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音楽の昭和@北海道立三岸好太郎美術館2016

「音楽の昭和~三岸好太郎を巡る音の風景」と題する講演は特別展「三岸交響楽」
(9/3~10/19)に関連して特別展初日に開催された。講演の行われた三岸好太郎美術館は
北海道知事公館のある一画の北側に位置する。

三岸節子氏をはじめ遺族4名から220点の三岸好太郎作品が北海道に寄贈されたのを機に、
1967年、北海道で初めての美術館となる〈北海道立美術館(三岸好太郎記念室)〉として、
当館は札幌市中央区北1条西5丁目に開館しました。その後、北海道立近代美術館の開館に
ともない、1977年に北海道立三岸好太郎美術館と改称して再発足し、さらに1983年、
三岸好太郎のアトリエのイメージを設計の一部にとりいれた新館を現在地に建設して移転、
新たな開館をしたものです。」
(三岸好太郎美術館HPより引用、以下三岸好太郎は「三岸」と略する。)                              

美術館はこじんまりとしており、その1階展示スペースの一番大きなところにイスを並べて
本講演が行われた。もちろん、三岸の代表作<オーケストラ>も展示されている。
開演前には座席が追加される盛況だった。

定刻になり登場した片山杜秀氏(以下、「片山氏」と略する。)は、やや顎を上げて
斜め上に視線を飛ばすお馴染みのスタイルでやや早口気味に、三岸の<オーケストラ>が
描かれた当時の日本の音楽状況等を語りだした。
以下は、その概要のごく一部をテキスト化したものです。

展覧会初日にお招きいただき光栄です。
<オーケストラ>は三岸の代表作。彼が日比谷公会堂の新交響楽団演奏会に通っていた頃の
印象をもとに描かれたものです。
では、その新交響楽団は1930年頃はどんな音を出していただろう。

★第二次世界大戦の学徒出陣の際に演奏されて有名なルルーの「分列行進曲」を聴く

ところで、三岸は近衛秀麿指揮の新交響楽団を誰と聴いていたのかというと、
「魔性の女」吉田隆子と連れだって日比谷公会堂へ出かけていた。

★彼女と聞いたであろう新交響楽団によるマーラー交響曲第4番を聴く
 片山氏曰く、当時のマーラーの知名度はR.シュトラウスと比べてずっと低かった。

三岸は札幌時代含めてクラシック音楽の素養はあったようだ。
彼は天才なので、理屈(を知って描く)よりもすぐに描ける人、感覚的な人だ。
感覚的な人は理屈の立つ人にコンプレックスを持つ(笑)私もそうなんですが(笑)
吉田隆子は理屈の立つ人、理屈先行型であり、カリスマ型。
年下のモダンな女性が文化教養にあこがれる若者である三岸を音楽に導いたと言える。
彼女は社会的にはまだこれからの人だったが、三岸が彼女とのどろどろした関係を清算し、
妻の節子に連れ戻された時に描かれたのが<オーケストラ>だった。
単純な線で描かれ抽象化されているので、一見吉田隆子との関係を想起させるものは
ないが、絵の背後には隣に座っていた人が投影されていると考えられる。
三岸にとって自覚的に作風が晩年様式になったことはない。まるで墓碑銘を書くように
極限的なスタイルに転換していく。作風が飛躍したのだ。
この時代は色々な人が錯綜しているが、三岸が亡くなった昭和10年以降本格的な音楽作品
を書ける人が桁違いに増える。

片山氏の話は結構横道にそれるが、その膨大な知識故か退屈することはなかった。
上記以外にも、三岸はカンディンスキーの影響を受けたとの話から、
①カンディンスキーとシェーンベルクの妻の不倫の結果誕生した無調音楽
②そもそも近衛秀麿、新交響楽団とは何か?
③山田耕筰のいい加減さ
④満州に避難してきたロシア人演奏家との日露交歓管弦楽演奏会の話
⑤SPレコードのヴァイオリンの生々しさ~シゲティのファリャ「はかなき人生」を聴く
等興味深い話や体験が多く、60分では短かった。まだまだ聴きたかったなー。

また、展示された資料も珍しいものが多かったが、伊福部昭の「交響譚詩」自筆譜や
「土俗的三連画」出版譜、早坂文雄「古代の舞曲」などは初めて目にしたが、
伊福部昭ファンや早坂文雄ファンには堪らないでしょうね。

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by capricciosam | 2016-09-03 22:55 | 講演会 | Comments(0)

北大路公子トークショー@恵庭市立図書館2015

一昨年千歳市立図書館で行われた作家宮下奈都さんとの対談「迷える読書」は
小生には謎の作家だった北大路公子さん(以下、本文では「センセー」という。)に
会えるという一点で出かけたが、終わってみると作品からは想像できない
読みの鋭さに脱帽だった。当時の感想はブログに記事として残しておらず、
下記のつぶやきしか残っていません。

「迷える読書@千歳市立図書館だん。北大路公子さんが披歴された読みの深さと、
それの表現の的確さには舌を巻いた。「自分の感情に名前があることを知る」
読後感想を書く意義の中でも基本だろうが、改めて認識させてもらう。
飲んだくれは世を忍ぶ姿だな。編集者からの公開催促には会場も大笑い。」
(以上、2013.11.2のつぶやきより引用)

これに味をしめて、整理券争奪戦をなんとか勝ち抜いて今回も出かけてきました。
市内外から大勢のファンが集まったようで、会場の研修室は満席状態。
ほとんど定刻にトークショー開会。
地元のコミュニティFMのパーソナリティの女性とともにステージに登壇したセンセーは
パーソナリティが聞き手を務め、それに応える形で前半を終えます。
話の大半はファンの方には周知の話だったのではないかと思うのですが、
センセーが寿郎社のこっぱげ氏とは一つ違いの姉さんだったとは初めて知りました。
(こっぱげ氏の風貌からは全然想像もつかなかったので、ホント驚きました。)
また、途中で登壇した毎日新聞社のM氏が、センセーがメジャーデビューになるきっかけ
となったサンデー毎日の連載のいきさつを話してくれました。
(これもファンの方には周知の話か)

当時、M氏が上司から女性エッセイの連載を企画したので探してこいと言われ、
東京丸善の書棚にたった1冊しかなかった「枕もとに靴」(寿郎社刊)を手に取ったのが
きっかけだったとのこと。M氏曰く「感謝していただきたいな」には会場から笑いが。
しかし、センセーも反撃。
「この人ひどいんですよ。(打ち合わせの時、飲んでたら)初対面なのに寝てる。
それで足を蹴ると、ムクッと起きて打ち合わせしようとする。」これも会場から笑いが。
(どっちもどっち、というか、類は友を呼ぶ、というか)

後半は寄せられた質問にセンセーが答える形で行われました。
問「昨年読んだ中で印象に残った本は?」
答「おぼえてない」(会場は笑)
ここでM氏が質問のアシストを「最近では?」
答「よけいなことをー」(会場は笑)

問「昨年もっとも衝撃的だったことは?」
答「夏に奥尻島へ友人と出かけた時に‥‥(以下略)」
その友人の身に起きたことが大変過ぎて、同情のあまり記事では書けません。
っていうか、センセーのネタのひとつになり得るだろうから省略。

問「日記を毎日続けるコツは?」
答「締め切りです。外圧がないと書かない。」
即答、かつキッパリおっしゃっていたのが印象的。
そこでM氏が補足。
「作家は締め切りがないと書かない。ほとんどの方が書けない。」
素人目には書くのが好きで作家になったんだろうからそういうものなのか、と。
そうなら意外な話だね。

締切りと言えば、集英社、実業之日本社、PHP研究所、寿郎社の各出版社
(の担当者)からメッセージが届いており、順に読み上げられました。
この中には千歳の時サプライズ登場した某社のY田さんも。

「公子先生、原稿、お待ちしております!」
「原稿をお待ちする日々です」
「〆切は「明後日」となっておりますがいかがでしょうか」
「うちの書き下ろしはどうした」

問「今後の執筆予定は?」
答「考えたことがない。目の前のことをやるので精一杯。」

締切りや新刊を巡る作家と担当編集者の攻防の激しさを物語る言葉の数々に
ただただ圧倒されるばかりです。プロの道は何れも厳しいものです、ハイ。

終わりにM氏が
「日本語が美しい、正しい、他人にひけをとらない才能。
それを活かして私たちを楽しませてほしい。」
とセンセーを評し、最後にセンセーが会場に挨拶して閉会となりました。
「わざわざありがとうございました。また、見てね。」(会場は笑)
(「また見てね」って、えっ?)

センセーの飾らないトークに会場は終始和やかな笑いに包まれていました。
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<追記4.6>一部加筆修正しました。
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by capricciosam | 2015-03-29 11:55 | 講演会 | Comments(0)

Kitara休館の間に①~札響2014を振り返って

札幌交響楽団(以下、「札響」という。)の2014~2015演奏会が2月で終わった。
定期演奏会10回全てに足を運んだのは初めてだった。
定期会員でもないのだが、尾高音楽監督(以下、「尾高さん」という。)がラストシーズン
となったことと、プログラムに惹かれたのが大きい。
小生には近年では一番魅力的なプログラムだった。
しかし、仕事もあり完走は難しいのではと躊躇したのも事実で、なんとか全回聴きに
行けてほっとしている。
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ここ10年程ではあるが、札響の演奏には満足するものが多くなったなとの思いを抱く。
団員のみなさんの努力と実力の向上が大きいのだろうが、尾高さん、首席客演指揮者
のエリシュカさん、前正指揮者の高関健さんが果たされた役割は大きいと思う。
特に、通算44年、ポストを得て22年の尾高さんは財政危機から破綻の恐れにあった
札響とともに歩んでくれたその心意気に一人の道民として感謝したい。
そして、常任指揮者、音楽監督として実直かつ端正に札響を鍛え上げ、現在の札響の
広範な実力向上につなげていったと思うのだが、そこに見事な指揮ぶりで音作りをする
高関さんがトレーナーとして貢献したことも大きいと思う。
また、いち早くエリシュカさんを見つけ出してポストを付与したことも尾高さんの功績だろう。
今ではエリシュカ&札響が全国的に注目を浴びていることが、地元ファンとしては
何やら誇らしい限りだ。

さて、2014~2015シーズンの話に戻そう。
毎年末、定期会員のアンケートをとっていて、1月定期演奏会で配布された資料には
2014年「よかった」と思う定期演奏会ランキングからベスト5が発表されていた。
(1月16日現在とのことで、1月、2月の定期演奏会は対象外らしい。2015年に含まれる
のだろうか。)これをそのまま引用するのは憚るので、小生は少しひねってみることに。
2014~2015シーズン定期演奏会で聴いた曲のうち印象深かったベスト5を選んでみた。

1 10月定期演奏会 指揮:尾高さん マーラー:交響曲第9番

2 11月定期演奏会 指揮:エリシュカさん ブラームス:交響曲第2番

3  5月定期演奏会 指揮:高関さん 伊福部昭:演奏された作品全て

4 12月定期演奏会 指揮:ペーターフロール チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
              ソリスト:ハーデリッヒ

5  9月定期演奏会 指揮:児玉宏 ブルックナー:交響曲第6番
 
1は見事な凝集力に圧倒されたものだ。2を聴いてエリシュカさんのブラームス・チクルス
の完成に期待が一層高まりました。3と4は少し変っています。プログラムが発表された時
一番期待した3だが、高関さんの見事な指揮により感激大。と言う訳で全部(反則だね)。
4はメインデッシュも悪くなかったんだけれど、ハーデリッヒのうまさに不意打ちを食らい、
全身の血が沸き立った。ベートーヴェンかブラームスで再び聴いてみたい衝動がいまだに。
5は徐々に演奏が良くなり、終わってみると深い味わいがひとしお。

また、資料には『2015年度「期待する」定期演奏会ランキング』ベスト5も同時に掲載
されていました。エリシュカさん、尾高さん以外には広上淳一、アシュケナージの名が。
不思議なのは次期首席指揮者ポンマーさんの名が見えないこと。
まあ、初物(はつもの)同然故に少し敬遠されているのかな、とも思いましたが、
前回定期演奏会で登場した時の聴衆やオケの評価が高かったように聞いていたので
会員の多くが聴いているはずなのに、、、、、と、やや意外でした。ホント、予想外。
もっとも次シーズンの定期演奏会ではポンマーさんは3回登場する予定なので、
どこかで自分の耳で確かめることができそうです。
えっ、毎回いかないのか、ですって。
仕事しながらなので、基本的に無理。前シーズンはあくまでも特別です。
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by capricciosam | 2015-03-01 22:14 | 時の移ろい | Comments(0)

PMF2014を振り返って

暑い日が続くなと思っていたら、いつの間にか朝夕は「す・ず・し・い」感じが。
やはり北海道の夏はお盆までですね。
これまでも、お盆の声と同時に空が急に高くなり、風も涼しくなった記憶が度々あります。
「まぁ、そうこなくっちゃね。」
とは言っても、「前門の虎、後門の狼」の例えのごとく暑さを逃れたら寒さが待ってるんだけど。

さて、そんな去りゆく今年の夏。
小生にとってはPMFで明け暮れるのが夏なので、PMFを振り返って去りゆく夏を惜しんでみます。

これまでも参加アーティストの変更は度々あったように記憶しているのですが、
今夏は首席指揮者に予定されていた巨匠ロリン・マゼールが開幕近くにキャンセルし
しかも会期中に亡くなるという、忘れがたい変更になってしまいました。
確かに、マゼールの指揮でPMFオーケストラを聴きたかったという思いは消えませんが、
代役となったジョン・ネルソンと佐渡裕も見事なオーケストラコントロールだったと思います。
特に、GALAでの佐渡さん指揮によるショスタコーヴィチは忘れがたいものでした。

PMFオーケストラは120人規模の大編成故に音量と音圧に不足はないのですが、
若さに任せただけ、ニュアンスに乏しい、粗いという類の感想も例年なくはないですね。
しかし、PMFは「教育音楽祭」です。常設のプロオケとは異なります。
プロ直前の若いメンバーによる臨時編成オーケストラが約1ヶ月でここまで達成できる
という成長を楽しむ、という視点でみれば、毎夏"奇蹟"を体験できる喜びの方が大きい
というものです。そんな視点で、佐渡さん指揮のショスタコーヴィチは、
彼らの若さの放出と抑制を見事にコントロールした名演となったのではないか、と思います。
もっとも、GALAは各パートに指導陣がいた訳で、ピクニック、道外公演では
彼らだけだったのかもしれません。確かに、指導陣の有無によりオケの響きがガラッと変わる
ことはあることなので、その辺の差が評価の違いに結びつくことは否めないとは思います。

また、「ナクソス島のアリアドネ」では人生初のオペラ体験も。
この分野はこれまで手つかずだったので少し予習をして臨みました。
第一部はストーリーはわかるものの、ドタバタ感が強くノリませんでしたが、
第二部が劇中劇の形ながら、アリアドネ、バッカス、ツェルビネッタの歌唱が素晴らしく
ぐいぐい惹き付けられました。特に、水口聡さん、天羽明恵さんには圧倒されました。
この時はオケの編成も小規模でしたが、弦楽器パートにはウィーン・フィル団員らが
陣取ってオケを引き締め、指揮の沼尻竜典さんも見事な指揮でリードされていました。
この時はPMFオーケストラは二手に分かれており、一方は旭川市で公演中。
おおよそ80人と40人程度に分けて公演する手法のようですが、初の試みだったのでしょうか。
祭りとしての多様性を獲得する意味ではおもしろい試みだと思いました。

例年PMFは前売券で聴きに行ってるのですが、今年は当日券で2つ追加しました。
ひとつはベルリン・フィル・ブラスアンサンブル。
これはプレコンサートの位置づけでしたが、ベルリン・フィルのトランペットと
トロンボーンの各パート全員が参加しているだけに聴き応え十分でした。
文句なしのうまさ。それにアンコールはシャルケの「ベルリンの風」ですからね。
言うことはありません。
うまいと言えば、特別コンサートⅡのセルゲイ・ナカリャコフの超人技にもビックリ。
超絶技巧を目の当たりにした驚きは一入でした。
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組織委員会も紙ベースの資料をいろいろ印刷配布したり、会期中にイベントを仕掛けたりと
工夫を凝らして集客や音楽祭としての盛り上げを図ったようです。
今夏に限って言えば、演奏会も空席が目立つ状況ではなく、集客にも成功していたのでは。
3回目を迎えたGALAも徐々に定着した感じですが、当日も猛暑の中で正装というのは
キツイですね。男性はノータイのシャツ姿が圧倒的に目立ちましたが、
絶対数は少ないものの、女性は和服姿が年々増えてきたような印象が。
やはり、オシャレ上手は女性です。
ただ、男女ともに「如何なものか」と思ったのがTシャツ姿。カジュアル過ぎるでしょうね。
特にPMFのTシャツを着た方はPMFのファンなのでしょうが、GALAというフォーマルな場を
設定している以上、翌日のピクニックではOKだとは思いますが、
GALAでは場違いとなるのではないでしょうか。

情報発信という点ではHPも一新。
代わりに従来あったスタッフ・ブログは廃止し、ツイッターを残したようですが、
これは情報発信の流れをくみとったものだと思います。
ただ、SNSは小回りがきく分、タイムリーな発信をしてこそ価値があるというものなのに、
ツイッターは開幕につぶやいたきり、一度も更新せずに閉幕を迎えるという珍事に。
ツィッターの利用者が増えている中、せめて毎日のイベント情報だけでも機械的に発信
してくれたら、リツイートで少しは拡散できPRの一助になれたかも、と思いました。
PR範囲としては限定的でスタッフの限界もあるのでしょうが、
この点は次年度改善してもらいたいものです。

<追記>
15日に書きかけたものの、放置状態が続き、19日朝ようやく更新しました(汗)
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by capricciosam | 2014-08-15 23:18 | 音楽 | Comments(2)

ファイターズ戦@札幌ドームの観客が減少【2014年シーズン】

5月15日今シーズン初めてファイターズ戦を応援に札幌ドームに行ってきました。
試合そのものは5連勝中の先発上沢投手の状態が良くないため途中降板となり、
序盤の大量リードで結局逃げ切ったものの、ちょっとひやひやする展開となりました。
でも、スタート以来のもたつき感も薄れてきて、チームの攻走守が少しずつ
整いつつある感じがして、なかなか見応えがある試合だったと思います。

好ゲームだったにもかかわらず、気になったのは「観客の入り」。
「最下位に沈んだ昨年に比べても今年のファイターズは健闘しているし、
おまけにファンクラブデーなのでファンクラブ中心にまあまあの客入りだろう、
2万5千人くらいはいくのでは。」くらいの気持ちで行ったものの、
結果的には約1万9千人。

「やはり少なかったか」

約4万人収容できる札幌ドーム。空席がそれほど目立たないといったら
これまでの経験では概ね2万5千人以上ではないかなと思っています。
概ね6割くらいかな。(多い少ない、この辺は人それぞれの感覚でしょうね。)
当日は熱心なファンの集まる三塁側外野指定席ですら空席がありましたから、
ここまで減るなんて嘘だろう、と我が目を疑いました。
ヒルマン監督時代(移転2年目以降、初年目は知りません)、梨田監督時代の
客入りは、行った試合は概ね3万人前後で、何時行っても混んでるなぁ~、という
印象が強かったので、2万人を割るとは、ずいぶん減ったものです。

そんな印象も消えないうちに、先日こんな記事が目に止まりました。

「プロ野球の交流戦が20日、開幕する。北海道日本ハムファイターズの序盤戦(18日まで)
の札幌ドーム開催試合の観客動員数は、1試合平均2万2397人と、前年同期比11・4%の
減少となった。特に平日が1万7910人で同21・8%減と大きく落ち込んだ。
日ハム主催試合の観客動員数は昨季まで2年連続で減少しており、
球団は「理由をしっかり分析したい」としている。」
(5/20 道新より引用)

「【前年同期比8・8%減】セ・パ両リーグが発表した今季の入場者数のまとめ(1日現在)
で、日本ハムのホームゲームの増減率は12球団でワーストの数字だった。」
(5/20 読売より引用)

平日の落ち込みが激しいか。
そう言えばあの日も平日でした。
あの空席ぶりはデータでも裏付けられた感じですね。
例え勝っても観客が入らない、となれば選手だって張り合いがないし、
そもそもビジネスとして成立しなくなって、道外への移転だって起こりかねません。

道新の記事では球団の原因分析はこれからのような書き方ですが、
読売は移転後の時間の経過とともに「物珍しさが薄れている」という認識が球団内にある
と続けて書いています。
確かに、それは大きいでしょうね。
何でも最初は一種のブームになりますから当初の熱気が去って一段落したのかもしれません。

では、道内で先に誕生したプロスポーツチームとしてのコンサドーレ札幌はどうだったのでしょう。
スポーツそのものの違い、プロとしての歴史の違いはもちろん、動員数の規模も異なりますが、
ファン層の多くは「道民」「道産子」なんでしょうから、道民、道産子というキーワードで考えてみると
何かヒントがあるかもしれません。
そこで、コンサドーレの観客動員数をグラフ化してみました。
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★印は優勝、▲印は下位、×印は最下位、両矢印はJ2を示しています。

JFL、J2で優勝した翌年は観客動員数も伸びていますが、上位リーグで低迷すると
途端に落ちています。J1でも成績がふるわなかったり、J2が長くなると働員数も伸び悩み、
2007年の優勝をひとつのピークに、以降は2007年を上回る動員数は上げられていません。
コンサドーレが不運だと思うのは、それぞれのリーグで優勝したあと、
上位リーグで踏みとどまれずに短期間で下位リーグに戻ることを繰り返していることです。
そのため、チームとしてのアピールも十分にできないだろうし、ファンの期待もしぼみやすい
のではないか、それが動員数の減少につながっているのでは、ということです。

シンプルですが、勝てば観客動員も増えるでしょうし、負けると観客動員も減るということ。
これは何もコンサドーレだけの話ではなくプロ、アマ問わずスポーツの持つ側面でしょうね。
じゃあ、勝てば動員数確保には良いとは思うのですが、さらに考えておくべきは
ファンを形成する道民気質、道産子気質じゃないのかな、と思う訳です。

では「道民気質」「道産子気質」とはどんな特徴があるのでしょうか。
巷間よく言われるようなアバウトな類しか思い浮かばないのですが、

「おおらか」、「こだわらない」、「我慢強い」、「のんびりしている」、
「依存心が強い」、「あまり見栄を張らない」、「熱しやすく冷めやすい」

この辺りは繰り返し語られているのではないでしょうか。
まあ、ここは私見ですので、異論は大いにあるとは思います。

「こだわらない」「我慢強い」なんてのは、まさしく「負けたって応援するよ」という
コアなファン形成には必須の要素だと思います。
でも、一方で「こだわらない」は勝負にこだわらない淡泊さにもつながります。
つまり、もともと勝負事にはあまりのめり込まない、すなわち熱心に応援はしない
ということに通じるのかもしれません。
それから、「熱しやすく冷めやすい」という気質も大きいのではないでしょうか。
こういう点が作用すると、「ブームが去ったら、すぐ冷めて、チームにもこだわらないし、
勝っても負けても関心がなくなったよ」という心理が形成されていきやすいのでは
ないでしょうか。そうすると、当然試合も観に行かないし、動員数も減ります。

また「依存心が強い」と関係すると思うのですが、「勝つ方になびきやすい」とでも
言うのでしょうか、負けそうな状況を避けるようになるという、ちょっとご都合主義的な
部分があるのではないかと考えています。最下位に沈んだ昨年も減っています。
ブームが去って熱気も冷めて関心も低下してきた中で、微妙に道民気質、道産子気質が
影響を及ぼしているような気がしています。
ファイターズの近年の動員数減少の一因はこの辺りにもあるのではないでしょうか。

やはり、まず一時のブームが去りつつあるというのが一番大きいにしても、
これに道民気質が影響して勝ち組には大いに関心を寄せる傾向が強いと思いますので、
まずは勝たないと振り向いてくれないのではないかと思います。
ぐたぐだ書いてきましたが、やっぱり「チームの勝利」が一番だ、という平凡な結論のお粗末。
<追記5/24>
文意が通じにくいところがありましたので、加筆修正しました。

<追記2015.5.2>タイトルに2014年シーズンであることを明記しました。
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by capricciosam | 2014-05-22 23:32 | ファイターズ | Comments(2)

存在の美学@だて歴史の杜カルチャーセンター2014

伊達市噴火湾文化研究所同人は野田弘志、永山優子、廣戸絵美の3名で
構成されている。招待作家をまじえた同人展は隔年で開催されてきたが、
第3回(2014年)は東京、大阪を経て伊達市、札幌市で開催される。

現在の写実主義を先頭で牽引してきた野田さんの話を直接聞くことが
できると知って、高速道路をひた走って伊達展の初日に足を運んできた。

大きな一室に約20点が展示されていた。初日にもかかわらずそれ程
混雑しておらず、ちょっと拍子抜けだったが、お陰で時間をかけて鑑賞する
ことができた。丹念に対象に迫ろうという画家の意気込みのようなものが
多くの作品から感じられ、見応えがあった。もっとも、ギャラリートークの
始まる時刻が近づくにつれ、会場が混雑し始めたのは言うまでもない。
作品鑑賞もさることながら、みなさん同じ思いの方が多かったようです。
野田さんはじめ写実主義を志されている画家から肉声で思いの丈を
聴くことができるのはめったにない機会ですからね。

トークは同人の野田さん、永山さんに、野田永山塾出身の若き2人
(今村圭吾、松永瑠利子)を加えて4人で行なわれた。
コーディネーター役は永山さん。
トーク自体はメモをとって聴いていたが、帰宅して振り返ってみると、
野田さん、永山さんのプロ作家のボリュームが多かったのは予想どおりか。

「これまでは展覧会では観る人が喜んでくれる作品を描こうと思っていた。
そのこと自体はもちろん大事なのだが、自分自身が美しいと感じていることを
はっきりと見つけ出したいと考えるようになった。」
という永山さんの発言で開始された。
永山さんは4点出品されていたが、「共通して感じたものは「生命(いのち)」、
美しいというのは生命に対する愛情なのだと思う。」と続けられた。

次に野田さんは永山さんの発言を受けて、
「存在というものをどう考えるか。生まれて死んでいく、その束の間生きている。
その生命を美しいと感じるように我々はできている。哲学者は小難しく言うが、
美しいと感じる、それを表したいと考えるのが絵描きなんだ。」
とおっしゃる。

対象に心動かされて絵を描かれる画家にとって、その気持ちをどのように表現する
のか、という技法の選択はいろいろあるのだろうが、とかくうわべの細密さばかりで
評価(誤解?)されがちな写実主義をプロ作家として貫いて来られているお二人の
この発言が聞けただけでも来た甲斐があったというものだ。

この他、存在の美学以前、デパートの違い、生と死に関して、現在の人気について等
会場からの質問に対する回答含めて興味深い話が展開されました。
ギャラリートークは伊達展では今回限りでしたが、札幌展では2回企画されている
ようなので、本記事で詳細に書くことは避けたいと思います。
関心のある方はトークに参加されて直接聴かれることをお薦めします。

伊達展 5/18~6/3 だて歴史の杜カルチャーセンター
札幌展 6/21~7/6 札幌芸術の森美術館
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<追記>
伊達展は観覧無料です。近くにお住まいの方は、この機会に。
トーク開始前に野田永山塾の塾生の方から色々お話を聴くことができた。
塾ではお二人は「ああしなさい、こうしなさい」という指導はされず、塾生が自ら気づき、
そして納得するような指導をされているとお話されていたのが印象に残った。
<追記5.20>
札幌展は有料ですが、招待作家がさらに9名増えて見応えが増します。

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by capricciosam | 2014-05-18 23:57 | 展覧会 | Comments(0)

自治体による初の原発差し止め訴訟

「函館西部地区バル街」は年に2回、春と秋に開催されます。
以前、秋のバル街に訪れたことは記事にしましたが、今振り返っても楽しい想い出です。
函館ならではのイベントで、今年も春のバル街は4月20日(日)に開催されるようです。
きっと、大勢の参加者で賑わうんでしょうね。行きたいなぁ~

また、参加したいのでぜひ末永く続いてもらいたいと思うのですが、
なんと言っても観光やイベントは安心して楽しみたいもの。
それが、危険と隣り合わせでは、せっかくの酔いも醒めようというものです。
しかも事故ったら最後、生命と故郷を捨てることになるかもしれない危険なら、なおさらです。

「電源開発が青森県大間町に建設中の大間原子力発電所について、北海道函館市は
3日、国と同社を相手取り、設置許可の無効確認と建設差し止めを求める訴訟を
東京地裁に起こした。原発を巡り、自治体が国などを訴えたのは初めて。(略)
大間原発は、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料で運転する原発として08年5月に着工。
東電の原発事故でいったん工事が中断されたが、12年10月に再開している。工事の進捗率は
11年3月時点で約37%。函館市とは、津軽海峡を挟んで最短23キロ離れている。」
(以上、読売新聞4/3より引用)
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この図は函館市のHPに掲載されているものです。

以前、津軽海峡で最も狭いと言われる旧戸井町の岬から対岸の大間町を肉眼で
見たことがありますが、楽々見えたことに驚いたことがあります。
「へぇ~、こんなに近いんだ。」
海しかないから、当たり前ですが、何らの遮蔽物もないということでもありますね。
いったん重大事故が起きた場合には、風向きによっては、被爆から逃れることは
到底容易なこととは思われません。

今回の訴訟について函館市はHPで「なぜ建設凍結を求めるのか」を公表しています。

「私達は、福島第一原発のあの事故の凄まじさを見て、原発をこれ以上増やすべきではなく,
建設中や計画中の原発は、当分凍結すべきと考え、国や事業者である電源開発(株)に
大間原発建設の無期限凍結を要請してまいりましたが、前政権の下で平成24年10月1日、
建設が再開されました。
その後、国は、福島第一原発事故を踏まえ,万が一の事故の際には被害が大きく危険となる
地域を、これまでの8~10Kmから30Kmに変更したところです。その30Km圏内に入る
函館市や道南地域への説明もなく、また、同意を得ることもなく、建設が再開され、建設後には、
大間原発の事故を想定した地域防災計画や避難計画を定めることを義務づけられることは、
整合性を欠き、誠に理解しがたいものです。」
(以上、函館市HPより引用)

建設当時は意見を述べる機会もなく着工され、同意もした覚えもないのに、
被害想定地域の拡大にともなって一方的に義務が課せられるなんて実に変な話です。

ところで、函館市の考えている大間原発の問題点とはどんなことなのでしょう。
以下も函館市のHPからの引用です。

「①福島第一原発事故以前の審査基準により許可され、建設が進められていること
②毒性が強く危険性が指摘されているフルモックス(プルトニウムとウランの混合燃料だけを使用)
での世界初の原子炉であること
③大間原発の北方海域や西側海域に巨大な活断層がある可能性が高いこと
④大間原発が面している津軽海峡は国際海峡であり、領海が通常の12海里(22km)ではなく、
3海里(5.5km)しかないことからテロ対策をはじめ安全保障上の大きな問題があること
⑤既存原発の再稼働とは異なり,電力需給の問題を生じるものではないこと
⑥大間原発では使用済核燃料は20年分しか保管できなく、その処理の方法や最終処分地などが
決まっていないこと」

①は福島第一原発事故後の審査基準では許可されない可能性があるならば、
ここは確認されるまで中断するのが筋というものでしょう。
②MOX燃料原発は各国が中止しているだけに安全性が担保できるのでしょうか。
あと、案外騒がれませんが、個人的には④が気になっていました。
そもそもテロ対策が弱いと言われる我が国の原発を、よりによって国際海峡に面して
立地する必要があるのか、という疑問です。
領海が狭くなっている分、テロも受けやすいという発想はシンプル過ぎるでしょうか。
重大事故も心配ですが、この点も潜在的には危険性大だと思います。

函館市を含む道南の生活や経済を破壊する恐れのある原発。
肉眼で確認できる対岸で一方的にそれが建設されているのを見ていなければいけない函館市。
住民の心情としては気分が休まるものではないだろう。
だからこそ、今回の函館市の英断を支持し、訴訟の成功を祈りたい。
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by capricciosam | 2014-04-03 23:59 | 時の移ろい | Comments(0)

PCルームなんて概念自体が旧いのか

今週に入ってから気温も上がり、最低気温もプラスになってきました。
そのせいか、家の周囲の雪山も日一日と低くなってきましたし、
道路の道ばたにあった残雪もぐんぐん少なくなってきました。
スタッドレスタイヤがもったいないと感じる位なので、
いよいよ冬ともお別れをする時が近づいたようです。
3月の最後の週は春に向かって一気に追い込むような感じです。

さて、こんな記事が目に止まりました。

「学生が個人のPCやタブレットで学内システムにアクセスし、いつでもどこでも
自分のペースで自由に学習できるようにする――そんな先進的なICT教育に
取り組む大学が現れつつある。中でも、国立総合大学としては異例の取り組み
でこれを推進しているのが九州大学だ。同大は2013年度新入生から、学生が
個人で所有しているノートPCの学内持ち込みを必須化。
2017年度にはこの制度を全学生1万9000人(大学院生含む)まで広げ、
学内のPCルームを全廃する計画だ。」
(以上、ITmedia エンタープライズ 3/24より引用)

「う~ん、凄いなぁ。とうとうここまで来たんだ。」

と言うのも、自分の学生時代はコピー機ぐらいはあったものの、手書きが当たり前で、
コンピュータなんてとても手の届かない代物でした。
電卓はまだ貴重で、コンピューターは学内に大型計算機が設置されていたものの、
プログラム言語を前提として利用するのが当たり前で、とても敷居が高かった。
普通の家電並に使うなんて感覚は到底想像できるものではなかったという訳です。

そんなオヤジ世代も社会に出れば、ワープロから始まって、いよいよコンピュータ利用に。
「情報処理室」なんてできてそこにデスクトップPCが鎮座している景色が当たり前になりました。
しかも、習うより慣れろで、使い方のイロハ含めてOJT。
とにかくPCは見よう見まねで体得してきたな、というのが正直な感想です。

また、記憶媒体はフロッピー。7インチ、5インチ、3.5インチとダウンサイズ化していくとともに、
マイコンからパソコンになってきました。でも、自分で持つのはもっと後。
時代はWindowsになり、処理能力も飛躍的にアップしていくのですが、
仕事で先に一人一台のかけ声の下、ノートパソコンを与えられ、
ようやく数年後に自分でディスクトップを購入しました。
もっとも、購入の動機は仕事よりインターネットでしたけれどね。
ちょうど時代もISDNからADSLへと、ブロードバンド時代の幕開け期でした。

それが今じゃ、家にあるのが当たり前で、逆にないと不便を感じるんですからね。
ここ25年ぐらいの間に、随分劇的に変化したと思います。
25年前に現在を想像できたかと言うと、全然できなかっただろうと自信を持って言える
のは、何も小生の貧困な想像力だけではないとは思うのですが。

あと何年生きられるかわかりませんが、この分野はテンポアップして進んでいくことは
間違いないでしょう。老化していく頭では少々ツライものがあるのですが、
まったく分離して生活していく程の覚悟もありませんから、
ぼちぼち遅れないようにはついていきたいものです、ハイ。

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最後にPCとは関係ないのですが、先々週末の某店のクラシックチャートの写真を。
尾高忠明&札幌交響楽団のブルックナー交響曲第7番は堂々一位でした(^^)
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by capricciosam | 2014-03-25 23:20 | 時の移ろい | Comments(0)

便利なTwilog

記事も更新せぬうちに、3月も早や中旬。
今週は下旬に突入する訳で、時はどんどん過ぎ去ります。
さぼっているうちにどんどん進んでいく感じですね。

この頃は専らtwitterばかりです。
ツィートもほぼパターン化していて、目覚めてひとつぶやきした後は、
平日勤務中は休憩中にTLを眺めてリツィートする以外はつぶやきはしない主義。
それで帰宅してからつぶやきを再開します。でも、つぶやかない日もありますので、
リツイートを多目にする傾向になってからでも、実際のつぶやき数としては少ないでしょうね。

こんな按配なのですが、リツイート含めて2500余りとなったのでチリツモだな、と驚いていました。
でも、「最初のつぶやきはなんだっけ?」とか「あの件で当時なんてつぶやいてたんだろう?」
となると、ブログと違い、ツィッターの画面では振りかえるのが大変であきらめていました。

でも、そんな時は「Twilog」という強い味方があることがわかりました。
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今日やってみましたが、めんどうな操作もなく、簡単にできました。
過去のデータ取得にはさらにワンクリック。
お陰で久しぶりに始めた当初の様子が分かりました。
どうやら認証がスムーズにいかなかったようで、不安気味ではじめたようです。
もうすかっり忘れていました。

その他、

・Twitter歴813日(2011年12月25日より)

こんなデータもあったのですが、「へぇ~、もうそんなに経ったのか」という感慨がありますね。

・3.1件/日

平均データは案の定少ないのですが、これとてリツイートを含んでいるのでしょうから、
本人のつぶやきとしては、さえずりの極めて少ないタイプということになりますね。

画面には「1年前の今日のツイートを見る」というのがあり、
「一年前の今日に何をつぶやいたか」が、わかるようになっていました。
さっそくクリックしてみると、次のようなつぶやきをしていました。
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そうでした。手術のため少し入院して退院した翌日でしたが、すっかり忘れていました。
それ以降患部の異常はないのですが、当時はこのせいで結構ジタバタしていたので
健康に過ごすということは改めてありがたいことですね。感謝です。
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by capricciosam | 2014-03-16 17:54 | 時の移ろい | Comments(0)

作品はどうなるんだろう

2月も中旬になって、寒さの底から抜け出しつつあるのかな、と感じています。
もちろん一面雪景色で、融雪なんてまだまだ先なのは十分承知しています。
今日は午前にカミサンのお供で買い物に出かけてきました。
時折雪も降ったりしたのですが、その中を歩いてもそれ程身も凍るような感はありません。
かえって少し湿った雪が春近しを一瞬思わせたりしました。
長い冬を過ごすと、そんなわずかの気配を感じることが何やら嬉しい訳です。

さて、今年も日常が淡々と過ぎ去っていく感じなのですが、
そんな中突如発生した「佐村河内守ゴーストライター事件」には驚くばかりでした。
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この影響で北海道でも4月に予定されていた演奏会が中止になりました。
まだまだ事件としては収束していませんが、事件の経過は、
すでにWikipediaの佐村河内守の項に「ゴーストライター問題」として
概略がまとめられていますから、ここでは詳細は省略します。

2月5日に突如代理人の弁護士が声明を発表して大騒ぎとなった訳ですが、
この日はツィッターのTLに流れる情報に驚くばかりでした。
事情が徐々に判明してくると、明るく照らし出されていたステージが急に暗転したような
イメージを持ちました。当然、佐村河内氏は非難されてしかるべきだとは思いますが、
そんな中、気になったのは置き去りにされた氏名義の「作品」でした。
当日、小生は以下のようにつぶやきました。

「佐村河内守さんも最初からゴーストライターとの共作としていれば事態は異なっただろうに。
しかし、彼の作品に関心を寄せていた人たちが、まつわる「ストーリー」が
なくなったと同時に作品への評価を一変させるのかな。
だとしたら作品としては真に評価されていなかったことになりそれも寂しい話だ。」
(以上、201.2.5 23:32ツイートより引用)

発生から一週間経過した今となっても依然気になるのは、
ゴーストライターの新垣隆氏の手により誕生した「作品」の扱いです。
確かに、作品が偽った背景のもとに誕生したことは理解できたのですが、
現代クラシック曲としては異例の売り上げを記録し、演奏家や評論家含め
多くの人が支持したという事実は残ったことは間違いない訳です。
それは、作品誕生にまつわるストーリーがあったればこそなのでしょうか。
ストーリーがなければ作品自体は受入れがたいものだったということなのでしょうか。
そして支持したみなさんは作品の評価を一変させるのでしょうか。

小生もたまたま昨年3月に放送されたNHKスペシャルは観ましたし、
後日放送された交響曲第1番HIROSHIMAの演奏会も録画して鑑賞しました。
これは放送された佐村河内氏の「ストーリー」に影響されたことは否めません。
しかし、残念ながら小生にはこの曲は聴き通すのが大変で、
二度と聴かないだろうと判断してHDDからも消去してしまいました。
当時は「長大でとりとめがない、やはり現代曲は難しいね。」ぐらいの感想でした。

従って、CDも販売中止となってしまった今となっては、もう一度聴こうと思っても
小生には無理な状況ですが、そんなに惜しいという気持ちも湧いてきません。
それは、この難解な曲に共感できなかった、好きになれなかったからで、
ストーリーはストーリーとしても、自分の感性には無理だ、というのが率直な感想でした。
これは鑑賞する態度としてはそんなにハズレてはいないんじゃないのか、と思っています。
鑑賞に当たって、個人の好き嫌い的態度が発生するのはやむを得ないことです。
従って、この作品を再び演奏してほしいとは考えない立場にいることになります。

しかし、この曲に価値を見いだし、支持した人たちもいた訳ですから、
事件とは関係なく、「良いものは良い」として作品としての価値や評価を
再度きちんと伝えてもらえることが、不幸な背景のもとに産み落とされた作品の救いと
なるだろうし、作品鑑賞のあり方にも示唆を与えるのではないかと思うのです。
ただ、事態が明らかになるにつれ、世間でその声を挙げることは勇気のいることで、
中々難しいだろうということは察せられます。
となれば、時間の経過とともに作品も忘却の彼方に押しやられそうですが、
そうなればなったで釈然としないものが残ってしまいそうです。
今回の事件は、大げさに言ってかまわないのなら、作品鑑賞に当たっての
聴く側のあり方に一石を投じた事件として忘れてはならないと思います。
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by capricciosam | 2014-02-11 16:03 | 時の移ろい | Comments(0)