引き締まり、札響のサウンドが活き活きしたような印象を受けた。
きっと指揮者に依存しない分、演奏者の自主性が高まり、お互いの音に
より敏感になっていくため、結果としてアンサンブルの精度が高まるため
ではないか、と推定している。
著名な指揮者の中にはオーケストラに積極的に室内楽を奨励する場合もある
ように聴いたことがあるが、アンサンブルの精度向上に指揮者なしの効果は
確かにあるのではないかと思う。
そんな視点で有名オケを眺めると結構オーケストラ内の室内楽が盛んな
ようにも思えてくる。逆に、室内楽活動が盛んな場合はオーケストラとしての
演奏も充実してくるということなのか。

閑話休題。今回登場したフォルクハルト・シュトイデさんは
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の現役コンサートマスター。
今回も安永さんの時感じた「活き活き感」がより一層強まった感じで、
1の出たしから明らかに札響の音が変わっている。
弦楽器の一体感が素晴らしく、見事なアンサンブルなのだ。
併せてスポーツカーにでも乗っているような疾走感が感じられる。
事実、テンポはやや速かったのかもしれない。
3はパンフレットでは約35分となっていたが、実際は31分程度だった。
じゃ、演奏はせこせこしたつまらないものだったのか、というとまるで逆。
札響のアンサンブルが緊密なまま最後まで乱れないので、
一瞬たりとも飽きないのだ。
そのため、全力で走りきった後のような充実感と爽快さが味わえたのかもしれない。
普段聴き慣れた名曲をリフレッシュさせたような強い印象が残った。
鳴りやまぬ拍手に応えてアンコールを一曲。

モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲

ほぼ満席の大ホールからはさらなる大拍手が起きた。
今回シュトイデさんは6/4~6/18の日程で来日されて、リサイタル6カ所、
オケとの協演2カ所となっています。リサイタルには6/15六花亭札幌本店
も含まれています。
確か昨年はシュトイデ弦楽四重奏団としても来札してくれていたようですから、
今後も来道して札響と協演していただきたいものです。
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<追記6.21>
記事の一部を加筆修正しました。
また、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の現役コンサートマスターによる弾き振りは
昨年PMF-GALAで、ライナー・キュッヒルさんによるモーツァルトを体験していました。
あの時も見事なものだと感心しました。その時の記事はこちらです。
また、安永徹さんが演奏活動をしばらく休止されていますが、体調は回復されたのかな。
またステージに元気な姿を見せていただきたいものです。



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# by capricciosam | 2016-06-18 20:37 | 音楽 | Comments(0)

庄司紗矢香無伴奏ヴァイオリン・リサイタル@北広島市花ホール2016

【プログラム】

1 J.S.バッハ 幻想曲とフーガ ト短調(J-F.ヌーブルジェ編)
2 バルトーク 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
3 細川俊夫 ヴァイオリン独奏のための「Exstasis」(脱自)2016  日本初演
4 J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調

庄司紗矢香さんの演奏を聴くのはパガニーニ国際コンクール優勝まもない2001年に
ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィル演奏会において
チャイコフスキーの協奏曲を聴いて以来。15年ぶりということになる。
あの時は少女の面影を感じさせるのに芯のある力強い演奏で、
さすがメジャーデビューしただけのことはあるな、と感心したものだ。
ようやく再び聴くチャンスが巡ってきたら、なんと無伴奏演奏会とは。
彼女の成長ぶりを実感できる絶好の機会となった。

「無伴奏」というのは演奏者の力量がステージ上ですべてさらけ出されるだけに
プロにとってはそうそう安易に取り組めるものではないだろうし、取り組む以上は、
演奏者の自信や意欲は並々ならぬものがあるのではないか、と勝手に解釈している。
例外的に多いピアノは別として、振り返ってみてもせいぜいチェロ、ギターぐらいか。
ヴァイオリンはピアノとのソナタは結構聴いたが、アンコールで演奏された場合を除けば
無伴奏作品だけの演奏会は今回が初めてだった。

2はJ.S.バッハ以来のヴァイオリン・ソナタの傑作と言われながら、
ヴァイオリンという楽器の特性を無視して作られた側面があるせいか難曲と言われている。
緊張感を貫きつつ千変万化する音を一心不乱に紡ぐ彼女の「ど迫力」に圧倒されて
身じろぎもせずに聴き入ってしまった。名手ならではの名演と言っても過言ではない。
もうこれだけでも今夜足を運んだ甲斐があったというものだが、休憩後も凄かった。

3は彼女のために作曲された作品。

「ヴァイオリンを独奏する庄司紗矢香の姿は、私にとって「巫女」である。
彼女はヴァイオリンという楽器を自らの内なる声(うた)の延長とし、彼女の
内と外に流れる壮大な宇宙のエネルギーと一体化しようとし、うたう。」
(以上、配布されたパンフレットに掲載された細川俊夫の言葉より引用)

イメージされたのが「巫女」という例えには驚いたが、一心不乱に演奏に打ち込む
彼女の姿からは、なるほどそんな風にもとれるなと思った。
作品自体も技巧を凝らした不思議な作品だった。イントロは尺八でも鳴っているのか、
と思ったくらいで、ヴァイオリンでこんな音まで出せるのか、と驚きの連続だった。
苦手な現代音楽ではあるが、飽きずに聴かせられたのは彼女の力量の賜だろう。
興味深い作品だった。

最後に4が演奏されたが、当夜はこの有名曲目当ての方も多かったのではなかろうか。
(正直に言いますが、小生はそのひとりです、ハイ。)
なにしろ名手の手による「シャコンヌ」である。期待するなというのが無理というもの。

3の後なのに、休憩もほとんど取らずにステージに登場すると、
なんと譜面台を横にどけて一見無造作に暗譜で弾き始めた。
しかもいささかの迷いや弛緩もなく曲は進む。
「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」
楽章間はほとんど間を置かずに次々と弾いていき、「ジーグ」から
さらに短い一瞬の間をとり、「シャコンヌ」へ。
作品の持つ精神的な深さと同時に「祈り」さえも感じられたが、
彼女の「巫女」としての機能が見事に開花していたからではないか。名演。

終曲まで客席からは不快な異音も目立たず、最後まで期待できるかなと思ったら、
やはりというか、無粋なフライング拍手があり、ぶちこわし(怒)。
あの時ほとんど音は消えかかっていたが、まだ弓がヴァイオリンに触れていたし、
彼女は腕を下ろしきっていなかった。ということは演奏は続いているということだ。
熱烈な拍手よりも自らの内に深い感動が満たされることを確認してからの拍手で
遅すぎることはない。演奏を終えた後の貴重な無音の時間が聴く者の仕上げに
欠かせなかったのに、あの暴力的なフライング拍手で台無しにされたのは残念だった。
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<追記6.2>一部加筆、修正しました。
<追記6.21>
今日は夏至。今年もまだ半ばを過ぎた訳ではないのに気が早い話だとは思うが、
今年を回顧した時に強い印象を与えた演奏会として思い返すことは間違いない。
それほど強烈な衝撃だった。全国でも同じ思いをしている人も少なからずいたのではないか
と想像するが、記憶が風化しないうちに備忘録として今回の全国公演の日程を記しておきたい。

5/26(木)北海道 美深町文化会館COM100
5/27(金)埼玉県 川口市総合文化センターりりあ
5/29(日)神奈川県 神奈川県立音楽堂
5/31(火)北海道 北広島市芸術文化ホール
6/1 (水)愛知県 名古屋電気文化会館
6/4 (土)広島県 広島市JMSアステールプラザ
6/5 (日)島根県 松江市総合文化センター
6/7 (火)東京都 紀尾井ホール



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# by capricciosam | 2016-06-01 00:28 | 音楽 | Comments(0)

若沖展@東京都美術館2016

当初予定になかったが、空前の人気に加え、閉幕間近なことから急遽帰る日に
予定を入れた。(その分、3日分の予定を2日で終えたため、2日目がタイトに
なりました。)前日カラヴァッジョ展に並んでいた時に見た殺到する膨大な
人の数からみて早朝に並ばないと、帰りの飛行機に影響を受けそうだと思い、
当日は午前7時には東京都美術館に到着するよう行動開始。
しかし、すでに美術館横に列は長く伸びており想像以上(トホッ)。
それでも芸術大学奏楽堂方面に曲がる手前で列に並ぶことができました。
8時頃から断続的に列は前に進み、割とスムーズに9時過ぎにはエスカレータ
手前に達しましたが、「入場規制が始まりました。」の無情なお知らせを聴いて
内心焦る。9時15分頃には美術館の入口をくぐり、9時30分過ぎには
入場できました。この時開館時間が約30分早まったとの声を耳にしたのですが、
4時間待ちを覚悟していただけに、2時間30分ならまだましというものでしょうか。

伊藤若冲は近年評価が急速に高まっているが、小生には未知の絵師。

会場入りするとすぐ鹿苑寺の墨による襖絵が展示されていたが、これが見事の一言。
若冲の作品としては色彩豊かな作品がTV等で紹介されていただけに、
予想を越えた出会いとなった。
早くも満足度は高まったが、1階の他作品は激混み状態でなかなか近づけずに鑑賞した。
しかしながら、ある程度の距離からでも若沖作品の凄さが伝わってくる。

次に2階に向かったが、やはり「動植彩絵」30点は壮観だった。
見事な色使いと正確な描写は驚きとともに時空を越えて鑑賞する者の心を打つ。
中でも「群鶏図」と「老松白鳳凰図」は近づくことさえままならない人だかり。
絵の大半に人だかりができていたため、間近で子細に観察できたのは数点だった。
しかし、それだけでも写生力のすごさに圧倒される。
江戸時代にこんな力量を持った人がいたことすら知らなかったが、
不思議なのは同時代や後年の他の画家たちへ影響を及ぼさなかったこと。
やはり、その世間離れした生き方が俗世の時流に乗らなかったためか。

同時に展示されていた「釈迦三尊像」は若冲自身が力を込めて描いたとされているが、
不思議だったのは釈迦と2体の菩薩が同等のサイズで描かれていたこと。
これまでいろいろな機会で観た三尊像は釈迦に比べ菩薩像は比較的小さく
描かれていた印象があるが、何故同じサイズに描いたのだろう。
きっと若冲の見方や考えが反映されていたんだろうが、果たして何が。

また、3階には若冲の収集家として有名な米国人のジョー・プライス氏の
個人収集品も多数展示されていたが、どれも見事な作品だった。
有名な「鳥獣花木図屏風」はあのドットで表現した着想といい、作画といい
いくら目を凝らして見ても不思議。どうしてこんな作品が完成できたんだ。驚き。
プライス氏が若冲と出会った作品も墨絵の掛け軸だったが、
案外シンプルな墨絵こそが若冲の真価(エッセンス)を伝えているのかもしれない、
と改めて思った。
若沖、凄い!

ブームとなった激混み展覧会は普段は避けるのだが、これは選択して正解だった。
もっとゆったりと鑑賞したかったので、今後開催されるならば会期の延長はもちろん、
東京以外への巡回展開催、時間予約制の導入なども検討してもらい、
若冲の美をもっとゆったりと味わう機会を設けてもらいたいと思う。

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<追記6.1>一部加筆、修正しました。


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# by capricciosam | 2016-05-31 17:19 | 展覧会 | Comments(0)

エマニュエル・パユ&ベルリン・フィルの仲間たち@所沢ミューズ2016

【プログラム】

1 モーツァルト フルート四重奏曲第3番ハ長調
2 モーツァルト フルート四重奏曲第2番ト長調
3 ロッシーニ  フルート四重奏曲イ長調
4 モーツァルト フルート四重奏曲第4番イ長調
5 武満徹    エア
6 モーツァルト フルート四重奏曲第1番ニ長調

朝から2つの展覧会を鑑賞した後、西武線で所沢へ移動。

ベルリン・フィルはサイモン・ラトル指揮で台湾、日本をツアーし
サントリーホールでのベートーヴェン交響曲全曲演奏会を終えたばかり。
その後、メンバーの何人かは日本に滞在して演奏活動を行っていましたが、
所沢では首席フルートのエマニュエル・パユ(以下「パユ」という。)による
モーツァルトフルート四重奏曲全曲演奏会が開催されました。
同曲のCDは何枚か所有していますが、小生のデフォルトはパユ盤。
それだけに、今回はぜひ聴きたかった演奏会でした。


モーツァルトフルート四重奏曲はCDでは1番から4番まで順に収録されるし、
全3楽章から構成されるのが通常だが、今回のプログラムは各々2楽章の
第3番、第2番からはじめ、ロツシーニの作品を終えて休憩に入り、
後半は3楽章で構成される第4番、フルート独奏の武満徹作品そして
代表曲の第1番で終える構成となっていた。
聴き終えてこれは良い配置だったと思う。ナイスプログラミング。
特に、第2番と第3番をあたかもひとつの作品として扱うかのような聴き方ができた
ことは新鮮だった。また、パロディーとして割合軽く扱われがちな第4番もパユの手にかかると
実に楽しい。1番はCDと比べ遜色なく、ライブ録音として発売してもらいたい気分だった。
しかし、モーツァルト以上に印象深かったのは武満徹の「エア」。
ひとつのフルートが奏でる音色の多彩さと魅力的な刺激。名手パユの面目躍如だった。


鳴り止まない拍手に応えてアンコールを1曲。
パユが日本語で「ありがとうございます。」(拍手)
「アンコールは………のフィナーレです。」と言って始まったのが、
(残念ながら………は聞き取れず。)
フルート版は初めて聴きましたが、よく出来ていますね。

ドヴォルザーク弦楽四重奏曲「アメリカ」より第4楽章

初めて訪れたミューズは照明の加減のせいか、割合明るい印象。
正面のパイプオルガンの両脇にはミューズ像が2体配置されていました。
2階ほぼ正面で聴きましたが、音も明瞭で残響も適度でした。
今回3階席は入場を制限していたようです。

<はみだし>
行きはライオンズ電車で向かいましたが、
ついつい自らのビジター応援を思い浮かべてしまいました(苦笑)
帰りは西武球場での西武VSソフトバンクの試合が終わったタイミングと重なり、
都内行き各駅停車はガラガラなものの、選択した急行は激混みでした。
まぁ、これはしかたありません。
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# by capricciosam | 2016-05-30 23:57 | 音楽 | Comments(0)

ルノワール展@国立新美術館2016

カラヴァッジョ展を鑑賞した後、六本木の国立新美術館へ移動した。

印象派の大家ルノワールは日本人にもなじみ深く、これまでも数え切れない
くらいの展覧会が開催されてきたことだろう。本展覧会ではオルセー美術館と
オランジュリー美術館が所蔵する作品が100点以上の作品が展示されている
だけにルノワール好きにはたまらない。

小生もルノワールやセザンヌ等の印象派から西洋美術に親しんでいった訳だが、
ルノワールは良いなとは思えど、大好きという訳でもないという位置付けだ。
しかし、彼の代表作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は別格。
屋外で音楽、踊り、おしゃべりと社交に興じる楽しげな群衆のひとこまを
これほど色鮮やかに切り取った一枚はルノワール作品の中でも郡を抜く。
シンプルに楽しさを追求するルノワール故に、その印象を巧みに絵にした
完成度の高さが共感を呼ぶのだろう。
ルノワールを語る時に欠かせない作品であるにもかかわらず、
これまで来日したことはなく、今回が初来日とは驚いた。
実際、本作品の前が一番混雑しており、入場者の関心の高さがうかがい知れた。

その他にも見比べて楽しい作品が展示されていた。
①「都会のダンス」と「田舎のダンス」
②「ピアノを弾く少女たち」と「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル」

①は前者で描かれている男女が正式なたたずまいというのは言うまでもないことで
女性もとりすまし、画面全体が一種の冷たさを醸し出すのに比べ、後者の男女は服装も
正式とは言い難く、あまつさえ女性の口を半開きにした笑顔が素朴さを強調する。
ルノワールがどちらに好意的な視線を向けていたかは明らかで、事実この女性は
生涯の伴侶となる人であった。他にも「母性 乳飲み子(ルノワール夫人と息子ピエール)」
で赤ちゃんの息子にお乳を含ませる夫人の肖像画と、そばに彼女が亡くなった時に
作られた彫像も展示されていた。ルノワールの暖かくやさしいまなざしを感じずには
いられなかった。

②は前者はルノワールの代表的な作品のひとつ。
後者はそのモデルとなった二人の少女の5年後を描いているが、構図も異なり平板な印象。
モデル、構図含め前者のほうが観る者を惹きつける。

その他、「私は人物画家だ」というコーナーが設けられるくらい、
改めてルノワールの肖像画は魅力的だなと感じられた。
ルノワールの生涯にわたる画業を俯瞰的に観賞する絶好の機会だった。

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# by capricciosam | 2016-05-29 23:12 | 展覧会 | Comments(2)

カラヴァッジョ展@国立西洋美術館2016

作品に混じってカラヴァッジョ(1571-1610)が生きた当時の史料(古文書)が
いくつも展示されていた。その内容はトラブル(刀剣の不法所持等)が目立つ。
特に、レストランで注文の品を確認したところ、生意気な回答をした給仕に皿を
投げつけて怪我をさせ、その上殺そうとした一件(食堂でのアーティチョーク事件)は
彼の激情ぶりの証。とにかく気性の荒い人間性が災いした故の素行は決して
褒められたものではなかったようだ。
しかしながら、作品の数々は当時から定評あるものだったらしいし、
後代に続く画家に与えた影響も大きい。

今回の展覧会では彼の作品は11点(帰属含めると12点)が展示れされていた。
7つのコーナーと1セクションから構成されていたので順に振り返ってみたい。

Ⅰ風俗画:占い、酒場、音楽
1「女占い師」(1597年)日本初公開
いきなり有名作品が展示されていたが、こういう寓意が含まれた絵は
当時の流行だったのだろう。絵のバランスは良いが平板な感じで、
若者の指から指輪を抜き取ろうとする女の指も動きやリアルさに乏しい。

Ⅱ風俗画:五感
2「トカゲに噛まれる少年」(1596-97年頃)日本初公開
綺麗な花の陰にトカゲあり、ということで寓意か込められている作品だが、
目を凝らして見てもトカゲはわからない。噛まれて深い陰影を刻んで顔ゆがめる
少年の姿に作品名に込められた意を理解することになる。
タッチがやや粗く、その分絵自体に動きがある。

3「ナルキッソス」(1599年頃) 
水面に映し出される自らの姿に恍惚とするナルシスを描いているが、
水面含めて全体は暗い色調の中に沈んでいる。ガラヴァッジョの特徴の
ひとつである明暗もはっきりとはしないが不思議な静謐さが魅力的だ。

Ⅲ静物
4「果物籠を持つ少年」(1593-94年頃)
工房時代の雇われて制作に励んだ時代の作品。手前に書かれている果物籠は
細部まで明確だが、それを手に持つ少年はややぼやけた感じで描かれている。
そのため一種の遠近感があり、画家の関心や主題が果物籠にあったことがわかる。

5「バッカス」(1597-98年頃)日本初公開
一見して男か女かちょつと判別しにくい不思議な絵。
細部にわたりよく描かれているが、明暗は明確ではなく、やや平板な印象を受ける。

Ⅳ肖像
6「マッフェオ・バルベリーニの肖像」(1596年頃)日本初公開
将来のローマ教皇を描いているが、野心の点った目つき顔つきの描写はさすがだ。
しかし、服の襞の陰影はぎこちなく、全体のバランスにもやや欠けている。

Ⅴ光
7「エマオの晩餐」(1606年)
カラヴァッジョには同一テーマで他の作品もあるが、これは逃亡中の晩年の作。
全体が暗く沈んだ中に復活したキリストと、それと知って驚くまわりの人物の一瞬を
切り取ったものだが、明るく浮かび上がるキリストは視線を落とし落ち着き払っている
ように思える。後述する「エツケ・ホモ」と描き方としては共通するのだろうが、
こちらは受難の後の復活した姿だけに表情に苦さは感じられない。

Ⅵ斬首
8「メドゥーサ」(1597-98年頃)日本初公開
斬首の絵はユデトの逸話を主題としたものが有名だが、残念ながら今回は来日していない。
代わって盾に描かれた神話のメドゥーサの作品が展示されていた。ローマに展示されている
作品の一次作品らしい。

Ⅶ聖母と聖人の新たな図像
9「洗礼者聖ヨハネ」(1602年)日本初公開
顔をうつむき気味にし髪で目も隠れがちなヨハネの表情はわからない。
3に通じるあいまいさを残して完成させた作品と言えるだろう。

10「仔羊の世話をする聖ヨハネ」(帰属)
「帰属」ということは真筆とは確認されていない意味なのだろうが、
9よりも余程カラヴァッジョらしいたたずまいを感じさせた作品。

11「法悦のマグダラのマリア」(1606年)世界初公開
近年カラヴァッジョの作品として認められて以降、世界初公開となった作品。
もともとこの主題で描かれると髑髏が配置されるため不気味さが漂うのだが、
カラヴァッジョ作品ではエロティックさも加味されてなんとも妖しい雰囲気だ。
信仰薄い身には理解不能なのだが、宗教的な恍惚感とはこういうものなのか。

ミニ・セクション
12「エッケ・ホモ」(1605年頃)
注文を受けて制作したが、注文主はカラヴァッジョの作品が気に入らなかったらしく
別の画家に同一テーマで再発注した。その2枚がミニ・セクションとして
対比されて展示されていた。絵筆のタッチもさることながら、キリストの描き方の違い
が気になった。どちらの作品も描かれているのは3人。
別の画家の手になるものはキリストを真ん中にし、明るい色調で焦点はキリストに
あっているように見える。そして身体は傷つき、表情も口を開け、視線は天上を向き、
いかにも絶望的な様子がうかがえる。キリスト像としては定型的な描き方だし、
ある意味表層的とも言える。

しかし、カラヴァッジョの作品では全体の色調も暗く、身体に傷もないキリストは
脇役的に左端に配置され、視線を落とし口を閉じている。
むしろ目立つのは右側で「エッケ・ホモ」(この人を見よ)と叫んでいる人物だ。
真ん中の人物分の間をとって静かに過酷な運命を受容しようとしている力強い達観の
境地や凄みすら感じさせる。カラヴァッジョの作品はキリストの中に真の強靱さを
描き切っているとも言える。斬新な視点だと思うが、当時の通俗的考えでは
受容されなかったということか。

カラヴァッジョの真作は60点強と言われているらしいが、初公開作品含め約2割一挙に
観賞できたことは幸いだった。破天荒な生き方がとかく注目されがちだが、作品そのものは
時代を先取りしていく意欲的なもので、技法含め興味深い充実した展示だった。
また、本人の作品以外にも多くのカラヴァジェスキの作品も展示されて見応えがあった。
カラヴァジェスキとは

「カラヴァッジョの画法を模倣し継承した同時代及び次世代の画家たちの総称。
彼らの多くはカラヴァッジョ本人を直接知ることなく、作品の魅力に引きつけられて
その画法を学び新たに発展させました。」
(以上、「カラヴァッジョ展」HPより引用)

一派を為すことなく後代に影響を与えたという点では、昨年観た琳派との類似性を
思わせる。洋の東西を問わず似たような現象はあるものだ。
彼らの特徴のひとつは光源から照らし出された明暗を強調した作品が目立つことだ。
例えば、ろうそくを囲む顔は明るく照らし出され、彼らのいる室内は暗く閉ざされている。
中でもラ・トゥールの作品「煙草を吸う男」は強く印象に残った。
彼はカラヴァッジョの創造した明暗技法をより忠実に、さらに発展させたように思う。

<蛇足>
開館前の行列に並んでいたら、東京文化会館との間の道を公園口方向から東京都美術館に
向かうものすごい人、人、人。会期も終わりに近づいた「若冲展」に向かう人たちなのだが、
まるで川の流れでも見ているかのような錯覚に襲われた。こんなのは初めてだった。
そんな感想を思わず口に出したら、前に並んでいた山梨県のご夫妻に笑われてしまった。

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# by capricciosam | 2016-05-26 06:55 | 展覧会 | Comments(2)