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インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国@映画2008

この作品が公開されて一週間も経った頃だったろうか。
偶然聴いた地域FMでこの作品を話題にしていた。
さすがネタバレはしていなかったが、結論は
「オッと思うようなものは少ないかもしれないが、
シリーズものとしては十分楽しめます」
こんな感じで締めくくっていた。

「そうか、抜群ではないが、十分なんだろうな」

こんな印象を抱いたが、映画を見終わった今なら、
これにちょいと但し書きしたい気分。
ほぼ一年前に「ダイ・ハード4」を観たが、本作品も言わば
シリーズもので「インディ・ジョーンズ4」とつけたい4作目。
ともに前作よりほぼ10~20年経過して、主人公は年老い、
人間関係もその年月に併せて変化した要素を盛り込んでいる。
つまり、シリーズを見続けた者にとっては、主人公の老けた顔に
応じたドラマの要素も楽しめる訳で、私は十分楽しめた。
料理に例えれば高カロリーな単品ではないが、
カロリーバランスもよく考えられた一品であることは間違いない。
まあ、この辺が評価の分かれるところなのだろう、と思う。

<ネタバレがありますので、ご注意ください>

人類は進化してきたという説が定説ではあるが、古代文明の中には
現代に匹敵するような文明があったと考えざるを得ない事柄もある
ようで、では、一体それを構築した者は誰か、という点が問題になる。
回答のひとつが「地球外生命体」の存在である。
1950年代の米ソ冷戦構造を背景に、当時異星人を発見したという
有名な事件を絡めて、結局古代人の風習の結果だと思われていた
変形した頭骨を模した秘宝クリスタル・スカルは実は異星人の頭骨
そのものであり、黄金都市エルドラドに潜むのは異星人の円盤だった、
というオチにつながっていく。
毎回荒唐無稽なストーリーなんですが、とうとうUFOですか。
まったく予想もつかなかった展開に正直驚きました。

それに、これまでのエピソードがチラリと見えたり(例えば、倉庫に
眠る一作目のアーク)、実の親子とわかった途端「ジュニアJr.」と
呼んで子供が反発するシーン(3作目のショーン・コネリーとの
掛け合いを思い出します)なんて、シリーズを楽しんできた者を
くすぐる仕掛けがありますから、たまらない。

ブルース・ウィリスに比べたら老け顔濃厚なハリソン・フォードですが、
シリーズ作品としては十分な水準で楽しめました。
(次作はないのかもしれませんが、実の子がJr.として登場したので、
第三作のようにハリソン・フォードが父役で一作できそうな気配を
感じました)
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by capricciosam | 2008-07-01 21:47 | 映画 | Comments(0)

ベン・ハー@映画&DVD

館内が暗くなって、スクリーンにミケランジェロの「アダムの創造」の
あの指が触れ合わんばかりの場面がクローズアップされる。
「OVERTURE」
そして、M・モーザの手による荘重にしてときめくばかりの音楽。

休憩をはさんだ3時間半はあっという間だった。

数奇にして波瀾万丈な主人公の歩みとキリストの誕生から死までを
適度に織り交ぜて作られた映像は、上映終了後もなかなかイスから
立ち上がれずにいた若き日の私をして深い余韻に浸らせていた。

感動的なストーリーだけでなく、戦車競争に代表されるアクションも迫力満点。
月並みだが、その完成度には「凄い」という言葉でしか言い表しようがなかった。

あれから幾星霜。
今はDVDで折に触れて鑑賞している。
いまだに「私のお気に入り」であることに変わりはない。

ベン・ハーを演じられたチャールトン・ヘストンさんのご冥福をお祈りいたします。
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by capricciosam | 2008-04-07 21:09 | 映画 | Comments(0)

歓喜の歌@映画

先日落語をきいたばかりで、今度は落語が原作の映画。
これも何かの縁。

<以下ネタバレ的内容がありますのでご注意ください>

原作は立川志の輔さんの新作落語「歓喜の歌」
これはどんな落語なのか想像もつきませんが、無責任な主人公が
心にスイッチが入るきっかけが、「ギヨーザ」。
中国産毒入りギョーザで世情喧しいこの時期に、よりによって
なんとも絶妙なタイミング、とひとり受けていました。
(食の安心・安全に反するこの騒ぎ、どこまで広がるのか…)

最初に気になった点を、
・歓喜の歌の伴奏はピアノ一台なのに、終始オケの伴奏で歌うのは?
・合唱が歌い終わっても数小節指揮していたけど、合唱用なら蛇足では?
 もっとも日本合唱連盟監修となっていたので、これはアリなのかな…
もっと根本的なつっこみとなると、
・12/31の夜の発表会なんて設定自体が無理があるのでは?
 第一、公共の施設なら年末年始の休館時期になっているはずでは
 第二、おおみそかに発表会やっていられるほど主婦はヒマか
 第三、かき入れ時に美容師や鮮魚売り場のパートが休めるか
     第二、第三については出席しやすいような時期を設定するはず
・文化会館のステージ工事が一主任の権限で可能なのか?
・日程は電話だけで受け付けないで、使用申し込み書に書かせて
 ダブルブッキングがおきないようにチェックしているはずでは?

見終わって少々疑問に感じた点を羅列してみた。
ストーリー途中での飛躍はあまり感じないものの、
やはりこまかな点では気になるところが結構ある。
これらの点も、落語で聞けば、想像して聞いているので、
大して気にならないことなのだろうが、いったん映像化されてしまうと、
いやでも細部が目にとびこんでくるので、いたしかたないことなのか。
でも、全体としてみれば主役の小林薫のゆるゆるムードが、
映画自体のペースメーカーとなって、最後にはほんわかとした
ペーソスを感じさせる仕上がりとなっている。
大笑いではなく、くすっの連続で、作り方として露骨に狙って作っている
感じも、押しつけがましさも感じない、程よい仕上がり具合だ。
この「ゆるゆる」「ほんわか」だが、中途半端ととる人もあるだろうから、
評価は分かれる点だと思うが、こういうタッチは嫌いじゃないなぁ…

合唱経験のある身としては、歌い終わった後の充足感はともかく、
合唱団がステージに立つ際の緊張感や怖さが、もう少しあっても
良かったのかな、と思う。特に、みたま町コーラスガールズは
第一回演奏会としている上に、メンバーの北京飯店の主婦を他よりも
詳しく描いている点から、その延長上で活かせたのでは、と感じた。
合同発表の条件で、レディースがガールズの実力を見せてもらう
という点も見下した目線で少々「?」だったけれど、その中で
ソロを歌った方は中々うまかったなぁ。ゴスペル?ミュージカル?
うまいと言えば、由紀さおり、安田祥子姉妹。
持ち歌の「トルコ行進曲」やお姉さんがさりげなくメンバーにはいっていたり…
歌といえば、最後の「あの鐘を鳴らすのはあなた」
あの象徴的な歌詞と相まって、クレージーケンバンド聴かせます。

最後に蛇足ですが、
公開時期を第九がさかんに歌われる年末にしなかったのは、
作業上なのか、考えあってのことなのか、ちょいと気になりました。
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by capricciosam | 2008-02-02 23:49 | 映画 | Comments(2)

アース@映画

一年ほど前「不都合な真実」を観て母なる地球の「温暖化」という
環境悪化に衝撃を受けた。あの映画をきっかけに世界的にも
「地球温暖化」への関心は急速に高まったのだろう。
それからほぼ一年経ち、「アース」という名のこの映画が公開された。

BBCの数多くのフォトグラファーが地球のあちこちで営まれている
生態を驚異のカメラワークで映し出していく。
「どうしてこんな映像が撮影できたのか!?」
というような場面が次々にスクリーンに映し出される。
圧倒。

<以下ネタバレ的内容ですので、ご注意ください>

ランダムに展開するようだが、
北極から1100kmにいる北極グマの親子から始まって
「北極から1900km」のツンドラ地帯
「北極から2600km」のタイガ地帯…
と南下していきながら、その地点での動物の営みを映し出していく。
とうとう南極に至り、最後はもう一度、泳いでいる北極グマを映し出し、
「このままの状態では2030年には北極グマが絶滅する」
「今ならまだ間に合う」
というナレーションが流れてこの映画は終わる。

映像の迫力、美しさは圧倒的、しかし何故か全体の印象は散漫。
「何故なんだろう」
動物の生存を賭けた営み、動物の親子の情といった、
従来からある野生動物のドキュメンタリー映像としての印象は
強く残ったが、地球を取り巻く環境悪化が共通の認識として
醸成されつつある今、「地球」そのものを取り上げたタイミング
からいって、地球温暖化という危機感をテーマとして一貫させたのか、
というとその印象は薄い。
最初と最後の部分では温暖化による解氷現象が北極グマの生存を
脅かしていることに触れてはいるが、それ以外の場面での訴えかけが
弱い(というか感じられない)ため、唐突なつけたし的印象を残して
締めくくったような印象しか残らなかったためではないか。

まあ、今の地球で営まれているこれらの映像も、このまま地球温暖化
が進行すると、うん十年後には貴重な記録になりかねない訳だから
「警告」としての意味はあるとは思うが、如何せん映像にもそのような視点
をあまり感じず、編集もうまくいってなかったようで、やや肩すかし。
まあ、そういうメッセージ性の薄さも、逆に迫力ある美しい映像を観る
上では妨げにならないのかも知れません。
ある意味、ごちゃごちゃ理屈をこねずに、素直にこの地上での営みを
受け止めて、「これが無くなったらイヤだな」と思ってもらうだけでも
意義は十分あるのかもしれない。
しかし、北極グマがあと20年程度で死滅するかもしれないなんて…
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by capricciosam | 2008-01-14 16:38 | 映画 | Comments(8)

椿三十郎@映画リメイク

往年の黒澤映画の名作がリメイクされた。

注目したのはオリジナル脚本を使用したこと。
つまり、すでに過去に定まったものがあり、現代においてそれを
どう解釈し、どう演じるかという点はクラシック演奏と同様だ、ということ。
大抵のリメイクの場合、大雑把なストーリーは同じにしても、
セリフは時代やシチュエーションに応じて変わってしまう。
以前取り上げた「Shall We Dance?」もその例でしょう。
それを、あえて定本となっている脚本を使うのだから、
当然監督や役者の解釈や演技次第によって、同じ作品でもテイストは
大幅に変わってくることは想像するだに難くない。
これはクラシック演奏と変わらないではないか。

見終わって、真っ先に感じたのはオリジナルの秀逸さに一番貢献した
のは、脚本だったんだじゃないかなぁ、ということだった。
やはり、脚本が十分良くできていて今なおおもしろい。
クラシック演奏で言うなら、作曲家の作品自体が時代を超えて
魅力を放っている、ということだった。
だったらどのように演じられても耐えられる、というものだ。

だからと言って、今回のリメイクの出来が悪いとは決して感じなかった。
黒澤作品の三船三十郎に対して、森田作品の織田三十郎は
まったく別の解釈によるテイストの異なる作品として味わえるからだ。
なにやら笑いの多い、コメディタッチにも感じられる、
難しいこと抜きの娯楽作品のような感じ、とでも言えばよいのだろうか。
これは、やはり主役の醸し出す雰囲気の違いが大きい。
コメディタッチと言えば、ベテラン演じる「茶室の三悪人」は
まるで「踊る大捜査線」の「スリー・アミーゴズ」のようでもあり、
なんとなく笑えるし、人質となった「押し入れ侍」もうまかった。

また、前回の三船-仲代に対して今回の織田-豊川の描き方も
過不足なく、これで満足すべき水準に達しているとは思うのだが、
あえて言えば、後者から発する凄みがくすみがちだったことか。
前者の強烈な個性が印象的だったから、なおさらそう感じるのかも
しれない。これは前作と比べられるリメイク作品の不利な点か。

<以下、ちょいとネタバレになりますので、ご注意ください>

それから有名なラストの二人の斬り合いも、今回は視覚的に
見せずに聴覚的に描いており、「オヤ?」と思った。
そう言えば21人斬りもそうだが、このラストも客席後方から
いかにも肉を斬り、血が飛ぶかのような効果音だけで処理されている。
現代の映画館のサラウンド効果をうまく使っているなあ、と感心。
これは、監督のセンス、解釈なんでしょうね。
でも、昨今の時代劇のリアルさも当たり前のように感じていましたので、
これはちょっと意外でした。

それから音楽ですが、原作の佐藤勝さんオリジナルか、と思わせる
ような迫力ある和太鼓を効果的に使っていて、いけましたね。

まあ、クラシック演奏会にも似ているのでしょうが、定本に沿っていながら
実際の指揮者やプレーヤーの解釈や演奏の変化が楽しめるような感じで、
全体に良い仕上りだなぁ、と思いました。
オリジナル絶対主義者でなければ、十分楽しめる作品です。
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by capricciosam | 2007-12-01 20:55 | 映画 | Comments(3)

ダイ・ハード4.0@映画

ダイ・ハードから18年。
ダイ・ハード3から12年。

<以下、ネタバレ的内容を含みますのでご注意ください>

1作目、2作目では、夫婦の離婚の危機を実際の危機が救った
かのように思えたものの、3作目では離婚したことが判明。
そして、4作目では学生にまで成長した娘ルーシーが登場するが、
主人公のジョン・マクレーン刑事は心配のあまり娘のデートを
ぶちこわし、愛する娘に激怒されてしまう。

「おまえはルーシー・マクレーンじゃないか」
「いいえ、私はルーシー・ジェネロよ」

娘にまで拒絶されてしまうダメオヤジぶりが、逆にこのド派手なシリーズを
貫くテーマである夫婦愛や家族愛を明確にする。
「何故こんな目に遭うんだ」
1作目から主人公が発するこのセリフ。
これは己が運の悪さを嘆きつつ、悪党に立ち向かう職業意識だけではない、
自らの崩壊した家庭と、家族への思いが隠されているのではないか、
とチョイと深読み。

今回ダメオヤジが愚直に立ち向かったのは、ハイテクに長けた悪党。
7/4独立記念日にデジタルネットワーク化された全米のインフラを
ハッキングして機能をマヒさせてしまう。
(これを「ファイヤー・セール」投げ売り、とは、へぇーという感じでした)
おなじみの20世紀フォックスのオープニングで、サーチライトが消え、
画面がぶれ、フリーズ気味に消えるという暗示的な演出は楽しい。
悪党曰く
「ジョン、おまえはデジタル時代の鳩時計だ」
高度にハイテク化が進んだ時代に、くたびれたローテクダメオヤジが
かなう訳ないじゃないか、という一見圧倒的不利な状況を
次々打破してしまうのが、このシリーズの醍醐味。
ただ、シリーズものの宿命か、アクションシーンはスケールアップし、
マクレーン刑事のヒーロー度も高くなったような気がする。
その分、1作目に登場した時の裸足のランニングシャツ姿で、
やたら目をむいて立ち向かっていた身の丈サイズのヒーローでは
なくなっている。設定でも年代的に50歳程度(ブルース・ウィリスは52歳)
になるのだろうから、酸いも甘いも知り尽くした「大人」の雰囲気をもった
ヒーローであることは妥当なところなのだが、ただマクレーン刑事には
「スーパーヒーロー」にだけはなってもらいたくない。
やはり、彼はあこがれよりも共感とともに我々を奮い立たせてくれる
「ダメオヤジ」ヒーローであってもらいたい。

そう言えばローテクダメオヤジの象徴に使われていた音楽がCCR。
現代青年のハッカーがうるさそうにボリュームを絞ろうとすると、
マクレーンがボリュームをあげる。
この場面を見て「CCRは今の時代には受けないのかもなぁ…」
(最後もエンディングでCCRが流れていましたね)
ジョン・フォガティの荒削りな野太いヴォーカルを「懐かしい」と感じる、
そっか、オレもローテクダメオヤジの類なんだよなぁ…
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by capricciosam | 2007-07-01 23:12 | 映画 | Comments(14)

五線譜のラブレター@DVD

とんでもニュースで中断したDVDの話です。

先日買い物にでかけて、フラッとおもちゃ売り場に寄った時のことです。
子供が小さい時ならよく寄ったのですが、この頃はとんとご無沙汰です。
映画のDVDを3巻いくらで売っているワゴンが目に入り、買う気もなく
手に取ってみたのですが、「コール・ポーター」の文字が目に入りました。
スタンダード・ナンバーで有名な方ぐらいは知っていましたが、詳しいことは
知りませんでした。どうやらコールポーター夫妻の出会いと別れまでを
描いたようで、ホンモノの歌手が劇中で彼の作品を歌っています。
しかもワゴンの中には同じDVDは見あたらず、これ一枚だけ、その上安い。
思わず衝動買い、です。

この映画は凝った作りになっていて、晩年の、というより最後の時を迎えよう
としているコール・ポーターが、愛妻リンダとの出会いから、その死別までを
劇場でステージを見ながら順次振り返っていく、という構成でした。
ポーター自身は同性愛だったようですが、リンダとは恋いに落ち、結婚にまで
至るという、なんとも理解しにくい気質でした。
でも、リンダもポーターの同性愛を許容し、見事にポーターをプロデュース
していく、というふところの深さが伺われ、それぞれたいした人物だった
のではないか、と今更ながら感心しました。
主役のお二人、ケビン・クラインとアシュレー・ジャドはお似合いの夫婦であり、
また微妙な夫婦関係を好演していた、と思いました。
それに、登場するホンモノの歌手たちもコール・ポーターの有名な作品を
次々に歌っていくのですが、これがゴキゲンなのです。
一種のミュージカル仕立てになっており、楽しめる作品に仕上がっていると
思いました。

2005年の正月公開作品だったらしいのですが、当時はまったくノーマーク。
遅くなりましたが、出会えたことを素直に喜んでいます。
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by capricciosam | 2007-05-30 22:06 | 映画 | Comments(2)

墨攻@映画

実は「墨攻」を知ったのは十数年前のコミックだった。
当時断片的に読んだが、墨家の革離一人で小国の梁城を趙の大軍から守る
という着想の面白さと漫画の描写力に結構楽しめる仕上がりだった。
でも、結末がわからず終いだったのでずっと気にかかっていた。
それで結末を知りたいのと、コミックがどう映像化されたのかを知りたくて
興味津々で観に行った。
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紀元前の古代中国の春秋時代。諸子百家の中で「儒墨」とも言われ、
孔子の儒家と並び称されたにもかかわらず、秦の統一とともに
歴史から忽然と姿が消え、明清時代まで存在が忘れられていた思想家集団。
それが墨家。その思想も資料により断片的にしかわからない。
「兼愛」と「非戦」
兼愛とは、分け隔てなく愛すること。
非戦とは、決して攻め込まないこと。

古代から長い封建制度が続いてきたという薄っぺらな歴史認識
しかない身には、数千年前の古代に現代でも通用する思想が存在した
ことが驚異的。でも、西洋でも哲学家や思想家は古代にすでに存在していた
訳だから、同時代の中国にこのような思想が存在したとて、
別段不思議ではないのかもしれない。

墨家を表すのによく使われるのは「墨守」。
墨守とは故事に由来するが、「頑固に守ること」
「非戦」の持つイメージとは異なり、攻めはしないが、防御は徹底的にやる。
つまり攻め込まれた相手とは存分に戦って、守り抜こうとする訳だ。
「墨攻」は原作者の造語で、
「守りに徹するはずの墨家が、何故攻撃なのか?」
との奇異な感じを抱かせる。しかし、非戦の意味がわかれば納得。
少ない手がかりを元に想像力を駆使した原作者酒見賢一の着眼は素晴らしい。

さて、肝心の映画だが、役者は初めて観る人ばかり。
主役のアンディ・ラウは存在感があり、うまい。
毅然たる敵の大将、卑小な梁城主も存在感がある。
ただ恋物語は原作やコミックにもない映画オリジナルで、
私にはちょいと浮き気味に感じた。
むしろ民衆の動きや群像に比重を置いて、もっと整理しても良かったか、
との思いも残った。ただ、悲恋にしたことで主役の陰影が一層深まった
効果もあった。
原作やコミックは日本、監督や主役は香港、敵の大将は韓国、撮影監督や
音楽は日本、ロケは中国で人民解放軍が協力、という見事な「多国籍映画」。
出来やさぞかし、と高をくくっていたら、とんでもない。楽しめた。
アジアという枠内での複数の国境を越えた映画作り、という地平を
見事に切り開いた、と言っても過言ではないと思う。
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ここからは蛇足です。
今回、映画を観てから原作、コミックの表現が気になり改めて読んでみた。
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驚いたのは原作での登場人物はそのままだとしても、コミック化の段階で
奔放な改訂が行われており、その上映画でも再改訂されていたことだ。
例えば革離は原作では梁適(梁城主の息子)に矢で射られて死ぬのだが、
コミックでは梁適は反発するものの、結局革離の力になる。もちろん、
革離は死なない。映画では、梁適は最初から友好的。
さらに、墨家の獅子身中の虫である薛併は原作では梁城内で革離に
切られて死ぬが、コミックでは秦の動きにあわせて黒幕として暗躍する。
ところが、映画では出てこない。etc
改めて、創作するというのは随分奔放なものだ、と感じた次第です。
でも、原作、コミック、映画どれもそれなりの味わいがあって楽しめます。
ただ、基本的に戦いが主たる舞台ですから、残酷な場面が苦手な方は
コミックは敬遠された方が良いかもしれません。蛇足の蛇足でした。
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by capricciosam | 2007-02-16 23:54 | 映画 | Comments(4)

不都合な真実@映画

映画の冒頭、一枚の地球の写真が映し出される。
宇宙船アポロが撮ったもので、これまでよく目にしたものだ。
白い雲が浮かび、全体に青い地球。
改めて地球とはなんときれいな「惑星」なのだろうと思う。
そこに生きていること自体に感謝したくなる。
その地球の姿はこれからも変わらないものだ、と信じて生きてきた。
少なくとも自分が一生を終えて、子孫の世代になっても。
もちろん、環境破壊が将来危機的事態を招くということは気になっていた。
でも、それはもう少し遠い将来の話、と無理にでも思い込もうとしていた。

<以下、ネタバレ的内容含みますので、ご注意ください>

大統領選敗北で打撃を受けたアル・ゴア氏は、これからの生き方を
模索する中で、若い頃から取り組んできた環境問題に進もうと考える。
氏は米国内外でスライド講演を数え切れないくらいこなして、
人類の唯一絶対の故郷である地球が危機に直面している問題を訴えていく。
深刻なテーマなのに、時にはユーモアもにじませつつ、
真摯な態度を貫き、説得力がある。
映画は氏のその活動を追ったドキュメンタリーであるが、
観終えて、衝撃と感動を覚える、実にヒューマンなものだった。

全地球的問題に取り組むためには、全地球的取り組みが必要であり、
そのアクションとしての「京都議定書」の意義の重大さを指摘する。
そして世界中の多くの国々で批准され、アクションを起こしているのに、
批准していない国が、まだ二カ国あることを指摘する。

「アメリカとオーストラリア」

アメリカは世界でもトップクラスの二酸化炭素排出国なのに、
現在のブッシュ大統領は議定書の批准をしないことを宣言するくらい、
米国の取り組みは遅れている。
州単位での取り組みも始まったようだが、まだまだ少ない。
その意識改革をこのような地道な活動が促しているのだろう。

しかし、地球温暖化の進行が急激に進み、かつ今のライフスタイルが
変わらなければ、少なくとも次世代には我々が享受している環境よりも
劣悪な、生存に適しているかどうかさえも疑わしい環境しか引き継げなくなる
という悲観的見通し(というより緊急警告)がこの映画で提示される訳だが、
観終えて、ここまで事態が深刻だったとは、と正直ショックだった。

地球的規模で人類が直面する問題の深刻さ、巨大さの前では、
映画で取り上げられているゴア氏の活動を、氏の政治的経歴から
色メガネで見るようなことは何ら意味をもたないし、
問題の本質から目をそらすことにしかならないだろう。
氏は、この問題は主義主張を超えた人道的問題、倫理的問題であり、
その解決には一人一人が立ち向かうことが必要である、と訴えている。
つまり、環境をここまで追いやったのが人間の営みなら、それを
解決することも人間がやろう、と訴えているのだ。

原題は「An Inconvenient Truth」
inconvenient はconvenientの反対語です。
convenientの意味は「便利な、都合の良い」
つまり「コンビニ」のコンビニエンスはここに由来します。
コンビニに象徴される、物質的に豊かで便利な生活を続けるためには
莫大なエネルギーの消費、浪費が必要です。
そのライフスタイルを享受し続けることに潜む「危うさ」はないのか。
そんな大上段に構えたことは別にしても、

「個人でこの問題に取り組むには、どこから、どうやって取り組むのか?」

その答えは、この映画の本編が終わったのちに提示されます。
ですから、本編が終わってもすぐに席を立たないで最後までご覧ください。
また、この映画の公式サイトに「take action」として
「自宅で取り組む排出削減」が紹介されています。
別に格段目新しいことがあるとは思いませんが、
やれることがひとつやふたつ、きっと見つかります。
一人の小さな取り組みを継続していきましょう。
私のような老境間近な者とて、寿命がつきるまでの間は
自然環境の劣悪化には付き合わざるを得ないのですが、
それでも寿命の長い若い方に比べれば短いほう。
若い方ならなおさら付き合う時間が長くなります。
劣悪な自然環境で老後を迎えたくないと感じる若い方なら、ぜひ取り組みを。

余談ですが、この映画を観たあとで、
「どうしてゴア氏が大統領に選ばれなかったのだろう?」
と、つくづく残念に思ってしまいました。
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<2.22追記>
米国の有力科学雑誌が「06年に最も影響力のあった政策指導者」に
ゴア氏を選んだとのことだが、むべなるかな、という気持ちを憶える。
政治家が国境を越えた地球規模の課題にこれほど果敢に挑戦している
姿など、かつてお目にかかったことがない。
しかし、これはゴア氏だけの特殊な例ではあってはならないのだろう。
国家レベルはもちろん、市町村レベルにおいてさえ、こと政治を志す人には
「地球温暖化」に関する視点が欠かせないのではないか、必須と言っても
過言ではないような気がする。そんな気がしてならない。
もちろん、地球温暖化は一部の人間だけが取り組めばよい、というものではない
ことはもちろんだ。ゴア氏は受賞講演で次のように発言している。

「私は地球温暖化と言わず、気候クライシス(危機)と呼ぶ。
気候クライシスは科学、政治だけの問題ではなく、個人に至る倫理の問題だ」

「不都合な真実」はアカデミー賞候補のようだが、一方ではゴア氏が
ノーベル平和賞候補という噂もある。さて、どうなるか、注目したい。↓


<2.26追記>
「不都合な真実」が長編ドキュメンタリー賞を受賞しました。
グッゲンハイム監督とともに登壇したゴア氏は、地球環境温暖化について
「政治的ではなく倫理的問題です」
「環境対策はすぐ始められる」
と壇上から呼びかけたそうです。
世界の注目を浴びる授賞式なので、そこでのこの訴えが世界に広まって、
人々のアクションにつながっていくことを期待しています。


<10.13追記>
朝刊にノーベル平和賞受賞との大見出しが載っていました。
我々の存在の母体となる地球の環境が、温暖化によって劣悪化していく
という重大な危機に対して、最も効果的な警鐘を鳴らした人である
ことは間違いない。
同時受賞の国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)とともに
これからもこの問題の解決に向けた取り組みでの牽引役を期待したい。

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by capricciosam | 2007-01-20 23:51 | 映画 | Comments(2)

12人の怒れる男@DVD

「冤罪」と「法廷」で連想したのが「12人の怒れる男」です。
まだ若かった頃、旧作映画がTVでよく放映されていました。
その頃見た一本です。

父親殺しで起訴された少年の裁判が舞台なのですが、
さらにはその狭い別室が主な舞台となります。
暑いので、早く裁判を終えて解放されたい気分が部屋に満ちます。
審判には全員一致が必要です。
審議する12人の陪審員のうち11人は有罪なのですが、
たった一人だけ有罪に疑義を唱えていきます。
有罪の根拠が、単なる先入観や偏見に過ぎないのではないか、と。
「どうして、そんなへんなことを言うのだ!?」
「おまえがへんなこと言うから早く帰れないじゃないか」
激論が戦わされ、ぶつかり合ううちに…。

ちょうど半世紀前の白黒の旧い作品ですが、スキのない構成で、
緊迫度が高く、いまだに法廷サスペンス映画の傑作だと思います。

あと数年のうちにスタートする裁判員制度で、一般の人も
刑事裁判に加わっていくことになります。
「裁く」ということの「重み」を考え、その立場に立つ人はどうあるべきか、
ということを考えるにはふさわしい一本だと思います。
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by capricciosam | 2007-01-15 22:54 | 映画 | Comments(0)