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夷酋列像@北海道博物館2015

松前藩家老蠣崎波響の描いた「夷酋列像」はクナシリ・メナリの戦い(1789年)に
際し、大規模な衝突回避に協力した12名のアイヌの酋長を描いたもので、
12枚を一対として2対描かれたと伝えられている。

しかし、現存するのは
(a)函館市立博物館の「御味方蝦夷之図」の2枚
(b)フランスのブザンソン美術考古博物館の11枚、
の合計13枚だけである。「イコリカヤニ」は欠損し、模写しか発見されていない。
また、1984年に確認されたブザンソンのものは、これまで道内では数回しか
公開されておらず、最近では2012年道立函館美術館で開催されたのが
最後となっている。幸い観賞できたのだが、その時の感想はこちらです。
振り返ってみると、あの時は(a)(b)を中心として蠣崎波響の肉筆画数点+α程度
の小規模な展示であったため、逆に夷酋列像の作品だけに向き合うことができた
得難い機会だったと言える。

「松前藩家老をつとめた画人、蠣崎波響が寛政2年(1790年)に描いた「夷酋
列像」は時の天皇や、諸藩の大名たちの称賛を受け、多くの模写を生みました。」
(以上、本展のチラシより引用)

しかし、今回は夷酋列像が完成当時いかに評判を呼び、模写されたかがわかる
模写作品(特に、小島雪セイ?(山へんにつくりが青)の折りたたみ式の作品の
完成度は高く、素晴らしいの一言だ。)や蠣崎波響の作品、当時の絵画、アイヌの衣服、
持ち物、世界地図等が4つの構成で展示され、作品の誕生した当時の背景も知る
ことができただけに視野が広がる思いがした。好企画。
特に3年前の展示では省略されていて、未だ実物が発見されていない「イコリカヤニ」
(模写)を鑑賞できたことは何より幸いだった。改めて、この一枚を含めて12枚の
完成度が当時評判となったことに頷けるものがある。

作品解説の中で特に目を引いたのが、第二章の冒頭に展示されていた「蠣崎波響像」
の解説だった。27歳で「夷酋列像」を描き上げてから上洛した後、持参したこの絵が
きっかけで交流が拡り、ついには円山応挙に傾倒して画風を一変させていくとあり、
3年前の展示で蠣崎波響の肉筆画と「夷酋列像」の作風の差にとまどった覚えがあった
だけに、合点がいった次第だ。
「夷酋列像」以外の展示含め、見応えのある展示だった。

ただ、最後にひとつだけ苦言を呈しておきたい。
それは、展示作品の解説プレートと文字が小さく読みにくい点だ。
情報量が多いのは良いとしても、難解な読み方や漢字も多く、読み取りにくい上に、
相対的に文字が小さく読み取るまでに時間がかかり、鑑賞者の渋滞の一因となっていた
ように感じた。と言うか、鑑賞者の立場に立っていない、というほうが適切か。
特に、第3章の弓矢の辺りは解説プレート自体小さすぎて読む気が失せた。最悪。

当日の入場者をざっと観察してみたところでは、幅広い年代だとは思うものの、
高齢者の団体客も多く、恐らく鑑賞者の平均年齢としては比較的高いのではと思われた。
近年足を運んだいくつかの美術展では作品の解説プレートと文字がかなり大きくなって、
高齢化社会に適応しつつあるなと感じているだけに、鑑賞に配慮をを欠くかのような
今回のきめの粗さが鑑賞中も気になって仕方がなかった。
高齢化社会に背を向けたこのような展示方法がまかり通るのは
多様な道民各層にアピールしなければならない道立博物館として如何なものか。
博物館内できちんとチェックしていないのではないか?
北海道は高齢化社会に無縁なのか?

あいにく常設展は観賞していないので、このような問題は特別展だけに限ったこと
なのか否かは不明だが、北海道開拓記念館からリニューアルし、
今後も道民に開かれた道立博物館としてファンを増やしたいと願うなら、
こういう小さな点から改善していくべきではないのか、と思われた。
夷酋列像@北海道博物館2015_c0007388_23301864.jpg

by capricciosam | 2015-10-28 23:33 | 展覧会


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