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フェルメール展@東京都美術館2008

かなり前のことですが、札幌で「オランダ絵画の黄金時代」という
展覧会が開かれました。
ハーグのマウリッツハイス王立美術館所蔵作品が展示され、
所蔵する3点のフェルメールの作品のうち
「真珠の耳飾りの女」(当時は「青いターバンの少女」と言ってました)
「ディアナとニンフたち」
の2点を観ることができました。
前者の強烈な印象は忘れがたいものです。

それで、フェルメールの作品を観るのは今回で2回目となりますが、
世界中でも30数点しかなく、各地に所蔵されている作品のうち、
例え重複が一点あるとは言え、まとまって7点もみられる機会は
そうそうあるものではありません。
「生涯においてこのチャンスを逃すと後悔しないか?」

展示してある順番は制作年順になっていて、次のとおり。
①「マルタとマリアの家のキリスト」fromエジンバラ、英国
②「ディアナとニンフたち」fromハーグ、オランダ
③「小路」fromアムステルダム、オランダ
④「ワイングラスを持つ娘」fromブラウンシュバイク、ドイツ
⑤「リュートを調弦する女」fromニューヨーク、米国
⑥「手紙を書く婦人と召使い」fromダブリン、アイルランド
⑦「ヴァージナルの前に座る若い女」個人蔵

展示は大きく①~③、④~⑦に分けられています。
①や②はフェルメールの代表的作風からは、にわかにフェルメールとは
考えられない作品。②は修復の結果、右上の青空は見事に消され、
絵全体が夜の情景に変わっていました。
(札幌で観た時は青空があったはずなのだが、残念ながら記憶にない…)
でも、この方が自然な感じはします。
③は想像以上に小さな絵でしたが、書き込まれている内容は密。
恐らくフェルメール自身は格段の意識もなく日常の景色を描いた
のでしょうが、技術的な成熟段階にある「うまさ」を感じさせます。

フェルメールは窓のある室内で様々なパターンの作品を残していますが、
④⑤⑥もそれらに属するのでしょう。
同様な構図での作品に登場する女性はおしなべて慎ましやかなのに比べ、
④の女性の歯を見せた笑顔がなんとも上品さに欠け、一種の邪悪さや
俗っぽさを漂わせる不思議な作品。
⑤は調弦する女性が何かに気をとられたかのごとく窓外に視線をやる姿の
一瞬の切り取り方のうまいこと。
⑤は④の4~5年後に制作されたようですが、光と影の扱い方は
より深化しているようで、その点では⑤の5年後に制作された
⑥がひとつの到達と円熟を示していたように感じました。
さて、⑦は③以上に小さな作品で、かつ真贋論争がある作品。
私の第一印象も「贋作っぽいなぁ…」
まあ、100%贋作とは言わないまでも、後年誰かの手が入った作品
じゃないのか、という印象が残りました。
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<蛇足>
もの凄い混みようで、入場前の行列は覚悟。
どうせ待つなら、と私は開場前に数十分並びました。
入場後は展示作品を順番に観ることなく、他の作品はスルーして、
フェルメールを順番に観ていきました。
おかげで、どの作品も誰にも邪魔されることなく
かぶりつきで鑑賞できました(^^)
ただ、フェルメールを一巡して、もう一巡と思ったら
もうあちこちに人だかりができて、ややしんどい思いで
二巡目を終えました。三巡目はもうほとんど無理。
朝一が無理なら、ケータイでの待ち時間チェックは必須でしょう。
<さらなる蛇足>
2006年末に写真の本を偶然買い求めていました。
積ん読だったのですが、観に行くと決めてから予習を兼ねて読みました。
フェルメール作品の概要を掴むにはうってつけでした。
鑑賞するために世界を旅する、なんて素敵なことでしょう。
ああ~、あやかりたい、あやかりたい…
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by capricciosam | 2008-11-29 22:15 | 展覧会 | Comments(0)

ピカソ展@国立新美術館&サントリー美術館2008

「巨匠画家」と言って、私の脳裏に真っ先に思い浮かぶ筆頭はピカソ。
そのピカソ作品を世界中で最大規模で収蔵している美術館が
パリ国立ピカソ美術館だが、その改修を機に行われた世界巡回展が
日本の、東京にやってきた。
しかも、展示数もハンパではなく国立新美術館で約170点、
サントリー美術館で約60点と、かなりまとまって観るチャンスとなった。
「生涯においてこのチャンスを逃すと後悔しないか?」

まずは国立新美術館へ。
ここでのテーマは「愛と創造の軌跡」

生涯に愛した女性は一体何人なのか?
というくらい女性遍歴を重ねたピカソではあるが、
それは生きることと愛することという根源的なモチーフが
作品の創造と密接に結びついていたためだろうが、
その辺りが納得できる展示となっていた。
もちろん、対象の要素を再構成したキュピズム辺りになると、
「正直わからない」というのが率直な印象なのだが、
作品の持つ力は決して衰えることなく迫ってくるから不思議だ。

なかでも、興味深かったのは展覧会のポスターにも取り上げられている
「ドラ・マールの肖像」と「マリー・テレーズの肖像」の対比。
会場でもこの二つは並んで展示されている。
出会いはマリーの方が早く、二人の間には娘が誕生している。
両方ともキュビズムタッチで描かれているが、マリーの肖像で
使われている色彩は地味で穏やかで、控えめな印象を与える。
これはマリーの性格故なのかとも思えるが、むしろ、
ピカソの限りなき慈しみの現れ、と考えるほうが自然ではないか。
一方、マリーとの出会い以後に出会ったドラの肖像は、明るい色彩と
生き生きとした表現に、まるでピカソのときめきを感じるかのようであった。
性格の異なる二人の女性の間で、どちらにも惹かれ、懊悩するピカソ。
そんな、ピカソの姿がかいま見えたような気がした。

次に東京ミッドタウン内のサントリー美術館へ。
ここでのテーマは「魂のポートレート」

最初に青の時代の「自画像」が置かれている。
青を基調としたタッチで若い画家が描かれている。
目は見開かれ、年齢以上の背伸びした老成ぶりが感じられる。
若き日のピカソの意気込みを感じさせる完成度の高い作品。
さて、展示の最後は死ぬ一年前の作品「若い画家」
恐らく自分の若き日を描いたこの作品では、
晩年まで愛欲に生き抜いた毒気は感じられない。
点として描かれた眼にはなんらの欲も感じさせることなく、
実にさっぱりとした、むしろ清々しささえ感じさせる雰囲気がある。
死を目前にして至った老境のなんと穏やかなことか。
この対比だけでも、この展示は観た甲斐があった。

こんなボリュームで鑑賞する機会は私にとってはもうないだろうが、
天才ピカソをまさしく「堪能できた」展覧会であった。
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<蛇足>
国立新美術館の天井の高さと明るさは十分すぎる程。
あの開放感や余裕が鑑賞者の心の余裕を生むのでしょう。
一方、サントリー美術館の狭さと暗さは鑑賞者の集中を
生むのでしょう。性格の異なる展示環境。
歩いて数分の距離での合同開催は楽しい企画でした。
もちろん「ピカソ割引」は使いましたよ(^^)
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by capricciosam | 2008-11-28 21:36 | 展覧会 | Comments(0)

おおば比呂司記念室@札幌市資料館2008

今朝は5時頃に雨音で目覚めました。
いつ降っても雨は雨なのですが、晩秋に降る雨の音は
特別なのでしょうか。季節と暗さが、もうすぐやってくる冬を
連想させて、もう眠れませんでした。
その反動か、昼食後に新聞を読んでいたら、思わずうたた寝です。
睡眠不足は、ちゃぁんと帳尻を合わせてくるものですね。

日が沈む前にカミサンと散歩しましたが、
木々の梢に葉はほとんどありません。
天気予報では今週は雪マークだらけ。
さぁて、白銀の世界もいよいよ近いかな。

ところで、先日「おおば比呂司記念室」を覗いてきました。
場所はテレビ塔の大通りを挟んだ反対側、札幌市資料館の一角。
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「おおばさん?who?」
古くからの北海道銘菓のひとつに「わかさいも」がありますが、
あのパッケージを描いた方ですよ、と言えば道民の結構な数の方が
「あ~、あれ。」
と思い出していただけるのではないでしょうか。

画家というか、イラストレーターというか、おおばさんの作風は
既存のカテゴリーに収まりきらないものを感じるのですが、
どの作品もおおらかで、ほのぼのとして、そのタッチの暖かさには
思わず微笑みが生まれてしまうものも少なくありません。
幼い頃からのファンとしては、待望の鑑賞でした。

常設展示は2室しかありませんが、写真にもあるように
11/26~12/7には没後20年回顧展が資料館全体を使って
開かれます。入場無料。
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<11.18追記>
ケータイで撮った写真がありましたので、追加しました。
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by capricciosam | 2008-11-16 23:51 | 展覧会 | Comments(0)

白洲次郎と白洲正子展@大丸札幌店2008

買い物のついでに寄ってみる。
お二人については寡聞にして知らない。

最終日ということで、会場内は結構なにぎわい。
入り口には二人が結婚する前にお互いに贈った
サイン入りのポートレートが展示されている。
白洲次郎は
「You are the fountain of my inspiration
and the climax of my ideals. 」
と、伴侶となる正子へ最大級の賛辞を送っている。
さすが英国仕込み、と思ったが、いやはや、
生涯を通じてのその行動のスケールは想像を超えていた。
東京郊外に住み、農業をしつつ、ポルシェを愛し、
「カントリー・ジェントルマン」として生涯を終えた
とは、初めて知ったが、およそ日本的常識とは異なる。

一方の白洲正子の収集した作品の粒揃いぶりには、
正子の確かな審美眼が如実に示されていた。
陶器は桃山時代の作品が多かったように記憶しているが、
時代の勃興期の荒削りぶりを慈しんだ彼女の
内なるエネルギーの大きさを示しているように思われた。

既存のカテゴリーには分類できにくいであろう
お二人の生涯は実に興味深かった。
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by capricciosam | 2008-11-03 23:32 | 展覧会 | Comments(2)

「う~ん、こんなのありか!?」

まだ夜明け前のこの時間。
生理現象で目が覚めて、ちょいと気になりPCを起動させると、
昨夜書いたハズの記事がアップされていません。
やはり、猛烈な睡魔に襲われたのがだめでしたね。
「やっちゃったよ!!」
まあ、それで気を取り直して思い出しつつ、さっき書き上げて
アップさせようとしたところ、またまた事故で、パァーです。
それが、冒頭の心の叫びなのです。

「こうなりゃ、意地でもアップするぞ」
なんて、力むほどのことではないのですが、めげずに3回目。
以下、記事です。

昨日は一日中カミサンと出歩いていて、帰宅して夕食を終えたら
もう22時頃でした。久しぶりに「美の巨人」をみたら、
取り上げられていたのは奥村土牛さんの「門」
101歳で亡くなられた奥村さん、78歳の時の作品。

師匠の小林古径は「写生は対象をよく見て描きなさい」と
指導したらしく、この作品も3日間姫路城のこの門に通い詰めて
写生をしてから作品としたそうです。
日陰になった側から門を眺めると、開け放たれた門からは
陽の当たった城壁が白く浮かび上がっています。
縦と横の強調されたどっしりとした骨太の構成の中、
明暗のコントラストがはっきりとし、動く物はひとつもなく、
静謐な趣が感じられ、鑑賞者の想像を刺激してきます。

かつて道立近代美術館で催された「生誕110年記念 奥村土牛展」
で、この作品はみたはずなのですが、実はもう忘却の彼方でした。
この展覧会は充実した企画で、見応えがあったという記憶が
いまだに残っています。

番組では奥村土牛さんの言葉が紹介されていました。

「芸術とは未完成なものです。だからこそ、どれだけ大きく
未完のままで終わることができるかが、大事なのです。」

芸の道に終わりはない、とはよく耳にすることですが、
晩年まで旺盛な活動を続けられた方だけに、改めて
芸道の厳しさに胸打たれる想いです。
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by capricciosam | 2008-09-14 04:42 | 時の移ろい | Comments(0)

レオナール・フジタ展@北海道立近代美術館2008

一通り鑑賞し終えたところで、画家が画業を為す中で
表現が変わってくるという当たり前の事を、如実に示唆してくれる
展覧会を初めて体験したかのような思いにとらわれた。
きっとそれはレオナール・フジタこと藤田嗣治の表現意欲の
旺盛さは終生衰えることはなかったし、自らが確立したスタイルに
安住することもなかったように感じられた、からなのだろう。
これは多分に彼の生き様ともシンクロするところか。

初期のまだ模索している時を経て、一皮むけたように数々の
目を見張るような作品を輩出していく。

「素晴らしき乳白色」

と称されるフジタを代表する一連の裸婦像。
会場の解説の中に「彼には真似るべき先達も後継者もいない」
というような意味のことが書かれていたが、うなづけるものがある。
とても油彩とは思えない独特の技法で、何度目を凝らしたことか。
あの漂うがごとき淡さと繊細な線は、まるで日本画にでも通じる
ようなものを感じるのは気のせいか。

作品のひとつ「裸婦と猫」では妙な既視感に襲われた。
初めはゴヤの「裸のマハ」とも思ったが、調べてみると
構図が正反対だった。いったん、気のせいかとも思ったが、
記事を書きながら、ようやく思い出したのがマネの「オランピア」
黒人のメイドと花束がなく、黒猫ではないが、構図はよく似ている。
しかし、作品としてはそれぞれが独自の魅力を放っているのは
言うまでもない。

今回の展覧会の核となった「争闘ⅠⅡ」「構図ⅠⅡ」の大作も
見事な群像表現に圧倒されるが、同時期に描かれたと思われる
未完の「馬とライオン」も、あれこれ想像を刺激してくれる。
描かれた意図や経緯もわからずに大切に保管されたらしいが、
フジタは余白にどのような群像を描こうとしていたのだろうか。

戦後、戦争画を描いたことへの批判から日本を捨てて、
フランス国籍を取得し、さらにはカトリックに改宗していたことを
今回初めて知った。
その戦後フランスでの終の棲家となった住居で使われた品々や
アトリエの一部が再現されていて、画業以外のフジタの多彩ぶりが
溢れている。
惹かれたのは居間と寝室を仕切っていたフジタ手製の「衝立」。
木枠にキャンバスをはり、傘、動物、魚、塔などの金属レリーフで
縁取られたこの品は素敵なだけでなく、フジタの無垢な一面を
如実に示しているように思われた。

晩年は「平和の聖母礼拝堂」の建設に当たり、
その壁に描かれた宗教画が最後の仕事となる。
ここでの作品には「色」が溢れている。
これまでの、白を基調として、ぐっと色を抑えていた作品とは
まるで一変する。「素晴らしき乳白色」時代からは
想像もつかない変貌ぶりです。

様々なスケッチや下絵が展示されていましたが、
びっくりしたのが一部の作品にボールペンが使われていたこと。
フジタは1968年に亡くなっていますが、もうボールペンは
商品化されていたんだから、使っていても当然なんでしょうね。
(そう言えば、昔はBICボールペンなんてのもあったよなぁ…)
作品に欠かせない「線」に使える素材のひとつとして注目して、
当時目新しいボールペンも積極的に取り入れたと考えると、
彼の創作意欲は晩年に至るまで衰えていなかった、
ということなのでしょう。

特異な軌跡を残した異才フジタの概要がよくわかる展覧会でした。
レオナール・フジタ展は、この後宇都宮、東京、福岡、仙台を巡回。
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by capricciosam | 2008-08-09 18:00 | 展覧会 | Comments(0)

小樽文学館

「中村善策の全貌展」の開かれている市立小樽美術館の建物には
市立小樽文学館も同居しています。
両方共通の鑑賞券があることがわかり、「中村善策の全貌展」の前に
文学館を先に鑑賞しました。
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小樽に由来の作家と言えば小林多喜二(写真奥)と伊藤整(写真手前)。
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前者は代表作「蟹工船」がリバイバルヒットとかで、書店にも平積み。
写真は若かりし頃読んだ文庫本。
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「おい地獄さ行くんだで!」
描かれたのは昭和初期。
今は21世紀。アトムの時代のはずなのに…
当時と状況は違えど、時代を覆う「閉塞感」は似たようなものか。
展望のない状況を生きざるを得ないのは、つらいことに変わりはない。

小林多喜二のコーナーで、気になったのは「田口タキさんへの手紙」
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カミサンがこの手紙が何年か前にマスコミで紹介されていたのを
覚えていて、今回も熱心に読んでいるので、私もつられて読んでみました。
当時苦境にあったタキさんへの恋愛感情を秘めたと思われる、
おもいやりにあふれた心情が全文に満ちあふれています。
そのこまやかな気遣いには感心するばかり。
プロレタリアート作家というイメージからくるギャップに戸惑いましたが、
多喜二はタキさんを結婚相手と真剣に考えていたのでしょうね。
「蟹工船」しか読んだことがなく、付随するイメージで形作られていた
多喜二像の意外な側面を見た思いでした。

伊藤整は自伝的小説「若い詩人の肖像」しか読んだことがない
のですが、自筆原稿も展示されており、なにやら懐かしい思いに。
写真は同じく若かりし頃読んだ文庫本。
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当時はこの本を含めて10冊文庫化されていましたが、いまではゼロ。
かろうじて「チャタレー夫人の恋」が次男の方の補訳で一冊あるのみ
(逆に、当時は発禁本扱いのため発売されていません)
時の流れなんでしょうか…

あと、意外な作家も展示されていましたが、誰でしょう。
    ↓
    ↓
    ↓    
    ↓
    ↓
答えは、「石原慎太郎」です。

あってましたか?
彼は弟ともども小学生時代を小樽で過ごしています。
「太陽の季節」で芥川賞を受賞した当時のこと、
小学校時代の恩師へのサイン本、その恩師への手紙などを
中心に展示されていました。

独身の頃とか子供の小さい頃、ちょくちょく小樽には遊びに来ていた
のですが、小樽はいまでも、懐かしさを感じさせる心惹かれる街です。
今回もたまたま、駐車場から美術館までちょいとあったので、
坂道をカミサンとブラブラ歩きました。
結局、花園銀座街を中心に歩いた格好にはなるのですが、
小路には色とりどりの看板が見え、八百屋さんなどの
昔ながらの専門店があちこちに見られ、そのレトロさ加減が
なんとなく小さい頃を思い出すのでしょうか。
<蛇足>
写真はあるお店で目に止まったポップ(表現に注目)
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「ねまりつよい!?」
道産子の私も、さすが目を白黒させる「ねまり」とは!?
これは「ねまり=ねばり=粘り」
のことだろうなぁ、と勝手に推測しました。
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by capricciosam | 2008-07-06 21:57 | みて楽しむ | Comments(2)

中村善策の全貌展@市立小樽美術館2008

生涯風景画家として優れた作品を残した中村善策さんですが、
私にとっての印象深い作品は日展で出会った「張碓のカムイコタン」
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画面のほぼ中心に置かれたのはなんの変哲もない丘。
しかし、丘が海に接するところには断崖絶壁が急に現れ、
丘の持つ穏やかさは一変してしまい、絵全体を引き締めている。
そして、海岸線の先に続く遠くの山並みや、雲高い空という
遠景が奥行きを与える。
これらは、やや暗めの落ち着いた色彩で描かれているが、
画面手前の近景には集落や木々が明るい色彩を用いて描かれ、
見事な対比となっている。
今回の展覧会で解説を読んで知ったのですが、このような
「大胆な構図と明るい色彩」の画風を「善策張り」というらしく、
まさしく氏の画風がバランスよく作品に反映された一品。

今回、氏の作品を多く収蔵している市立小樽美術館で全貌展が
開催されているのを知って、またこの作品に会いたいと思い、
久しぶりに小樽へ出かけてきました。

会場では、全73点の作品が
第1章 小樽時代の善策
第2章 一水会・疎開時代
第3章 信州風景ほか
第4章 北海道風景
第5章 円熟の境地
に分けられて展示されています。

けれども、残念ながら本作品は展示されていませんでした。
代わって第4章で「カムイコタン夏日」と題する作品が2作並べて
展示されていました。制作年代は1970年、1973年。
構図は「張碓のカムイコタン」(1968年)と同じながら、
作者の視点はそれぞれ異なっているため、一見すると同じように
見えるのですが、うり二つではありません。
1970年作は全体に躍動感に溢れ、1973年作はもっと
クローズアップした構成ですが、夏を思わせる明るい陽射しのなかに
淡々と存在する集落の静けさを一瞬にして切り取ったかのような
1968年作の完成度には一歩及ばず、という感じです。

善策さんは何度もここで写生を試み、作品を残されていたことを
初めて知りましたが、やはりこの構図は魅力的だったんでしょうね。
一ファンとしてはこれだけでも、わざわざ足を運んだ甲斐がありました。
<蛇足>
市立小樽美術館のHPで誤って「張碓のカムイコタン」と
紹介されている作品は「カムタコタン夏日」(1973)です。
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by capricciosam | 2008-07-05 22:16 | 展覧会 | Comments(0)

片岡球子の世界@北海道立近代美術館2008

ようやく時間がとれたので「片岡球子の世界」展へ。

北海道立近代美術館(1977年開館)のコレクションのひとつに
本道ゆかりの画家の作品の収蔵があります。
今年103歳で逝去した日本画家片岡球子さん(札幌出身)の作品も
本人からの寄贈品を中心にまとまった数が収蔵されており、
現在常設展では球子さんの画業を4つの時代に区分して
系統立てて紹介する回顧展がひらかれています。

47歳で日本美術院同人となる程の遅咲きだった球子さんですが、
初期の作品を見ても、実に丁寧に描かれており、対象に迫ろう
という姿勢がひしひしと感じられます。
院展でたびたび落選していた、などとは信じられないくらいです。

しかし、横山大観から「雄渾」というテーマを与えられたことで、
祈祷する僧を描いたあたりから、作風に後期の骨太で躍動的な
趣が漂いだします。
この時期には出産時の様子を描いたりして、興味の対象の広がり
を感じるのですが、この作品はえらく酷評されたそうです。
まさしく「下手物」としての面目躍如たるものが感じられますが、
絵自体は無音の世界で淡々たる感じです。

そして、60歳前頃から球子さんを代表する「火山」や「雅楽」の
シリーズものがスタートしていきます。
「火山」の第1作となった「桜島の夜」などは作風をガラッと変えて
荒々しい一見キュビズムタッチの仕上がりとなっています。
まるで、たまりにたまったエネルギーが噴出したかのごとき
作品の様子から、作者の内面の変化の兆しを感じました。

この延長上に、繰り返し取り上げた「富士山」という代表作が
あるのでしょうが、意外だったのは「屈斜路湖」や「羊蹄山の秋色」と
いった本道ゆかりの題材にも、その雰囲気は十分感じられたこと。
「屈斜路湖」なんて「おとなしめの富士山の絵」のような感じでした。
「羊蹄山の秋色」は時間的制約の中で、一気に仕上げたかの
勢いのある作品ですが、やはり雰囲気は富士山のそれと同じ。
これも羊蹄山が「蝦夷富士」と呼ばれるせいなのでしょうか。

そして、球子さんと言えば、70~80歳代で描かれた一連の「面構」。
残念ながら、道立近代美術館はあまり収蔵していないらしく、
今回は2点のみ(正確には1点なのでしょうか)。
作品が自由に飛翔してみせることで得られる魅力とは面構にこそ
あてはまるような気がしますが、老境と言って良い年齢で、
次々とシリーズを制作していったその旺盛な創作力には脱帽です。

あと、意外だったのは80歳間近で始めた裸婦を描いた「ポーズ」
という一連の作品。解説には老境では取材へ出かけることも
ままならなくなることに備えた、というようなことが書かれていましたが、
果たしてそれだけでしょうか。
描く対象の広がりは老境においても依然持続していた、あるいは
かつて取り組めなかった対象だった、と考えることのほうが、
むしろ妥当なのではないかと思いました。

全35点で振り返る片岡球子さんの画業でしたが、
コンパクトながら見応えのある展示でした。
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by capricciosam | 2008-06-15 21:02 | 展覧会 | Comments(0)

嶋田忠収蔵写真展@千歳市民ギャラリー2007

先日の苫小牧市での第九演奏会の帰り、千歳市民ギャラリーで
開かれている「嶋田忠収蔵写真展」に寄ってきました。
遅くなりましたがミニ報告を。

会場を入ると目の前に大きく展開されるパネルに圧倒される。
そこには水中の獲物を狙ってアカショウビンが飛び込む様が
何枚かに分けて活写されているが、思わず息をのんで魅入ることに。
展示されている写真を順次見ていくが、約90点の写真には、
まさしく様々な「野生の生き様」が写し込まれていた。
その上、どうしてこんなショットが撮れるのか?
というプロの技術や被写体への迫る力に感嘆。

季節は圧倒的に冬が多かったように感じた。
しかも野外とくれば、相当な体力が要求されるハズ。
写真に写し込まれている野生の被写体自体の訴える力もさることながら、
それをファインダーごしに覗いている嶋田さんを想像すると、脱帽。

嶋田忠さんについてはこちらをごらんください。
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by capricciosam | 2007-12-20 22:29 | 展覧会 | Comments(0)