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Always never give up

困難な脳手術に果敢に取り組む外科医としては福島孝徳氏が
有名ではあるが、今夜TVに出演されていた上山博康氏も
北海道旭川市を中心に活躍される有名な脳神経外科医。
お二人とも似た手術だと思っていたのですが、調べてみると
福島氏は脳腫瘍手術の「神の手」、上山氏は脳動脈瘤の「匠の手」
と異なるようです。

今夜は「匠の手」こと上山氏の手術例が取り上げられていたが、
並の医師がお手上げの脳動脈瘤手術に果敢に挑戦していく様は
毎度の事ながら感心するばかり。
その中での上山氏の言葉から

「患者にとっても、僕らにとっても勝つか負けるかなんです。
でも、患者にとって負けるということはありえないんです。」
「Never give up、Always never give up」
# by capricciosam | 2008-03-03 22:30 | 時の移ろい

マタイ受難曲★聖トーマス教会合唱団@Kitara2008

J・S・バッハゆかりの本家本元の8年ぶりの来札マタイ全曲演奏会。

私のマタイ受難曲体験としては8年前がはじめてで、昨年の道内
アマチュアによる演奏会が2回目なので、今回で3回目となる。
どうにも不思議なのだが、聴くたびに、この曲の持つ「長大さ」が
私の中では段々なりをひそめていくような気分に襲われる。
決して理解が深まったなどというレベルには依然ないのだが、
曲の核を為す「マタイによる福音書」のキリストの受難に関する筋を
より楽に追いかけながら聴くことができるようになってきたからなのか、
と思っている。まあ、ストーリー性のある曲故、筋に親しんだ、慣れた、
のようなものか。(今回もステージ両端には電光による字幕装置が
設置されていたが、これは理解を助けてくれ、良かった)

さて、オケは少人数ながら、必要にして十分なボリュームで
明るめの音色を紡いでいく。それに古楽器が落ち着きを与えて、
物語を味わう手助けとなっている。
また、落ち着きと言えば、前回はやや早足気味に進んだような印象の
テンポも落ち着きを取り戻したことも貢献しているのかもしれない。
これはカントールのビラーの8年の内面の軌跡のせいなのか。
まあ、何れにせよ歓迎。

また、ソリストのうち8年前と同じだったのは男性パートの3人。
中でも、福音史家のM・ペッツォルトの安定した歌いっぷりは見事。
ただし、絶叫気味になると声が裏返ったように聞こえたのは「?」。
有名なアルトのアリアも、前回はせかせかと終わり、がっかりした
ものだったが、今回はコンマスも変わったせいか先を急がず、
たっぷりとした節回しでアルトを支えていた。
アルトはもう少し声に余裕があればなお良し、だったんですが
これは欲張りというものでしょう。

少年合唱は5,6歳ぐらいから17,18歳ぐらいまでなんだろうか。
彼らのよく統一のとれた若々しい歌声が、実に効果的。
改めて、よく訓練されているなあ~、と感心。
もっとも、第2部では集中力を欠いて、出だしが揃わぬ場面も
ちらほらしたが、長丁場故無理もないことです。

演奏終了後、指揮者が腕を降ろす前に拍手が始まった。
ビラー氏は数秒そのままの姿勢でいたが、あれは余韻をぶちこし、
残念なこと。拍手はなにも急ぐ必要はないのに…。

終わってみれば、8年前以上に好印象が残った演奏会であった。
8年前は札幌では25年ぶりとあって満席だったが、今回は
7~8割といったところか。
しかし、会場からの拍手は熱く、スタンディングも見られ、
なかなか終わらなかったことを付け加えておきましょう。
マタイ受難曲★聖トーマス教会合唱団@Kitara2008_c0007388_21171146.jpg

# by capricciosam | 2008-03-02 21:11 | 音楽

とりとめもなく@2008年2月末

今日は4年に一度の29日。
かみさんがラジオで聴いた話。
「うちの母はきょうが誕生日で、まだ15歳なんです。」
さらっ、と聞き流すと「15歳の母」で「エッ」なんですが、
すぐに×4を思い出せば納得する話です。
「うるう年」にはこの手の話は毎度つきものなんでしょう。

ロス疑惑の再逮捕のきっかけは被疑者自らのブログだったとか。
米国司法当局は当人のブログで旅行の様子を掴み、
米国領サイパンをたびたび訪れていることを知る。
その結果サイパンでの水際作戦が成功した、ということなのだろう。
ウェブの世界の中では誰がどこで注視しているかわからない
証左の典型か。
冗舌な彼らしい墓穴の堀かただな、と変なところで感心。

中国産毒ギョーザ事件を受けて、国内では「ギョーザ」を
手作りする家庭が増えたようだとTVで報じていた。
そういえば、北海道のニラ産地も高騰で嬉しい悲鳴らしい。
宜なるかな。「食の安全」は国境を越えて共通のもの。
国内の関心も原因が究明されて再発手段が講じられ、
安心して食べられることが一刻も確認したいのだ。
しかし、そこに国としての利害やメンツが入り込むことで、
真相究明はややこしくなる。
日中両国の見解はそれぞれ異なるにしても、捜査する上での
協調のかけらも感じられない中国当局の一方的声明だけでは
少なくとも日本国内の納得が得られるとは思えない。
オリンピックも間近だというのになぁ…

明日から3月。
やはり春なんですね、今日の札幌は最高気温が6℃にもなりました。
道路の両側は最近降った雪のお陰で堆く積もった雪山なんですが、
溶け出した水たまりがあちこちにできて歩きづらい。
好天が続けば急ピッチで溶けるんですが、溶けきるまでが、
案外大変なんですよ。
# by capricciosam | 2008-02-29 23:04 | 時の移ろい

NYフィル平壌公演@2008

最初この話を聴いた時は我が耳を疑い、
「ホントに実現するの!?」
と思ったものだが、それも昨夜1500人の聴衆を得て実現した。
NYフィル平壌公演@2008_c0007388_2245913.jpg

演奏された曲は
1曲目北朝鮮国歌
2曲目アメリカ国歌
3曲目ワーグナー「ローエングリン」第3幕序曲(前奏曲?)
4曲目ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」
5曲目ガーシュイン「パリのアメリカ人」
アンコール
1曲目ビゼー「アルルの女」からファランドール
2曲目バーンスタイン「キャンディード」序曲
3曲目朝鮮民謡「アリラン」

国交関係が樹立していない国に文化使節を送って重い扉を
開こうとする試みなのだろうが、NYフィルがこんな役割を
引き受けたのは何度もあるのだろうか。
冷戦時代の1959年、バーンスタインに率いられてソ連へ出かけて
演奏をした記録は写真のCDとなっている。
(ただし、私はこのCDを実際に聴いたことはありません)
NYフィル平壌公演@2008_c0007388_22294933.jpg

今回は指揮が超ベテランのマゼールだったから、
演奏自体は客席をうならせる出来だったのでは、と推測。
おまけに、次はエリック・クラプトンを予定とは!?
急にどうなったんでしょうか?ひょっとしたら…
でも、世界でも指折りのワーストに入ろうかという独裁国家
相手では、劇的な変化は期待薄なのでしょうね…
<追記3.2>
※について。江川紹子さんのHPからの孫引きですが、
旧ソ連には上記のNYフィルの前に1956年ボストン交響楽団。
(これは演奏の記録があるんだろうか?)
ニクソン大統領が国交のなかった中国を訪問した翌年
(何年になるんだろう?)にはフィラディルフィア管弦楽団。
フィラディルフィアはクリントン大統領の公式訪問(ベトナム戦争後
初の大統領公式訪問)前の1999年にベトナムにも。
こうしてみると、米国のメジャーオケは米国外交の
露払い的役割を結構はたしているんですね。

# by capricciosam | 2008-02-27 22:33 | 時の移ろい

国家の罠@新潮文庫

今日東京高裁で鈴木宗男衆議院議員に再び有罪判決があった。
鈴木氏はすぐに控訴する意向を表明したことから、最高裁まで
争われることは確実だろう。
先におことわりしておくが、私は支持者でも非支持者でもない。
よって、この判決についてどちらかに与して論じようなどとは思わない。
今回の報道で昨年読んだ一冊の本を思い出したので、
その感想を少々書いておきたいのだ。
思い出したその本とは「国家の罠」。

時間とともに記憶も風化しつつあるが、小泉内閣を思い出す時に、
田中真紀子外務大臣を巡る一連の騒動はなんとも華々しいシロモノ
だったように思う。そして、この騒動は田中大臣の追放だけではなく、
鈴木議員の逮捕、何人かの外務省職員の逮捕も引き起こした。
その職員の一人が「国家の罠」の著者佐藤優氏だった。

氏に関わる裁判もまだ終わっておらず、判決も確定していないが、
釈放後に出版されたというこの本の迫力には正直圧倒された。
佐藤氏の語り口には嫌味・恨み等のネガティブなものは感じられず、
読み進むうちに一種感動を覚え、ごくごく単純に、素直に
心が揺さぶられるが如き読後感に襲われる。
報道で知り得た話の肉付けや騒動の裏面が氏の驚異の記憶力で
詳細にかき込まれ、読む者を捉えて離さない力があるのだ。
特に、裏面的側面には瞠目すべき話がある。
次が象徴的か。

「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。
あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は時代の
けじめをつけるために必要なんです。時代を転換するために、
何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです。」(P.366)

上記は担当検事の発言として本書に登場するが、
「国策捜査」
「時代のけじめ」
「象徴的な事件」
案外、この辺りが今回の裁判のキーワードなのかもしれない。
もちろん、佐藤氏は鈴木氏シンパなので表現には、ワンサイド的
側面が多いという点には注意すべきなのは言うまでもない。
に、しても自己を弁護する気配もなく、実にたいしたものだ。
この辺は著者のクリスチャンとしての面目躍如たるところか。

その他にも現代外交の先端の一面、外務省の勢力争い、
東京拘置所内の生活等なかなか知り得ない興味深い話が多く、
希にみるノンフィクションとなっている。
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# by capricciosam | 2008-02-26 21:48 | 読書