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東京クワルテット@PMF2006

開演間近にどやどやと大勢の若者が入場してきたので、5分遅れて開演。
東京クワルテットのメンバーが入場すると、彼らや他に座ったと思われる
若者たちから盛大な拍手や歓声(確かブラボーもあったかな)が。
どうやらPMF生だったらしい。
2ndヴァイオリンの池田さんは、挨拶しながら早くもニコニコ顔。

さて、一曲目はベートーヴェン弦楽四重奏曲第4番。
冒頭から4人の息がピタリとあって、力強く情熱的に主題が
奏でられていく様は圧巻の一語に尽きる。
しかしながら力強さだけではなく、弱音部分でのニュアンスも十分だから、
さすがという他はない。
この一曲を聴くだけでも、どれほどのメンバー交代を経てきたのかは
知らないが、現在でもこのクワルテットの合奏能力の高さは十分に高い
レベルを保っていることが明らかになったと思われた。
今夜一番気に入った演奏であった。

二曲目は武満徹の「ア・ウェイ・ア・ローン」。
この曲は東京クワルテット結成10周年の時に委嘱された作品
というから、メンバーにとっては自家薬籠中の一曲なのだろう。
確かに、武満らしさあふれる一曲で、響きがあり、それが連なり、
そして奔流となって流れ去り、そしてフェィドアウトして終わりを告げる。
メンバーも気合を入れて演奏していた、と思われた。
公演パンフでは「河が海に流れこんでいくイメージ」とあるが、
そんな気がしないでもない。しかし、聴いていて落ち着きの悪さが
つきまとい、すんなり耳になじむような作品とも思えない。
そこが武満らしいと言えばよいのか…。

三曲目はブラームス弦楽四重奏曲第3番。
メンバーはしっかり熱演していたのだが、どうもしっくりせず。
演奏自体ではなく、作品そのものとの相性なのかもしれない。
ブラームスは弦楽六重奏曲に比べ弦楽四重奏曲がいまいち
ピンとこないんですよね。不思議です。

盛大な拍手に応えてアンコール。
ヴィオラの磯村さんが、
「またPMFの(そして)キタラの会場で演奏できて幸せです」
こうおっしゃって、
モーツァルト弦楽四重奏曲第23番k590から「メヌエット」を。
チャーミングな、感じのよい曲でした。

最後に会場の入りですが、販売しなかったらしい正面席、三階席を
除いて7~8分の入り。中には札響のコンマスのお顔も。
明らかに昨年よりは入りましたが、PMFに室内楽コースが誕生して
2年目ですから、定着に向けてまだまだ入ってもよいのになぁ、との
思いは残ります。
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by capricciosam | 2006-07-21 00:11 | 音楽 | Comments(0)

トリビュート・トゥ・タケミツ@PMF2006

今年のPMFのメインプログラムはゲルギエフが妥当なところだろうが、
個人的には今夜のトリビュート・トゥ・タケミツもある意味メインだった。
2月札響定期のオール武満プロのショックというか、余韻を引きずって、
期待を込めてチケットを買った。

今回は武満の映画音楽を中心としてプログラミングされ、札響だけではなく
PMF生との混成オケであることが2大特徴ではなかったか。
前半は弦楽パートだけで演奏されたが、各楽器とも札響団員とPMF生が
ひとつのプルトをなして演奏された。プロを目指す腕前とはいえ、短期間
しか合同練習していないことでの音のざらつきが耳につくのではないか、
との懸念は一曲目の「死と再生」から幸いなことに消えていた。
弦を中心とした曲が多かったせいか、総じて良好なアンサンブルだった。
そして、今夜はソリストの腕前が光ったことも印象深かった。
二曲目「ノスタルジア」での伊藤亮太郎、三曲目「ファンタズマ/カントスⅡ」
でのI・ボースフィールドの冴え渡った技巧には引き込まれてしまった。
休憩後の後半では、最初に管楽器、打楽器も加わえて、かつ弦楽器は
もっと編成を小さくして「夢千代日記」が演奏された。
あのドラマは確か山陰の温泉地を舞台していたと記憶しているが、
曲を聴きながら、冬の鉛色した日本海の荒波のシーンを思い出していた。
次の「乱」は黒澤監督が久しぶりにメガホンをとった作品のように
記憶している(見ていないので記憶違いかもしれない)。
これはCDで聞くよりも心に迫る響きを感じた。ライブならではか。
最後に本日のお目当て「波の盆」である。
2月定期で耳にして以来、すっかりこの曲にはまってしまった身としては、
いささか小姑的に耳を澄ますことになってしまった。
PMF生もよく健闘してこの詩情あふれるこの曲の「歌」を奏でることに
貢献していたとは思うが、やはりところどころざらつきを感じる部分が
あったのは少々残念。臨時編成の弱さか。
やはり印象としては札響団員だけで演奏された2月定期が上回った。
しかしながら、十分満足すべきりっぱな演奏ではあった。
ただし、出番が複雑になったせいか、ステージに出てくるのに
自分の楽器を忘れてとりに戻るPMF生が目立ったのはいただけない。
プロの手前であるにしても、観客や他のメンバーを必要以上に
待たせてはいけない。

今回は歌手の小室等さんと武満夫人の浅香さんのプレトークがついていた。
本来出演予定だった長女が急病のため武満夫人が急遽参加してくれたようだ。
プレトーク自体は武満徹にまつわる断片的なエピソードの羅列のような
感じで、演奏会の作品を聞く上で役立ちそうなものは少なかったように思うが、
これはこれでおもしろい体験だった。
以下印象に残った話をいくつか。

◆新宿で武満夫妻、井上陽水、小室等らが飲んでいた時のこと。
 井上陽水、小室等がギターを持ち出してビートルズを歌いだしたら
 武満が楽器の口真似で参加してくるので、武満夫人が止めさせようとした。
 「だって、せっかく陽水さん、小室さんが歌ってくれているのに」
 気持ちはわかりますが、3人のセッションと考えると凄い光景ですね。

◆ギターを持って小室等さんが一曲歌ってくれました。
 「明日は晴れかな、曇りかな」
 この曲の詩は今日や昨日はくるしみや悲しみばかり。
 でも明日はきっと希望が、的な作りです。
 この曲は「乱」の音楽を作っていた時に即興的に作られたもので、
 曲作りには黒澤監督との関係で相当苦心していたようです。
 監督は好きなマーラーを聞きながら絵コンテを書いたりしていたようで、
 「乱」についても「ここはマーラーのように」と言っては武満ともめていた
 らしいです。
 ところで実はこの歌自体は「黒澤天皇」の気分の様子を表したもの。
 ところが、何も知らない当の御本人も一聴していたく気に入ったらしく
 「おっ、良い曲ができたじゃないか」と言ったらしい。
 
◆武満は外国へ行っても、着いた途端に帰りの時刻をすごく気にして、
 「時間は」「(帰りに)着る服は」とやりだすのだそうです。
 また、旅行へ着ていく服も自分では一切やらないため、夫人が
 日ごとにカバンに詰め込んでやっても、半分、ひどい時はほとんど
 手をつけないで持ち帰ったそうです。

◆詩人の谷川俊太郎は武満の代表曲は「波の盆」だと言ったそうです。
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<追記>代々木よもやまさんが聴講生を体験されながらトリビュート・トゥ・タケミツ
     を含めた圧巻レポートをされています。   
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by capricciosam | 2006-07-12 23:59 | 音楽 | Comments(2)

カルミナ・ブラーナ@Kitara

演奏を終えて腕を下ろすと同時に指揮の井上道義さんは
くるりと客席に向いて満面の笑み。
まるで「どうです、やったでしょう」
と問いかけているように見えました。
それをきっかけとして会場からは万雷の拍手。拍手。拍手。
いや~、おもしろくて、楽しめた演奏会でしたね。

この曲は俗っぽい、野性的なエネルギーがストレートに
噴出してくる躍動感を特徴としていて、CDでは割と聴くほうだが、
実演は今回が初めて。
原曲の持つ力もあるとは思うのだが、今回の演奏も
原曲の良さを存分に活かした、ドラマチックなものであったと思う。
ところで肝心の合唱だが、冒頭の「おお、運命の女神よ」では
緊張のせいか平板で、ちょっと不安を感じたが、次第に立ち直り、
この曲らしくおおらかにかつ力強く歌い上げていった。
しかし、男性合唱に比べ女性合唱が不安定かつ弱いように感じる
部分が散見されたのが、ちょっと残念。
また今回はちょっとした演出があり、照明と独唱者の芝居が
この世俗カンタータの持つ雑多な庶民のパワーをより一層
際立たせていた。
特にバリトンが第2部の「酒場にて」で代表されるように、
豊かな声量と安定した演技で他の独唱者より一頭地抜きん出ていた。
札響も充実した演奏で合唱を支えていたと思うが、特に
金管楽器の安定度が増したように感じたのは嬉しい限りであった。

また、一曲目に演奏されたL・バカロフの「ミサ タンゴ」も
「カルミナ・ブラーナ」に劣らぬ出来で、バンドネオンの醸し出す
ちょっとけだるく不思議な雰囲気が
「えっ、これがミサ曲なの」
的な驚きを生み、多彩なメロディで聞かせてくれました。
パンフによれば日本での演奏はこれが4回目とのこと。
指揮は全部井上道義さん。
いいところに着眼していますね。さすがです。
初演は1999年なので、これから演奏機会も増えてくる
ことでしょう。

札幌アカデミー合唱団の演奏会は2003年の
ヴェルディのレクイエムに続いて2回目。
ライブならではの傷を恐れずに、今回のような充実した
演奏会をこれからも期待しています。
お疲れ様でした。
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by capricciosam | 2006-07-02 23:52 | 音楽 | Comments(0)

福田進一@奈井江町コンチェルトホール2006

今朝福田進一さんのブログを偶然見たら、
今日奈井江町でリサイタルをするという。
しかも内容は京都、東京と同じ、というじゃありませんか。
気になって奈井江に問い合わせると当日券ありとのことで、
特に予定もないし、天気も良いので、ドライブがてら
急遽かけつけることにしました。

一部の最初はザンボーニの「ソナタ第6番」。
なんでも1500年代頃は楽譜を番号で書いていたとかで、
それが1700年代頃まで伝わっていたそうで、ザンボーニも
当時の作法に従ってそのように書いた楽譜を残したのだそうです。
リュートの味わいが残る曲でしたが、最後のガボッタは福田さんが
補筆したそうです。
2曲目はバッハの「シャコンヌ」。
今日のプログラムではこの曲しか知りません。
福田さんは時折祈りをささげるように、時にはその思いのたけを
吐き出すがごとく、弾き進めます。福田さんのすばらしい技巧が
原曲の味わいを失うことなく、「弾ききった」と私には感じられました。
巧みな編曲と演奏には感動しました。
3曲目の「ロッシニアーナ第2番」は「ポプリ」なんだそうです。
つまりロッシーニの原曲の聞き所ばかり集めてつなげたそうで、
なるほどきいてて楽しく、飽きません。

休憩後は次の開演時間の関係から、当初予定のポンセの
「南のソナチネ」が武満徹の遺作「イン・ザ・ウッド」に変更です。
3部にわかれて架空の森の様子が描写されているのだそうですが、
内面を見つめるかのごとく、一音一音を確かめるようなゆっくりとした
足取りで曲は進み、最後の音が弱弱しく空に消えていく様は、
死を迎える運命にある武満の心象を描写しているようでした。
5曲目はヴィラ・ロボスの「7つの小品」から前奏曲第3番と練習曲第1番。
そして、昨年12月の福田さんの誕生日3日前にブローウェルから
福田さんへ献呈された「ハープと影~武満徹の思い出に」。
武満作品にある空を切り裂くような和楽器の響きやハープのようなつまびき
のテイストがある、私にはちょっと難解な作品で締めくくられました。
なんでもこの曲を披露するのは今回で6回目くらいだそうです。

福田さんが時間を気にしつつも、アンコールを2曲。
一曲目は本番で割愛されたヴィラ・ロボスの「7つの小品」から
ワルツ・ショーロ。
素敵なかったるさです。好きですね、こんな感じ。
最後は「有名な曲が一曲もない演奏会だったので、有名な曲を」
ということで「アルハンブラの思い出」を弾いてくれました。

演奏会は福田さんがマイクを持ってMCをしながら進行していきますが、
その話ぶりからも飾らない人柄を感じさせ、好印象です。
しかもギターの調弦をしていて、さりげなく構えたな、と思ったら、
バリバリ弾き始めるのですが、両指の動きを見つめるだけでも、
ため息ものです。すごいテクニックですね。

最後に、会場となったコンチェルトホールですが、
250名にも満たない小ホールなのですが、壁から天井まで木が
ふんだんに使われて、まるでひとつのアコースティックな楽器の
ような感じです。演奏会でも福田さんが
「響きがすばらしい」とおっしゃっていましたが、実感できました。
近年PMFが会場にする訳です。

今回のリサイタルは「小さな音楽祭」という名の企画のようでしたが、
シリーズなのか、単発なのかわかりませんが、素敵なホールを活用する
意味でも、今後もさらに内容を充実して継続してもらいたい、と思いました。
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by capricciosam | 2006-06-18 19:49 | 音楽 | Comments(0)

さようなら岩城宏之さん

岩城宏之さんが亡くなられました。

最近演奏会をドタキャンされた報道がありましたので、
チラっと心配になったのですが、残念な結果となりました。

その死を悼む声があちこちで上がっていますが、
経歴紹介も含めて東京や金沢中心の活躍が主で、
十年以上の長きに渡り札響正指揮者、音楽監督として
札響の発展に寄与した
ことがほとんど抜けています。
オール武満プロの定期演奏会をやったり、映画「乱」の音楽を
録音したり、と意欲的に活動していました。
私も札響を強く意識したのは岩城さんが就任してからでした。
とは言っても、このコンビでの演奏会を聞く機会は、
どういうわけかありませんでした。
現在は桂冠指揮者としてたまに定期を振っていたようですが、
ラストチャンスとなった昨年も、ちょっと逡巡しましたが、
「まだ大丈夫」だろうと高をくくってパスしたため、
永遠にその機会は失われました。
また、以前メルボルン響を率いて来道した時も祖父が死んで
行けなくなり、やむなくキャンセルしました。
(アルプス交響曲、聴きたかったなぁ。)

それでも、一回だけ実演に接したことがありました。
以前のブログでも書いたのですが、
Kitaraオープン時のOEKとの演奏会です。
この時のシチェドリン編のカルメンとアンコールは絶品でした。
打楽器のおもしろさ。
人体も打楽器になる。
打つという行為は音楽を楽しむ原点なのだな、と
改めて認識した印象深い演奏会でした。

数多くのエッセイを出されていますが、そのうちの一冊の
「オーケストラの職人たち」に岩城さんはこう書かれています。

「準備万端整うのを待っていたら何事もできないから、
 まず決行するのが、ぼくの主義である。」
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このあたりの心意気が転移したガンと戦いながらの
大晦日のベートーヴェン交響曲のフル(振る)マラソン
あたりに現れていたのでしょう。
2回で終わってしまいましたが、まだまだ挑戦してもらいたかったな、
という気持ちが残りますね。

ご冥福をお祈りいたします。
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by capricciosam | 2006-06-14 00:50 | 時の移ろい | Comments(4)

ラ・プティット・バンド@Kitara2006

久しぶりの更新は久しぶりの古楽演奏会です。(^^)
オール・バッハのプログラムも親しみやすかったのですが、
S・クイケンさん以下のメンバーのフレンドリーな
ステージマナーも見ていて好感の持てるものでした。

モダン楽器の鳴りに鳴る演奏に慣れ親しんでいると、
古楽の響きには物足りなさを感じる場合もあるのですが、
今回は演奏そのものは、ひとりひとりの技量の確かさに加え、
合奏も申し分なく、親しみやすく、十分堪能できるものでした。
ただ、この編成では音量的には大ホール向きではなく、
小ホールならもっと効果的なように思いました。
どうしても音が十分響かず籠もりがちな傾向がありました。
販売しなかったらしい3皆席以外も、これまでKitaraで
聴いた古楽演奏会の中ではよく入っていたようでした。
小ホールなら十分満席でしたね。

今回の注目は、バッハが生前記述しながら、いつしか
忘れ去られて、楽器の形がどんなものか不明な楽器の
ひとつである「ヴィオロンチェロ・ダ・スパラ」が登場する
ことでした。「肩に乗せて弾くチェロ」とは?興味津々です。

1曲目の「2つのヴァイオリンのための協奏曲」は、
やや遅めのテンポで開始されました。
S・クイケンさんは、この時はヴァイオリンですが、
他のメンバーが、その楽器を弾いています。
なるほど、肩に乗せて弾くチェロ、です。
大きさはビオラとチェロの中間ぐらいですが、肩ヒモを
かけて、ギターのように抱えながら、それを弓で弾く
訳です。チェロと同じパートを弾いているようでしたが、
合奏する中では、特有の音らしきものはわかりません
でした。まあ、ソロでもない限り、素人には無理なんで
しょうね。
2曲目のブランデンブルグ協奏曲第5番や4曲目の
オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ではS・クイケン
さんが、この楽器を弾いていました。
前かがみ気味に弾く姿はちょっとユーモラスで、ひとり
うけしていました。

アンコールに最後のブランデンブルグ協奏曲第4番の
第三楽章を演奏していただき、お開きとなりましたが、
心がほっとするようなよいひとときでした。

◆ヴィオロンチェロ・ダ・スパラについてはこちらをご覧ください。 
 どうやら寺神戸亮さんもこの楽器に挑戦されるようです。 
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by capricciosam | 2006-05-20 06:09 | 音楽 | Comments(2)

札幌交響楽団第488回定期演奏会@Kitara2006

ドイツ・レクイエムは「ドイツ語によるレクイエム」という意味らしい。
ではレクイエムとはどんな意味なのか。
requiem(ラテン語)休息
永遠の休息=死にたどりつくことは生きとし生ける者の必然。
死者のためのミサ曲の初めの歌詞がレクイエムと始まること
から曲全体の名称をレクイエムと呼ぶようになったようだ。
そこでレクイエムと言えば、死者のためのミサ曲を指す訳だ。
従って、この曲は本来死者の魂を鎮めることを目的とするだけで良い訳だが、
今回演奏されたドイツ・レクイエムはやや趣を異にする雰囲気がある、
と常々感じている。
それは生き残った者への視点である。
死者との悲しい別れから悲嘆に暮れる生き残った者の魂もなぐさめ、
鎮めようとするような視点である。
それで、この曲を聴くときは、やさしく慰撫してくれるニュアンスを求めて
ついつい聴いてしまうクセがある。
もっとも、ひたすらドラマティックに歌い上げても、
それはそれで十分成り立ってしまう側面も否定はできない。
いづれにせよ、ブラームス畢生の大作であることは間違いない。

さて、前置きが長くなったが、この曲はなんといっても、
「合唱」と「独唱」の出来に左右される、と思っている。
特に、約70分間ほぼ歌いっぱなしの「合唱」の負担は大きい。
今回の札響定期に登場した札幌合唱連盟は高校生も含めた152名と大所帯で、
ところどころ棒読みのような歌い方も散見されたものの、大いに健闘していた、
といっても過言ではない。
しかも、よくあるPブロックへの配置ではなく、ステージに配置されたことで、
オケとの一体感はより強く感じられた。
しかし、あふれんばかりのステージは久しぶりでした。(^^)
また、独唱の二人の歌唱の水準は高く、特に、バリトンは感情たっぷりに、
深々とした響きで会場を満たしていた。
札響も低弦と管を中心にまとまった演奏をしていた。
しかし、先に述べたニュアンスはあまり感じられず、ドラマティックな
大曲風に終わったことは、私としては少々残念。
これは暗譜でとおした尾高監督の解釈なのでしょうね。
終わってみれば、多少のキズはあったものの、ライブとしては
りっぱな演奏で、この曲の実演に接することはほぼ可能性がない、
と思っていただけに、とても印象深い演奏会でした。

昼公演でしたが、8~9割の入りで、札響定期の2公演化も
一周年を過ぎて定着してきたような感じを受けました。
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by capricciosam | 2006-04-22 23:50 | 音楽 | Comments(2)

coup de baguette 3rd Concert@札幌教育文化会館

クー・ドゥ・バゲット
フランス語で「魔法の杖の一振り」という意味(公演パンフより)
の打楽器アンサンブルの第3回定期公演に行って来ました。
第1回の旗揚げ公演以来です。

プロは札響前首席打楽器奏者の真貝裕司さんだけで、
あとは二十歳前後のアマチュア男女12名のグループです。
打楽器だけでは、どうしてもリズム主体で単調になるのでは、
とついつい思ってしまうのですが、
どっこい、実におもしろいのです、これが。

一曲目の打楽器7重奏のための「ザ・ビック・デッパー」は、
いわばウェルカム・ドリンク。これで楽しくくつろぎ、次の
「オレカマ」へ。なんでも「おれにかまうな」の略らしいのですが、
カウベル、ボンゴ・コンガが民族音楽らしい響きを紡ぎます。
一転して「ストゥーバーニック」「ムドラ」ではこの若いグループの
実力が高度なアンサンブルとなって披露されていき、
思わず身を乗り出してしまいます。
前者では一台のマリンバを三人の奏者で演奏するのですが、
鍵盤以外にも側板や共鳴管を打って演奏する場面が、まるで
クレージーやドリフのコントのよう。(^^)
視覚的にも見せますが、アンサンブルに乱れは感じさせません。
ムドラでは真貝さんの実に正確無比な小太鼓ソロに圧倒されますが、
脇を固める若いメンバーのアンサンブルも見事です。
休憩後、彩~二台のマリンバと二人の打楽器奏者のための、では
マリンバが幻想的な四季の移ろいを感じさせます。
当夜一番印象深かった曲でした。
この後は、真貝さんのカスタネットソロ(これがうまい!)が加わって
ファリャのスペイン舞曲と火祭りの踊り。
やはりカスタネットが加わることで、ぐっとスペインらしさを感じます。
ラストは全員でホルストの惑星から「火星」「木星」。
打楽器だけで、あの分厚いオケの響きを表せるのだろうか、との
懸念は見事にうち砕かれて、実に見事な大団円でした。
アンコールでは全員お揃いのTシャツになり、ウィリアム・テル序曲と
レズギンカが披露されて、楽しくお開きとなりました。

演奏自体も尻上がりに好調になり、飽きさせないだけの実力が
着実にこのグループに蓄積されてきていることを感じさせる
一夜でした。さらに精進を重ねて頂きたいものです。
定期公演は年一回のようですが、早くも次回が楽しみです。

■クー・ドゥ・バゲットのHPはこちらです。
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by capricciosam | 2006-03-27 06:54 | 音楽 | Comments(0)

武満徹没後10年によせて②@Kitara2006

先日記した没後5年特別企画「夢窓」の命日当日に行われた
「武満徹の管弦楽-1980s」と題する演奏会は下記のような
プログラムでした。

指揮:尾高忠明★
ヴィオラ:今井信子
フルート:エミリー・バイノン★
オーケストラ:新日本フィル
曲:弦楽オーケストラのための<死と再生>
  ウォーター・ドリーミング★
  トィル・バイ・トワイライト★
  ア・ストリング・アラウンド・オータム★
  波の盆~オーケストラのための★

この演奏会は聴くことはできなかったのですが、★印のついた
部分は今回の札響定期とまったく同じです。
その上、札響もオール武満プロは定期としては30年ぶりらしい、
となれば、今回を逃すとちょいと後悔するかもなぁ、と思い至り、
なんとか仕事をがんばって時間を作って出かけてきました。
二日目昼公演の当日券でしたが、入りは7割くらいかな。
「弦楽のためのレクイエム」以外は聴いたこともない曲ばかりです。

今回のプログラムも、大江氏の言葉にあったエラボレイトを
積み重ねていった武満の作品が「弦楽のためのレクイエム」から
年代順に演奏されていったように思います。
いずれの作品も武満らしい「響き」と「うねり」が作り出す「静謐さ」
「浮遊感」「無限性」を感じさせてくれます。
「ア・ストリング・アラウンド・オータム」は独奏ビオラの落ち着いた響き
が秋にふさわしい。ただ聴いていた3階席では少々音量が不足気味
だったような感じもしました。これはビオラという楽器の特性のせい?
「ウォーター・ドリーミング」の無限に連環するがごとき様はフルートの
甘美な響きによって浮かんでは消えていく色彩や、時には「歌」も
感じさせてくれました。

誤解を恐れずに言えば武満徹の作り出した曲には「響き」やその
連なりとしての「うねり」はあれど、「歌」や「抒情」なんてある訳ない、
なんて勝手に誤解していたようです。
それを見事に証明してくれたのが最後に演奏された
「波の盆~オーケストラのための」です。
この作品には武満自身が内面に秘めていた見事なまでの
「歌」が奔流となって表出されくるのです。これには驚きました。
いただいたパンフの札響団員の方の話にも演奏しながら泣く奏者
がたくさんいる、との話を見つけ、首肯できる話だなぁ、と思いました。
この曲はもっと知られて良い曲だ、と思います。
アイブスの「宵闇のセントラルパーク」に似たところもチョイあります。

今回の体験で武満徹に抱いていた考え(先入観)が少し変わった
ようです。先日のペレーニもそうでしたが、
「食わず嫌いはあきません」を実感しています。

札響もよく健闘して武満トーンを表現していた、と思いましたが、
音に集中するあまり、音量が不足気味だったのではないか、とも
感じました。あの集中力で、もう少しボリュームがあれば、きっと
鳥肌モノだったのではないか、と改めて思います。
しかし、曲ごとにステージ上での転換がめまぐるしかったので、
大変だったでしょうが、見ている分にはおもしろかったです。(^^)

さすが定期らしく、フライング拍手、フライングブラボーもなく、
快適でした。でも、弱音やデミニュエンド気味に終わろう、という時に
咳が何回か飛び出したのは残念。録音して放送されるだけに、
せめて口をハンカチで押さえてくれればなぁ。
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by capricciosam | 2006-02-26 09:08 | 音楽 | Comments(6)

武満徹没後10年によせて@東京オペラシティコンサートホール

今日は武満徹が亡くなって10年目にあたりますが、
ちょっと変わった体験をしたことを思い出しています。

亡くなって5年目の2月22日のことです。
この時東京に出張していて、偶然変わった演奏会に出会いました。
東京オペラシティコンサートホールを使った没後5年企画の一環で、
ちょうどその日は講演と演奏が組み合わされていました。
題して「音と言葉」
最初の講演は大江健三郎によるもので、1960年代に数年間
お互い近所で暮らしていた時があり、大雪のエピソードをイントロに、
武満の初演にほぼ立ち会いながら、演奏会後はすぐに帰宅して、
さきほどの作品をひとり振り返っていたこと、これを「独座観念」と
称していたこと、それは桜田門外の変で死亡した井伊直弼に
由来すること等が話されていきました。
話の展開はなかなかおもしろかったように記憶しているのですが、
次第に観念的、抽象的である部分が多くなるにつれ、頭がついて
いけなくなり、詳細まで記憶に残った訳ではありませんでした。
でも、その中で取り上げていた<elaboration>は心に残りました。

elaboration ①骨を折って作る、(完成への)苦心、丹精
          ②苦心の大作

つまり、武満徹ほど、その作品、思想、人間そのものを徹底して
エラボレイトして生きた人はいなかったし、その結果として
広く愛されながら決して通俗化せずに、社会的には独立している
生き方を貫けた、と大江氏は結論づけているのでした。

後日、本講演がまとまって雑誌「すばる」に掲載されているのを偶然見つけ、
さっそく買って読みましたが、印象としてはおおむね間違って
いなかったようで安心しました。
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後半、演奏されたのは「蝕(エクリプス)」「海へⅢ」「スタンザⅡ」
「そして、それが風であることを知った」の4曲でした。
「弦楽のためのレクイエム」のように、一聴してすぐに心が曲に
シンクロするがごときことはなく、実に淡々と終わってしまった、
という印象しかありません。
結局、後々「言葉」が記憶に残った不思議な「演奏会」でした。
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■当時命日に尾高忠明/新日本フィルがコンサートを開いていました。
 フルートにエミリー・バイノンが加わっていましたが、指揮者、
 ソリスト、演奏曲もよく見れば、2/24、25の札響 定期演奏会
 とほぼ同じ。当時聞けなかったので、チャンスかも。
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by capricciosam | 2006-02-20 23:27 | 音楽 | Comments(0)