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ラ・プティット・バンド@Kitara2006

久しぶりの更新は久しぶりの古楽演奏会です。(^^)
オール・バッハのプログラムも親しみやすかったのですが、
S・クイケンさん以下のメンバーのフレンドリーな
ステージマナーも見ていて好感の持てるものでした。

モダン楽器の鳴りに鳴る演奏に慣れ親しんでいると、
古楽の響きには物足りなさを感じる場合もあるのですが、
今回は演奏そのものは、ひとりひとりの技量の確かさに加え、
合奏も申し分なく、親しみやすく、十分堪能できるものでした。
ただ、この編成では音量的には大ホール向きではなく、
小ホールならもっと効果的なように思いました。
どうしても音が十分響かず籠もりがちな傾向がありました。
販売しなかったらしい3皆席以外も、これまでKitaraで
聴いた古楽演奏会の中ではよく入っていたようでした。
小ホールなら十分満席でしたね。

今回の注目は、バッハが生前記述しながら、いつしか
忘れ去られて、楽器の形がどんなものか不明な楽器の
ひとつである「ヴィオロンチェロ・ダ・スパラ」が登場する
ことでした。「肩に乗せて弾くチェロ」とは?興味津々です。

1曲目の「2つのヴァイオリンのための協奏曲」は、
やや遅めのテンポで開始されました。
S・クイケンさんは、この時はヴァイオリンですが、
他のメンバーが、その楽器を弾いています。
なるほど、肩に乗せて弾くチェロ、です。
大きさはビオラとチェロの中間ぐらいですが、肩ヒモを
かけて、ギターのように抱えながら、それを弓で弾く
訳です。チェロと同じパートを弾いているようでしたが、
合奏する中では、特有の音らしきものはわかりません
でした。まあ、ソロでもない限り、素人には無理なんで
しょうね。
2曲目のブランデンブルグ協奏曲第5番や4曲目の
オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ではS・クイケン
さんが、この楽器を弾いていました。
前かがみ気味に弾く姿はちょっとユーモラスで、ひとり
うけしていました。

アンコールに最後のブランデンブルグ協奏曲第4番の
第三楽章を演奏していただき、お開きとなりましたが、
心がほっとするようなよいひとときでした。

◆ヴィオロンチェロ・ダ・スパラについてはこちらをご覧ください。 
 どうやら寺神戸亮さんもこの楽器に挑戦されるようです。 
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by capricciosam | 2006-05-20 06:09 | 音楽 | Comments(2)

札幌交響楽団第488回定期演奏会@Kitara2006

ドイツ・レクイエムは「ドイツ語によるレクイエム」という意味らしい。
ではレクイエムとはどんな意味なのか。
requiem(ラテン語)休息
永遠の休息=死にたどりつくことは生きとし生ける者の必然。
死者のためのミサ曲の初めの歌詞がレクイエムと始まること
から曲全体の名称をレクイエムと呼ぶようになったようだ。
そこでレクイエムと言えば、死者のためのミサ曲を指す訳だ。
従って、この曲は本来死者の魂を鎮めることを目的とするだけで良い訳だが、
今回演奏されたドイツ・レクイエムはやや趣を異にする雰囲気がある、
と常々感じている。
それは生き残った者への視点である。
死者との悲しい別れから悲嘆に暮れる生き残った者の魂もなぐさめ、
鎮めようとするような視点である。
それで、この曲を聴くときは、やさしく慰撫してくれるニュアンスを求めて
ついつい聴いてしまうクセがある。
もっとも、ひたすらドラマティックに歌い上げても、
それはそれで十分成り立ってしまう側面も否定はできない。
いづれにせよ、ブラームス畢生の大作であることは間違いない。

さて、前置きが長くなったが、この曲はなんといっても、
「合唱」と「独唱」の出来に左右される、と思っている。
特に、約70分間ほぼ歌いっぱなしの「合唱」の負担は大きい。
今回の札響定期に登場した札幌合唱連盟は高校生も含めた152名と大所帯で、
ところどころ棒読みのような歌い方も散見されたものの、大いに健闘していた、
といっても過言ではない。
しかも、よくあるPブロックへの配置ではなく、ステージに配置されたことで、
オケとの一体感はより強く感じられた。
しかし、あふれんばかりのステージは久しぶりでした。(^^)
また、独唱の二人の歌唱の水準は高く、特に、バリトンは感情たっぷりに、
深々とした響きで会場を満たしていた。
札響も低弦と管を中心にまとまった演奏をしていた。
しかし、先に述べたニュアンスはあまり感じられず、ドラマティックな
大曲風に終わったことは、私としては少々残念。
これは暗譜でとおした尾高監督の解釈なのでしょうね。
終わってみれば、多少のキズはあったものの、ライブとしては
りっぱな演奏で、この曲の実演に接することはほぼ可能性がない、
と思っていただけに、とても印象深い演奏会でした。

昼公演でしたが、8~9割の入りで、札響定期の2公演化も
一周年を過ぎて定着してきたような感じを受けました。
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by capricciosam | 2006-04-22 23:50 | 音楽 | Comments(2)

coup de baguette 3rd Concert@札幌教育文化会館

クー・ドゥ・バゲット
フランス語で「魔法の杖の一振り」という意味(公演パンフより)
の打楽器アンサンブルの第3回定期公演に行って来ました。
第1回の旗揚げ公演以来です。

プロは札響前首席打楽器奏者の真貝裕司さんだけで、
あとは二十歳前後のアマチュア男女12名のグループです。
打楽器だけでは、どうしてもリズム主体で単調になるのでは、
とついつい思ってしまうのですが、
どっこい、実におもしろいのです、これが。

一曲目の打楽器7重奏のための「ザ・ビック・デッパー」は、
いわばウェルカム・ドリンク。これで楽しくくつろぎ、次の
「オレカマ」へ。なんでも「おれにかまうな」の略らしいのですが、
カウベル、ボンゴ・コンガが民族音楽らしい響きを紡ぎます。
一転して「ストゥーバーニック」「ムドラ」ではこの若いグループの
実力が高度なアンサンブルとなって披露されていき、
思わず身を乗り出してしまいます。
前者では一台のマリンバを三人の奏者で演奏するのですが、
鍵盤以外にも側板や共鳴管を打って演奏する場面が、まるで
クレージーやドリフのコントのよう。(^^)
視覚的にも見せますが、アンサンブルに乱れは感じさせません。
ムドラでは真貝さんの実に正確無比な小太鼓ソロに圧倒されますが、
脇を固める若いメンバーのアンサンブルも見事です。
休憩後、彩~二台のマリンバと二人の打楽器奏者のための、では
マリンバが幻想的な四季の移ろいを感じさせます。
当夜一番印象深かった曲でした。
この後は、真貝さんのカスタネットソロ(これがうまい!)が加わって
ファリャのスペイン舞曲と火祭りの踊り。
やはりカスタネットが加わることで、ぐっとスペインらしさを感じます。
ラストは全員でホルストの惑星から「火星」「木星」。
打楽器だけで、あの分厚いオケの響きを表せるのだろうか、との
懸念は見事にうち砕かれて、実に見事な大団円でした。
アンコールでは全員お揃いのTシャツになり、ウィリアム・テル序曲と
レズギンカが披露されて、楽しくお開きとなりました。

演奏自体も尻上がりに好調になり、飽きさせないだけの実力が
着実にこのグループに蓄積されてきていることを感じさせる
一夜でした。さらに精進を重ねて頂きたいものです。
定期公演は年一回のようですが、早くも次回が楽しみです。

■クー・ドゥ・バゲットのHPはこちらです。
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by capricciosam | 2006-03-27 06:54 | 音楽 | Comments(0)

武満徹没後10年によせて②@Kitara2006

先日記した没後5年特別企画「夢窓」の命日当日に行われた
「武満徹の管弦楽-1980s」と題する演奏会は下記のような
プログラムでした。

指揮:尾高忠明★
ヴィオラ:今井信子
フルート:エミリー・バイノン★
オーケストラ:新日本フィル
曲:弦楽オーケストラのための<死と再生>
  ウォーター・ドリーミング★
  トィル・バイ・トワイライト★
  ア・ストリング・アラウンド・オータム★
  波の盆~オーケストラのための★

この演奏会は聴くことはできなかったのですが、★印のついた
部分は今回の札響定期とまったく同じです。
その上、札響もオール武満プロは定期としては30年ぶりらしい、
となれば、今回を逃すとちょいと後悔するかもなぁ、と思い至り、
なんとか仕事をがんばって時間を作って出かけてきました。
二日目昼公演の当日券でしたが、入りは7割くらいかな。
「弦楽のためのレクイエム」以外は聴いたこともない曲ばかりです。

今回のプログラムも、大江氏の言葉にあったエラボレイトを
積み重ねていった武満の作品が「弦楽のためのレクイエム」から
年代順に演奏されていったように思います。
いずれの作品も武満らしい「響き」と「うねり」が作り出す「静謐さ」
「浮遊感」「無限性」を感じさせてくれます。
「ア・ストリング・アラウンド・オータム」は独奏ビオラの落ち着いた響き
が秋にふさわしい。ただ聴いていた3階席では少々音量が不足気味
だったような感じもしました。これはビオラという楽器の特性のせい?
「ウォーター・ドリーミング」の無限に連環するがごとき様はフルートの
甘美な響きによって浮かんでは消えていく色彩や、時には「歌」も
感じさせてくれました。

誤解を恐れずに言えば武満徹の作り出した曲には「響き」やその
連なりとしての「うねり」はあれど、「歌」や「抒情」なんてある訳ない、
なんて勝手に誤解していたようです。
それを見事に証明してくれたのが最後に演奏された
「波の盆~オーケストラのための」です。
この作品には武満自身が内面に秘めていた見事なまでの
「歌」が奔流となって表出されくるのです。これには驚きました。
いただいたパンフの札響団員の方の話にも演奏しながら泣く奏者
がたくさんいる、との話を見つけ、首肯できる話だなぁ、と思いました。
この曲はもっと知られて良い曲だ、と思います。
アイブスの「宵闇のセントラルパーク」に似たところもチョイあります。

今回の体験で武満徹に抱いていた考え(先入観)が少し変わった
ようです。先日のペレーニもそうでしたが、
「食わず嫌いはあきません」を実感しています。

札響もよく健闘して武満トーンを表現していた、と思いましたが、
音に集中するあまり、音量が不足気味だったのではないか、とも
感じました。あの集中力で、もう少しボリュームがあれば、きっと
鳥肌モノだったのではないか、と改めて思います。
しかし、曲ごとにステージ上での転換がめまぐるしかったので、
大変だったでしょうが、見ている分にはおもしろかったです。(^^)

さすが定期らしく、フライング拍手、フライングブラボーもなく、
快適でした。でも、弱音やデミニュエンド気味に終わろう、という時に
咳が何回か飛び出したのは残念。録音して放送されるだけに、
せめて口をハンカチで押さえてくれればなぁ。
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by capricciosam | 2006-02-26 09:08 | 音楽 | Comments(6)

武満徹没後10年によせて@東京オペラシティコンサートホール

今日は武満徹が亡くなって10年目にあたりますが、
ちょっと変わった体験をしたことを思い出しています。

亡くなって5年目の2月22日のことです。
この時東京に出張していて、偶然変わった演奏会に出会いました。
東京オペラシティコンサートホールを使った没後5年企画の一環で、
ちょうどその日は講演と演奏が組み合わされていました。
題して「音と言葉」
最初の講演は大江健三郎によるもので、1960年代に数年間
お互い近所で暮らしていた時があり、大雪のエピソードをイントロに、
武満の初演にほぼ立ち会いながら、演奏会後はすぐに帰宅して、
さきほどの作品をひとり振り返っていたこと、これを「独座観念」と
称していたこと、それは桜田門外の変で死亡した井伊直弼に
由来すること等が話されていきました。
話の展開はなかなかおもしろかったように記憶しているのですが、
次第に観念的、抽象的である部分が多くなるにつれ、頭がついて
いけなくなり、詳細まで記憶に残った訳ではありませんでした。
でも、その中で取り上げていた<elaboration>は心に残りました。

elaboration ①骨を折って作る、(完成への)苦心、丹精
          ②苦心の大作

つまり、武満徹ほど、その作品、思想、人間そのものを徹底して
エラボレイトして生きた人はいなかったし、その結果として
広く愛されながら決して通俗化せずに、社会的には独立している
生き方を貫けた、と大江氏は結論づけているのでした。

後日、本講演がまとまって雑誌「すばる」に掲載されているのを偶然見つけ、
さっそく買って読みましたが、印象としてはおおむね間違って
いなかったようで安心しました。
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後半、演奏されたのは「蝕(エクリプス)」「海へⅢ」「スタンザⅡ」
「そして、それが風であることを知った」の4曲でした。
「弦楽のためのレクイエム」のように、一聴してすぐに心が曲に
シンクロするがごときことはなく、実に淡々と終わってしまった、
という印象しかありません。
結局、後々「言葉」が記憶に残った不思議な「演奏会」でした。
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■当時命日に尾高忠明/新日本フィルがコンサートを開いていました。
 フルートにエミリー・バイノンが加わっていましたが、指揮者、
 ソリスト、演奏曲もよく見れば、2/24、25の札響 定期演奏会
 とほぼ同じ。当時聞けなかったので、チャンスかも。
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by capricciosam | 2006-02-20 23:27 | 音楽 | Comments(0)

ミクローシュ・ペレーニ@Kitara2006

ペレーニは一部の方達には有名な人らしいのですが、
何しろCDですら聴いたことがないので判断不能。
先日も書きましたが、器楽曲はあまり手を出さないジャンル故、
「早々に退屈したらどうしよう」
ましてバッハ以外はいまだかつて聴いたこともない曲ばかり、
でも今回は全国でこの札幌公演のみらしい、とのこと。
「え~い、はずれたら、それまでだ」
と、少々居直り気味ででかけたのでした。

ステージに現れたペレーニ氏は長身ながら、少々猫背気味で
はにかんだような眼差しで客席を見て、不器用な礼をします。
なにやらこの段階で人柄が忍ばれます。
「あれ、全然巨匠風じゃないぞ」

1曲目のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲第6番は
難曲らしいのですが、そんなことは微塵も感じさせない、
その完璧なテクニックに裏打ちされた誠実な音楽性が、
耳を奪います。暖かな人柄を感じさせる「音」に久々に
出会った気分でした。
当然のごとくイスに座り直して聴き始めたのですが、
2曲目のブリテンは突如として不安な気持ちにさせる音が入り乱れ、
曲自体になじめず。演奏とは別に正直つらい。
ここまでが無伴奏で、休憩をはさんだ3曲目以降が
チェロとピアノのソナタになります。
プロコフィエフはピアノとのかけあいもかみ合って、
落ち着いた雰囲気でかつ雄大な気分も時折顔をのぞかせる、
幾分親しみやすい曲でした。
最後の4曲目はドビュッシーらしい旋律がたびたびあらわれ、
空中に漂うがごとくの浮遊感のある曲。
今夜の曲ではこれが一番おもしろかったですね。
バッハを除けば、現代に近い曲中心のプログラムでしたが、
どの曲もペレーニは着実に弾きこなしていくのですから、
その力の高さは推して知るべしです。
しかも、それを一種飄々とした風情でやっちゃうんですから、
なんともすごい人です。

満席に近い会場からはブラボーもとび、鳴りやまぬ拍手に
応えてアンコールは2曲。最初がドホナーニ、ついで最後に
もう一度バッハの組曲第一番からアルマンド。
「いいなぁ」
この人のバッハは確かにうまいのですが、暖かさとか、
人間性のぬくもりのようなものを感じてしまいます。
生き様まで含めた「規範」といっても過言ではないような
感じでしたね。

終わってみれば、満足して会場を後にすることになったのは、
実に幸いなことでした。
改めて「食わず嫌いはあきまへんなぁ」という思いです。

■会場で札響のチェリストの方も何人かお見かけしましたが、
 4月にはこんな企画の演奏会も予定されているようです。 

■私がペレーニを知るきっかけとなったサイトはこちらです。
 お陰様で素敵な演奏家を知ることができました。
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by capricciosam | 2006-02-19 23:52 | 音楽 | Comments(2)

ゲルギエフ&マリンスキー歌劇場管弦楽団@Kitara2006

今年の聴き始めです。
昨日の札幌はあいにくの雪が降る荒天でしたが、
新春早々の期待の公演だけに会場はほぼ満席でした。

実はこのコンビの札幌公演は今回で2度目です。
(前回はキーロフ歌劇場管と言っていました)
2002年に初来札した時は、わが目を疑うくらい空席が目立ち、
実にもったいない感じでした。
シェエラザードをメインに据えたプログラムでしたが、ツアー最終
に近いせいか、音もよく練れていて、アンコールのトレパークは
空前絶後のすばらしい演奏でした。
2004年にはゲルギエフがPMFに単身再来札してくれて、それで
ようやく札幌でもゲルギエフとこのオケのコンビが定着したのかな、
と改めて満席に近い会場を見て思いました。

さて、昨夜は「くるみ割り人形」よりの抜粋を連続で約35分、
休憩をはさんでマーラー交響曲第5番でした。
会場からは盛んにブラボーが飛んでいましたが、
期待したアンコールはなし。
(もう一度あのトレパークが聴きたかったんですが、残念)
肝心の演奏ですが、「くるみ割り人形」は第2幕を中心とした有名曲
はないので、やや感興に乏しい部分はなきにしもあらずでした。
無難な安全運転のような感じで、可もなく不可もなくといった所。
やはりツアー初日ということも影響しているのかも知れません。

続いて当夜のメインとなるマーラーです。
第一楽章:トランペットが不安定でちょっと不安な部分も
ありましたが、すぐにこのオケのフルパワーが発揮され、
見事な感情のうねりが描出されていました。
第三楽章:明るいながらもなにやらしんみり感もあるこの楽章は
ホルンのうまさが印象に残りました。それと弦のピチカート・ソロの
かけあいが今更ながら見てわかり(過去シノーポリの実演には
接していたのですが憶えていません)、この悲しげなワルツが
よけい印象的でした。
第四楽章:前回の来演の時もハープはうまいなぁ、と感じた
のですが、この楽章の耽美的な雰囲気を弦とともにうまく
出していたと思います。
ゲルギエフもオケも楽章が進むにつれ尻上がりに好調になり、
持てる力量を十分に示してくれて最終楽章を終えました。

正直「ゲルギエフとマーラー」は?な部分もありましたが、
どうして終わってみると、十分堪能できました。
全て終わってみれば、新春早々の聴き始めとしては大満足でした。
とにかく、このオケはなにを演奏してもうまい感じですね。
そこにゲルギエフですから、最強コンビと言っていいでしょう。
昨夜の札幌から始まって最終日31日の浜松まで、全国を縦断する
ようです。プログラムも札幌で取り上げた以外にワーグナー、
ショスタコーヴィチ、ムソルグスキーetcと実に多彩です。
交響曲はいずれも第5番なのは偶然なのかな。
特にワーグナーはどんなサウンドになるんだろうか。興味津々。

蛇足ですが、いつも話題になるちっちゃな指揮棒は、最初は
持って指揮していましたがくるみ割り人形の途中からは持たず、
そのままマーラーも指揮していました。(^^)
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by capricciosam | 2006-01-08 09:52 | 音楽 | Comments(4)

諏訪内晶子&ヨーロッパ室内管@Kitara2005

コンクール優勝後、一時演奏から遠ざかっていたが、
再び活動を再開して10年。
脂ののってきたその諏訪内が現在組んでいるのが、バッハとは。
ベートーヴェンやブラームスの協奏曲もまだ録音していないはず
なので、いきなり飛躍した感じがして、とても意外な感じがした。
興味津々で昨晩の演奏会にでかけた。

ベートーヴェンが
「バッハはバッハ(小川)ではない大河だ!」
と言ったとか。
実際バッハは不思議な魅力を放つ、と感じる時が多々ある。
しかし、聴くだけなのに、魅力の追求どころか、
依然バッハの森の奥深くに進むこともできずにいる
我が身の情けなさにガッカリすることもたびたび。
それに引き替え、積極果敢に挑戦する才気あふれる女性の
なんと素晴らしいことか。(比較自体無理がある!)
進化または深化していくとは、こういうことなのかな、
なんてことを演奏に耳を傾けながら、ふと思う。
普段耳になじんだ古楽器によるCDと比べても、
モダン楽器による演奏とは言え、当夜の演奏からは十分
バッハの香りが立ちのぼっていた。
ところで、先年聴いたムローヴァもモーツァルトに挑戦していた。
たしかバッハを録音したCDもあったはず。
耳になじんだヴァイオリン協奏曲を経て、バッハやモーツァルト
に挑んでいくのは、高みを目指すアーティストならば
当然のことなのか。
歩む道の奇妙な類似に感心してしまう。

その上、本道初お目見えのヨーロッパ室内管弦楽団の上手いこと。
輝かしいのにちょっと渋めの光を放つ完璧なアンサンブル。
きっと何をやってもうまいんだろうな、とつい思ってしまう。
欲を言えば、今回は管楽器・打楽器が欠けていた点。
次回は管弦打揃ったところで楽しみたいものだ。
さらに、ソロオーボエの超絶技巧は当夜の思わぬ拾いモノ。
彼はうまい、うますぎる。
どう円熟していくのか、先が楽しみだ。

当夜は入場させないP席以外はほぼ満席。
アンコールも3曲あり、大喝采を浴びて終演となりました。
期待もせずにでかけましたが、実に高カロリーな、
満足な一夜となりました。
今年の聴き納めとしては上々です。

■写真はマンゼ/エンシェント室内管のヴァイオリン協奏曲集
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by capricciosam | 2005-12-21 21:27 | 音楽 | Comments(0)

オッコ・カム&札響@小樽市民会館2005

フィンランドを代表する指揮者で、10月初旬から来日して、
大阪、東京で振って、ラストは月末の札響定期演奏会。
シベリウスの2番を初めて耳にした経験は、この指揮者と
ベルリンフィルによるレコードでした。
それ以来チャンスがあれば、ぜひ実演に接したいと思っていました。
でも定期はオールシベリウスプロなんですが、どうもシベリウスは
食わず嫌い傾向があって今回はパスしようか、と思っていたら、
なんと大穴がありました。それは、
10/26の「ほくでんファミリーコンサート
曲目はフィンランディア、カレリア、交響曲第2番他。
これだけ揃えて、しかも整理券(無料)。
そのかわり平日の小樽行きなので、昨夜は結構ハードでした。

一曲目のフィンランディアがいつもの耳慣れた曲の運び
ではなく、例えて言うならアクセントの置き所が異なる運び方で
やや快速気味にさらっと終わったのは、また新鮮でした。
これは三曲目のカレリア組曲でも同様の感じを受けました。
カム氏は妙なアゴーギクもなく、正攻法な音づくりの印象。
二曲目のアンダンテ・フェスティーヴォは優雅さを感じさせる
弦楽合奏曲で、これは初耳の曲。いい感じの曲ですね。
四曲目の交響曲第二番はシベリウスを代表する曲。
これは管弦一体となったなかなかの熱演でした。
札響は元々シベリウスは得意というのが少し実感できました。
しかし、当夜のベストはアンコールの「悲しきワルツ」です。
これには魅了されました。うっとりです。
これは定期も期待できるのではないでしょうか。
シベリウス入門用としてはうってつけのプログラムでしたが、
公開放送用なので、これだけやっても一時間半ちょっとでした。
余韻を楽しむ余裕はありませんが、あまり疲れずこんな感じも
よいものですね。

ただ、惜しむらくは市民会館の音が残響がほとんどないデッド
でドライな感じなため、せっかくの熱演が生かし切れなかった
のではなかったか、という点。
まあ、年数の経った多目的ホールでは致し方ないのでしょうが、
最近はkitaraの豊かな残響でオケの音を耳にするせいか、
正直やや苦痛でした。今夜のプロをそっくりkitaraで聴けたら、
という思いが残りました。ちょっと耳もぜいたくになったかな。

■札響の定期はこちらをごらんください。

写真のCDはバルビローリ&ハレ管の交響曲2番
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by capricciosam | 2005-10-27 23:55 | 音楽 | Comments(4)

聖響&都響@Kitara2005

昨夜更新しようと思ったのですが、睡魔に襲われ早々に就寝
したので、早朝更新です。
さて、一昨日の都響の初の札幌公演に足を運んできました。
最初のモーツァルトから音がよくブレンドされているなぁ、と感じ
ましたが、だからといって濁って聞こえる訳でもない。
実にヴォリュームのある、充実した響きです。
さすが在京プロオケです。
特にチャイコフスキー5番は久しぶりの実演でしたが、よく歌い、
熱情こめた演奏はこの曲の模範演奏のような印象が残りました。
欲を言えば、少々「まとも」過ぎることでしょうか。
この曲の底流に流れているほの暗さがもっと表現されていれば、
とは思うのですが、これは指揮者の音作りの指向とも考えることが
できるため、何年か後の熟成を経て、またこのコンビで聴いて
みたいものです。
しかし、オケをみれば年輩の方もそれなりにいらっしゃるのですが、
ブラームスで共演した若い団員の矢部&古川両氏も達者ですし、
指揮者といい、オケの作り上げる音は「若々しい」感じがしました。
「まとも」で「若々しい」。
書で言えば楷書かなぁ。それも手本のような。そんな印象です。
聖響さんも札響には年に何回かは来演されているようですが、
あいにく聴くチャンスを逃していたため、初の実演でしたが、
今回の巧みな指揮ぶりと真っ当な音楽作りにいたく感心しました。
今後が楽しみな指揮者ですね。
聖響&都響。
足を運んだ甲斐がありました。
ところで、聖響さんがご自身のブログで書かれている
「4年前の都響・サントリーホール・ブラームス2番以上の充実感」
とは、その場を共有できた喜び以上に、ついついその4年前を聴き
たくなってしまいますね。
どんな演奏だったんだろう?

■聖響さんのブログはこちらです。

■道産子団員の小田桐さんのHPはこちらです。

写真はゲルギエフ&ウィーンフィルのチャイコフスキー5番
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by capricciosam | 2005-09-28 07:01 | 音楽 | Comments(4)