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父と暮らせば@北広島市芸術文化ホール2011

3年ぶりに観るこまつ座公演です。
前回の「太鼓たたいて笛ふいて」は「戦争」がテーマでしたが、
今回の「父と暮らせば」はテーマがさらに絞られて「原爆」です。

原爆が投下されてから3年後の広島。
復興も進まない中、主人公の福吉美津江はバラック同然の家に住んでいます。
美津江は被爆しながらもなんとか助かったのですが、
父・竹造は、実は3年前の原爆ですでに死んでいますが、何故かこのところ同居しています。
そして二人の会話に耳を澄ますうちにその訳は判明してくるのですが、
果たして、何故死者がよみがえったのか。
実は、その辺の作者の意図が知りたくて、公演終了後会場で原作を求めて読んでいました。
それで感想がおそくなってしまいました。あいすまんこってす。
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「ここに原子爆弾によってすべての身寄りを失った若い女性がいて、
亡くなった人たちにたいして、「自分だけが生き残って申しわけがない。」と
考えている。このように、自分に恋を禁じていた彼女が、あるとき、ふっと恋におちてしまう。
この瞬間から、彼女は、「しあわせになってはいけない」と自分をいましめる娘と、
「この恋を成就させることで、しあわせになりたい」と願う娘とに、
真っ二つに分裂してしまいます。
(略)美津江を「いましめる娘」と「願う娘」にまず分ける。
そして対立させてドラマをつくる。しかし一人の女優さんが演じ分けるのはたいへんですから、
亡くなった者たちの代表として、彼女の父親に「願う娘」を演じてもらおうと思いつきました。」
(以上、「父と暮らせば」(新潮文庫)劇場の機知-あとがきに代えて、より引用)

これで合点がいきました。
すごい着想だな、と思うと同時に、井上ひさしさんの創造力の一端を知る興味深い話です。
そして、作者は1場4景の舞台に作り上げてしまった訳ですが、
そこには惨禍を経て幸いにも生き残った者の魂を鼓舞する作者のメッセージが読み取れます。
端的に表れるのが、竹造の次のセリフです。

「おまいは病気なんじゃ。病名もちゃんとあるど。
生きのこってしもうて亡うなった友だちに申し訳ない、
生きとるんがうしろめたいいうて、そよにほたえるのが病状で、
病名を「うしろめとうて申し訳ない病」ちゅうんじゃ。
気持ちはようわかる。じゃが、おまいは生きとる、生きにゃいけん。
そいじゃけん、そよな病気は、はよう治さにゃいけんで。」
(以上、「父と暮らせば」(新潮文庫)P.98より引用)

いつまでもうしろめたさにとらわれずに、幸せを求めて生きるんだ。
恐らく、舞台でお二人の役者さんが演じられることから発せられるメッセージは
この点につきるのでしょうが、美津江が恋心を抱く相手、木下正(登場しません)の
意向(原爆資料の保管)を考えると、惨禍を忘れてはいけない、後世にきちんと伝える
ということが作者の隠された別のメッセージだったのかな、と思わずにはいられません。
そして、東日本大震災と福島第一原発事故に遭遇したタイミングでは、
十分我々の心に響き、共鳴するメッセージでもあるな、と改めて思い至りました。

最後に、演じられる辻萬長さん、栗田桃子さんのことについて。
お二人のコンビでは2008年から続いていて、今回で3回目だそうですが、
よどみない広島弁のセリフに聞き惚れ、立ち振る舞いに見とれているうちに
引きこまれてしまい、芝居の頂点となる4景では涙壺が満水になりました。
幸い決壊せずに済みましたが、まわりから多くのすすり泣きが聞こえてきて
いかに共感している人が多かったことか、と改めて感じたところです。
これは、作者の力はもちろんですが、演じられるお二人の力がなくては
如何ともしがたいところだと思います。

今回の公演も7月から全国巡演を重ねられて、道内は9/22伊達を皮切りに、
音更、士別、深川と巡回されて、北広島公演は道内巡演の最後でした。
そして9/30、10/1の埼玉県大宮で千秋楽です。
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<蛇足>
井上麻矢さん(こまつ座社長・井上ひさしさんの三女)も公演会場にいらっしゃいました。
会場には井上ひさしさんの笑顔の大きなパネルが。
カミサン「ホント、亡くなられたなんて信じられないですね。」
麻矢さん「臨終に立ち会いましたが、ほんとうにそうなんですよ。
どこかからふっと現れてきそうで。」
亡くなったのが昨年春でしたね。早いものです。
by capricciosam | 2011-09-28 22:33 | 舞台


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