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音楽の昭和@北海道立三岸好太郎美術館2016

「音楽の昭和~三岸好太郎を巡る音の風景」と題する講演は特別展「三岸交響楽」
(9/3~10/19)に関連して特別展初日に開催された。講演の行われた三岸好太郎美術館は
北海道知事公館のある一画の北側に位置する。

三岸節子氏をはじめ遺族4名から220点の三岸好太郎作品が北海道に寄贈されたのを機に、
1967年、北海道で初めての美術館となる〈北海道立美術館(三岸好太郎記念室)〉として、
当館は札幌市中央区北1条西5丁目に開館しました。その後、北海道立近代美術館の開館に
ともない、1977年に北海道立三岸好太郎美術館と改称して再発足し、さらに1983年、
三岸好太郎のアトリエのイメージを設計の一部にとりいれた新館を現在地に建設して移転、
新たな開館をしたものです。」
(三岸好太郎美術館HPより引用、以下三岸好太郎は「三岸」と略する。)                              

美術館はこじんまりとしており、その1階展示スペースの一番大きなところにイスを並べて
本講演が行われた。もちろん、三岸の代表作<オーケストラ>も展示されている。
開演前には座席が追加される盛況だった。

定刻になり登場した片山杜秀氏(以下、「片山氏」と略する。)は、やや顎を上げて
斜め上に視線を飛ばすお馴染みのスタイルでやや早口気味に、三岸の<オーケストラ>が
描かれた当時の日本の音楽状況等を語りだした。
以下は、その概要のごく一部をテキスト化したものです。

展覧会初日にお招きいただき光栄です。
<オーケストラ>は三岸の代表作。彼が日比谷公会堂の新交響楽団演奏会に通っていた頃の
印象をもとに描かれたものです。
では、その新交響楽団は1930年頃はどんな音を出していただろう。

★第二次世界大戦の学徒出陣の際に演奏されて有名なルルーの「分列行進曲」を聴く

ところで、三岸は近衛秀麿指揮の新交響楽団を誰と聴いていたのかというと、
「魔性の女」吉田隆子と連れだって日比谷公会堂へ出かけていた。

★彼女と聞いたであろう新交響楽団によるマーラー交響曲第4番を聴く
 片山氏曰く、当時のマーラーの知名度はR.シュトラウスと比べてずっと低かった。

三岸は札幌時代含めてクラシック音楽の素養はあったようだ。
彼は天才なので、理屈(を知って描く)よりもすぐに描ける人、感覚的な人だ。
感覚的な人は理屈の立つ人にコンプレックスを持つ(笑)私もそうなんですが(笑)
吉田隆子は理屈の立つ人、理屈先行型であり、カリスマ型。
年下のモダンな女性が文化教養にあこがれる若者である三岸を音楽に導いたと言える。
彼女は社会的にはまだこれからの人だったが、三岸が彼女とのどろどろした関係を清算し、
妻の節子に連れ戻された時に描かれたのが<オーケストラ>だった。
単純な線で描かれ抽象化されているので、一見吉田隆子との関係を想起させるものは
ないが、絵の背後には隣に座っていた人が投影されていると考えられる。
三岸にとって自覚的に作風が晩年様式になったことはない。まるで墓碑銘を書くように
極限的なスタイルに転換していく。作風が飛躍したのだ。
この時代は色々な人が錯綜しているが、三岸が亡くなった昭和10年以降本格的な音楽作品
を書ける人が桁違いに増える。

片山氏の話は結構横道にそれるが、その膨大な知識故か退屈することはなかった。
上記以外にも、三岸はカンディンスキーの影響を受けたとの話から、
①カンディンスキーとシェーンベルクの妻の不倫の結果誕生した無調音楽
②そもそも近衛秀麿、新交響楽団とは何か?
③山田耕筰のいい加減さ
④満州に避難してきたロシア人演奏家との日露交歓管弦楽演奏会の話
⑤SPレコードのヴァイオリンの生々しさ~シゲティのファリャ「はかなき人生」を聴く
等興味深い話や体験が多く、60分では短かった。まだまだ聴きたかったなー。

また、展示された資料も珍しいものが多かったが、伊福部昭の「交響譚詩」自筆譜や
「土俗的三連画」出版譜、早坂文雄「古代の舞曲」などは初めて目にしたが、
伊福部昭ファンや早坂文雄ファンには堪らないでしょうね。

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by capricciosam | 2016-09-03 22:55 | 講演会 | Comments(0)

しばれ緩む

2日に記事を更新してからというものサボりっぱなし。
それはね、(と、ここは「堺すすむ」風に。えっ、知らない!? う~ん…)

「しばれていたから」

オチになっていませんが、いや、ホント。
寒かったので、こんな時はさっさと寝るに限るというものです。
正月休みも明け、仕事もスタートしましたが、毎日夕食を終えても居間に居続け、
PCにさわることもありませんでした。

「道内は12日、道北を中心に雲が広がった影響で冷え込みが緩み、
旭川市の最低気温が前日より9・1度、平年より4度高い氷点下8・1度となるなど、
連日の厳しい寒さは一服した。」
(道新1/12より引用)

3連休に入り寒波も一段落したようで、ようやく縮こまっていた身体も伸びをしたところです。
連休も穏やかだったのですが、最終日の今日は東京にも雪が降ったようで、
昼のニュースでは千葉県浦安市恒例のディズニーランドでも会場の外は雪だったようですね。
北国では当たり前でも、温暖な浦安ではあいにくの悪天候ということになっちゃいますね。
でも、インタビューされていた晴れ着姿の女性が

「雪のシンデレラ城も良い思い出になります。」

と答えているのを聴いて、何故かほっとしていました。
禍と取るか、福と取るかは気持ちの持ちようひとつで変ります。
もちろん、そんな気の持ちようだけでは乗り越えるのが難しいことも多い社会ですが、
そんな社会の荒波に飲み込まれないで生きていく小わざになってくれることもあります。
成人なんてはるか彼方になってしまった小生としての老婆心の表われです。

さて、話変わって、先日こんなニュースが目に入りました。

「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は10日、音楽監督を務める指揮者の
サイモン・ラトル氏(57)が、契約満了となる2018年8月をもって退任すると発表した。
後任は15年以降に選任する予定。ラトル氏は英国人で、02年に音楽監督に就任。
声明で契約が満了すれば、16年間にわたってベルリン・フィルを指揮することになり、
後進に道を譲るべき時期が来たと説明した。」
(道新1/11より引用)

驚きました。もっと長期政権かな、と思っていました。まだ若いですからね。
こんな前に発表しちゃったら、レームダック状態になるのでは、なんてことを心配したのですが、
こういう世界はあまり心配ないものなんでしょうかね。
早くも現段階の「後任候補」が噂されていますが、まだ早いでしょう。
5年もあれば、もっと候補の顔ぶれだって変わるでしょうからね。

ところで、この声明でラトルがザ・ビートルズの曲を使って説明していたとのことです。

「In 2018 I will be nearly 64 years old. As a Liverpool boy,
it is impossible not to think of the Beatles’ question,
‘Will you still need me.., when I’m 64?’ (略)」
(ベルリンフィル公式HPより引用)
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ザ・ビートルズの8枚目のアルバム「Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band」の
9曲目 「When I'm Sixty Four」のタイトルだけをもじったらしい、と思ったのですが、
どうやら詩の一部の「Will you still need me」も含めてなんですね。
同じLiverpool出身に絡めていることからしても、実にシャレています。
下のYouTubeでご確認ください(YouTubeの画面で再生されます)。



さてさて、いずれやってくる64歳。
小生の64歳はこの詩の世界のように牧歌的なのかな?
今はあまり楽観できそうもないのが、なんとも(吐息)
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by capricciosam | 2013-01-14 17:05 | 時の移ろい | Comments(0)

2つの集会

ここのところ土日は何かと出かけてばかりでしたが、今日は久しぶりにのんびりと、
音楽をノンジャンルで聴きながらPCに向かってネット巡回していました。
日中は晴れて気持ち良かったのですが、夜になると雷も鳴って雨が降っています。
予報を見ても来週は傘マークがつかない日はないようです。やれやれ。

ところで、昨日は大通りでは2つの集会が開かれていました。
ひとつは「さよなら原発北海道一万人集会」
3.11以降、原発の安全神話の崩壊とともに脱原発の市民運動が持続的に
行なわれていますが、これもそのひとつですね。

実は先月函館バル街へ行った時に見かけた大間原発建設反対の意思表示Tシャツ
「大間原発大間違い」が気になっていました。
うまい語呂合わせだな、と感心すると同時に、大間と函館の距離が急に気になりました。

「確か、近いんじゃないの!?」

その時はバルの楽しさに夢中でそれ以上関心を深めることはなかったのですが、
既に報道されたように、枝野経産大臣が青森県を訪問して、3.11以来建設が中断していた
大間原発の建設を容認したことで、電源開発が工事再開を宣言しました。
それについて函館市長が断固反対を表明したのは周知のとおりです。
福島第一原発の事故処理の目処も立たない、しかも新安全基準や安全対策も未確立、
そんな中、大間から50km圏内に約30万人が居住する以上、市長の気持ちは理解できます。
TVで見れば函館からも大間は肉眼で見えるんですから、すごく近い。
そりゃ無関心でいろというほうが無理というものです。
重大事故が起きたと仮定したら、バル街どころではないですね。

そんなことから、小生の中でもにわかに関心が高まってきたタイミングだったのですが、
今回は誰でも参加自由とのことだったので参加してみました。
先月のオータムフェストで市町村の出店が立ち並んでいた西8丁目広場も
到着してみると、大勢の人で埋め尽くされていました。
著名人も何名か参加していたようですが、小生がわかったのは
上田札幌市長と脚本家の倉本聰さんだけ。

倉本さんの発言から
「日本の政治家や科学者には想像力が欠けているのではないか。
後の処理ができないまま見切り発車しておいて、あとは後の世代が
なんとかしてくれるだろう、といういい加減さがある。
こういういい加減さを欧米ではJapanization※と言って揶揄している。

地層処分だって無毒化するまでの10万年の間に、地殻の変化でいつ表層に
出てくるかわからないし、よしんばその時、現代の言語が通用しない時には
危険と書いてあっても、判別できずに開けてしまうかもしれない。

先日、超党派国会議員の有志で原発ゼロの会が発足したが、
シンボルマークの案を依頼されたので、ミズクラゲを提案した。
大飯原発の取水口にミズクラゲが大発生してフル稼働を遅らせたから。
私は自然からの警告(?)と思いました。
近々選挙が予定されるようですが、この選挙は原発の是非を問う国民投票でもあるから
候補者は脱原発なのか原発推進なのか、をはっきりさせてもらいたい。
脱原発の候補は、福島の小学生がデザインしたこのマークをポスターに貼って欲しい。

私たちの生活も事業仕分けをすべきです。
24時間テレビ放送をすべきなのか。
自動販売機があんなに必要なのか。
会社も午前7時始業にし、午後4時に終業にしたらいい。」

※日本のようにすること。日本化。(コトバンク)

原発推進の立場からは、経済活動に欠かせないエネルギーの安定確保、
過去の原子力事故の死亡率の低さ、化石エネルギーだけでは国富の損失が膨大になる
という視点からの主張が聞かれますが、この点には小生も異論はありません。
されど、一旦重大事故が発生した場合の国土や生活に及ぼす影響の大きさ、
スムーズな事故処理ができない、放射性廃棄物の安全な最終処分が果たして実現できるのか、
ということについては依然不安を払拭できないのも事実です。
人間がそもそもコントロールできないものを安全だと強弁してきたのではないか、
という生命に直結する疑念、怯えとでも言えばよいのでしょうか。

しかし、自然エネルギーは理想としても、今すぐ原子力に代って供給できる訳でもありません。
となれば、冬の北海道は特に強力に節電に取り組まなければならない状況だから、
やはり倉本さんの指摘どおり、エネルギーを浪費する暮らしのスタイルそのものの
抜本的見直しで原発に依存しなくてもよい暮らしを実行していく覚悟が必要なのかもしれません。
そんなことを考えさせられました。

集会後は、写真のパーカッショングループに景気づけられてデモ行進。
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ところで、同時間にとなりの西9丁目でも別の集会が開かれていたのですが、何やら様子が変。
ガードマンが立っていて、集会の側を通ろうとしても入れてくれません。

「でも、プラカード、のぼり、風船があり、単なる集会にしか見えないんだけれど…」

実は映画ロケ中だったんですね。道理で。ところで、その映画とは、
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続編を作るとは知っていましたが、まさかロケに出くわすとは思いませんでした。
ロケは9月下旬から10/20頃まで札幌市内、室蘭市内で行なわれ、
10/16には札幌市内で夕方から夜にかけてエキストラも入った撮影が行なわれるようです。
前作もススキノを中心にロケ場面が多かったので、今度もふんだんに見られるのでしょうか。
完成が楽しみです。

<追記10.19>
公開予定日は2013年5月11日だそうです。

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by capricciosam | 2012-10-14 22:46 | 時の移ろい | Comments(0)

ホントに同級生!?

PMFも閉幕まであと一週間あまり。
実に早いものですね。開会までもうすぐだな、なんて期待して待っていた頃が
あっという間に過ぎていってしまうんですから。
先々週の3連続のKitara通いの記事を書いた以降、記事も更新せずに聴いていた、
なんてことだったら、嬉しいのですが、あれ以降は一回も行けず。
もちろん、仕事もこなさなければならないのは言うまでもありませんが、
もっと大きい理由は疲れです、ハイ。
今日も道内各地でPMF生のアンサンブルによる演奏会があったので、
少し無理してでもという気持ちも起きない訳ではなかったのですが、
これから本格化するはずの暑さを乗り切れるか、と少しだけ冷静に考えて断念。
まあ、老化する身体とつきあう以上やむを得ません。
代わりに、開花が終わって枯れてしまった花を整理したりしてのんびりと過ごしました。
写真は見頃だった時に撮ったものです。
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さて、昨夜はオールスター第2戦を楽しみましたが、
やはり圧巻はセ・リーグ先発の前田投手(広島)の迫力でした。
あわや3回連続3人で抑えるのか、と思ったら、一矢報いたのが、田中選手。
さすが、日本ハムのキャプテン。巧打でした。

パ・リーグ2番手で登場した吉川投手(日本ハム)も同世代の坂本選手(巨人)に
ホームランを打たれた以外は好投。
改めて、1988年生まれは粒揃いということを再認識した感があります。
試合はセ・リーグの2連勝となりましたが、パ・リーグは一体どうしたのでしょうね。
得点が入らない。セ・リーグの投手にすっかり押さえ込まれている感じです。
明日の盛岡ではパ・リーグ打撃陣に奮起してもらい、被災地に元気を与えるような
試合にしてもらいたいものです。

ところで、中継を観ながら少しだけ気になった言葉があります。

「(略)力勝負に出た結果、坂本(巨人)に一発を浴びた。
坂本が「同級生だったので思い切り振ろうと思った。
真っすぐを投げてくると思っていた」と振り返ったガチンコ勝負には敗れた(略)
(以上、道スポ7/22付けより引用)

TVでも実況中継するアナウンサーが1988年生まれの選手に対して「同級生」を乱発するので、
どうも耳障りでしょうがなかったのですが、坂本選手自身がインタビューに応えている時に、
確かに「同級生」と言っているので、正直驚いてしまいました。
慌てて、手元にある国語辞典(2009発行)を調べてみたのですが、

「同級生=学級が同じであること」

という説明です。つまり、同じクラスだった、同じ教室でともに学んだという意味だろう
と思うのですが、果たして前田投手、吉川投手、坂本選手は同じ学校の同じ教室で
ともに過ごしたのでしょうか。この点は別々ということは明らかなことです。
このような場合、小生の感覚では、「同世代」とか、「同年代」が適切と思いますね。
あえて学校と関連付けるとしても、「同学年」ぐらいがせいぜいではないでしょうか。
でも、同学年ですら、クラスは異なっても、同じ学校というニュアンスが残るので、
ちょっと苦しいようにも思うのですが。

ついでに念のためコトバンクでも調べてみました。

「同級生=同じ学級の生徒・学生。同じ学年の生徒・学生。」
(大辞泉、小学館)
「同級生=同じ学級の生徒。クラスメート。」
(大辞林、三省堂)

前者には学級よりも大きなくくり方というニュアンスが追加されていますが、
基本的には、やはり「同じ学級」が共通です。
ですが、野球の例に見られるような現代の使い方がその後定着し、
もっと当たり前に使われる可能性もなくはないのでしょうね。
ここまで書いて、以前にも似たようなことを記事にしたことを思い出しました。

記事はこちら

別に、正しい日本語を、なんて言うつもりは毛頭ないのですが、
この歳まで生きてきたら、それなりに身に付いた言語感覚は
ほぼ生理的な感覚に近いので、どうにも気になる使い方だな、
という気持ち悪さというか、違和感は生きてる限りとれないのかもしれません。
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by capricciosam | 2012-07-22 23:42 | 時の移ろい | Comments(0)

心ひとつに

午後から外出したのですが、目的地まではFMを聴いていました。
すると、午後2時に山下達郎さんの番組が始まりました。
ちょうど大震災発生から一年が経過しようというタイミングだったので、
番組冒頭から大震災に関する発言がありましたが、
次の発言には共感です。

「(略)今一番優先されるべき課題は、この内憂外患の国内を如何に克服するかであり、
それには挙国一致、大同団結が不可欠です。
こんな時に民主も自民も、またどこぞの省庁もへったくれもありません。
それなのに、政治や官僚たちの、特にリーダーシップを発揮すべき上層部の人々ほど、
相変わらず"ああだこうだ"と百家争鳴で、方針決定は遅々として
なかなか建設的な方向に向かいません。
彼らに更なる自覚と自戒を求めずにはおられません。(略)」
(以上、「未来の自分が振り返る」より引用させていただきました)

そして、発生時刻には某所にて小生も黙祷を捧げておりました。

夜には、ボブ・ジェームスさんの岩手ジャズ2011出演を巡る大船渡市の
アマチュアジャズバンド「サンドパイパーズ」との交流の番組を見ました。
ボブさんが被災地に立ってみて思い浮かんだメロディを急遽作曲し、
当日の演奏会で彼らと共演するというものですが、練習はたった2日しかありません。
さて、どうなることかとハラハラしたのですが、本番は見事な演奏でしたね。
番組では被災されたメンバーの身上に涙するボブ・ジェームスさんの様子も。
CTI時代は大好きな人でしたが、こんなナイーヴな方とは知りませんでした。
改めてファンになりました。
それから、明日へと歩む力を音楽が与えてくれる、ということも共感できました。

作られた曲のタイトルは「Put our hearts together」というのですが、
「心ひとつに」と訳されていました。
大震災がつらい出来事であることは間違いないのですが、
だからこそ「Put our hearts together」の気持ちが大切であり、必要なのでしょう。
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by capricciosam | 2012-03-11 23:51 | 時の移ろい | Comments(0)

本村さんを支持する

1999年4月14日、山口県光市で発生した母子殺人事件で
最高裁が被告(当時18歳)の上告を棄却したことで、
被告を死刑とした差し戻し後の二審の広島高裁判決が確定した。
事件発生から13年。
この間は、被害者遺族である本村洋さんの想像を絶する辛苦の時間だったのだろう
と推察するが、心からの同情を禁じ得ない。
(差し戻し判決に関する以前の記事はこちら)

「事件からずっと死刑を科すことを考え、悩んだ13年間だった。
20歳に満たない少年が人をあやめたとき、もう一度社会でやり直すチャンスを
与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。
どちらが正しいことなのかとても悩んだ。きっとこの答えはないのだと思う。
絶対的な正義など誰も定義できないと思う」
(略)
「これが絶対的な回答ではないと思うし、判決を受けて議論があると思う。
死刑を存置すべきだとか、廃止すべきだとか色々な考えが出ると思うが、
これをきっかけにこの国が死刑を存置していることを今一度考えていただきたい。
裁判員裁判も適用されていることですし、身近に起こる事件、
犯罪について考える契機になれば、妻と娘の命も、
今回、死刑が科されるであろう被告の命も無駄にならないと思っている」
(以上、2/20産経ニュースから引用)

事件そのものの残虐さからも世間の注目を浴びたが、
それ以上に一人の若者(当時、本村さんは23歳)の真摯な叫びが世論を覚醒させ、
少年犯罪や犯罪被害者遺族のことを考えさせたことは間違いない。

ある年齢で更正できる、できないの区別など本当に可能なのか。
何人なら死刑になる、ならないという機械的判決の踏襲で良いのか。
何故犯罪者に比べ被害者遺族の苦しみがほとんど考慮されないのか。

本事件で多くの問題があぶり出されたように思うが、引用させていただいた
本村さんの言葉にもあるように、今回の判決が「絶対的な回答ではない」のだろう。
むしろ、日本の社会が存続する限り延々と考えざるを得ないのかもしれない。

「いつの時代も子供は変わらない」
確かに、それも一理あるとは思うが、
「子供は成長するその時代の影響を受ける」
ということもあり得るのではないか。

現状においても社会ばかりか、家庭という単位までもが加速度をつけて
崩壊していく傾向を強める一方、少年による凶悪犯罪もない年はない
と言っても過言ではない。その上、高齢者が増える一方なのだから、
近未来において、あまり想像したくない社会が出現しかねないのではないか。
杞憂なら良いのだが‥
こんな想像を巡らせると、この判決の重みは増してくると、考えざるを得ない。

本村さんは2009年に支援者の方と再婚されたようですが、

「自分の生活の立て直しに懸命になっている。
事件のことを考えずに生きるのは無理だが、しっかりと家庭を持って維持して、
社会に資する人間になろうと思い、これからがんばっていきたい」
(以上、2/20産経ニュースから引用)

本村さんに、穏やかな日常が訪れることを心から願っています。
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by capricciosam | 2012-02-20 23:55 | 時の移ろい | Comments(0)

芝浜@落語CDムック・立川談志

人間なんてさぼりだしたら、いくらでもさぼれるもんでね。
あっしなんて、ブログの記事更新もさぼりまくりだよ。
なに、自慢にならない。そりゃそうだ。
それでも、おまんままの食い上げだけはご免だから、そりゃ、平日は働くよ、当たり前だろう。
でも、まっ昼間から酒をかっ喰らい、働くのをさぼりまくって、挙げ句に
かみさんから「鍋の蓋も開かないよ」と文句を言われてる魚屋が江戸時代にいたんだよ。
それがこの話「芝浜」の主人公なんだけどね、
こいつが、かみさんにやいのやいのと言われて、久しぶりに商売する雑魚場の芝浜にきたところ、
大金がはいった財布を拾っちまうんだ、これが。
「ラッキー」なんて、言ったかどうか知らないけれど、たいそう慌てたことは間違いないようだね。
なにしろ10両で死罪のところ、42両だったんだから、そりゃ、当然だぁ。
一体、何回死罪になるんだ。
そんなことより、慌てて家に戻ったことは言うまでもねぇ‥‥

なんて調子で書いてみましたが、談志師匠が語っているつもりです、ハイ。
実演には接したことはとうとうありませんから、こんな調子で語られたか定かではありませんが、
まぁ、TVでは随分お顔を拝見した落語家のお一人であることは間違いありません。
小生の頭の中に残っている師匠の語り口の断片をつなぎ合わせた架空の語り口調です。

以前の記事にも書いたことがありますが、落語に興味を抱いたのは「笑点」からですね。
(師匠が司会をやっていた頃も、なんとなく記憶には残っているような‥)
だから、近年実演に接するまでは、ひたすらTV中心で接していましたが、
師匠の場合は本来の芸をじっくり鑑賞したという記憶よりも、
タレント議員とか、落語協会脱会騒ぎなんてことの印象が強すぎて、
いまいち小生の中では評価が定まらないんですね。

しかし、ガンに罹病されたということは知っていましたから、
一度CDでもいいからじっくりその芸に触れてみたいものだ、と思っていました。
そんな折、昨年末から今年の春にかけて落語CDムックとして師匠の分が3回発行されました。
あまり、CDムックなんて類は手を出さないほうなんですが、
この時は無性に聴きたくなってコツコツ買いました。
その一回目に収録されていたのが人情噺の「芝浜」。
晩年の年末の独演会では必ずトリに演じた、師匠の十八番。
やはり、聴くならこれからです。

晩年は喉頭ガンの影響で声がかすれて聞き取りにくい。
どうも、あの発声のつらそうな姿は、見ているこちらもつらくなる。
やはり、もっと若い頃の立て板に水状態で落語も味わいたかったところ、
収録年が昭和57年とありますから、師匠46歳の滑舌のなめらかな頃です。
収録時間は36分。
晩年の芝浜は一時間近くだそうですから、磨き上げていく前の原型なのかも
しれませんが、談志落語を楽しむことは十分可能でした。
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「落語は人間の業の肯定である」立川談志
合掌。
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by capricciosam | 2011-11-26 23:30 | 時の移ろい | Comments(0)

気がつけば葉桜だよ

日常に流され、記事の更新も滞っていました。
仕事で遅くなることもありますが、定時帰宅でも、夕食をとってからは睡魔に襲われ、
早々に就寝するか、せいぜい野球中継を観る位が関の山。
それも、観ているうちにうつらうつら船を漕いでいる有様です。
歳ですね。ハァ~

今年の道内は不順な天候が続き、あまり晴れが続いたという記憶がありません。
しかも、週末には雨が降ることが多く、屋外での作業も遅れがち。
それでも確実に季節は移ろい、植物は生命の輝きを感じさせてくれる春。
良い季節です。
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遅咲きはかろうじてまだ開花しているようですが、大半の桜は散り、葉桜に。
庭に目を転じると、チューリップが賑やかに花を咲かせてくれています。
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これで原発の問題が安定すれば、なお良し、なんですが‥
私たちも長期化にともなう「忍耐力」と「覚悟」が必要なのでしょう。
実際、沈静化作業に当たられている方には頭がさがります。
しかし、事態をコントロールすべき「政治」には吐息しかありません。
ちょっと旧い記事ですが、まもなく見られなくなると思うので、ご紹介しておきます。
こういう指摘に思わず頷いてしまうことが日本国民として情けなくなります。
やはり、日本の社会が政治を鍛えてこなかったツケが現れたのかなぁ‥

「日本政治に詳しい米コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授が18日、
東京都内で講演し、菅直人首相と自民党の谷垣禎一総裁の政治姿勢に
それぞれ苦言を呈した。
カーティス氏は4月下旬、菅首相と谷垣氏に個別に面会した。講演では、
菅政権の震災対応を「会議が多すぎ、政治のリーダーシップが見えない。
菅首相は権限をどう委任するかが、わかっていない」と批判。
谷垣氏には「菅首相がダメだと言う必要はない。それは国民がいずれ判断する
ことだ。むしろ建設的な提言をすべきだ」と伝えたという。 カーティス氏はさらに
日本は社会がしっかりしているから、政治が貧困なままでいられる。
日本の政治家は国民に甘えている」と日本政治の現状を嘆いた。」
(以上、朝日新聞5/18より引用、下線は引用者による)
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by capricciosam | 2011-05-28 07:18 | 時の移ろい | Comments(2)

道産子初のノーベル賞受賞

いや~、快挙ですね。
道産子の一人として素直に喜びたい気持ちでいっぱいです。
鈴木章名誉教授、おめでとうございます。

医薬、農薬、液晶、有機EL。
鈴木カップリングの凄さは、なんと言っても
我々の生活を支える基幹産業で広く使われていることでしょう。
特許を取得しなかったのは経済的理由(特許にかかる費用)、
立場的理由(税金による研究)の他、
「化学は広く社会で使われてこそ意義がある。」
との考えをお持ちだったから、とは視野の広さを感じさせる。
やはり、社会に役に立ってこその学問ですよ。

鈴木章名誉教授の発言から。

「セレンディピティとは研究上、運に恵まれるかどうかということで、
幸運に巡り会う機会はあっても、それを生かすかどうか、その対応の
仕方が肝心。新しいものを見つけようとする気持ち、見つけるための
努力が大事で、それを持っているかどうかで、セレンディピティを
生かすかどうかは変わってくる」
(以上、産経新聞より引用)

※セレンディピディ serendipity
何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを
見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」
ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、
ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。
(Wikipediaより引用)

<追記2011.1.15>
「18世紀のイギリスに「セイロンの三王子」という童話が流布していた。
この三王子は、よくものをなくして、さがしものをするのだが、
ねらうものはいっこうに探し出さないのに、まったく予期していない
ものを掘り出す名人だった、というのである。
この童謡をもとにして、文人で政治家のホレス・ウォルポールという人が、
セレンディピディ(serendipity)という語を新しく造った、人造語である。
そのころ、セイロン(いまのスリランカ)はセレンディップと言われていた。
セレンディピディというのは、セイロン性といったほどの意味になる。
以後、目的としていなかった副次的に得られる研究成果がひろくこの語で
呼ばれることになった。」
 (以上、「思考の整理学」P.67より引用)


<追記>
こんなのを発見。
「ノーベル化学賞受賞記念として、北大生協食堂全店で、
 牛トロ丼Mサイズ450円が300円に。
 10月8日(金)一日限定企画」
う~ん、楽しい企画。何食用意してあるんだろう。
売り切れたりして(笑)
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by capricciosam | 2010-10-07 23:08 | 時の移ろい | Comments(2)

つかさんの遺言

演出家のつかこうへいさんが肺ガンのため亡くなられた。62歳。
死後、下記のような遺言が公開された。
生前の活躍と対比するかのような、ある種の潔さに心打たれる。
つかこうへいさんのご冥福をお祈りいたします。

「友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っていません。
通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。」
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by capricciosam | 2010-07-13 22:58 | 時の移ろい | Comments(0)