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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団@NHK音楽祭2017

【プログラム】

1 ブラームス ドイツ・レクイエム 作品45

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
ソプラノ:ハンナ・モリソン
バリトン:ミヒャエル・ナジ
合唱:ウィーン楽友協会合唱団

歌舞伎をみた後は渋谷へ移動して初のNHK音楽祭へ。
渋谷駅からNHKへ向かう坂の途中で雨がポツポツ降り始めたので、近くのMUJIで
折りたたみ傘を買った。しかし、その傘も大して濡れないうちにNHKホールへ着いた
のは幸いだった。


「ドイツ・レクイエム」の実演は10年以上前に札響定期で聴いたきりで、
北海道ではなかなか実演に接する機会がなかった。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の日本ツアーの一環として演奏されたが、
「ドイツ・レクイエム」の演奏は今夜だけ。
ブロムシュテットさんも
「とりわけ私は、日本の聴衆の方々の前でブラームスの<ドイツレクイエム>を初披露
できることに心躍らせております。」(ツアー公式パンフレットより引用)
と強調されていたので期待は大きかった。


指揮台の楽譜は閉じたままで、ブロムシュテットさんは暗譜で指揮されていた。
演奏には無駄な力みが感じられず、端正にさらさらと流れるが如くなのだ。
それが、逆にこの作品の核心に迫っているように思えたし、同時に作品への
リスペクト感が自然体の中から満ちあふれてきているようだった。
かと言って劇的さが希薄すぎる訳でもない。高いレベルでの中庸という感じだ。


また、特筆すべきはウィーン楽友協会合唱団。この作品は合唱の比重が高いと
思っているが、今回は合唱で聴かされたという気分になるくらい、実に説得力があった。
指揮者、オーケストラ、ソリスト、合唱が一体となった名演。
今回を越える「ドイツ・レクイエム」に出会うことは、今後そうそうないだろう。

曲が終わってもブロムシュテットさんはじっとしてなかなか腕を下ろそうとしなかった。
客席も水を打ったように静まりかえって(拍手をした唐変木一名を除いて)たっぷり
とした余韻を味わうことで、一層の感慨に浸ることができたのは僥倖と言えよう。

帰り道はしっかり濡れていた。恐らく演奏会の間は降っていたのだろうが、幸い雨は
上がっていた。結局、傘は使わずに済んだが、お陰でほぼ新品のまま持ち帰ることになり、
傘が東京土産になってしまった。この傘は「ゲヴァントハウスの傘」とでも呼ぼうかな。

<蛇足12.31>
12月はいくつかの演奏会を聴きに行こうと思っていたが、
急に諸事が重なり結果的に今回が今年の聴き納めになってしまった。
今年は今回の「ドイツ・レクイエム」と
4月のBCJの「マタイ受難曲」
宗教曲の珠玉の名演に出会えた一年となったことに感謝したいと思う。


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by capricciosam | 2017-11-19 12:04 | 音楽 | Comments(0)

吉例顔見世大歌舞伎@歌舞伎座2017

【昼の部】

1 湧昇水鯉滝『鯉つかみ』
2 『奥州安達原』環宮明御殿の場
3 『雪暮夜入谷畦道』直侍

久しぶりの歌舞伎。新築なった歌舞伎座では初めて。
地下鉄東銀座駅から木挽町広場に至り、エスカレーターを上がると、
正面破風屋根に櫓も上がり顔見世であることがわかる仕掛けになっている。

1「鯉つかみ」
 滝窓志賀之助…市川染五郎
 小桜姫…中村児太郎

「釣家の息女小桜姫は許嫁で重宝の龍神丸を探す旅に出た滝窓志賀之助を待ち焦がれて
います。ある日、蛍狩りの最中に志賀之助が姫の前に姿を現し、二人は館へ戻り奥へと
入ります。時同じくして館に現れたのは龍神丸を持参した志賀之助。出迎えた家老の
篠村次郎は二人の志賀之助に困惑しますが、刀は真の龍神丸。そこへ関白家の御使者
堅田刑部がやってきて姫を差し出すよう迫りますが、龍神丸を持つ志賀之助がその
悪巧みを暴き成敗します。すると奥座敷の障子には姫と鯉の影。実は、奥にいる
志賀之助は偽物で、琵琶湖に古くから住む鯉の精が化けた姿だったのです。」
(以上、公演チラシより引用)

二人が仲むつまじく踊る場面で徐々に志賀助に化けた鯉が徐々に正体を現してきて、
愛しい姫を奪おうとする設定に観客は気がつく仕掛けになっている。
最後の鯉の精が住む滝の場面での志賀助と鯉の格闘での染五郎の早変わりは実に楽しい。
いささかの遅れもなく見事に決まるのだが、よく似た背格好の役者の方なので、
ちょっと目を離すと、どちらがどちらやらと思ってしまう。
ドキュメンタリー等で見ると舞台裏は大変なようだが、いやはや大したものだな。
しかも宙乗りや本水を使う(本作は夏に演じることが多いようだ)ので、格闘シーンで
鯉が尻尾を振るたびに客席前列には水の飛沫が飛んでいたんじゃないかと
冷や冷やしていた。はじめて見た「鯉つかみ」は、物語も場面転換もわかりやすく、
外連もある派手な場面もたっぷりで初心者にも楽しめる演目だった。
かみさんは染五郎の声があまり通らないと気にしていたが、小生は特段気にならず。
来年1月の幸四郎襲名後もさらに磨きをかけていってもらいたいと思う。


2「奥州安達原」~環宮明御殿の場「萩袖祭文」
 安倍貞任…中村吉右衛門
 萩袖…中村雀右衛門
 安倍宗任…中村又五郎
「源義家が奥州安倍氏の反乱を平定した後のこと。皇弟環宮が行方不明になり、
その咎から平兼杖直方に切腹の命が下されます。そこへ父の難儀を知った娘の萩袖が、
盲目で袖乞いの身を顧みず駆けつけます。しかし直方は安倍貞任と駆け落ち妻となり、
ごぜに零落した娘の対面を許しません。萩袖は不幸を詫びる祭文を語り、父母へ許し
を乞います。そこへ現れたのは義家の命を狙う貞任の弟宗任。宗任から直方を殺すよう
促された萩袖は思い余って自害します。やがて直方は環宮不明の責から切腹、上使の
桂中納言は直方の死を見届けて立ち去ろうとしますが、義家がこれを安倍貞任と見破り
ます。」(以上、公演チラシより引用)

舞台は下手側にしんしんと雪の降る屋敷の外、上手側に屋敷の中と大きく2分割されて
いる。盲目となった袖萩が幼いお君に手を引かれて下手側より登場。
親に逆らい駆け落ちしたことで最後まで許してもらえないまま父親は切腹、萩袖も貞任
の弟宗任から渡された短刀で自害、となんとも救いようのない設定の前半。
萩袖親子が主役のため、主に芝居は舞台の下手側だけで演じられる。通称「萩袖祭文」
と言われるくらい萩袖が雪の中で祭文を弾き語りする場面が見せ場なのだろうが、
今回は萩袖は三味線を弾くだけ。しかし、雀右衛門の切ない語り口で歌われたら
もっと胸に迫るものがあったのではないか、と贅沢な注文がふと浮かんだ。
また、母の浜夕役の中村東蔵が良い味を出していた。


静的な前半に比べ、安部貞任が登場する後半は動的。場面に重厚さが増し、かつ躍動する。
ここは吉右衛門の独壇場で、隙の無い芝居はもちろん声の張りも十分で、
人間国宝・文化功労者となっても枯れた気配は微塵も感じられない現役感たっぷりだった。
いやはや、上手いね。大ファンのかみさんも満足していた。


□「雪暮夜入谷畦道」
 片岡直次郎…尾上菊五郎
 三千歳…中村時蔵
「春がまだ浅い雪の夜の入谷の蕎麦屋。悪事を働き、終われる身の御家人くずれの
直次郎は、恋仲の三千歳を療治する按摩の丈賀に出会います。道中で悪党仲間の丑松
と遭遇、二人は互いの無事を祈り別れますが、丑松は直次郎を訴人することを決意
します。直次郎は三千歳が療養している大口屋の寮へとやってきて、二人は束の間の
逢瀬を楽しみますが、その場へ捕手が踏み込み、直次郎は三千歳を残し、
一人落ち延びていくのでした。」(以上、公演チラシより引用)
 
前2作が復讐譚なら本作は河竹黙阿弥作による世話物。
雪の降る夜に追っ手を避けてなじみの遊女と逃げようか、という一夜の物語。

そば屋では客がそばを食べてセリフを言う。
そばをずずーっとかき込む音が客席に聞こえる。見ると口をもぐもぐしている。
「ありゃ、本物だ!」
客が出て行ってから、花道から菊五郎登場。深い雪を跨ぐように歩いて店内へ。
そして熱燗を一杯やって、注文したそばを、やはりズズーっと食べる。
どうも、この芝居では本物のそばを使うようです(驚)
菊五郎のしっとりした情感の出し方は上手いが、物語としては淡々と終わる。


<蛇足12.31>
①新しい歌舞伎座で意外だったのはクロークが設置されていなかったこと。
不思議に思って職員に尋ねたら、地下にコインロッカーがあるのでそれを利用して
もらいたいとのことだった。随分割り切ってるな、と思ったが、そのコインロッカー
を館内放送等で積極的に案内している様子もなかった。普段コンサートホール通いで
クロークをホールのもてなしのひとつとして利用させてもらっている身としては
歌舞伎座のお客をもてなす思想に何やら物足りなさも感じた。
クローク慣れしている海外からのインバウンドも多いだろうに、不思議。

②休憩中に何人もの客が前々列に座っている老人に挨拶する場面をたびたび目撃した。
「さぞや名のある方なんだろうが、一体どなたなんだろう?」と不思議に思っていた。
思い出そうとしていたら、元経団連会長のI氏ではないかと思い当り、
手元のスマホで検索したら当たりだった。その老人は最後まで鑑賞されていたが、
こういう方にさりげなく出会うというのも東京ならではだね。

③中村吉右衛門の言葉から
「その人の教養というか、経験というか、そういうものが、役者としての人間を
膨らませてくれるのではないかと思います。それを自分の肥やしとできる人は
芸が太っていくでしょう。(略)お客様の多くは、芝居に限らず、優れたものを
ご覧になり、さまざまなことをご存じです。そういう鑑識眼、審美眼のある方たちが
満足できるようなお芝居をお見せしなければならないと考えます。私は、歌舞伎は
芸術だと思っております。高尚なもの、上等なものをお客様にお見せしたい。
それには自分のなかのものを高めることが必要です。そうでないと芝居は高まりません。」
(歌舞伎座HP歌舞伎人より引用)

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by capricciosam | 2017-11-18 07:36 | 舞台 | Comments(0)

新日本フィルハーモニー交響楽団@すみだトリフォニーホール2017

【プログラム】

1 ラフマニノフ 交響詩「死の島」
2 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
3 レーガー ベックリンによる4つの音詩

指揮:上岡敏之
ソロ:カティア・ブニアティシヴィリ

すみだトリフォニーホールでは2回目となる新日本フィルハーモニー交響楽団
(以下「新日フィル」という。)演奏会。
指揮者は前回は国外若手による客演だったが、今回は音楽監督の上岡敏之さん。
新日フィルの本来の力を本拠地で聴く機会がやってきた、という感じだった。
日程の都合上、今回もマチネ。現在マチネは<ルビー>というらしい。
(前回聴いた時は「新クラシックの扉」と言ったが、宝石シリーズに統一された。)

しかし、凝ったプログラムだった。
画家ベックリンの描いた「死の島」(欧州の家庭ではよく飾れているらしい。)
にインスピレーションを得て作られたラフマニノフとレーガーの作品を演奏する
という珍しい機会だったが、同じ対象から得られる着想というのは、やはり様々だな、
と改めて思った。絶望や恐怖をも想起させるおどろおどろしい1に比べ、
3の清らかで繊細な調べよ。1は絵の印象をストレートに作品にしたようだし、
3は死して後に天上に昇るかのごとき発想の対比は実に興味深い。
やや金管の乱れが気になったが、上岡監督の指揮の下、新日本フィルも見事に
描き分けていたと思う。しかし、上岡監督の指揮は自在だね。
また、その指揮にピタッと寄り添い演奏する新日フィルのしなやかさは見事だった。
その上、アンコールが驚愕の一曲だった。

ワーグナー 楽劇「神々黄昏」より ジークフリートの葬送行進曲

「これがアンコール?!」上岡さんの真骨頂!
「もっと聞きたい!」と思わせる濃密な響き。
上岡監督で「オール・ワーグナー・プロ」なんてあったら最高だろうね!

2では後日Kitaraでリサイタルを開催するカティア・ブニリシティビリが登場。
力強い打鍵とスピードが印象的で、まるで大馬力のスポーツカーのような勢いの良さ、
アグレッシブさが印象的だったが、ひとつひとつの音が明瞭に聞こえてくる様には
感じなかった。隣席のすみだトリフォニーホールご常連と思われる方と話をしていたら、
「彼女は一音一音というよりフレーズで弾いているようだな」と感想を漏らしていた。
盛大な拍手に応えてアンコールを一曲。

ドビュッシー 「月の光」

こういう選曲なにやら既視感があるが、思い出すのはこの時か。
とかく派手な外見で注目されがちだが、現在注目のピアニストの実力の一端を
楽しませてもらった。

昼公演。3階席だったが、前回より前だったのでホールの響きにも不満はなかった。
やはり、聴く位置で印象は異なるね。

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by capricciosam | 2017-11-17 07:02 | 音楽 | Comments(0)

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団@Kitara2017

【プログラム】

1 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 (1845年初演)
2 ブルックナー 交響曲第7番ホ長調(ノーヴァク版) (1884年初演)

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
ヴァイオリン:レオニダス・カヴァコス

創立275年という世界最古のオーケストラは、これまでどれくらいの作品の世界初演を
果たしてきたのだろう。今回の日本・台湾ツアーでは次の3プログラムが用意されている。


プログラムA 11/7札幌 11/12東京
       ①メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 
       ②ブルックナー 交響曲第7番

プログラムB 11/9横浜 11/11東京 
       ①ブラームス ヴァイオリン協奏曲
       ②シューベルト 交響曲第7番「グレイト」

プログラムC 11/13東京(NHK音楽祭) 
       ①ブラームス「ドイツ・レクイエム」
 
全てが、このオーケストラが世界初演したというから驚きだ。
どの作品もクラシック音楽の有名曲、定番曲ばかりだから、いかにこのオケが歴史的にも
重要なポジションを占めているかがわかる。
ヘルベルト・ブロムシュテット(以下「ブロムシュテット」という。)さんと
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(以下「GHO」という。)はKitaraでは、
2002年、2005年に公演を行っていたから、今回で3回目の来札公演となるはず
(2005年からは期間が空きすぎて少々自信がない)。

ブルックナー5番を初めて生で聴いたのは2002年のこのコンビによる演奏会で、
豪壮かつ悠然とした音の奔流に圧倒されて聴き終えた時の至福感は何物にも代えがたいと
感じたことが思い出される。一見豪快に指揮をされるように見えるブロムシュテットさん
だが、決して力づくではなく、自然にオケの力を引き出されるような印象をこの時抱いた。
あれから15年を経てこのコンビを再び聴く機会が巡ってきたら、またブルックナーだ。
しかも7番とは、なんという僥倖か。

2では内在する優美さと深い陰影が雄大な奔流となって身を包む感覚に襲われる
作品前半部が最高だが、ブロムシュテットさんはゆったりとした構えながら、
要所を引き締めてGHOの各パートから力を引き出していく。
力みかえったところがない、密度の高い音が心地よい。清潔感すら感じさせる。
老舗ならではの音の厚みと、その伝統に安住せずに常に革新している気配が感じられる。
名誉カペルマイスターとGHOの緊密ぶりが極上のひと時を与えてくれた。
ノーヴァク版だが、打楽器はティンパニのみ。


1では昨年のPMFに出演したレオニダス・カヴァコスがソリストとしてKitaraに再登場。
当時の感想は下記のようなものだが、

>カヴァコスのヴァイオリンは力み返ったところが微塵も感じられないのに、
>実に堂々たる歌いっぷりで正統派の美音そのもの。巨匠の趣。

「正統派の美音」がさらに徹底し、雑味、えぐみのない純水のごとき様には驚いた。
これ程演奏者の余計な情感が入らないまっとうな演奏はそう聴けるものではないと思う。
これに近い印象は2016年のイザベル・ファウストだが、同じ感動でも少し様子が違う。
カヴァコスは、まるで悟りでも開いたかのように自らの気配でも消したかのようだ。
すごく客観的なのだ。それでいて無味乾燥という訳では決してない。
良い意味で期待を裏切ってくれた訳だが、アンコールに

J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータより
パルティータ第3番よりガヴォット

この曲って、こんなにコケティッシュな感じの曲だっけ?と聴いていて笑みがあふれる。
カヴァコスの別な一面を見た思い。愉快。


当日券も完売し満席。
盛大な拍手とブラヴォーが大ホールを満たし、一般参賀が実現。
とても御年90歳とは思えぬ矍鑠(かくしゃく)ぶりのブロムシュテットさんだが、
さらに驚いたのはカヴァコスとともにサイン会に現れたこと。
感謝を伝えながらも、本当に恐縮してサインを頂いた。

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<蛇足>
2005年の札幌公演は残念ながら聴いていません。
でも、GHO演奏会の翌日にはダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレ
札幌公演がKitaraで開かれていて、偶然ブロムシュテットさんを大ホールで目撃しました。
その時の様子はこちらです。


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by capricciosam | 2017-11-07 23:58 | 音楽 | Comments(0)