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札幌交響楽団第498回定期演奏会@Kitara2007

今年初のフルオケかつプロオケの演奏会です。
昨年から札響の定期演奏会での評判が高まっていたので、
今年は少し足を運びたいな、と考えています。

広上さんの指揮で聴くのはこれが2回目。
一回目は首席指揮者を務めていたノールショピング響で、10年以上も前のこと。
あの時はモーツァルト、チャイコフスキー、ドヴォルザークと「名曲コンサート」の
趣きで、やや木目の粗い、厚みに欠けた音づくりながらも、
若々しい響きで、うまくまとめているな、という印象でした。
当時からオケを引っ張る力は十分な方のように思いましたが、今回も一曲目
ヴェルディ「シチリア島の夕べの祈り」序曲から全身を使って、表情豊かに、
大胆かつ余裕を持ってオケをドライブしていくような感じです。
それにオケもよく応えています。最初から、期待がふくらみます。

二曲目はベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」
ソリストの小菅優さんが実は、本日のお目当て。
以前TVで拝見して、そのタッチの瑞々しさ、音の透明さに俄然興味が湧いて、
すぐ今回聴きに行こう、と決めたのでした。
耳になじみやすい第3番と第5番の間にあって、ちょっと雰囲気の変わった
この曲ですが、小菅さんのピアノは強奏でも音が濁らず、まるで音の粒が
立っているかのように明瞭で、期待に違わぬ演奏は十分満足すべきものでした。
オケも編成を小さくして、広上さんも寄り添うような指揮に徹している感じです。
鳴りやまぬ拍手に応えて、アンコールはシベリウス「トリューズ」。
初めて聴きましたが、まるでポップスのようで、素敵な小品でした。

三曲目はベルリオーズ「幻想交響曲」
聴き所満載のこの曲で、再び「広上ワールド」が炸裂です。
広上さんの指揮はメリハリを効かして、頻繁に各パートに左手親指を立てては
満足そうな表情を浮かべます。そうして、全体を見事にドライブしていきます。
実際、札響のみなさんの演奏は各パートの乱れも感じられず、
一体となって燃焼している感じで、見事なアンサンブルだったと思います。
この一曲だけでも、フルオケを聴く醍醐味は十分得られました。
なるほど、昨今の評判の高さの一端に触れた感じでした。

昼公演でしたが当日券はなく、会場も90%以上の入りのほぼ満席でした。
チケット購入時点でお目当ての席がなく、いつもは選ばないほうの席だった
のですが、第三楽章でオーボエソロがすぐ側で聴けたり、
第5楽章の「鐘」を打つのがよく見えたりと、楽しめる席でした(^^)
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by capricciosam | 2007-04-28 23:53 | 音楽 | Comments(0)

札幌交響楽団第488回定期演奏会@Kitara2006

ドイツ・レクイエムは「ドイツ語によるレクイエム」という意味らしい。
ではレクイエムとはどんな意味なのか。
requiem(ラテン語)休息
永遠の休息=死にたどりつくことは生きとし生ける者の必然。
死者のためのミサ曲の初めの歌詞がレクイエムと始まること
から曲全体の名称をレクイエムと呼ぶようになったようだ。
そこでレクイエムと言えば、死者のためのミサ曲を指す訳だ。
従って、この曲は本来死者の魂を鎮めることを目的とするだけで良い訳だが、
今回演奏されたドイツ・レクイエムはやや趣を異にする雰囲気がある、
と常々感じている。
それは生き残った者への視点である。
死者との悲しい別れから悲嘆に暮れる生き残った者の魂もなぐさめ、
鎮めようとするような視点である。
それで、この曲を聴くときは、やさしく慰撫してくれるニュアンスを求めて
ついつい聴いてしまうクセがある。
もっとも、ひたすらドラマティックに歌い上げても、
それはそれで十分成り立ってしまう側面も否定はできない。
いづれにせよ、ブラームス畢生の大作であることは間違いない。

さて、前置きが長くなったが、この曲はなんといっても、
「合唱」と「独唱」の出来に左右される、と思っている。
特に、約70分間ほぼ歌いっぱなしの「合唱」の負担は大きい。
今回の札響定期に登場した札幌合唱連盟は高校生も含めた152名と大所帯で、
ところどころ棒読みのような歌い方も散見されたものの、大いに健闘していた、
といっても過言ではない。
しかも、よくあるPブロックへの配置ではなく、ステージに配置されたことで、
オケとの一体感はより強く感じられた。
しかし、あふれんばかりのステージは久しぶりでした。(^^)
また、独唱の二人の歌唱の水準は高く、特に、バリトンは感情たっぷりに、
深々とした響きで会場を満たしていた。
札響も低弦と管を中心にまとまった演奏をしていた。
しかし、先に述べたニュアンスはあまり感じられず、ドラマティックな
大曲風に終わったことは、私としては少々残念。
これは暗譜でとおした尾高監督の解釈なのでしょうね。
終わってみれば、多少のキズはあったものの、ライブとしては
りっぱな演奏で、この曲の実演に接することはほぼ可能性がない、
と思っていただけに、とても印象深い演奏会でした。

昼公演でしたが、8~9割の入りで、札響定期の2公演化も
一周年を過ぎて定着してきたような感じを受けました。
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by capricciosam | 2006-04-22 23:50 | 音楽 | Comments(2)

武満徹没後10年によせて②@Kitara2006

先日記した没後5年特別企画「夢窓」の命日当日に行われた
「武満徹の管弦楽-1980s」と題する演奏会は下記のような
プログラムでした。

指揮:尾高忠明★
ヴィオラ:今井信子
フルート:エミリー・バイノン★
オーケストラ:新日本フィル
曲:弦楽オーケストラのための<死と再生>
  ウォーター・ドリーミング★
  トィル・バイ・トワイライト★
  ア・ストリング・アラウンド・オータム★
  波の盆~オーケストラのための★

この演奏会は聴くことはできなかったのですが、★印のついた
部分は今回の札響定期とまったく同じです。
その上、札響もオール武満プロは定期としては30年ぶりらしい、
となれば、今回を逃すとちょいと後悔するかもなぁ、と思い至り、
なんとか仕事をがんばって時間を作って出かけてきました。
二日目昼公演の当日券でしたが、入りは7割くらいかな。
「弦楽のためのレクイエム」以外は聴いたこともない曲ばかりです。

今回のプログラムも、大江氏の言葉にあったエラボレイトを
積み重ねていった武満の作品が「弦楽のためのレクイエム」から
年代順に演奏されていったように思います。
いずれの作品も武満らしい「響き」と「うねり」が作り出す「静謐さ」
「浮遊感」「無限性」を感じさせてくれます。
「ア・ストリング・アラウンド・オータム」は独奏ビオラの落ち着いた響き
が秋にふさわしい。ただ聴いていた3階席では少々音量が不足気味
だったような感じもしました。これはビオラという楽器の特性のせい?
「ウォーター・ドリーミング」の無限に連環するがごとき様はフルートの
甘美な響きによって浮かんでは消えていく色彩や、時には「歌」も
感じさせてくれました。

誤解を恐れずに言えば武満徹の作り出した曲には「響き」やその
連なりとしての「うねり」はあれど、「歌」や「抒情」なんてある訳ない、
なんて勝手に誤解していたようです。
それを見事に証明してくれたのが最後に演奏された
「波の盆~オーケストラのための」です。
この作品には武満自身が内面に秘めていた見事なまでの
「歌」が奔流となって表出されくるのです。これには驚きました。
いただいたパンフの札響団員の方の話にも演奏しながら泣く奏者
がたくさんいる、との話を見つけ、首肯できる話だなぁ、と思いました。
この曲はもっと知られて良い曲だ、と思います。
アイブスの「宵闇のセントラルパーク」に似たところもチョイあります。

今回の体験で武満徹に抱いていた考え(先入観)が少し変わった
ようです。先日のペレーニもそうでしたが、
「食わず嫌いはあきません」を実感しています。

札響もよく健闘して武満トーンを表現していた、と思いましたが、
音に集中するあまり、音量が不足気味だったのではないか、とも
感じました。あの集中力で、もう少しボリュームがあれば、きっと
鳥肌モノだったのではないか、と改めて思います。
しかし、曲ごとにステージ上での転換がめまぐるしかったので、
大変だったでしょうが、見ている分にはおもしろかったです。(^^)

さすが定期らしく、フライング拍手、フライングブラボーもなく、
快適でした。でも、弱音やデミニュエンド気味に終わろう、という時に
咳が何回か飛び出したのは残念。録音して放送されるだけに、
せめて口をハンカチで押さえてくれればなぁ。
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by capricciosam | 2006-02-26 09:08 | 音楽 | Comments(6)

オッコ・カム&札響@小樽市民会館2005

フィンランドを代表する指揮者で、10月初旬から来日して、
大阪、東京で振って、ラストは月末の札響定期演奏会。
シベリウスの2番を初めて耳にした経験は、この指揮者と
ベルリンフィルによるレコードでした。
それ以来チャンスがあれば、ぜひ実演に接したいと思っていました。
でも定期はオールシベリウスプロなんですが、どうもシベリウスは
食わず嫌い傾向があって今回はパスしようか、と思っていたら、
なんと大穴がありました。それは、
10/26の「ほくでんファミリーコンサート
曲目はフィンランディア、カレリア、交響曲第2番他。
これだけ揃えて、しかも整理券(無料)。
そのかわり平日の小樽行きなので、昨夜は結構ハードでした。

一曲目のフィンランディアがいつもの耳慣れた曲の運び
ではなく、例えて言うならアクセントの置き所が異なる運び方で
やや快速気味にさらっと終わったのは、また新鮮でした。
これは三曲目のカレリア組曲でも同様の感じを受けました。
カム氏は妙なアゴーギクもなく、正攻法な音づくりの印象。
二曲目のアンダンテ・フェスティーヴォは優雅さを感じさせる
弦楽合奏曲で、これは初耳の曲。いい感じの曲ですね。
四曲目の交響曲第二番はシベリウスを代表する曲。
これは管弦一体となったなかなかの熱演でした。
札響は元々シベリウスは得意というのが少し実感できました。
しかし、当夜のベストはアンコールの「悲しきワルツ」です。
これには魅了されました。うっとりです。
これは定期も期待できるのではないでしょうか。
シベリウス入門用としてはうってつけのプログラムでしたが、
公開放送用なので、これだけやっても一時間半ちょっとでした。
余韻を楽しむ余裕はありませんが、あまり疲れずこんな感じも
よいものですね。

ただ、惜しむらくは市民会館の音が残響がほとんどないデッド
でドライな感じなため、せっかくの熱演が生かし切れなかった
のではなかったか、という点。
まあ、年数の経った多目的ホールでは致し方ないのでしょうが、
最近はkitaraの豊かな残響でオケの音を耳にするせいか、
正直やや苦痛でした。今夜のプロをそっくりkitaraで聴けたら、
という思いが残りました。ちょっと耳もぜいたくになったかな。

■札響の定期はこちらをごらんください。

写真のCDはバルビローリ&ハレ管の交響曲2番
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by capricciosam | 2005-10-27 23:55 | 音楽 | Comments(4)

収穫

秋の澄み渡る青空を見ると、夏の暑さから逃れて安堵した
ためか、その空気の爽やかさのせいなのかは不明だが、
思わず内面の緊張が緩み、一息ついてしまう。
まるで、登山をして途中の何合目かで休憩をとって、遠くの
山々や麓を見渡すがごとく、一息ついて周囲やこれまでの
登ってきた道を振り返ってしまうのだ。
人生を四季で例えると、シニア世代は秋から冬にさしかかろう、
とするようなものか。来し方を思い、行く末にも思いをめぐらす。
そんなわけでもあるまいが、秋は一層メランコリックな気分に
陥りやすくなるような気もする。

そんな時に聴くラフマニノフはこの気分にピッタリどころか、
それを増幅してくれるのかもしれない。
その憧憬を含んだ甘美な抒情の大きな大きなうねりに身を
まかせていれば、忘我に陥り、現のあらゆることが見事に
消え去っていく。
甘美なときの訪れ。

昨夜の札響第481回定期演奏会でのラフマニノフ交響曲第2番
はまさにそんなひとときだった。
暗譜で通した尾高忠明音楽監督の棒は確信を持って、第一楽章
からオケを強力にひっぱるが、強引というのではなく、全身を使って
各パートを曲の流れにのせていく、とでも言えば良いのだろうか。
まさしく指揮者とオケが一体となってこの大曲の情感にあふれた
奔流を成していた、と言っても良いだろう。
低弦を中心に増強した弦も健闘していたが、いつもは少々
危なっかしい管も適度なバランスを保ってこの曲の情感の表出に
貢献していた。特に、第三楽章の出来はクラリネットの出来に期待
大なのだが、昨夜は他の楽章も含めてよく健闘していたと思う。
ますます脂がのってきた尾高・札響。
このコンビの好調ぶりが端的に聴き取れたこの一曲でも十分なのに、
アンコールは同じくラフマニノフのヴォカリーズ。
もう、メロメロです。とどめを刺されました。まいったなぁ~。
演奏会終了後、会場を去る雑踏でラフマニノフのメロディを
ハミングしている人が少なからずいたのですが、皆さん、
やはりお好きのようですね。

今夜のもう一曲はエルガーのチェロ協奏曲。
イッサーリスの超絶技巧には感嘆したものの、少々足早に行って
しまった感じ。もう少したっぷりと歌ってほしかった気も。
アンコールの鳥の歌のしみじみとした味わいが印象深い。
ところで、エルガーのこの曲は以前尾高・札響のコンビで
聴いているが、その時はR・コーエン。これもうまかった。
いくらお国ものとは言え、英国には凄いのがいるなぁ。

秋は収穫の季節でもある。
昨夜は稔り多き収穫、と言っても過言ではない一夜だった。

写真はラフマニノフ2番のノーカット演奏の先駆けプレヴィンのCD
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by capricciosam | 2005-09-24 13:52 | 音楽 | Comments(4)